最近、恋人ができた。
名前は「大賀美 祐くん」。身長185センチもあって、バスケ部で鍛えた筋肉質の身体と、浅黒い肌。重たい前髪からのぞく鋭い眼差しがカッコいい、自慢の彼氏だ。
そんな僕は「矢木 優」。身長170センチ、文芸部所属。いたって平凡な、どこにでもいそうな男子学生だ。
大賀美くんと同じクラスになって、紆余曲折、波乱万丈……な展開はなかったけれど、最寄り駅が同じだったり、好きな本が一緒だったりと、なんだかウマがあって、ずっともっと近くにいたいな、と自然と思うようになっていた。つまり……。
「──好きです、大賀美くんのことが」
告白したあの日のことを思い出すと、全身がカッと熱くなる。一生分の勇気を振り絞って僕は大賀美くんに、自分の気持ちを告げたのだ。
「…………」
フリーズしてる大賀美くんに、僕は慌てて「あっ!えっと、好きってのはそ、そういう意味でね」と、間の抜けた説明を加えた。
男同士だ。振られるのも覚悟してた。でも、振るにしても……穏やかで優しい大賀美くんなら、罵倒したり、気味悪がったりしないだろうという期待が僕の背中を押したのだ。
ただ、気持ちを伝えるだけでよかった。大賀美くんのことが大好きだよ、って。
なのに、予想外の展開が起きた。
「……ん。俺も矢木が好きだ」
大賀美くんがはにかむように笑った瞬間、僕の脳内でウェディングベルがこだました。
おとぎ話のラストシーンみたいだ。だけど、僕らの場合は、ページが続いていく。日本の、どこにでもある高校の、どこにでもいる男子高校生の日常は、紆余曲折、波乱万丈な展開がその後、起きるはずもなかったが……僕は十分幸せだった。
一緒に電車に揺られて登下校したり、テスト勉強したり、今までと変わらない日常の中に、そっと手を触れ合わせて微笑みあう甘さが加わった。
幸せだ。まさか、大賀美くんと恋人になれるなんて。
そう思うはずなのに、ほんのわずかな不安が僕の心に芽生え始めていた。
(大賀美くんの、「そういう意味で好き」って僕のと違うのかな……)
恋人への疑惑の目を向けると、「ん?」と大賀美くんが小首を傾げた。僕は手を意味もなくブンブンと振った。
「あっ、な、なんでもないよ!……えっと、ど、どうかな、お弁当!美味しい?」
「ん。うまい」
「よかったァ。食べたいおかず、あったら、リクエストしてね」
毎週水曜日、僕が大賀美くんのお弁当を作るよと提案したのだ。今日がその記念すべき初日。もちろん、大賀美くんとの恋人としての距離をグググーッと近づけるためだ。
西校舎の突き当たりの屋上へと続く階段。そこに腰掛けて、2人っきりのランチタイム。
ベーコンとアスパラのパスタ。シソとチーズ入りの卵焼き。ハート型にしようとして……慌ててやめた、げんこつ型のハンバーグ。
朝の4時から鼻歌を歌いながら作ったお弁当を、大賀美くんは綺麗に平らげて、「ごちそうさまでした」と両手をあわせた。
育ちがいい……顔もいい……黙々と全部食べてくれて、本当に美味しかったんだ……と僕はじんわりと感動する。
そんな僕に、大賀美くんが心配そうな顔で尋ねた。
「矢木、大変だろ。無理しなくていいからな」
「ううん。料理、もともと好きだし、大賀美くんに食べてほしいんだ。──物足りなくなかった?」
大柄でバスケ部の大賀美くんだ。もっとおかず必要だったかも、と思い、何気なく、僕は尋ねた。
大賀美くんは答えなかった。
じっと僕を見つめて、何かを言いかけて、やめた。
「……いや、大丈夫だ。じゃ、戻るか」
なんだ。
今、なんか、変な間があった。
「あっ、う、うん……!」
でも、歩き出す大賀美くんにそれ以上聞けず、僕は慌てて、彼の背中を追いかけた。
ポケットに突っ込まれた大きな両手を見て、小さなため息が僕の口から漏れた。
大賀美くんの所属するバスケ部は毎日、厳しい練習が夜まで続く。
読書会や、書評や小説をゆるく書く文芸部とは大違いだ。他の部員が帰っていく中、僕は大賀美くんと帰るために、部室で一人、本を読んで過ごしていた。
(料理、もともと好きだし、大賀美くんに食べてほしいんだ。──物足りなくなかった?)
(……いや、大丈夫だ。じゃ、戻るか)
毎週、水曜日のお弁当を、大賀美くんは「美味しい」と褒めてくれて、全部食べてくれる。でも、あの時の沈黙が、恋人になった日から感じる距離感が、僕の心を徐々に灰色に染めていく。
(大賀美くんの、「そういう意味で好き」の……「そういう意味」って、やっぱり……)
時計が7時になろうとする頃、部室のドアが開いた。
「──悪い、矢木。待たせたな」
「ううん。全然。部誌に載せる原稿、仕上げてたから」
「……そっか」
僕が答えると、大賀美くんが僕を見つめた。
──まただ。
何か言いかけて、ふっと視線をそらす、最近の、大賀美くんのクセ。
胸の中の疑惑がじわりと膨らんでいく。
「──帰るか」
「待って」
僕は立ち上がった。怖い気持ちを抱えながら、大賀美くんの顔をみあげる。
──大賀美くんと最初に会った時も、僕は少し怖かった。
大きくて、寡黙で、いつも怒ってるような顔が怖くて、きっと友達にはなれないタイプだと思った。
でも、口数が少ない分、誠実で、穏やかな性格に少しずつ惹かれていった。
「お、大賀美くん、あのね……」
僕の声は震えていた。
今の怖さは、大賀美くんと出会った頃の怖さとは違う。
「大賀美くんは、僕のこと、傷つけたくなくて、ずっと無理してるのかなって……」
変わらない、友達としての距離感。
何かを言いかけてやめる、沈黙。
大賀美くんの本当の気持ちを知るのが、怖い。
(……ん。俺も矢木が好きだ)
あの言葉を、大賀美くんが後悔してるのなら。
「大賀美くんが、僕のこと、恋人として『好き』じゃないなら、友達に……戻れるかな……?」
笑ったつもりが、涙で歪んで、自分でも過去最高に不細工な顔になったのが分かる。
こんな顔をしたら、優しい大賀美くんは、余計に気を使うだろう。
困らせたいわけじゃないのに。
──バカみたい。告白して、お弁当押しつけて、帰りも勝手に居残って、あげくの果てに泣いたりして、本当に独りよがりだ。情けなくて、恥ずかしくて、余計にポロポロと涙があふれてしまう。
「……矢木」
大賀美くんのため息が、頭上から聞こえた。呆れてる。僕は涙を必死に拭いながら、すがるように言った。
「と、友達で……ひっく、いいからァ……ぼ、僕のこと、き、嫌いになら……」
言いかけた言葉は、形にならなかった。大賀美くんの心臓の音、それに体温が肌に直接触れている。フーッと短い呼吸が首筋にかかって、ビリビリと痺れる。
「お前な……俺が、どれほど……!」
「……へ?」
ギラリと鋭い眼差しが僕を射抜いた瞬間、僕の視界はぐるんと天井を仰いだ……。
***
最近、恋人ができた。
名前は「矢木 優」。身長170センチ、文芸部所属で、いつも本を読んでいる。穏やかな人柄でクラスメイトから慕われてる、すごくいいヤツだ。
そんな矢木を見つめている俺は、「大賀美 祐」。身体がデカいだけで、面白い話一つできない、不器用でつまらない男だ。
矢木と同じクラスになって、確か、仲良くなったきっかけは、最寄り駅が同じだったからだと思う。好きな本が一緒だったりと、なんだかウマがあって、ずっとそばにいたいな、と思うようになって……次第に「欲望」を抱き始めた。
本をめくる横顔にキスしたら、矢木はどんな顔をするだろうか、とか。
体育の時間で「すごいよ!大賀美くん!」って褒められる度に、抱きしめたくて仕方なかった。
電車で肩に頭を乗せられて寝られた日なんか、理性を保つために、ずっと肘をつねって乗車していた。
そんな毎日を過ごしていると、予想外の出来事が起きた。
「──好きです、大賀美くんのことが」
顔を真っ赤に染めた矢木が、俺に告白したのだ。
そんなまさか、と思った。一生かなわない恋だと思っていたのに。
「…………」
フリーズした俺に、矢木は慌てて「あっ!えっと、好きってのはそ、そういう意味でね」と、わざわざ説明をくわえた。
──そういう意味って、どういう意味だろう。
脳内で、矢木に「あんなこと」も「こんなこと」もとっくにしてるのに。
「……ん。俺も矢木が好きだ」
矢木が信じられない、と目を見開いて、幸福そうに笑った瞬間、俺は誓ったのだ。
矢木を守らなければいけない。誰よりも純真無垢な恋人を、このギリギリの理性を保っている「俺」から。
一緒に帰ったり、放課後宿題をやったり、お弁当を一緒に食べたり……以前の日常にほんの少し甘さが加わって、矢木は嬉しそうだったし、俺も矢木と恋人になれた幸福に酔いしれていた。
なのに、どうして、こんなに、満たされないのか。
「あっ、えっと、ど、どうかな、お弁当!美味しい?」
──目の前に、こんなに美味しそうな「矢木」がいるのに。
「ん。うまい」
「よかった。食べたいおかず、あったら、リクエストしてね」
俺が食べたいのは、お前だよ。
男子高校生の生態、わかってなさすぎだろ。そんな可愛く、首を傾げて俺を見るな。上目遣いで見つめるな。
朝早く起きて弁当作ってくれるなんて健気すぎる。エプロン、つけたのか。なんだ、それ、新妻すぎるだろ。白く揺れるエプロンつけて、そんな格好で微笑まれたら、俺は……俺は……。
「ごちそうさまでした」
妄想を打ち消すように、俺は両手を重ねた。せっかく矢木が作ってくれたのに、己の妄想と格闘してる内にバクバク平らげてしまったようだ。矢木は嬉しそうに空のお弁当箱を見つめている。
「矢木、大変だろ。無理しなくていいからな」
「ううん。料理、もともと好きだし、大賀美くんに食べてほしいんだ」
「そっか。ありがとな。あまり無理すんなよ」
うん、と矢木が笑う。──あぁ、やっぱり、可愛すぎる。人気のない、こんな場所で、いったい何を試されてるんだろう。俺より華奢で白い首筋や、長い手足に心臓が高鳴る。
今、ここでその手を掴んで、お前を押し倒して、首筋に噛み付いたら、いったいどんなに甘いんだろう。
「……じゃ、行くか」
醜く歪んだ願望を必死に押し隠している内に、マトモに矢木の顔を見れなくなっていた。
挙句の果てには──。
「恋人として……『好き』じゃないなら、友達に……戻れるかな……」
涙をいっぱいためた矢木の瞳に、糸のような理性がプツンと切れた。
***
「お前な……俺が、どれほど……!」
「……へ?」
ギラリと鋭い眼差しが僕を射抜いた瞬間、僕の視界はぐるんと天井を仰いだ。
大きな掌が後頭部をふわっと支えてくれたので、机の上に押し倒されても、痛みや衝撃はなかった。
「……矢木」
怒ったような大賀美くんの顔が、僕を見下ろしていた。思わず、じわりと涙が滲む。
「と、友達で……いるのも……だめ……?」
「よくねぇ」
即答だった。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま見上げると、大賀美くんが苦しそうに眉を寄せた。
「なんでそうなるんだ」
「え……?」
「俺が避けてるように見えたか」
「う、うん……」
大賀美くんは大きくため息を吐いた。
「避けてたんじゃない」
「……違うの?」
「ああ」
「じゃあ、なんで……」
沈黙。
大賀美くんが視線を逸らした。
耳が少し赤い。
「……言わなきゃダメか」
「え?」
「言ったら引くだろ」
「引かないよ」
「引く」
「引かない」
「引く」
「引かないって」
子供みたいな押し問答になった。
しばらく黙り込んだあと、大賀美くんは観念したように口を開く。
「お前が電車で寝た日」
「うん」
「キスしたくなった」
「……え?」
「弁当作ってくれた日」
「うん」
「抱きしめたくなった」
「え?」
「二人きりになるたびに我慢できなくなる」
「我慢って……」
「矢木はさ」
大賀美くんが目を細めた。
「俺の『好き』が『こういう好き』だって、分かってねぇだろ」
「あ…………」
僕の顔もカッと赤くなる。大賀美くんが俺の肩に額を押し付ける。
「……俺だって男なんだ」
その声はひどく掠れていた。
「好きな奴が恋人になったら、もっと触りたいと思うだろ」
心臓が止まりそうだった。
「じゃ、じゃあ……」
「ん?」
「恋人として、好き……なの?」
大賀美くんは一瞬だけ目を丸くした。
次の瞬間、呆れたように笑う。
「今さら聞くか、それ」
大きな手が俺の頬を包んだ。
優しくて大きな掌。愛おしそうに僕を見つめる目。
言葉がなくても、言葉以上に、大賀美くんの気持ちが伝わって、僕は大賀美くんの手に自分の手を添えた。
「友達に戻りたいなんて二度と言うな」
「……うん」
「言ったら──食べるからな」
「た、食べる??」
「食べる、矢木の全部」
即答だった。
物騒な答えなのに、真面目な顔してる大賀美くんに、思わず僕は笑ってしまった。
大賀美くんも笑った。
──結局。
今日も、大賀美くんは、僕の握った大きな大きな巨大おにぎりを黙々と食べ、僕はその横顔をうっとりと見つめている。
「友達に戻る」って言ったら、僕のことを「食べる」って言ったけど、果たしてどうなるんだろう。
それとも別の言葉を言えば、僕を「食べてくれる」んだろうか──なんて、最近の僕は変なことばかり考えてしまう。
あの時の押し倒された時の力強い腕、鋭い眼差しを、何度も何度も思い出したりして……。
「どうした、矢木。顔が赤いぞ」
「へ?!ななな、なんでもないよ?!」
「そうか。おにぎり、美味いな」
「えへへ。よかったぁ」
「でも──足りないかもな」
「え?」
相変わらず寡黙な大賀美くんは、それ以上聞かず、僕の唇にそっと唇を重ねた。
「──すまん。まだ、足りないかも」
そうやって、熱っぽく僕を見つめる瞳に、頭がふわふわする。
僕の恋人は思っていたよりずっと食いしん坊で──僕のことを好きすぎるみたいだ。
名前は「大賀美 祐くん」。身長185センチもあって、バスケ部で鍛えた筋肉質の身体と、浅黒い肌。重たい前髪からのぞく鋭い眼差しがカッコいい、自慢の彼氏だ。
そんな僕は「矢木 優」。身長170センチ、文芸部所属。いたって平凡な、どこにでもいそうな男子学生だ。
大賀美くんと同じクラスになって、紆余曲折、波乱万丈……な展開はなかったけれど、最寄り駅が同じだったり、好きな本が一緒だったりと、なんだかウマがあって、ずっともっと近くにいたいな、と自然と思うようになっていた。つまり……。
「──好きです、大賀美くんのことが」
告白したあの日のことを思い出すと、全身がカッと熱くなる。一生分の勇気を振り絞って僕は大賀美くんに、自分の気持ちを告げたのだ。
「…………」
フリーズしてる大賀美くんに、僕は慌てて「あっ!えっと、好きってのはそ、そういう意味でね」と、間の抜けた説明を加えた。
男同士だ。振られるのも覚悟してた。でも、振るにしても……穏やかで優しい大賀美くんなら、罵倒したり、気味悪がったりしないだろうという期待が僕の背中を押したのだ。
ただ、気持ちを伝えるだけでよかった。大賀美くんのことが大好きだよ、って。
なのに、予想外の展開が起きた。
「……ん。俺も矢木が好きだ」
大賀美くんがはにかむように笑った瞬間、僕の脳内でウェディングベルがこだました。
おとぎ話のラストシーンみたいだ。だけど、僕らの場合は、ページが続いていく。日本の、どこにでもある高校の、どこにでもいる男子高校生の日常は、紆余曲折、波乱万丈な展開がその後、起きるはずもなかったが……僕は十分幸せだった。
一緒に電車に揺られて登下校したり、テスト勉強したり、今までと変わらない日常の中に、そっと手を触れ合わせて微笑みあう甘さが加わった。
幸せだ。まさか、大賀美くんと恋人になれるなんて。
そう思うはずなのに、ほんのわずかな不安が僕の心に芽生え始めていた。
(大賀美くんの、「そういう意味で好き」って僕のと違うのかな……)
恋人への疑惑の目を向けると、「ん?」と大賀美くんが小首を傾げた。僕は手を意味もなくブンブンと振った。
「あっ、な、なんでもないよ!……えっと、ど、どうかな、お弁当!美味しい?」
「ん。うまい」
「よかったァ。食べたいおかず、あったら、リクエストしてね」
毎週水曜日、僕が大賀美くんのお弁当を作るよと提案したのだ。今日がその記念すべき初日。もちろん、大賀美くんとの恋人としての距離をグググーッと近づけるためだ。
西校舎の突き当たりの屋上へと続く階段。そこに腰掛けて、2人っきりのランチタイム。
ベーコンとアスパラのパスタ。シソとチーズ入りの卵焼き。ハート型にしようとして……慌ててやめた、げんこつ型のハンバーグ。
朝の4時から鼻歌を歌いながら作ったお弁当を、大賀美くんは綺麗に平らげて、「ごちそうさまでした」と両手をあわせた。
育ちがいい……顔もいい……黙々と全部食べてくれて、本当に美味しかったんだ……と僕はじんわりと感動する。
そんな僕に、大賀美くんが心配そうな顔で尋ねた。
「矢木、大変だろ。無理しなくていいからな」
「ううん。料理、もともと好きだし、大賀美くんに食べてほしいんだ。──物足りなくなかった?」
大柄でバスケ部の大賀美くんだ。もっとおかず必要だったかも、と思い、何気なく、僕は尋ねた。
大賀美くんは答えなかった。
じっと僕を見つめて、何かを言いかけて、やめた。
「……いや、大丈夫だ。じゃ、戻るか」
なんだ。
今、なんか、変な間があった。
「あっ、う、うん……!」
でも、歩き出す大賀美くんにそれ以上聞けず、僕は慌てて、彼の背中を追いかけた。
ポケットに突っ込まれた大きな両手を見て、小さなため息が僕の口から漏れた。
大賀美くんの所属するバスケ部は毎日、厳しい練習が夜まで続く。
読書会や、書評や小説をゆるく書く文芸部とは大違いだ。他の部員が帰っていく中、僕は大賀美くんと帰るために、部室で一人、本を読んで過ごしていた。
(料理、もともと好きだし、大賀美くんに食べてほしいんだ。──物足りなくなかった?)
(……いや、大丈夫だ。じゃ、戻るか)
毎週、水曜日のお弁当を、大賀美くんは「美味しい」と褒めてくれて、全部食べてくれる。でも、あの時の沈黙が、恋人になった日から感じる距離感が、僕の心を徐々に灰色に染めていく。
(大賀美くんの、「そういう意味で好き」の……「そういう意味」って、やっぱり……)
時計が7時になろうとする頃、部室のドアが開いた。
「──悪い、矢木。待たせたな」
「ううん。全然。部誌に載せる原稿、仕上げてたから」
「……そっか」
僕が答えると、大賀美くんが僕を見つめた。
──まただ。
何か言いかけて、ふっと視線をそらす、最近の、大賀美くんのクセ。
胸の中の疑惑がじわりと膨らんでいく。
「──帰るか」
「待って」
僕は立ち上がった。怖い気持ちを抱えながら、大賀美くんの顔をみあげる。
──大賀美くんと最初に会った時も、僕は少し怖かった。
大きくて、寡黙で、いつも怒ってるような顔が怖くて、きっと友達にはなれないタイプだと思った。
でも、口数が少ない分、誠実で、穏やかな性格に少しずつ惹かれていった。
「お、大賀美くん、あのね……」
僕の声は震えていた。
今の怖さは、大賀美くんと出会った頃の怖さとは違う。
「大賀美くんは、僕のこと、傷つけたくなくて、ずっと無理してるのかなって……」
変わらない、友達としての距離感。
何かを言いかけてやめる、沈黙。
大賀美くんの本当の気持ちを知るのが、怖い。
(……ん。俺も矢木が好きだ)
あの言葉を、大賀美くんが後悔してるのなら。
「大賀美くんが、僕のこと、恋人として『好き』じゃないなら、友達に……戻れるかな……?」
笑ったつもりが、涙で歪んで、自分でも過去最高に不細工な顔になったのが分かる。
こんな顔をしたら、優しい大賀美くんは、余計に気を使うだろう。
困らせたいわけじゃないのに。
──バカみたい。告白して、お弁当押しつけて、帰りも勝手に居残って、あげくの果てに泣いたりして、本当に独りよがりだ。情けなくて、恥ずかしくて、余計にポロポロと涙があふれてしまう。
「……矢木」
大賀美くんのため息が、頭上から聞こえた。呆れてる。僕は涙を必死に拭いながら、すがるように言った。
「と、友達で……ひっく、いいからァ……ぼ、僕のこと、き、嫌いになら……」
言いかけた言葉は、形にならなかった。大賀美くんの心臓の音、それに体温が肌に直接触れている。フーッと短い呼吸が首筋にかかって、ビリビリと痺れる。
「お前な……俺が、どれほど……!」
「……へ?」
ギラリと鋭い眼差しが僕を射抜いた瞬間、僕の視界はぐるんと天井を仰いだ……。
***
最近、恋人ができた。
名前は「矢木 優」。身長170センチ、文芸部所属で、いつも本を読んでいる。穏やかな人柄でクラスメイトから慕われてる、すごくいいヤツだ。
そんな矢木を見つめている俺は、「大賀美 祐」。身体がデカいだけで、面白い話一つできない、不器用でつまらない男だ。
矢木と同じクラスになって、確か、仲良くなったきっかけは、最寄り駅が同じだったからだと思う。好きな本が一緒だったりと、なんだかウマがあって、ずっとそばにいたいな、と思うようになって……次第に「欲望」を抱き始めた。
本をめくる横顔にキスしたら、矢木はどんな顔をするだろうか、とか。
体育の時間で「すごいよ!大賀美くん!」って褒められる度に、抱きしめたくて仕方なかった。
電車で肩に頭を乗せられて寝られた日なんか、理性を保つために、ずっと肘をつねって乗車していた。
そんな毎日を過ごしていると、予想外の出来事が起きた。
「──好きです、大賀美くんのことが」
顔を真っ赤に染めた矢木が、俺に告白したのだ。
そんなまさか、と思った。一生かなわない恋だと思っていたのに。
「…………」
フリーズした俺に、矢木は慌てて「あっ!えっと、好きってのはそ、そういう意味でね」と、わざわざ説明をくわえた。
──そういう意味って、どういう意味だろう。
脳内で、矢木に「あんなこと」も「こんなこと」もとっくにしてるのに。
「……ん。俺も矢木が好きだ」
矢木が信じられない、と目を見開いて、幸福そうに笑った瞬間、俺は誓ったのだ。
矢木を守らなければいけない。誰よりも純真無垢な恋人を、このギリギリの理性を保っている「俺」から。
一緒に帰ったり、放課後宿題をやったり、お弁当を一緒に食べたり……以前の日常にほんの少し甘さが加わって、矢木は嬉しそうだったし、俺も矢木と恋人になれた幸福に酔いしれていた。
なのに、どうして、こんなに、満たされないのか。
「あっ、えっと、ど、どうかな、お弁当!美味しい?」
──目の前に、こんなに美味しそうな「矢木」がいるのに。
「ん。うまい」
「よかった。食べたいおかず、あったら、リクエストしてね」
俺が食べたいのは、お前だよ。
男子高校生の生態、わかってなさすぎだろ。そんな可愛く、首を傾げて俺を見るな。上目遣いで見つめるな。
朝早く起きて弁当作ってくれるなんて健気すぎる。エプロン、つけたのか。なんだ、それ、新妻すぎるだろ。白く揺れるエプロンつけて、そんな格好で微笑まれたら、俺は……俺は……。
「ごちそうさまでした」
妄想を打ち消すように、俺は両手を重ねた。せっかく矢木が作ってくれたのに、己の妄想と格闘してる内にバクバク平らげてしまったようだ。矢木は嬉しそうに空のお弁当箱を見つめている。
「矢木、大変だろ。無理しなくていいからな」
「ううん。料理、もともと好きだし、大賀美くんに食べてほしいんだ」
「そっか。ありがとな。あまり無理すんなよ」
うん、と矢木が笑う。──あぁ、やっぱり、可愛すぎる。人気のない、こんな場所で、いったい何を試されてるんだろう。俺より華奢で白い首筋や、長い手足に心臓が高鳴る。
今、ここでその手を掴んで、お前を押し倒して、首筋に噛み付いたら、いったいどんなに甘いんだろう。
「……じゃ、行くか」
醜く歪んだ願望を必死に押し隠している内に、マトモに矢木の顔を見れなくなっていた。
挙句の果てには──。
「恋人として……『好き』じゃないなら、友達に……戻れるかな……」
涙をいっぱいためた矢木の瞳に、糸のような理性がプツンと切れた。
***
「お前な……俺が、どれほど……!」
「……へ?」
ギラリと鋭い眼差しが僕を射抜いた瞬間、僕の視界はぐるんと天井を仰いだ。
大きな掌が後頭部をふわっと支えてくれたので、机の上に押し倒されても、痛みや衝撃はなかった。
「……矢木」
怒ったような大賀美くんの顔が、僕を見下ろしていた。思わず、じわりと涙が滲む。
「と、友達で……いるのも……だめ……?」
「よくねぇ」
即答だった。
涙でぐしゃぐしゃの顔のまま見上げると、大賀美くんが苦しそうに眉を寄せた。
「なんでそうなるんだ」
「え……?」
「俺が避けてるように見えたか」
「う、うん……」
大賀美くんは大きくため息を吐いた。
「避けてたんじゃない」
「……違うの?」
「ああ」
「じゃあ、なんで……」
沈黙。
大賀美くんが視線を逸らした。
耳が少し赤い。
「……言わなきゃダメか」
「え?」
「言ったら引くだろ」
「引かないよ」
「引く」
「引かない」
「引く」
「引かないって」
子供みたいな押し問答になった。
しばらく黙り込んだあと、大賀美くんは観念したように口を開く。
「お前が電車で寝た日」
「うん」
「キスしたくなった」
「……え?」
「弁当作ってくれた日」
「うん」
「抱きしめたくなった」
「え?」
「二人きりになるたびに我慢できなくなる」
「我慢って……」
「矢木はさ」
大賀美くんが目を細めた。
「俺の『好き』が『こういう好き』だって、分かってねぇだろ」
「あ…………」
僕の顔もカッと赤くなる。大賀美くんが俺の肩に額を押し付ける。
「……俺だって男なんだ」
その声はひどく掠れていた。
「好きな奴が恋人になったら、もっと触りたいと思うだろ」
心臓が止まりそうだった。
「じゃ、じゃあ……」
「ん?」
「恋人として、好き……なの?」
大賀美くんは一瞬だけ目を丸くした。
次の瞬間、呆れたように笑う。
「今さら聞くか、それ」
大きな手が俺の頬を包んだ。
優しくて大きな掌。愛おしそうに僕を見つめる目。
言葉がなくても、言葉以上に、大賀美くんの気持ちが伝わって、僕は大賀美くんの手に自分の手を添えた。
「友達に戻りたいなんて二度と言うな」
「……うん」
「言ったら──食べるからな」
「た、食べる??」
「食べる、矢木の全部」
即答だった。
物騒な答えなのに、真面目な顔してる大賀美くんに、思わず僕は笑ってしまった。
大賀美くんも笑った。
──結局。
今日も、大賀美くんは、僕の握った大きな大きな巨大おにぎりを黙々と食べ、僕はその横顔をうっとりと見つめている。
「友達に戻る」って言ったら、僕のことを「食べる」って言ったけど、果たしてどうなるんだろう。
それとも別の言葉を言えば、僕を「食べてくれる」んだろうか──なんて、最近の僕は変なことばかり考えてしまう。
あの時の押し倒された時の力強い腕、鋭い眼差しを、何度も何度も思い出したりして……。
「どうした、矢木。顔が赤いぞ」
「へ?!ななな、なんでもないよ?!」
「そうか。おにぎり、美味いな」
「えへへ。よかったぁ」
「でも──足りないかもな」
「え?」
相変わらず寡黙な大賀美くんは、それ以上聞かず、僕の唇にそっと唇を重ねた。
「──すまん。まだ、足りないかも」
そうやって、熱っぽく僕を見つめる瞳に、頭がふわふわする。
僕の恋人は思っていたよりずっと食いしん坊で──僕のことを好きすぎるみたいだ。



