天使の専属料理人

 「……小辻さん。」
 昼休み。
 約束していた場所で弁当を渡した瞬間だった。
 マネージャーさんの声が少し低い。
 「はい?」
 差し出しかけていた手を止める。
 マネージャーさんは受け取った弁当箱を見下ろしていた。
 「これは……生姜焼きですか。」
 「そうです。」
 少しだけ胸を張る。
 「夏バテ予防にもなりますし、疲労回復効果もありますから。…あ、ちゃんと野菜も多めに入れてあります。」
 朝早く起きて作った。
 肉も硬くならないように下処理したし、味付けだって何度も確認した。
 初日だからこそ気合を入れたつもりだった。
 だが。

 「カロリーが高すぎます。」
 「え?」
 思わず聞き返してしまった。
 高すぎる?
 弁当を見つめる。
 確かに豚肉は使っている。だが揚げ物ではない。野菜も入れたし、栄養バランスだって考えた。
 高校生向けの弁当としてなら、むしろ健康的な部類だと思う。

 「そんなにですか?」
 「ええ。」
 即答だった。
 マネージャーさんは慣れた様子で弁当を指差す。
 「まず肉の量が少し多いですね。」
 「多いですか?」
 「一般的には普通かもしれません。」
 続いて卵焼きへ視線が移る。
 「こちらも問題ありません。」
 「じゃあ……」
 「日比谷セナには、です。」
 言葉を遮られる。

 そこでようやく理解した。
 普通の基準で考えてはいけないのだ。
 「現在、日比谷は体重管理中なんです。」
 マネージャーさんは静かに続ける。
 「来月には撮影がありますし、その後にはランウェイも控えています。」
 「ラン、ウェイ……」
 「モデルの仕事です。」
 当然でしょう、と言わんばかりだった。

 俺は曖昧に頷く。
 テレビや雑誌で見る世界だ。
 自分とは縁のない話だと思っていた。
 「体重はもちろんですが、体脂肪率やむくみも管理しなければなりません。」
 「そこまでですか。」
 「そこまでです。」
 きっぱりと言われる。
 その口調には迷いがなかった。
 きっと何年もそうやって支えてきたのだろう。
 怒られているというより、仕事の説明を受けている感覚に近かった。
 「……ごめんなさい。」
 俺は頭を下げた。
 するとマネージャーさんは首を横に振る。
 「いえ、こちらも説明不足でした。」
 「でも……」
 「小辻さんの料理に問題があるわけではありません。」
 そう言って弁当を見つめる。
 一拍置いてから。
 「むしろ美味しそうです。」

 「……はあ。」
 反応に困った。
 褒められているのか。
 怒られているのか。
 どちらなのか分からない。
 真顔で返されてしまった。
 少しだけ気まずい沈黙が落ちる。
 「明日からは改めて資料をお渡しします。」
 マネージャーさんは鞄からファイルを取り出した。
 受け取って開く。
 そこにはカロリーや栄養素、避けるべき食材まで細かく書かれていた。
 「……本格的ですね。」
 「体が勝負の世界ですから。」
 当たり前のように言われる。
 俺は思わず苦笑した。
 どうやら自分は、思っていたより大変な依頼を引き受けてしまったらしい。
 「ご希望に沿えるよう、頑張ります。」
 「助かります。」
 マネージャーさんはようやく少しだけ表情を緩めた。
 そして弁当を持ち上げる。
 「日比谷も楽しみにしていますので。」
 「え?」
 顔を上げる。
 だがマネージャーさんはそれ以上何も言わなかった。そのまま背を向けて歩き出す。
 昼休みの喧騒の中へ消えていく背中を見送りながら、俺は首を傾げた。

 日比谷セナが。
 自分の料理を。
 楽しみにしている。
 正直、あまり実感は湧かなかった。
 ただ一つ分かったことがある。
 ___日比谷セナの食事管理というのは、俺が思っていたよりずっと大変らしい。