くだん姫

 海野小太郎幸氏・・・そう、名乗っていたな、あのひと。
 慣れぬ褥に横たわりながら、ささめは彼を思い出していた。
 戌の刻(午後八時)過ぎ、母屋の宴のにぎわいが、かすかにささめの耳にも届く。今日は疲れたから早く眠りたいのに、いっこうに眠気はやってこなかった。
 気持ちは、今日出会ったばかりの彼でいっぱいだった。あのあとすぐに伯父にみつかり、さりげなく引き離されてしまったから、ほとんどまともには話ができなかったというのに。
 あんな人に会ったのは、はじめてだった。意志のある瞳。力強い腕。捕まえられていた腕は、まだ甘く痛んだ。霊を見ても動じない人。叶野を恐れない人。ささめとおなじ異形を見る力。
 ・・・守る、と言ってくれた。
 死霊に憑かれたなどと聞いたら、どれだけのひとがそう言ってくれるだろう。
 信じないか、恐れるか・・・気味悪がって逃げていくに違いないのに。
 出会ったばかりのあのひとは、ささめを守ってくれるという。
「へんな、感じ」
 あのひとのことばかり、考えてしまう。
 思い出してしまう。あのひとの仕草、言葉、あの眼差しを。
 いったい、私はどうしてしまったのだろう。
「――眠れねえのか?」
 叶野は空中に浮いている。闇のなかにあっても、叶野の気配はすぐわかる。
「なんだか、いろいろ思い出してしまって」
「今日は大変だったな。大事なときに側にいてやれなくて、ごめんな」
 死霊の騒ぎを言っているのだろう。叶野は自分がいない間に、ささめが得体の知れないものに接触したのを悔いていた。
 いつだって叶野は、こんなにも過保護だ。
 ささめは褥に身を起こすと、空中に手をのばした。叶野を呼ぶ合図のようなものだ。
 叶野はすぐにささめのかいなに落ちる。
 ふわりとした感触が、ささめにとっては気持ちよかった。
 ほおずりしながら、やさしくやさしく囁いた。
「叶野は悪くない。悪いのは・・・へんなものを引き寄せてしまう、私」
「ささめ・・・」
「私、この力を持っていて悲しかった。だれにも理解されなかったし、いつも気味悪がられていたし。もしかしたら私のこの力のせいで、大事な人たちが死んでしまうのかとも疑っていた。でも・・・少なくとも、見えるのは、私だけではないのね? 幸氏どのも、宗員どのも、叶野を見ることができたもの。ああ、どうしよう、叶野。こんなことはじめてで、私とってもうれしいの」
 あまりに他人とちがいすぎて、もしかしたら自分は人間ではないのかもしれないとも思っていた。
 田舎だから他にこういう者がいなかっただけで、鎌倉や京にはもっとたくさん同じような力を持つ者がいるのかもしれない。それは、ささめにとっては希望だ。いつも自分を卑下して生きてきたから。
 同じ力があって、それでも堂々と生きている者がいる。あの強さは、心地よいほどだった。
「あんまし、あいつらを信用しすぎるのも、どうかと思うぞ? ささめはすぐに他人を信じるから、おれ、心配だよ」
「あの方たちを疑っているの?」
「疑うというか・・・まあ、少なくとも、その死霊とは無縁なんだろうよ。でも、やつらは何ていうか・・・すごく、独善的なんだよな。ささめはさあ、困っていたら霊だろうがあやかしだろうが、助けようとするだろう? 甘いとは思うけど、それがささめのいいところだよなあ。でも、あいつらは間違ってもそんなことしそうにない。何かやつらの行動には、すごく意図的なものを感じるんだ。まるで、やつらの裏にはだれかがいるような気がする」
「だれかって・・・だれ?」
「おれさまが、知るかよ。鎌倉から来たのなら、そっちのだれかだろう。第一、ささめがへんなのに付きまとわれたとたん、やつらが現れるなんて、できすぎだと思わないか?」
「もしかして、最初からわかっていて、ここに来たというの?」
 まさか。さすがにそれは、無理だろう。
「どうだろうなあ。人間のなかにも、先読みをする者はいくらかいるらしいからなあ。おまえだって、霊力はあるわけだから、ちょっと修行したら簡単な予知くらいできるようになると思うけどな」
「いやよ。未来がわかるなんて」
 ふつうに過ぎていく毎日がほしかった。
 何もかもわかってしまうなんて、便利なようでいて、苦痛以外の何物でもない。それほどの精神力がないなら、霊能力などあっても困るだけだ。
「・・・ささめはさあ、もっと欲張りにならなくちゃいけない。生きる強さがないんだよなあ」
「え?」
「欲っていうのは、醜いものだけど、生きていくための力でもあるんだぜ。欲があるから、それを手に入れるために一歩踏み出すことができるんだ。おまえには、それがない。毎日を無難に終わらせるだけが、価値のある生き方とはいえないんだぞ」
「・・・・」
「おれはさあ、鎌倉行きに賛成したのは、このまま伊豆に引っ込んでいるよりも、変化のある生活ができるんじゃないかと思ったからだよ。おまえに必要なのは、変化だよ。絶対に失いたくない何か、愛おしい何かを手にいれられれば、おまえはもっとしあわせになれる」
「大事なものなんて、たくさんあるわよ。叶野が大事よ。伯父上も、伯母上も、かがりも、北条のふるさとも、みんな大事」
 叶野はおもいっきりため息をついた。
 ささめのことは甘やかし放題のこのあやかしにも、彼女を歯がゆく思う部分はあるのだった。
 あまりにも、我が弱い。
 生来の性格か? いや、むしろ、これまで周囲に異様な目で見られていたからこその、萎縮がそうさせるのか。
 このまま人の中で生活していくならば、その欠点は致命的ともいえる。
「だからわかってないんだよ。みんな大事、おんなじに大好き。そんなのは、大事のうちに入らないんだ。特別をつくれよ。たったひとつの大事なものを探せよ。そのために生きていると言えるものを」
「たったひとつの大事なもの・・・」
 ささめは思いだしていた。昔、まだ母が生きていたころ。父との出会いを語ってくれた母。
 彼女は京で生まれて、その故郷を離れて、東国へやってきた。これまでの生活をすべて捨てて、未知の土地へやってくるには相当の覚悟が必要なはずだった。
 それでも、母は最後までしあわせだったと言った。
 父にめぐりあえて、ささめを得て。京のような華やかさとは無縁でも、平和な北条の里であたたかい家庭をつくって。
 そう・・・おそらく母にとっては、父と自分が、大事なモノ、だったのだ。
「母上は、父上と出会って、それを手に入れたのね」
「みはりは、そうだろうよ。ささめにだって、何かがかならずあるはずなんだ。探せよ。・・・おっと、男ばかりがしあわせじゃないぜ? 御所勤めに生き甲斐を見いだすかもしれない。おまえはまだ若いんだ。がんばって、探せ」
 叶野はいつでも、どこまでもやさしい。いつだって、ささめのためを考えてくれる。
 霊やあやかしを見る能力は正直、ほしくはなかったけれど、叶野と話ができる力があって、本当によかった。
「ありがとう、叶野。いつまでも、私の側にいてね」
 ささめは叶野を抱きしめた。
 役得だぜ。叶野の独り言はちいさすぎて、ささめには聞こえなかった。
 

◇ ◇


 ようやく、うとうととしはじめた頃だった。
「――ささめ、起きろ」
 叶野の鼻先が、ささめの頬をつついた。
「ん・・・?」
「寝ぼけるな。起きろ! だれか、来るぞ」
 いつになく、叶野は緊張していた。
 おそろらく時刻は、亥の刻(午後十時ごろ)になろうとしているはずだ。母屋の酒宴のざわめきもなくなっていた。
 気配を消そうとはしているのだろうが、かすかに響く足音・・・生きている人間だろうか。ひとり? ふたり?
 足音は、ささめたちの控えの間の前で止まった。がたがたと音がして、敷戸が揺れる。
 そこまでして、ようやくささめは飛び起きた。
「どなたですか」
 助けを呼んだ方がいいだろうか。武士の館だから、すくなくとも声の聞こえる範囲に警護の者がいるはずだった。しかし・・・。
「――夜分すまない。昼間お会いした海野幸氏だ」
「え?」
 ささめの胸の奥が、跳ね上がった。
 夜に男が年頃の娘の元へ忍んでくる。それが何を意味するか、わからないほどにはささめは幼くない。
 でも、でも・・・今日初めて出会って。ろくに話もしていないのに。
「ど、どうなさったのですか?」
 声が震えた。
「少し、話がしたい。わたしたちだけで。このような時刻に申し訳ないが、他の者に知られるのは不都合なので」
 どうしよう。
 ささめは、動けなかった。
 見知らぬ男をやすやすと受け入れるような時間ではない。男が闇に乗じて女の元を訪れる・・・それは、ふつうであれば、妻問いだ。
 彼も、自分を見初めてくれたというのだろうか。
 彼も・・・。
 そのとき、ささめはようやくわかった。自分が一目で幸氏に心奪われてしまったことに。
 出会ったばかりだというのに。彼の存在に、心が引きつけられて離れられない。
 こんな気持ちははじめてだった。許嫁にも感じたことはなかった。心が痛い。あつくて・・・思考のすべてが奪われてしまいそう。
 しっかりしなければ。
 ささめは首をふった。
 彼がささめを求めてきたとは、あまりにも都合のよい勘違いかもしれない。
 今日の出来事は、それほど奇異な出来事だった。あの話を互いにしたいと思っても、昼間は伯父の目もある。このような話、伯父たちには狂気としか思えぬだろう。
「――追い返してやろうか?」
 ささめの沈黙をどう受け取ったのか、叶野はちいさく尋ねた。
「でも」
「遠慮する必要はねえ。おまえは、そこらの村娘とはちがうんだぜ? そんな簡単に自分を安売りするんじゃねえよ」
「安売りって・・・でも、話したいって・・・」
「ばかだな。そんなの夜ばいの常套句だろうが。だからおまえは世間知らずなんだよ」
「叶野」
 顔から火が出そうだった。
 そのとき扉は開かれた。
 幸氏は小さな灯りをかざして見せた。
「――夜分申し訳ないが、遠慮していられる状況でないのでな」
「よっ。申し訳ない」
 幸氏はひとりではなかった。宗員が陽気な声をかけてくれたとたん、ささめはふうっと息をついた。
 ・・・そうよね。
 がっかりしたのか、安堵したのか、ささめは自分の気持ちがわからなかった。


◇ ◇


「そのケダモノは、ずっと側にいるのかい?」
 尋ねたのは、宗員だった。
「はい。子どものころからずっとです。たまに近くを離れるときもありますけど、呼べばすぐに来てくれます」
 ささめは小袿を引っ被り、褥を片づけて几帳の影に隠した。彼らは昼間のすがたのままだった。宴が引けてから、ここへ来る機会を見計らっていたのだろう。
 思えば、このような夜更けに若い男を身近にした経験などなかったから、ささめの所作はぎこちなかった。
 彼らの持っていた小さな灯りが、薄赤くこの場を照らしている。
 沈黙は、息苦しい。
 それを壊すきっかけを探して、ささめはようやく、まともに礼を言っていないと気づいた。
「あの・・・さきほどは、危ないところをお助けくださいまして、ありがとうございました」
「危ないと自覚があるなら、容易に霊に近づいたりしないことだ」
 幸氏には愛想の欠片もなかった。しばらくつきあえば、それが彼の地で悪気もないと理解できるのだが、いまのささめにそれができるはずもなかった。
 わかりやすいほどはっきりと、ささめは気落ちして萎縮してしまった。
「申し訳・・・ございません」
 それを救おうと気を回すのは、宗員だった。となりの男の肩から頸を抱え込みながら、自らは愛想笑いを貼り付ける。
「ささめどの。この男は普段から無骨で冗談もなかなか言えない朴念仁なのだ。ちょっと態度が悪く見えるかもしれんが、勘弁してやってはくれまいか。・・・て、なんでわしがこやつを庇わねばならぬのだ」
「頼んでもいないことはするな、宗員」
 幸氏は大仰に宗員を押しのけて見せる。
 このふたりには長い時間を共にした気安さがにじんでいた。
 ささめは気を取り直し、ちいさく笑った。
「おふたりは、とても仲がよろしくていらっしゃるのですね」
 うらやましい。こんな風に、遠慮なくじゃれ合える人間をささめは持たないから。
「なあに、ただのくされ縁じゃ。長いつきあいでな」
 がっはっは。宗員の豪快な高笑いが重なると、ばこっとばかり、幸氏は彼を殴った。
「静かにせぬかっ」
 それまで黙っていた叶野がそれに便乗する。
「こんな時刻にさわぐなよ。他のやつらにばれたら、ささめの評判が落ちるだろう」
 たしかにこのような時刻に、仮宿の館で、男を引っ張り込んでいるように見られなくもない。若い娘の行状として、決して褒められる状況ではなかった。
 宗員はにやりとした。
「心配は無用。いざとなれば、こやつが責任をとってささめどのを嫁にする。いや、なんなら、わしのところでも大歓迎だ」
「宗員、いい加減にせぬかっ」
 幸氏に再びこづかれても、宗員に悪びれた様子はない。
「まあ、冗談はそこまでにして、だな。この離れに結界をはって、ふつうの者なら無意識のうちに近寄らないようにしてきた。多少、声がもれても周囲は気にもとめぬ。まずは心配なかろうよ」
 宗員は自信満々だった。
「そのようなことが、できるのですか?」
 ささめは素直に感心してしまった。異形を見る力だけでなく、そのようなことまでできるとは。有髪だが、やはり僧侶なのだろうか。
「宗員どのは、出家されているのですか?」 
 その質問に、彼は否と応えた。
「おさないころから妙なものを見る能力があったので、親族のはからいで寺に預けられたのだ。修行はしたが、出家はしておらん。自分では武士のつもりなのでな」
 宗員は、ひらりと自分の僧形のそでを摘んだ。
「この格好は、いろいろ便利なので、こうしておる」
 そのいろいろが何なのか、おそらくろくな内容ではなかろうと叶野はひとりごちた。こいつはとぼけた野郎だが、もしかすると隣に座る無愛想な幸氏よりも、よほど始末に負えない性格なのかもしれない。
「そろそろ、用件に入ろう」
 しびれを切らして、きまじめな幸氏は、宗員を睨んだ。
 宗員はやれやれと肩をすくめ、口をつぐむ。
 幸氏は改めて居住まいを正し、ささめの目をまっすぐに見据えた。
「我々はある方のご命令で、そなたを守り、鎌倉へ無事送り届けるために参った。そなたの命は、いま、危険にさらされている」
「どういうことですか?」
 命の危険・・・。
 それに、ある方のご命令って・・・。
「受け入れがたい話をしなければならない。我らとそなたの正体、そしてそのケダモノについて」
 ――正体?
「私と宗員・・・我らは鎌倉の御家人だ。しかし御家人である前に、源頼朝さまの一の姫、大姫さまにお仕えするしもべなのだ」
「しもべ?」
「そう。わたしも宗員も、大姫さまにお仕えするために生まれてきた」
 大姫さま・・・たしか、これからささめが仕えるはずの姫。
 お仕えするために生まれてきた。そう言い切るとは、たいそうな忠誠心だと思った。
 彼らはそろって、その姫に心酔しているのだろうか。
 幸氏はささめの理解を得るために、補足していった。彼らの関係はささめが思うような言葉通りのものではないのだ。
「・・・ささめどの、ちがうのだ。たしかに我らは御所さまの命を受けて大姫さま付きとなっている。しかし、我らは御所さまにご命令されるまでもなく、この世で姫さまのしもべとして運命づけられた者たちなのだ。その役目からは、逃れられない」
「――」
 意味が、よくわからない。
 ささめのとまどいをくみ取って、宗員が割り込んできた。
「幸氏。おぬしの口下手は、いまにはじまったものでもないが、そんなにまわりくどい言い方ではわかるまいぞ。はっきり言ってやろう。・・・ささめどの。我らは人ではないのだ。そして、姫さまに見出されたささめどの、おぬしも人ではない」
 え?
「われらはそれを確かめるため、姫さまのご命令でおぬしを迎えに参った。そしておぬしを守り、無事鎌倉へ届けるために」
 口元は笑んでいたが、宗員の瞳に揶揄の影はなかった。
 我らは人ではない。
 おぬしも人ではない。
 ・・・人ではない?
 何を莫迦な。幸氏も宗員も、とても異形の者には見えない。
 自分とて、願って何かが叶うわけでもなく、ただの力ない小娘でしかないというのに。
「信じぬか。しかし、自分が周りの者たちとは、どこか違うという自覚はあるのであろう?」
「それは・・・」
 否定できなかった。自分が周囲から浮く存在であるのは、嫌と言うほど自覚していた。
 いつも思い知らされてきた。周囲に受け入れられない、なじめない自分。
 わかっている。自らの、異常。見えないはずのものを見て、聞こえないはずの声を聞いて。とりまく異形、それらを引き寄せずにおかない自分の何か。
 そして何より、不吉の陰。
 うつむく彼女に、宗員は納得したげにうなずいた。
「おぬしがまっとうな者たちにどのような扱いを受けてきたかは、おおよそ想像がつく。なあに、我らとて、経験済みゆえ、おぬしの痛みはよくわかる。安心するがよい。おぬしはもう、ひとりではない」
 ひとりではない。それが本当なら、どんなにか救われるだろう。
「でも・・・」
 人ではないとまで言われるのは、心外だ。
「霊やあやかしと話をするなど、ただの人には無理な話。しかもやつらに執着されるなど、ふつうではあり得ぬ。・・・おぬしは我らの仲間なのだと思う。我らはこの霊力ゆえに、邪な霊やあやかしから干渉を受けやすいのじゃ。やつらには、わしらはものすごいご馳走に見えるらしい。いまいましいがの。こちらにはまったく用もないのに、やつらはわしらの周囲をまとわりつくのじゃ。そして、油断をすれば・・・喰われそうになる」
 うんざりしている、と宗員は言った。一瞬浮かんだ嫌悪の色が、そのままささめの側にある叶野に向けられた。
「そもそも、まっとうな人間に、そのケダモノが見えるか? まわりに、叶野の存在を知っているものは?」
「母が・・・叶野は、死んだ母が呼んでくれたのです。私を守るために」
 そうだ。母には見えていたのだ。母はそういう血筋だと言った。
「守るために、ね。たしかにこの世には、修行次第であやかしを見たり、なかには操ったり退治したりできる者がある。人にはそもそも、だれにでも霊性という素質があり、それを鍛えることができるからじゃ。だが、我らは、そんな生やさしいものではない」
「私は母に似たのです。母の家は、京で陰陽師を幾人も出している家です」
「関係ないさ。じゃあ、聞くがな。ささめどのの母御にも、叶野のようなケダモノが守護についていたのかい?」
「え? ・・・さあ、記憶にありませんけれど・・・」
「そうだろう。おぬしは特別なのだ。たしかに母君にはそれなりの力があったのだろうな。おぬしが特別なのも気づいていたのだろう。そのケダモノだって、それがわかっていて側にいるのではないか?」
 宗員は、ささめの膝元にいる叶野から目を離さない。
 叶野は無言だった。めずらしく反論もない。
「ささめどのは、いままでにあやかしや霊から、危害を加えられた経験がおありか?」
「いえ・・・いたずらされたことはたくさんありますけど・・・怪我をしたり、命に関わるようなことは、一度もありません」
 そうだ。いままでは母や、この叶野が守ってくれていた。そんな危険な目には、一度として遭った経験がない。
 宗員はふっと皮肉な笑いを浮かべた。
「それは不思議じゃ。いままで自覚もなくぼんやり暮らしていて、それだけですむなど、ありえない。本来、そこまで見えて、聞こえるならば、たとえ人間であっても、もっと質の悪いものに狙われてもおかしくなかった。やつらは霊性の高いものを喰ろうて、その力を己のものにする。わしも幸氏も、子どものころから手痛い目にあってきた。もっともわしは寺に預けられてその寺の者に守られたし、幸氏には国元の大社の加護があった。だからなんとかこうして生きながらえている。なのに、見たところささめどのにあるのはそのケダモノ一匹、これはどう考えてもおかしい。そのケダモノ、申し訳ないがそこまで強大な力などありそうにないからな。そうすると、どういうことか、わかるか?」
 宗員は叶野を見ている。その反応を確かめるように。
「どういうことって・・・」
 ささめには、宗員が叶野を非難しているように聞こえた。
「ささめどの。おぬしがこうして無事でいられるのは、そこにいるケダモノがおぬしを守ったからだというのは間違いない。おぬしの力を利用して、な。そのケダモノには、自分ではそう大きな力はない。そんなものはどこからも感じない。あるのは器用さじゃ。ささめどのの力を吸い取って、好きなように使っておるのだ。寄生されていたから、その力が本来よりもずっと弱くなり、他の存在には見つからずにすんだ。宿主を殺さぬ程度に加減して寄生している・・・そうだな、叶野」
 突然、獣の咆吼が響いた。叶野だった。
 強烈な妖気が、場を支配する。 
 炎にも似た輝き。
 熱。
 ささめにとっては、はじめての経験だった。
「くっ」
 男たちはとっさに後方へ飛び下がった。
 叶野はささめと男たちの間で、いままでの大人しさがうそのように威嚇している。大きさも熊ほどになり、顔つきも異形そのままに変容していた。鋭い牙と爪が向きだしになっている。まともに襲われれば、ひとたまりもないだろう。
 ・・・これが、叶野の本性?
 ささめは為す術もなかった。
 幸氏は太刀に手をかけた。
 抜かれた刃先が叶野を狙う。躊躇はない。つめたい眼差しだった。
 ささめは自分の喉が鳴るのを聞いた。
 そんな緊迫した中で、宗員も顔色を変えない。しずかに幸氏を制した。待て、と。
「叶野、やめて!」
 ささめはようやく声を押し出した。ささめ自身、己のおかれた状況に、混乱していた。
 人ではないと言われて。
 昔からずっと恐れていた。いつかだれかに、そう告げられるのを。
 うまく人の群れに入りきれないのは、人でないからだというのか?
 もしも人でないというのなら・・・自分はあやかしなのだろうか? だから、昔から、異形のものたちが側にいたのだろうか? 叶野がいてくれたのも、自分が人でなかったから?
 子どものころからいままで、ずっと変わらずに側にいてくれた唯一の存在である叶野。いつも鬱々とした思いを振り払うようなことばに、どれほど慰められてきたか。
 好意で、そばにいてくれるのだと信じていた。
 やさしかったから。
 いつも助けようとしてくれていたから。
 なのに、自分の力目当てに寄生しているのだと言われて。
 叶野が自分を利用している? そんなの、信じたくない。
「叶野、元の姿にもどって!」
 彼らはにらみ合ったままだった。どちらも決して、先じて攻撃しようとはしなかったが、引く気配もなかった。
 ささめは、震える手をかろうじて叶野に延ばした。熱かった。
 痛いほどに逆だった毛並みにふれ、哀願した。
「お願い。元の叶野に戻って。・・・お願いよ」
 悲痛な声に応じて、叶野の妖気がふるえた。
 やはり叶野にとって、ささめは特別なのだろう。
 ややあって、ようやく叶野は元の姿を取り戻した。
 妖気がうすれていくとともに、みるみる姿もしぼんでいく。
 現れたのは、元の細いきつねに似た姿。
 だが、もう叶野は、ささめに軽口をきいてはくれなかった。何を莫迦なこと言ってるんだ、おれさまはささめが好きだから側にいるんだぜ? こいつらは何か勘違いしてるんだよ。――そう言ってくれたら、さあめは叶野を信じたのに。
 言葉はなかった。
悲痛な目。
 一度だけささめを振り返ると・・・消えてしまった。
 姿ごと、気配もなにもなくなった。
「――叶野っ」
 ささめは取り乱さずにはいられなかった。
「いや、叶野。消えないでっ。どこに行ったの?」
 もしも、このまま叶野が帰って来なかったら・・・。
 父も、母も、許嫁も、皆、遠いところへ行ってしまった。この上、叶野まで失ったら・・・堪えられない。
「逃げたか?」
 幸氏にも、叶野の気配は辿れなかった。
 またもや結界を破られて宗員はちいさく嘆息した。幸氏にもいまはそれを咎める余裕はなかった。
「そんな。どうして?」
 私のこと、見捨てないって、ずっと側にいてくれるって、言ったのに。
 側にいたいって。
 私のこと、好きだって。
 ささめの体が崩れた。肩が落ち、頼りない姿がますます弱々しく傾く。
 呼んでいるのに。
 叶野の名を呼んで、現れてくれないなんて、いままでなかった。
 どうしてなの?
 どうして、私を置いて、行ってしまうの? もう、戻ってはくれないの?
 ――私の大事なものは、どうして皆、失われてしまうの?
「私を見捨てるの? 叶野っ」
 戻ってこない。
 あの陽気な声が、返ってこない。
「力なんて、いくらでもあげるのに。命だって、あげるのに。どうして私をひとりにするの? 皆、どうして離れていってしまうの? ・・・置いていかないでよ」
 絶望が嗚咽に変われば、もう止めるすべはなかった。
 苦しい。
 泣くしかできない。なんて、情けない。
 そうだ。いつだって、泣くか絶望するしかできずにいた。
 無力な自分が、だいきらいだ。
 いっそ、このまま死んでしまえばいいのに。
 だれもかれも、自分を置いていく。こんな思いばかりするのなら、いっそ・・・。
「しっかりしろ」
 目の前に覗き込んでくる影がいた。
「そなたは、ひとりではない」
 うつつに引き戻された。
 幸氏の切れ長の目が、心配げにささめを見つめていた。
 彼がこんな顔をする相手は、滅多にいない。宗員はそれに気づいたが、さすがにからかっている場合でもなかった。
 宗員の口をついたのは、慰めではなかった。
「諦めなされ、ささめどの。あのケダモノはささめどのを利用しておったのだ。これ以上、側においては、おぬしのためにはならん。おぬしの力は、あのようなあやかしにくれてやるためにあるわけではない。その力は、姫さまをお守りするためのもの。おぬしは我々の仲間。姫さまの盾となり、剣となるためにある」
 何もかも、踏みにじるためにきたのか、彼らは。
 いつだって側にいて、ぬくもりをくれた叶野。彼の存在が、どれほどささめを支えてくれていたか。
 それをこの一瞬で、すべて無にしようというのか。
 いきなり自分の前に現れて、叶野を追いやって。
 人ではないから、仲間だから、従え、と?
 ささめは、こんなにも怒りを感じたことはなかった。
「もう止めてください。私の親は、人間です。ふたりの子である私が、人でないわけがないわ。・・・それに、叶野は私の、唯一の友だちなのよ。その正体が何であろうと、母が残してくれた形見でもあるのよ。それを頭から否定するなんて・・・あなたがたはいったい、何のためにそんなことをするの?」
 突然現れて、心に深く入り込んで。
 彼らは自らの認める者以外、受け入れないというのか。
 これが鎌倉の流儀だというなら、鎌倉になんて行きたくない。
 叶野まで取り上げられるなんて。
 失うのも、傷つけられるのも慣れていた。
 でも、唯一だれにも傷つけられない聖域――それが叶野だったのに。
「――現実に気づかせるために。皆、現実からは逃れられない。どんなにつらくても、受け止めるしかないのだ」
 幸氏は、彼女が哀れだった。
 これまでの様子からして、ほんとうにあのあやかしを頼り、信じてもいたのだろう。
 己とて、姫さまの側に仕えていなければどれほど孤独で辛かったろうか。
 それを彼女はこんな田舎で、親を亡くし、許嫁まで失ったという。か弱げな小さな娘が孤独に押しつぶされるなど、痛々しくて見ていられない。
「現実って、何ですか。それに、どんな意味があるというんですか。私には、叶野の方が大事なんです。彼があなたたちの話を否定してくれたら、そうしたら私、絶対に叶野を信じたのに・・・どうして、叶野は否定しないで消えてしまったの? 叶野は・・・私を信じてくれなかったの・・・」
 涙をたたえた大きな目が、幸氏を見上げる。
 無垢な瞳だった。
 ぴりっと、何かが、幸氏の背を走った。
 強烈な懐かしさと、張り裂けそうなほどの愛おしさが、一瞬だけ湧き上がり、彼自身が恐怖した。
 この娘を泣かせたくない、はげしい動悸の奥で、その思いがふくらんでゆく。
 これまで、彼女のまわりにいた様々な者たちが、どれだけ彼女を大切にしていだろう。
 見えないはずのものを見て、聞こえないはずの音を聞く子どもは、他人からは忌まれて傷つけられただろう。それだけに・・・いやそれだからこそ、この娘の親や身近な者たちは、ますます彼女を必死になって守ってきたはずだ。母親があのような得体の知れないあやかしを守護につけたのも、娘の身を守るのに形振り構わなかった証左と思える。
 大事に育てられ、守られてきたのだろう。汚れに触れず、争う必要もなく、あやかしに命狙われもせず。守る者さえ失われなければ、その生活もずっと続けてゆけたのだろう。
 できるならこのまま伊豆で暮らさせてやりたいと、幸氏でさえ、つい、考えてしまった。この先、鎌倉で平穏な生活は望めまい。それがどんなにこの娘を傷つけるか。
 もちろん、理性ではわかっている。
 彼女のまどろむような平穏な日々は、もう、終わりを告げるのだ。
 守られていればよかった日常から、戦いの日常へ。
 己にもかつて、そういう日が来た。
 たくさんのものを失った。親も、仕える主も、何もかも。
 捨てたくて失ったのではない。いまでも失われたものを思えば、心の底がきりきりと痛む。この傷は永久に癒えない。あの日々が取り返せるというのなら、何を代償にしても構わない。
 けれど、時間は元には戻らない。願っても、祈っても、失われたものは消えたままだ。あやかしを見、死者の声をとらえられても、死者を現世に留める能力はない。たとえ可能だったとしても、それは、この世でもあの世でも、大罪だ。
 一方で、新たに得たものもあった。命に代えてもと、思えるほどの。そのために生まれたのだと理解できたもの。
 ささめにも、与えてやりたい。――生きる意味を。
 それさえあれば、生きていける。どんな荒れ野のような世の中であっても。
 幸氏にとっては、ささめが、姫さまの言う「大事なひと」かどうかは問題ではなかった。目の前で泣き崩れている赤子のような娘に幼いころの己を重ね、ただ、救ってやりたかった。
「わたしにも親はいない。生まれついての身近な者は、皆離れていく。そういう定めの元に我らは生まれたのだ」
「何もかも、失えと?」
「すべては、手に入れられる。鎌倉へ参れ」
 想いほどには、幸氏の口調はあたたかくはなかった。元より不器用な男だ。若い娘の慰め方など、知るはずもなかった。
 ただ、彼女には自分たちを受け入れてもらわなくてはならない。
 ささめは、姫さまに見いだされた。それはまっとうでない運命を宣告されたのと同義だった。
 彼女の命を守るためにも、事情は受け入れてもらわなければ。そして自ら身を守れるようになるまでは、仲間である自分たちが守ってみせる。そのためにも。
「ささめどの、話はまだ終わっていない。大切なことだ。我らの話を聞いてくれ」
 ささめは応えなかった。彼らから、ただ顔を背けた。
 それでも耳は傾けていた。
 ・・・結果、途方もない宣告を受ける。
「我らは人ではない。鬼なのだ。わたしも、宗員も、そしてそなたも」


◇ ◇


 人ではないと言われたあげく、「鬼」と呼ばれるとは。
 ただ、他人には見えないものが見えるだけで。聞こえるだけで。他は何も替わらないというのに。
「――幸氏どの、あんまりです」
 ささめが思い浮かべたのは、子どもに語る昔話の鬼たちだった。桃太郎に討たれる鬼。頼光に討たれる鬼。角を持ち、牙をはやし、まさしく異形の姿をし、心根は残虐で人を弄び悪事の限りをつくすという。
 宗員はそれを否定した。
「ささめどの。それは人が作った鬼。わしらの言う鬼は、獄卒じゃ。地獄で死者を管理する下っ端役人のことさ」
「地獄・・・」
 このひとはまた、何をいいだすのだろう。
「六道をご存じかな。ささめどのもこの世から死者が辿る白い道を見たことがあるじゃろう? あの道は、中有の閻魔庁につながっておる。死んだ者は閻魔庁で生前の行いを裁かれて、その行いによって六つの世界のどこかへ転生するのだ。天道・人間道・修羅道・畜生道・餓鬼道、そして地獄道・・・」
 天道は天人が住む世界。苦労のない世界で遊興的な生活が送れ、寿命も長い。
 人間道はこの世。苦しみもあるが喜びもある世界。修行の場ともいわれる。
 修羅道は修羅が住む。争いの絶えない世界。安らぎもなく、戦いだけの毎日。
 畜生道は動物の世界。本能のみで生きるしかないところ。
 餓鬼道は飢えの世界。空腹が癒されることなく続く世界。
 そして地獄は、生前の罪をつぐなうところ。文字通り、牢獄だ。囚人たちは一切の自由を奪われ、罪に応じた刑を科せられる。
 苦痛だけの世界。際限なく痛みをおわされる。殺されても、殺されても、風が吹けば何度でも甦ってしまう。その刑期が終わるまで、苦痛からは逃れられないのだ。
 悟りを得られない者はこの六つの世界を転生していかなければならなのだという。
 獄卒はこの転生を司る閻魔庁の役人。
「おぬしも、わしも、幸氏も・・・我々は、もともと人間だったが、生前の業により転生を許されず、獄卒となって閻魔王にお仕えする身なのだ。いまは任務のために人間道におるが、転生を許されたわけではないのでこれは皆、仮の姿。このまま体が死んでも転生はできず、再び獄卒に戻るのじゃ。だからこそ、我らには只人にはない力がある。見えたり聞こえたりというだけでなく、たとえばわしはいくつかの結界をはったり、破ったりすることができる。この幸氏はあやかしを断つ。こやつの太刀や弓で滅ぼされたものは、強制的に閻魔庁へ飛ばされる」
「私には、特別な力はありません」
 見えるし、聞こえる。それは他の人にはできないのかもしれない。
 けれど・・・そんな恐ろしい鬼の力など、ささめにはまったく心当たりがなかった。
 そんなものとは無縁に生きてきた。
 これからだって、同じはずだ。
 しかし、宗員は容赦なかった。
「気づいてないだけ。それも、ささめどのに自覚がないからじゃ」
「そんな・・・私、地獄も閻魔さまも知りません」
 ふつうに生きたい。ただ時の流れのなかで、おだやかにゆっくりと季節を廻って。
 いや、こんな取り柄のない自分が、奇怪な運命であるはずがない。
「人の世に降りた時点で、たいがいあの世の記憶は失われてしまうものだ。必要があれば思い出す。必要がなければ忘れたままだろう。任務には関係ないからな。姫さまに見いだされた以上、おぬしに否やはありえない」
 軽く言ってくれる。自分に特殊な能力があれば、とっくに使っているというのに。ないものをどうやって使えというのだ。面識もない姫に、どうしてそれがわかる?
「私はただの人です。これから鎌倉御所へ行儀見習いに出仕すると決まっています。他のお役目など」
「そうそう。それが、おぬしの任務じゃ。――先ほど申したであろう? この世で主は大姫さま只ひとり、と。姫さまは天上から下界へ参られた聖なるお方なのじゃ。姫さまをお助けし、お守りするのが、我らの使命。閻魔王がそう、定めた」
 それでは最初から、自分の一生は決まっているというの?
 ささめをどうしても御所へという誘いは、そのためだったのか。
「そんな。それでは、御台さまのたってのご依頼というのは・・・」
「姫さまのたってのご希望じゃ。御台さまは、姫さまのお望みは大抵そのまま受け入れてくださるからな。・・・逃げようとしても逃げられぬ。おとなしく鎌倉へ行くのじゃな。まあ、あの世の記憶がなくても、おぬしも姫さまにお会いすれば、きっと気持ちを動かされる。そのとき、我らの話が嘘ではないと、納得できるじゃろう」
 気持ちを動かされる? どうして?
 いや・・・そんなことは、もう、どうでもいい。
 そもそもささめには、他に行くところもないのだ。鎌倉へ行くより他にない。
 たった、ひとりで。
 叶野はいない。御所勤めは断れない。得体のしれない姫さまと、そのしもべたち。
 ささめの理解の範囲を超えていた。涙もとうに果てた。彼らの途方もない話と、自分の置かれた状況がつながってしまったのが、何より信じたくなかった。
「まあ、そういうわけでな。よろしく頼みますぞ、ささめどの」
 陽気に言われても、ささめには返事ができない。宗員の朗らかさが、いっそ憎いくらいだった。
 わけのわからない話を押しつけられて。
 どうして、素直に頷けよう?
「宗員、今宵は話もこれくらいにしよう。ささめどのはお疲れだ」
 幸氏が助け船を出してくれて、正直、助かった。早く彼らから、この状況から解放されたかった。
 それに・・・彼らさえいなくなれば、また叶野が戻ってくれるかもしれない。
 かすかな望みが、ささめの支えだった。
 しかし、そんな考えは宗員にはお見通しだった。
「あいにくだがな、ささめどの。この旅の間は、必ず我らふたりのうちどちらかと行動を共にしていただくぞ」
「え? な、なぜですかっ」
 冗談ではない。年頃の娘が、身内でもない男たちを側におくなんて。
「おぬしを嫁にしたいなどという、やっかいな御仁がおるじゃろが。掠われて喰われてしまうと、我らも困るし、おぬしも困る」
 夕方現れた、子どもの霊。あれは、明後日、迎えに来ると言った。
 得体の知れない者に魅入れてしまった自分。ささめはようやくその恐ろしさを身近に感じた。
守ってくれていた叶野はいま、側にいない。
「く、喰われるって・・・」
「鬼というのは、そんじょそこらには滅多におらぬ、霊性の高い存在だ。あやかしどもには、格好の獲物。鬼を喰らえば、喰らった者もその分、力を蓄える。『嫁』など人身御供の代名詞だろう。狙われているとわかっていて、隙をつくる必要はあるまい。まあ、しばらくは嵐だろうから、適当に理由をつけてこの館から出てはいけない。そして、夜は幸氏、昼はわしが護衛をしてやろう」
 ささめには、自分ひとりで身を守る自信は、まったくなかった。
 だが、得体の知れないという点では、このふたりも同じではないか。
 拒絶を口にしようとした。が、それを押さえるように、宗員は笑った。
「言うておくがな。おぬしに拒否する自由はないぞ。勝手に死ぬ権利もない。おぬしは我らと共に鎌倉へ行き、姫さまのしもべとなるのだから」
 時定どのにご迷惑をかけたくはあるまい? それは、脅迫だった。
 まわりに振り回されてばかりの状況に、ささめはなすすべもなかった。