くだん姫

「おれのことはさあ、連れていっておくれよな」
 細長いきつね……に似たあやかし。ささめの周りをくるくる回る。
「叶野《かなの》はだめって言っても、ついてくるのでしょう?」
 夜半、荷物をまとめながらささめは小さく笑った。
 昼間あやかしからもらった木の実は、お守り袋へ大切にしまい込む。
「あたりまえさっ。ささめ、荷物はそれだけか?」
「必要なものは、鎌倉で揃えてくださるそうなの」
 北条の総領家は、ささめを引き受けてくれた。
 灯明の火は細くのび、ささめの陰をうつしている。叶野の陰はない。
 叶野の姿は、人には見えない。ただ勘の鋭い者は気配だけを感じることがある。
 かがりの母がそうだった。ささめと距離をとっていた。
「私には、だれもいないし、何もない」
 ぽつんと、ささめはこぼす。
 叶野は、白銀の尾をふわっと膨らませた。
「おれは、ささめと離れるつもりはないぞ。ささめが死ぬまで守ってやる約束だからな」
「母上と?」
「まあ……おれさまを召還したのはみはりだがよ。約束したのは、おまえとさあ。おれさまは、ささめが気に入ってる」
 みはり――母の名だ。
 母は京の、陰陽師の流れをくむ家の女だった。叶野を召んだ人。
 両親の仲むつまじさは、いまもささめの記憶に残っている。ふたりは京で出会い、母は父と北条で暮らした。
 平穏で、しあわせだった、遠い記憶。
「ねえ……叶野。やっぱり私が不吉な娘なのかしら」
「またそれかぁ?」
「みんな、私を見る目がちがうもの」
「人間なんざあ、見えないものを怖がるイキモノさ」
「でも……」
「おれには、おまえは、ただのささめだ」
 何度、この質問をしただろう。
 気にするなと、豪快に笑い飛ばしてくれた許嫁さえ、もういない。
 ……あの娘は、不吉だ。側には不可解な出来事ばかりある。親しい者たちは早死にする……
 父は戦で討ち死にし、母はささいな風邪であっけなく逝き、幼なじみの少女は夏の川で溺れた。
 許嫁までもが、奥州征伐で行方知れずとなった。
 里の者はささめを見るたびに目を伏せた。人ではなく、怪異を見るように。
 ――もしかするとほんとうに、私が不吉なのではないか。
 その思いだけが、胸に残った。
「ばかだなあ」
 叶野はするすると白い腕に巻き付き、狐のような細い鼻先をささめの頬へ寄せた。
「おまえにそんな力はないさあ。ただちょっと、目と耳がいいだけだ。おまえに近づいてくるやつも、みんな気のいいやつさ。やばいのはおれさまが追い払ってやる。安心しろ」
 叶野が何者なのか、ささめは知らない。物心ついたときにはもう、傍らにいた。
 だから居てアタリマエだった。
 幼いころは彼がふつうの人間には見えない存在だというのが理解できなくて……それが余計に周囲の者を不気味がらせた。
「叶野って、父親みたいね」
「おれさまはささめが笑ってないと嫌なんだよ。せっかくみはり譲りのべっぴんなんだからよお。機嫌よく笑っていてくれよな」
 ささめは、苦笑した。
 あやかしたちはみんな、ささめにやさしかった。
 けれど、人間はちがう。
 人間で、ささめに好意を向けてくれた男は、死んだ許嫁だけだった。
「いつか……私も、だれかに嫁ぐのかな」
 その未来だけは、どうしても思い描けなかった。
 こんな私を受け入れてくれるひとがいるだろうか。
 北条ゆかりの者として出仕するからには、いずれはどこかへ嫁ぐ。だれと結ばれるかも、自分では選べない。
 ささめは小さく息を吐き、叶野の温もりに身を寄せた。
 叶野たちは人の理とは違う次元で生きている。
 周囲の人間にどれだけ忌まれても、叶野だけは見捨てない。
「叶野ったら。まさか、邪魔はしないでしょうね」
 つん、と、指で額をつつくと、叶野はふふんと鼻を鳴らした。
「ふふん。おれさまの意にかなうやつがいればな!」
「むずかしいわね」
「まあな」
 冗談を言い合える相手があるのはいい。叶野のおかげで、どれだけ救われてきただろう。
 叶野には、なんでも話せた。ほしいときには、ちゃんとほしい言葉をくれる。
 しかし、それでも。
 夕刻のかがりの言葉は、抜けない棘となって心を苛んでいた。死んだ許嫁は、ささめにとって大切なひとだった。忘れられるはずがない。
 ふうっとささめの表情からほほえみが消えていく。
「……兄上は、どうして戻ってきてくれなかったのかな。戻ってくれたら、私にはわかるはずなのに」
 たとえ、死んでも。ささめには死者の姿も見えるのだから。
 戻ってきてくれたなら、わからないはずがないのだ。
「さあなあ。あいつの考えは、おれにはわからねえよ」
「叶野?」
「おっと、誤解するなよ」
 叶野は少し声を落とした。
「あいつなら、ささめの夫となっても許してやるつもりだった。残念なんだぜ、これでも」
 彼はささめの目を覗き込む。
「でも……ささめはもう、忘れなくちゃいけない。あいつにとってもよくないからな。この世に未練を残してちゃあ、あっちの世界に行かれない。足を引っ張っちゃいけないんだ」
 だれかを失うたびに叶野に説かれていた。だからささめは極力悲しまないように努力していた。
 知らせをきいた日、泣けなかった。
 会いに来てくれなかったから。
 両親は最後に一度だけ姿を見せてくれた。それなのに……あのひとは来なかった。
 いつまで待っても、彼は現れなかった。生きているのではないかと、何度も思ってしまった。彼の直垂を身代わりに弔いをしても、まだ信じられなくて。
 ささめは途方にくれていた。
 かがりの言うように、恋ではなかった。家族のように思っていた。
 あのひとは、いつもささめを大切にしてくれた。穏やかで、あたたかな居場所だった。
 失ったいま、心のどこかにすっぽりと穴が空いたようにむなしい。眠れない夜が幾夜もあった。
 死者に執着しつづけてはいけないのに。
 執着は、死者をこの世につなぎとめる鎖となる。行きつく先は知らない。それでも、この世に留まり続けることがしあわせでないことだけは知っていた。
 生者と死者の世界は、別たれている。
 母は言っていた。生きている者は、生を全うしなければならない。命を粗末にするのは、天命への裏切りなのだと。
 だから……ささめは強くあろうとした。鎌倉へ行けというなら、そうしよう。そこに何が待っていようと、自分は歩いていかなければいけない。
 頼るべき「家族」はもう、いない。
 自分は生きていかなければならないのだ。命があるかぎり。
「――おい。これ以上ささめがぐだぐだ悩むなら、あの小生意気なかがりにお仕置きしてくるぞ?」
 おまえを傷つけるやつは、ゆるせん。
 叶野のつぶやきが剣呑に響いた。
「やめて」
 ささめは慌てて叶野を捕まえて、抱きしめた。
「遠慮はいらないぜ?」
「してないわ。かがりは私にとっては、数少ない身内なのよ。それに……もしかしたら、もう会うこともないかもしれないし」
 鎌倉へ行けば、もう会うこともないだろう。分かり合えなくても、これ以上傷つけたくはなかった。
「ささめは、ほんとうに、お人好しだな」
 叶野は呆れつつも、そんなおだやかで、すこし気の弱いささめが大好きだった。
「そんなんじゃないわ。私の方が、かがりをいっぱい傷つけてきたから……それに、私には叶野がいるもの」
 だいじょうぶよ。
 ――この先に、何があろうとも。
 叶野がいれば、孤独ではない。
 いつまでもいっしょにいるのだと、このときは信じて疑わなかった。


  ◇ ◇

 
 伯父と、護衛の家人数名と、ささめは徒歩で船着き場へ向かっていた。鎌倉へは海路を用いる予定だった。陸路は険しい山が連なり、女連れでは時間がかかる。
 薄衣を垂らした市女笠に隠れ、ささめの表情は伯父からもうかがえない。
「頼朝どのは御所さま、政子どのは御台さまとお呼びするのだ」
 鎌倉へと向かう道中、伯父の北条時定は、ひと通りの事情を説いていた。
「御台さまはおまえの事情を概ねご存じだ。いずれ、よい縁をご紹介くださるだろう」
 すなわち、北条にとって利のある縁談。
 伯父の目的はまさにそれなのだろう。死んだ息子の嫁になるはずだった姪を扱いかねているのだ。
 むかしから時定は、後見人ではあるがどこか余所余所しい。
 時定だけではない。家中の者も、里の者も、いつもささめを遠巻きにしていた。
 薄気味の悪い娘。死んだものが見えると言い、あやかしの声をきく。不吉な陰を背負う娘。
 関わるとろくな事にならない。ほらご覧よ。あの娘の二親は死に、婿にも嫁入り前に先立たれた。
 不吉だよ。不吉な娘だ……。
「おまえがお仕えするのは、長女の大姫さまだ。御所さまも御台さまも、病弱な姫君をことのほか大切にされておる」
 大姫はかつて、許嫁・木曽義高を頼朝の命で殺されていた。源氏の身内争いの犠牲となったのだ。
 ささめは無言でうつむいていた。
 むごい話だ。一族同士の争いで、子どもまで巻き込むなんて。
「ここだけの話な、御所さまも御台さまも、大姫さまには手を焼いてらっしゃるらしい。病弱な上、気むずかしくて、お気に入りの側仕えの者以外は近づけもしない。小御所の奥に引きこもって、得体の知れないまじない遊びをしているという噂もある」
「お気に入り以外は……ご不興をかったら、どうなるのでしょうか?」
 暇を出されるのだろうか。そうしたらもう、ささめには行くところがない。
「御台さまも身内をお側におかれたいだろうから、うまく取りなしてくださる。もしものときは、別のご用を仰せつかるかもしれないが……まあ、悪くはなさらないだろう。それよりな、もっと大事なことがある。――御所さまには、十分に気をつけろ」
 唐突なようでいて、本当は伯父が一番言いたかったのは、実はそれだった。
「はあ?」
「あのお方は、めっぽう女に手が早い」
「はあ……」
 御所さま……源頼朝の女癖の悪さは、有名だった。
「おまえは人を疑うことを知らんからな。頼むから、男で身を滅ぼすのだけはしてくれるなよ」
 あやふやにうなずくささめに、時定は不安をぬぐえずにいた。
 果たして大人になりきれぬこの娘が、鎌倉でやっていけるのだろうか。御台所・政子の望みでなければ、とても御所勤めへは出せなかった。
 早くよい縁談が決まり、安住の地を得てくれれば――それだけを願っていた。
「おまえにはおれ様がいる。安心しろ」
 叶野が、ささめの耳元にこっそり囁く。これ以上の護衛はいない。
 ささめは小さく笑った。
 風に潮のかおりが混じる。船着き場はもうすぐだった。


◇ ◇


 山がちな伊豆の地において、遠方へ向かうには険しい陸路よりも海路が選ばれる。船着き場は、港と呼ぶには粗末なものだったが、品置き場や市が立ち並び、荒くれ者の船子たちの怒号で活気に満ちていた。
 そこへそう華やかではなくても、身なりの良い一行が現れれば、目立たずにはいられない。
 ささめたちの到着を、彼らはすぐに察した。
「お待ちかねの娘が到着、かな」
 僧形の男が、たのしげに幸氏をつつく。
「あれを待っておられるのは姫さまだ」
「おっと。わしは何も、おぬしが待ちかねていたとは言っておらんぞ」
「宗員」
 幸氏の切れ長の目が、ぎらりとねめつけた。
 旅の連れである比企三郎宗員は、すべての事情を心得ていた。幸氏同様、姫にしもべとして選ばれた男だった。
 幸氏が細身の美丈夫なら、宗員は肩幅の広い、朗らかな男だった。有髪の僧形で、その笑顔は港の風によく似合う。
「そうにらむな、幸氏。せっかくの美形が台無しだぞ」
 幸氏は応えなかった。潮風に黒髪だけが揺れる。その視線は、砦へ向かう一団をしずかに見据えていた。
 ふたりは船着き場を、船子やら、荷運の人夫やら、物売りやら、行き交うなかから抜けてゆく。
 彼らは、ささめを待っていたのである。
 もっとも当の幸氏よりも、宗員の方が浮かれていた。
「さてさて。ご到着されたからには、ご尊顔を拝しにうかがおうではないか。のう、幸氏」
「遊びではないぞ」
 幸氏は、ますます不機嫌を露わにした。
 どうやら宗員の手前、つくっている顔というわけでもないらしい。
 いままで幸氏は頑ななまでに姫さま大事を貫き通して、自己のしあわせになど頓着しない男だった。きまじめさゆえに、姫さまからも厚い信を置かれていたし、同輩たちにもそれは同様だった。
「もったいないな」
 宗員は、まんざら冗談でもない言いぐさをした。
「何だと?」
「わしがおぬしなら、よろこんで嫁に貰う」
「……見たこともない娘だぞ」
「だからこれから見にいくのではないか。もっとも、見目などどうでもよい」
 これにはさすがに、幸氏もあきれた。
「宗員は女子なら何でもよいのか」
「何でもとは言わぬさ。あれは傍流とはいえ、北条どのの血筋。これからは北条と縁を繋いでおいて、損はあるまいよ。御台さまの血縁ならば、まあ、それなりにうつくしくはあるだろうし。それに……あの娘は、姫が選んだのだろう? ただの人であるはずもない。わしらのような曰く付きには、似合いの相手だ。普通の娘が嫁に来て、無事でいられるわけがあるまい」
 宗員は、ふっと、真顔になった。
 曰く付き……。彼らは、それぞれに重くせつないものを背負う身だった。
「宗員……」
「わしらに科せられたものは、まともな人間には理解されまいよ。その孤独に押しつぶされるくらいなら、だれかに、側にいてほしいとは思わないか?」
 幸氏のきつい眼差しが、心持ち、ゆるんだ。
「宗員らしくない弱音だな」
「わしは、おぬしのために言うておる」
「たしかに、おまえはやさしすぎるのだ。しかしわたしは、望んで嫁をとるつもりなどない。このままでよい。やすらぎなど、いらぬ」
 そう言い切ったはずなのに、胸の奥で姫の声がよみがえった。
 ――おまえの大事なひと、このままだと死んでしまうよ。
 幸氏は眉をひそめる。
 まだ見知らぬ娘のことなど、考えてどうする。
 血の記憶……嘆きの声は、いまも耳の底にこびりついていた。
 忘れられないのは、かつての主。
 生死を共にと誓って故郷を出たのに、守ることはかなわなかった。
 あの戦で、多くを失った。親も、兄弟も、一族も。幸氏だけが生き残って。
 自分だけがしあわせになるなど、できはしない。
 だからこそ、主が命より大切にした姫だけは、守り抜く。もういない主の代わりに。
「くそまじめめ。すこしは肩の力を抜いて生きた方が、生きやすいのではないか?」
 もちろん、宗員は幸氏の過去を知っている。
「宗員は力を抜きすぎだ」
 ふたりはもう、宿泊中の館へ向かって歩きはじめていた。
 宗員は人の悪い笑みをにやりと貼り付けて、幸氏の背なをばしっとはたいた。
「まあ、いい。まずは姫が選んだ娘に会いに行こう」
 幸氏はもはや表情を変えなかった。


◇ ◇


「今日はここで一泊する。船が出るのは明日だ」
 旅慣れないささめのために、伯父はゆるめの旅程を組んでくれているらしい。
 船着き場を見下ろせる高台の武家屋敷。そこが彼らの宿泊所だった。屋敷といっても、山の砦とでもいうような無骨な作りで、優雅な趣はまったくない。広さと頑丈さは折り紙付きだ。
 ここの主、浦辺正之もまた、北条とは血縁にあたる。
 通された板敷きの間には、伯父の時定とささめが並んで座っていた。館の主に目通りするためである。
 しかしささめの傍らにある叶野の言動は、時と場所を選ばない。
「……潮のにおいが変わった。大嵐が近い」
 ぼそっと、叶野がこぼした。嵐の船出が危険なのは、ささめにだってわかる。
 叶野の声が聞こえるのはささめだけ。彼のこういった忠告が外れないのも、知っているのはささめだけ。
 どうしよう。
 これを口にのせれば、きっと伯父はまた嫌な顔をする。ささめは躊躇したが、自分だけでなく伯父にとっても身の危険に関わるのだ。
 しかたない。ささめは意を決し、おずおずと切り出した。
「あの、伯父上」 
「うん?」
「その……明日の船出は、延ばした方がよいと思います。明日は雨で、嵐が近づいています」
「嵐だって?」
 空はあざやかな青。いくらか雲が遠くにあるが、雨の気配などみじんもない。
 案の定、いやそうな伯父の顔。不吉な予言など、だれが好きこのんで有り難がるだろう? 
 元より得体の知れない姪である。動揺するなというのが無理だ。
 しかしあからさまに気味悪がるのもいい年をした武士のすることではない。
「船のことは、船主に任せておけばよい。そなたの口出しなど必要ないわ」
 時定は吐き捨てた。これ以上、この話はしたくない、と言外にありありとしていた。これから現れる館の主に、この姪のあやしさを見せるわけにはいかなかった。
「でも……危険です」
「わかった、わかった。のちほどわしから正之どのに確認してやる。だからそなたは口を開くな。よいな?」
「……はい」
 ささめは引っ込まざるを得なかった。伯父がどのくらい本気で確認してくれるものか、わからない……。
 どうしよう。
 ささめは床板に視線を落とし、形のよいくちびるを噛む。
 このまま船が出てしまうと、嵐に巻き込まれてしまうかもしれない。
 でも……何を根拠にと問われれば、何も答えられない。まさか自分の傍にいるあやかしに教えて貰いましたなどとも言えないだろう。
 あとはもう、出立の際に、嵐の予兆があるのを祈るしかないのか。
 ああ……。
 ほとほと嫌になる。
 周囲に逆らって生きたことなど、一度もない。正しいと信じても、それを押し通す強さが、自分にはなかった。
 その弱さは、罪だ。
 もし嵐に巻き込まれれば、代償は自分の命だけではすまない。伯父も、供の者たちも、船子たちも。
 ささめが鬱々と気をもんでいると、廊下の向こうから足音が近づいてきた。
「――お待たせして申し訳ない。時定どの、ご無沙汰している」
 館の主、浦辺正之。船着き場の管理者でもあるこの武者は、年の頃は伯父の時定よりやや若いくらいだった。武者といえばがさつさを前面に押し出した男ばかりを見てきたが、正之はどちらかというと商人風の、やわらかい物腰の男だった。
 正之はささめたちの前に相対して座ると、ちらりとささめに目をやった。
「こちらが、ささめどのか」
「……ささめでございます。このたびはお世話になります」
 ささめは折り目正しく礼をつくした。
「なに、われらは身内ではないか、お楽になされ。遠慮無く滞在なさるといい。しかし、時定どのに、こんなにうつくしい姪御があったとは。ささめどのであれば、御所にあっても、他の女房たちに引けは取るまいよ」
「まだまだ子供で。――御所にあげるには不安もあるのだが、御台さまたってのご希望だ。しかたあるまい」
 先ほどのような戯れ言さえ口にしなければ、自慢の姪とも言えるのに。まじめで出しゃばる心配もなく、口も堅く、うつくしい、御所勤めには申し分ない娘だ。時定はその言葉を飲み込んだ。まあ、鎌倉までにはまだ時間もある。その間に、もう少し教え諭さねばなるまい。
 謙遜というには苦悩のにじむ時定に、正之は何を思ったのか、少し身をよせていくらか声音を落とした。
「ところで、時定どの。実は、鎌倉から客人が」
「なんと」
 そんなことは聞いていない。いったいどういうことなのか。自然と時定の声も低くなった。
 正之は続ける。
「比企宗員どのと、海野幸氏どの……大姫さまのお気に入りだな」
「御用向きは?」
「よくわからぬ。いや、表向きは御台さまのおおせで、ささめどのの護衛に参られたそうだが……本当のところは、大姫さまのご内意を得て来られたのではないかな」
「姫さまが、ささめを見極めようと?」
「品定め、か」
 はた迷惑な。ただでさえ時定はささめの素行が気になっている。ご意見番など送られてきてはたまらない。邪魔だった。
 まして、比企宗員と海野幸氏など、時定たちにしてみれば、まったくの若輩。息子のような年頃だ。姫さまのわがままに便乗して、いまいましいとさえ感じられた。
 浦辺正之も、考えはおなじらしい。
「おふたりは古くからの大姫さま付き。何事か大姫さまに言い含められておるかもしれぬ。大姫さまのきまぐれに振り回されるのも何だが、それでも比企や海野のせがれを邪険に追い返すわけにもいくまいよ」
「そうだな。われらがここで気をもんでもどうにもならん。で、おふたりはどちらに?」
「さきほど散策からお戻りだ。ささめどのへの目通りを希望されているが、いま着いたばかりだからと止め置いた」
「そうか……そうだな」
「まあ、時定どの。話しはそれくらいにして、すこし休まれよ。夜はささやかな宴も用意している。ささめどのもお疲れだろう。いま、案内させるゆえ、ゆるりとしてくだされ」
 これ以上、ここで顔をつきあわせていても、何も解決しない。
 時定はうなづき、そして、思い出したように訪ねた。
「ところで、正之どの。明日は予定どおり、船を出してもらえるのかな」
 正之は、あっと、手をうった。
「大事なことをお伝えしておらなんだ。明日は船を出せそうにない。波が高くてな。いまは晴れておるが、嵐が近づいているかもしれない」
 打ちのめされたように、時定は眉をひそめた。
「……いつごろ、出立できるかの」
 平静を取り繕いながら、目の前の奇異にめまいがした。
「少し様子をみぬと、何ともいえぬな。ささめどのを乗せて、万一があっても困る」
「……ああ。わかった」
 伯父たちの傍らで、ささめの顔はぱあっと輝いた。皆の危険が回避できたのがうれしい。
 時定は真逆に顔色がさめていた。心の中では己に言い聞かせていた。……ますますささめには、余計な言動を控えさせねばならない。どうしたものか、と。鎌倉でこんな力を他人に知られたら、北条の命取りになる。
 この家の者に案内され板敷きの間を出てから、時定はささめにつぶやいた。
「ささめ。これからは、余計な忠言などしてはならぬ。それが、そなたのためだ」
 鎌倉は、このような田舎とはちがう。
 生き馬の目を抜くような豪族間の争いの中で、北条と、何よりささめ自身を守るには、言動には注意しなければならないのだ。どんなところから揚げ足を取られ、恥をかいたり、失脚したりするかわからない。
 この娘の不思議。政子にも包み隠さず伝えてある。それでも御台所は意に介さず、出仕を命じられた。時定には、その真意がわからない。
「――はい。伯父上」
 はっとして、そのあとしょんぽりするささめの姿は、不憫でもある。
 それでも、本人の奇異を教えてやるのが身内の責任だと、時定は信じていた。


◇ ◇


 通された離れ。ささめは庇でぼんやりとしていた。ひとりだった。
 夕刻が近づいている。家人は一番忙しい時間だった。来客が重なったこともあり、宴の準備もある。ささめたちが連れてきた家人も、一時、手伝いに回っているらしい。
 いつもならささめを賑やかしてくれる叶野も、「気になることがあるからよ」と、姿を消していた。もっとも叶野には、こういうことがよくある。いつも必ずささめにひっついているというわけではないのだ。呼べば来てくれるのもわかっている。
 結局ひとりだけすることがなくて。ささめは庭を眺めるしかなかった。
 庭先の白い夕顔が、夕日をあびて淡く紅をはく。
 見事なほどの夕焼け。
 こんなにも晴れているのに、明日は雨なのか。こんなときに嵐がくるなんて……まるで足止めされているかのようだ。
「――鎌倉、か」
 だんだんと不安になってくる。
 こんな得体のしれない自分が、周りの人間とうまくやっていけるのだろうか。
 身内とでさえ、しっくりいかないというのに。
 ささめはいつも以上に弱気になっていた。
 やはり出仕など断って、尼にでもなった方がいいのかもしれない。許嫁の弔いに生涯を費やしてもいいではないか。その方がどれだけ心やすく、平穏な日々であるか。
 ゆっくりと向けた視線の先……庭の樹木が、かさりと揺れた。
 子どもがいた。
 こざっぱりした格好の、五つ六つくらいの女の子だ。
 身につけているものから、それなりの家の子どもだとわかる。着物は派手ではないが薄汚れた風もないし、髪もきれいにかむろに揃えられている。血の気がまるでない、妙に白い顔。感情のない表情で、ささめを見ていた。
 ふっと、ささめの口元がゆるんだ。
「……どうしたの? 迷子?」
 やさしく、声をかける。自分が辛いときほど、人を労りたくなる。ささめはそういう娘だった。ましてやひとりぼっちで、所在なかったところだ。
 子どもは無言のまま。樹木の影に寄り添っている。
 警戒しているのかもしれない。
「そんなところにいないで、こちらへいらっしゃい。そうだ。お菓子があるのよ」
 子どもは動かない。人見知りなのか……それとも。
 もしかして、この子は……
 ささめは自分から、子どもに近づいた。草履を寄せて、庇から庭へ降りると、驚かせないようにゆっくりと歩く。
 近づくと、疑いが確信に変わった。
 足元に影がなかった。
 ――この子、死んでる。
 霊魂のまま彷徨う子ども。見た目は、生きていたころと変わらないのだろう。ただ全体に生気がなく、どことなくぼんやりした印象だ。
 これまでささめの目に映る幽霊は、いろいろな姿をしていた。生きている人間とまったく変わらない者もいれば、体の一部がない者、姿がうすく透けている者、影としか認識できない者など、千差万別だった。
 この子どものように、わりと生前のままの姿をしている者は、自分の死に気づいていない場合も多い。
 ささめは、幽霊そのものは恐くなかった。見慣れていたし、往々にして彼らは悲しい存在だと知っていたから。
 ささめが近づいても、子どもは逃げなかった。
 ささめは腰をかがめて、子どもの視線の高さに自分のそれをあわせた。
「……迷っているの?」
 子どもは答えない。
「いつまでもこんなところにいてはいけないわ。ひとりきりで、さみしいでしょう? ――お空の方に、明るい道は見えない?」
 その先がどこへ通じているのかはよくわからないが、それが死者の辿るべき道だとささめは知っていた。
 その道を拒めば、いつまでも地上に縛り付けられてしまう。彼らはふつうの人間の目には映らないし、地に留まれば、あるのは果てしない孤独だけ。
「なにか、心残りがあるの?」
 家族とはぐれたのか、何かを探しているのか。
 子どもの手には、櫛が握られていた。漆塗りの、螺鈿まで施された見事な品だ。まだ新しい。
 すうっと、子どもは櫛をささめに差し出した。
 何か、意味があるのだろうか?
 無意識に、ささめはそれを受け取ろうとした。
 そこへ。
「――やめろっ」
 怒号が響いた。
 小刀がそれを追いかけた。ひゅんと風をきって、小刀は子どもの手をかすめた。
「ぎゃあああああ」
 突然火がついたように、子どもは絶叫した。小刀は少女の手をかすめ、傷をつけた。ふつうの刃では傷つけられないはずの存在を、容易く。
 櫛だけが、からり、と乾いた音を立てて地に落ちた。
「――だいじょうぶ?」
 ささめは子どもに気を取られた。痛がる様子が不憫だった。
 傷の様子をみようと、子どもに手を伸ばしかけた刹那、太刀がふたりの間を遮った。
「やめろ、と、言っている」
 若武者が、強引にふたりの間に割って入った。
 太刀は子どもに向けられ、ささめは彼のうしろに庇われた。広い背中。褐色《かちいろ》の直垂がささめの視界をおおう。
「……あの?」
「安易に霊を構うなっ」
 見ず知らずの男に罵倒されるよりも、ささめには子どもの怪我が気にかかった。
「でも……」
「下がっていろ! そいつに触れるな」
 子どもはもう、泣いていなかった。
 にやっと口の端をあげると、すばやく後ずさって若武者と距離をあける。
 生きている者にはあり得ない素早さ。そして、先ほどまでにはなかった険しい眼差しで若武者をにらんでいる。
「きさま、どうやってこの屋敷に入り込んだ。どうやって結界を越えた?」
 鋭い詰問にも、子どもはたじろがなかった。
「もう、遅いわ」
「何っ」
 にやと気味の悪い笑い。子どもはささめを指さした。
「嫁御はたしかに見定めた。迎えは明後日。支度は何もいらぬゆえ、身一つで参るがよい」
 嫁……?
「させぬっ」
 若武者は子ども目がけて太刀をふった。
 風の切れる音。
 子どもは軽くかわして、大樹の枝に飛び乗った。嘲りの視線が地面へ落ちる。
「印の品は置いていく。たのしみにしておれ」
 それは、ささめに向けられた言葉だった。
 子どもは次の瞬間、夕暮れの風の中へとけていった。姿がかき消したように消える。
 葉擦れだけが残った。
 何事もなかったかのように。
 印の品って……あれ?
 子どもの持っていた櫛が、地に転がっている。
 ささめは引きつけられるように歩み寄ると、その櫛を拾った。軽く埃をぬぐう。見事な品だが、ただの櫛にしか見えなかった。
「――おいっ」
 若武者はあわてて、ささめの、櫛を持つ方の腕を掴んだ。
「狙われているのはそなただぞ! そんな怪しい櫛を拾うな!」
「ご、ごめんなさいっ」
 きつく叱られて、ささめは逃げるように顔を背けた。目をつぶる。
 恐ろしかった。霊よりも、この男の方が。
 思えば、男に怒鳴られるなど、ささめには経験がない。だが振り解こうとしても、力でかなうはずもなかった。
 手は、捕まれたまま。ものすごく視線を感じる。
 もしかして――見られている? 
「離してください……お願い」
 見知らぬ男に捕まえられている羞恥と恐怖。がたがたと身が震え始めた。
 どれくらいそうしていたのか。
 男は、ぼそっとつぶやいた。
「……すまない。櫛を離してくれるか?」
「え? あ、はい」
 ささめは櫛を持つ手をゆるめた。男はその櫛を奪い取ると、ようやくささめを解放してくれた。
 捕まれていた腕をさすりながら、ささめはようやく相手の男をまともに見上げた。
 頭ひとつ分、彼はささめより背が高い。
 まだ若い。すらりとした長身に、すっきりとした褐色の直垂がよく似合っている。きつい細面にうすいくちびる。目元はすずしく、鼻筋も通っている。冷たさの漂う眼差し。突き刺す視線。
 こわい。
 ――それは、戦慄にも似た印象。
 ささめは彼から目を離せなかった。
 心の底が泡立っていく。
 恐怖の奥で、わからない懐かしさが、胸の痛みとなってみなぎっていく。
「なぜ、泣く?」
 男の眼差しから険がとれる。
 言われて初めて、ささめは自分の涙に気づいた。
「あ――いやだわ。どうしたのかしら、私」
 慌てて頬をぬぐう。はずかしい。見知らぬ男に涙を見せるなんて。
 けれど、ささめの涙を乾かしたのは、彼女の手だけではなかった。
 男はそっと手を伸ばして、ささめの目尻に触れた。元より大きなささめの目が、ひときわ見開かれた。
 つめたい指先が、そのつめたさが――やさしかった。
 さきほどの力がうそのような、やわらかな感触。
 この衝撃を、何と呼べばよいのだろう。驚愕のあまり、あらゆる感情がささめの中で硬直してしまった。
(わたしは、何をしている)
 口調を改めて、男はおだやかに言った。
「安心しろ」
 彼自身、胸を締め付ける、得体の知れぬ衝動を押し隠すように、声音を抑えた。
「どのようなあやかしに魅入られようとも、そなたは、必ず守る……そうだな、宗員」
 いつからそこにいたのか、比企宗員は離れた庭先からこちらを伺っていた。最初からいたのかもしれない。照れくさそうに、頭を抱えている。
「やっとわしを思い出してもらえたようだな、幸氏。いつ声をかけてよいやら、困っていたところだ。相変わらず、容赦ないな」
「戯れ言はよい。それよりも、この櫛……何とかならんか?」
 幸氏はささめから離れると、宗員の側へ向かった。
 それを合図に、ささめもまた、自分の内側の思いから、現へと引き戻される。
 もうひとりの男の姿に気づいた途端、ささめの頬が熱くなる。すべて見られていたのだろうか。
 有髪のお坊さまと若武者……奇妙な取り合わせのふたり。
「何かの目印か。呪具、という感じはしないな。経筒にでも封じておくか。とりあえず預かろう。……くそっ。この館の結界も張り直さないとな」
 宗員は櫛を受け取り、袂から経筒を取り出すと注意深く押し込め蓋をする。短く経文のようなつぶやきと共に。
 このひとたちは、いったいだれ?
 田舎には不似合いな精錬された気配。一種、清冽な風貌。
 彼らが伯父たちの話していた、鎌倉からの客人なのだろうか。
 そのとき、ふと、風とは違う感触がささめの頬に触れた。
「――どうした、ささめ。だれかにいじめられたか?」
 ささめの肩にちょこんと、叶野が乗っていた。戻ってきたのだ。
 叶野はめざとく、ささめの頬に残る涙のあとを見つけていた。
「叶野! どこに行ってたの」
 ささめは安堵のあまり声を出した。
「うん? 何かあったのか?」
「何かっていうか……私にもよくわからないけど……」
 どこから説明したものだろう。しかしささめは、男たちの視線に気づいて、話しを止めた。
 ふつうの人に、叶野は見えないのだ。独り言をくりかえす変な女と思われかねない。
 だが、ささめの心配は杞憂だった。
「……宗員。きさま、結界ひとつまともに張れずに、ここまで何をしにきたのだ」
 幸氏は低くののしった。
「おおっと。すまん、どこかにほころびがあったのかもしれぬ」
 おかしいなあ、と繰り返しながら、僧形の若者は誤魔化し笑いをしていた。
 もしかして、彼らには、叶野まで見えているのだろうか。
「あの……おふたりとも、もしかして、この子が見えるのですか?」
 叶野を庇うように抱きしめる。彼らが、あやかしに対して寛容にはとても思えなかったからだ。
「そのケダモノのことか」
 そっけない若武者。僧形の若者の方が、愛想はすごくよかった。
「見えるとも。何じゃ、それはおぬしの護法か?」
「友達です」
「ふーん。見たところ、大した力もないようだが……友達は選んだ方がよくはないかのう」
「よけいなお世話だ!」
 怒鳴ったのは、叶野だった。ささめの腕のなかで暴れている。
「ちょっと目を離すとすぐに、へんな虫が寄ってきやがる。やはりささめには、おれさまがついていないと駄目じゃないか」
「虫って、叶野……失礼よ。助けていただいたんだから」
「助けられたって?」
「なんだか、ちょっと変わった霊がいて……」
「襲われたのか?」
「いや……襲われたというか、言いがかりをつけられたというか……」
 ささめは口ごもった。
 言いにくい内容を宗員が代弁してくれた。
「その娘さんを嫁に欲しいとさ」
 宗員の口調は、どこまでも陽気だった。
 予想に反せず、叶野は低く唸った。
「嫁? ささめをか? どこのどいつだ、おれさまの許しもなく」
「生きた人間ではないのじゃろうな」
「なにっ」
「ご本人は現れなかったが、使いらしい子どもは明らかに生者ではなかった。そんなものを寄越してくるヤツの正体が何なのか……死霊か、どこかの妖怪のたぐいか……」
 彼は言葉を切り、ささめと叶野を交互に見つめた。
「妙なやつに目をつけられたな、娘さん」
「死んだ人……?」
 ささめの中に、こつんと冷たいものが落ちた。
 死んだ人の、求婚? まさか……でも……。
「心当たりでもあるのかい?」
「許嫁が、亡くなっています。でも……もう、一年前で」
 浮かぶ彼の顔。でも、そんな、まさか……。
 困惑するささめを、幸氏はただ、無言で見つめていた。