くだん姫

 伯父と、護衛の家人数名と、ささめは徒歩で船着き場へ向かっていた。鎌倉へは海路を用いる予定だった。陸路は険しい山が連なり、女連れでは時間がかかる。
 ささめは薄衣を貼った市女笠をかぶり、残暑の日差しを避けていた。
 伯父からは、ささめの表情は知れない。
「頼朝どのは御所さま、政子どのは御台さまとお呼びするのだ」
 鎌倉へと向かう道中、伯父の北条時定は、姪のささめにひと通りの事情を説いていた。
ささめの父はすでに亡い。時定はその後見人だが、むかしから彼女をどこか避けていた。
「御台さまはおまえの事情を概ねご存じだ。いずれ、よきご縁でもご紹介くださるだろう」
 すなわち、北条にとって利のある縁談。
 伯父の目的はまさにそれなのだろう。死んだ息子の嫁になるはずだった姪を扱いかねているのだ。
 むかしから時定は、その妻ほどには露骨でないものの、どこかささめを避けていた。
 時定だけではない。家中の者も、里の者も、いつもささめを遠巻きにしていた。
 薄気味の悪い娘。死んだものが見えるといい、あやかしの声をきく。不吉な陰を背負う娘。
 関わるとろくな事にならない。ほらご覧よ。あの娘の二親は死に、婿にも嫁入り前に先立たれた。
 不吉だよ。不吉な娘だ・・・。
「おまえがお仕えするのは、長女の大姫さまだ。御所さまも御台さまも、病弱な姫君をことのほか大切にされておる」
時定の話によれば、大姫はかつて、許嫁・木曽義高を頼朝の命で殺されていた。源氏の身内争いの犠牲となったのだ。
 ささめは無言でうつむいていた。
 むごい話だ。一族同士の争いで、子どもまで巻き込むなんて。
「ここだけの話な、御所さまも御台さまも、大姫さまには手を焼いてらっしゃるらしい。病弱な上、気むずかしくて、お気に入りの側仕えの者以外は近づけもしない。小御所の奥に引きこもって、得体の知れないまじない遊びをしているという噂もある。あまりにも奇矯な行いが多いので、おまえと同じ年だというのに、嫁のやり手が定まらぬそうだ」
 伯父の言いざまはあんまりだが、それだけ御所ではその姫をもてあましているのだろう。
 ご病弱ゆえに、気むずかしくもなられているのかもしれない。
 いくら許嫁を失ったといっても、当時六歳のころの事件をいつまでも引きずるなんて、あるものだろうか。周囲の甘やかしがその姫をますます気むずかしく、病弱にしているとも考えられる。
「お気に入り以外は寄せ付けないといいますと・・・ご不興をかったら、どうなるのでしょうか?」
 暇を出されるのだろうか。そうしたらもう、ささめには行くところがない。
「御台さまも身内の北条の者はお側におかれたいだろうから、そのあたりは御台さまがうまく取りなしてくださる。もしものときは、別のご用を仰せつかるかもしれないが・・・まあ、悪くはなさらないだろう。それよりな、もっと大事なことがある。――御所さまには、十分に気をつけろ」
 唐突なようでいて、本当は伯父が一番言いたかったのは、実はそれだった。
「はあ?」
「あのお方は、めっぽう女に手が早い」
「はあ・・・」
 御所さま・・・源頼朝の女癖の悪さは、有名だった。
 さすがに北条の娘に手を出すとは思えないけれど・・・と思うのは女の甘さだろうか。
 ささめには、自分の容姿が際だっているという自覚はない。うぬぼれのない素直な性格は・・・無防備に過ぎた。
 思えば、ささめは田舎育ちで、周りに男といえば、許嫁だった時定の息子くらいなもの。幼なじみの延長みたいな関係だった。十四ともなればこの時代、結婚してもおかしくない年齢なのに、ささめの頼りなげな様子は、時定を不安にさせた。
 まあ、あの御所さまが、このような年若い小娘に興味を持つかはわからないが、ささめは脇が甘いというか、正直、ぼーっとした娘だ。心配して、心配しすぎることはない。
「おまえは軽口をきく娘でもないし、そういう意味では御所勤めも向いているだろう。頼むから、男で身を滅ぼすのだけはしてくれるなよ」
 伯父の忠告に、ささめはあやふやにうなずいた。
 時定は余計に不安になった。
 果たして大人になりきれぬこの娘が、あの鎌倉でうまくやっていけるのだろうか。御台所である政子の、たっての希望でなかったなら、とても御所勤めに出そうとは考えられない。
 いずれは政子が適当な縁談を用意してくれるはず。早くそうなるのを願うばかりだ。
 一方、大人しく彼らのやりとりを眺めていた叶野。ささめの様子を見て、ふうっと熱い息を吐く。
「まあ、おまえにはおれ様がいる。安心しろ」
 叶野はささめの耳元にこっそり囁いた。
 風に潮のかおりが混じる。船着き場はもうすぐだった。


◇ ◇


 伊豆国は内陸部が山地であるため、海運は遠方への重要な移動・運送の手段であった。
 港というほど立派ではない。しかし船着き場には流通のための品置き場や市があり、また船を生業にする者たちが集落を築き、にぎやかな場所となっていた。
 活気はあるけれど、ここはやはり荒くれの船子やその家族たちの村落。
 そこへそう華やかではなくても身なりの良い一行が現れれば、目立たずにはいられない。
 ささめたちの到着を、彼らはすぐに察した。
「お待ちかねの娘が到着、かな」
 僧形の男が、たのしげに幸氏をつつく。
「あれを待っておられるのは姫さまだ」
「おっと。わしは何も、おぬしが待ちかねていたとは言っておらんぞ」
「宗員」
 幸氏の切れ長の目が、ぎらりとねめつけた。
 旅の連れである比企(ひき)三郎(さぶろう)宗員(むねかず)は、すべての事情を心得ていた。幸氏同様、姫にしもべとして選ばれた男だった。
 幸氏の冷たい怒気を浴びながら、比企宗員は身じろぎもせず、鷹揚に構えている。もう十年近い付き合いの気安いふたり。
 彼らは見た目も対照的で、幸氏が細身ですらりとした冷たい美丈夫であるのに、宗員はややがっちりとした筋肉質で、僧形をしていても相当きたえられた身であるのがすぐわかる。かといって荒法師とでもいうような荒んだ風もなく、さわやかな好男児といったところだ。有髪であるためか、まったく僧らしいところはない。物のいいようも朗らかで、豪快だった。
「そうにらむな、幸氏。せっかくの美形が台無しだぞ。ただでさえ、冷たく恐ろしいヤツだと誤解されやすいのに、それでは女子に逃げられる」
「くっ。・・・面白そうに、にやにやと。おまえといい、高能どのといい、人が悪いにもほどがある」
 ふたりは、船着き場で潮風にあたっていたところだった。船子やら、荷運の人夫やら、物売りやら、見るともなく眺めているのはよい退屈しのぎになった。
 彼らは、ささめを待っていたのである。
 もっとも当の幸氏よりも、宗員の方が浮かれていた。
「さてさて。ご到着されたからには、ご尊顔を拝しにうかがおうではないか。のう、幸氏」
「遊びではないぞ」
 幸氏は、ますます不機嫌を露わにした。
 どうやら宗員の手前、つくっている顔というわけでもないらしい。
 いままで幸氏は頑ななまでに姫さま大事を貫き通して、自己のしあわせになど頓着しない男だった。きまじめさゆえに、姫さまからも厚い信を置かれていたし、同輩たちにもそれは同様だった。
「もったいないな」
 宗員は、まんざら冗談でもない言いぐさをした。
「何だと?」
「わしがおぬしなら、よろこんで嫁に貰う」
「・・・見たこともない娘だぞ」
「だからこれから見にいくのではないか。もっとも、見目などどうでもよいわ」
 これにはさすがに、幸氏もあきれた。
「宗員は女子なら何でもよいのか」
「何でもとは言わぬさ。あれは傍流とはいえ、北条どのの血筋。これからは北条と縁を繋いでおいて損はあるまいよ。御台さまの血縁ならば、まあ、それなりにうつくしくはあるだろうし。それに・・・あの娘は、姫が選んだのだろう? ただの人であるはずもない。わしらのような曰く付きには似合いの相手だ。普通の娘が嫁に来て、無事でいられるわけがあるまい」
 宗員は、ふっと、真顔になった。
 曰く付き・・・。彼らは、それぞれに重くせつないものを背負う身だった。
「宗員・・・」
「わしらに科せられたものは、まともな人間には理解されまいよ。その孤独に押しつぶされるくらいなら、だれかに、側にいてほしいとは思わないか?」
 幸氏のきつい眼差しが、心持ち、ゆるんだ。
「宗員らしくない弱音だな」
「わしは、おぬしのために言うておる」
「たしかに、おまえはやさしすぎるのだ。しかしわたしは、望んで嫁をとるつもりなどない。このままでよい。やすらぎなど、いらぬ」
 血の記憶・・・嘆きの声は、耳の底にこびりついていた。
 忘れられないのは、失われたかつての主。
 あの方は、幸氏にすべてを託して鎌倉を去った。逝ってしまった。
 生死を共にと誓って故郷を出たのに、結局はあの方に何もして差し上げられなかった。守れなかった。あの戦で、多くのものを失った。親や兄弟、一族の者たち。幸氏だけが生き残って。
 自分だけがしあわせになるなど、できはしない。
 せめてあの方の大切なものを守らなければ。
 かつての主にとって、姫は、何よりも大事な存在だった。だから幸氏が護るのだ。
 もういない主の代わりに。
 ただ、姫のためにあればいい。
「くそまじめめ。すこしは肩の力を抜いて生きた方が、生きやすいのではないか?」
 もちろん、宗員は幸氏の過去を知っている。
「宗員は力を抜きすぎだ」
 ふたりはもう、宿泊中の館へ向かって歩きはじめていた。
 宗員は人の悪い笑みをにやりと貼り付けて、幸氏の背なをばしっとはたいた。
「まあ、いい。まずは『運命の相手』を見物に行こう」
 幸氏はもはや表情を変えなかった。


◇ ◇


「今日はここで一泊する。船が出るのは明日だ」
 旅慣れないささめのために、伯父はゆるめの旅程を組んでくれているらしい。
 船着き場を見下ろせる高台の武家屋敷。そこが彼らの宿泊所だった。屋敷といっても、山の砦とでもいうような無骨な作りで、優雅な趣はまったくない。広さと頑丈さは折り紙付きだ。
 ここの主、浦辺正之もまた、北条とは血縁にあたる。
 通された板敷きの間には、伯父の時定とささめが並んで座っていた。館の主に目通りするためである。
 しかしささめの傍らにある叶野の言動は、時と場所を選ばない。
「・・・明日は、雨だぜ。それも、大嵐が近い」
 ぼそっと、叶野がこぼした。嵐の船出が危険なのは、ささめにだってわかる。
 もちろん叶野の声が聞こえるのはささめだけ。彼のこういった忠告が外れないのも知っているのはささめだけ。
 どうしよう。
 これを口にのせれば、きっと伯父はまた嫌な顔をするに違いない。ささめは躊躇したが、自分だけでなく伯父にとっても身の危険に関わるのだ。
 しかたない。ささめは意を決し、おずおずと切り出した。
「あの、伯父上」 
「うん?」
「その・・・明日の船出は、延ばした方がよいと思います。明日は雨で、嵐が近づいています」
「嵐だって?」
 この日の空は、晴。いくらか雲が遠くにあるが、雨の気配などみじんもない。
 案の定、いやそうな伯父の顔。不吉な予言など、だれが好きこのんで有り難がるだろう? 
 元より得体の知れない姪である。その言葉に動揺するなというのが無理だ。
 しかしあからさまに気味悪がるのもいい年をした武士のすることではない。
「船のことは、船主に任せておけばよい。そなたの口出しなど必要ないわ」
 時定は吐き捨てた。これ以上、この話はしたくない、と言外にありありとしていた。これから現れる館の主に、この姪のあやしさを見せるわけにはいかなかった。
「でも・・・危険です」
「わかった、わかった。のちほどわしから正之どのに確認してやる。だからそなたは口を開くな。よいな?」
「・・・はい」
 ささめは引っ込まざるを得なかった。伯父がどのくらい本気で確認してくれるものか、わからない・・・。
 どうしよう。
 ささめは床板に視線を落とし、形のよいくちびるを噛む。
 このまま船が出てしまうと、嵐に巻き込まれてしまうかもしれない。
 でも・・・何を根拠にと問われれば、何も答えられない。まさか自分の飼っているきつねのようなあやかしに教えて貰いましたなどとも言えないだろう。
 あとはもう、出立の際に、嵐の予兆があるのを祈るしかないのか。
 ああ・・・。
 決断力もなく、伯父を言い負かす強さもない自分がほとほと嫌になる。
 周囲の意見に流された毎日を送るささめにとっては、こんなときどうすればいいかもわからない。正しいとわかっていることですら、押し通せない。その弱さは、罪だ。嵐に巻き込まれるなら、命で弱さを購わなければならなくなる。自分の命ばかりでなく、伯父や船の同行者までも。
 ささめが鬱々と気をもんでいると、足音がこちらへ近づいてきていた。
「――お待たせして申し訳ない。時定どの、ご無沙汰している」
 館の主、浦辺正之。船着き場の管理者でもあるこの武者は、年の頃は伯父の時定よりやや若いくらいだった。武者といえばがさつさを前面に押し出した男ばかりを見てきたが、正之はどちらかというと商人風の、やわらかい物腰の男だった。
 正之はささめたちの前に相対して座ると、ちらりとささめに目をやった。
「こちらが、ささめどのか」
「・・・ささめにございます。このたびはお世話になります」
 ささめは折り目正しく礼をつくした。
「なに、われらは身内ではないか、お楽になされ。遠慮無く滞在なさるといい。しかし、時定どのに、こんなにうつくしい姪御があったとは。ささめどのであれば、御所にあっても、他の女房たちに引けは取るまいよ」
「まだまだ子供で。――御所にあげるには不安もあるのだが、御台さまたってのご希望だ。しかたあるまい」
 先ほどのような戯れ言さえ口にしなければ、自慢の姪とも言えるのに。まじめで出しゃばる心配もなく、口も堅く、うつくしい、御所勤めには申し分ない娘だ。時定はその言葉を飲み込んだ。まあ、鎌倉までにはまだ時間もある。その間に、もう少し教え諭さねばなるまい。
 謙遜というには苦悩のにじむ時定に、正之は何を思ったのか、少し身をよせていくらか声音を落とした。
「ところで、時定どの。実は、鎌倉から客人が」
「なんと」
 そんなことは聞いていない。いったいどういうことなのか。自然と時定の声も低くなった。
 正之は続ける。
「比企三郎宗員どのと、海野小太郎幸氏どの・・・大姫さまのお気に入りだな」
「御用向きは?」
「よくわからぬ。いや、表向きは御台さまのおおせで、ささめどのの護衛に参られたそうだが・・・本当のところは、大姫さまのご内意を得て来られたのではないかな」
「品定め、か?」
 はた迷惑な。ただでさえ時定はささめの素行が気になっている。ご意見番など送られてきてはたまらない。邪魔だった。
 まして、比企宗員と海野幸氏など、時定たちにしてみれば、まったくの若輩。息子のような年頃だ。姫さまのわがままに便乗して、いまいましいとさえ感じられた。
 浦辺正之も、考えはおなじらしい。
「おふたりは古くからの大姫さま付き。何事か大姫さまに言い含められておるかもしれぬ。大姫さまのきまぐれに振り回されるのも何だが、それでも比企や海野のせがれを邪険に追い返すわけにもいくまいよ」
「そうだな。われらがここで気をもんでもどうにもならん。で、おふたりはどちらに?」
「さきほど散策からお戻りだ。ささめどのへの目通りを希望されているが、いま着いたばかりだからと止め置いた」
「そうか・・・そうだな」
「まあ、時定どの。話しはそれくらいにして、すこし休まれよ。夜はささやかな宴も用意している。ささめどのもお疲れだろう。いま、案内させるゆえ、ゆるりとしてくだされ」
 これ以上、ここで顔をつきあわせていても、何も解決しない。
 時定はうなづき、そして、思い出したように訪ねた。
「ところで、正之どの。明日は予定どおり、船を出してもらえるのかな」
 正之は、あっと、手をうった。
「大事なことをお伝えしておらなんだ。明日は船を出せそうにない。波が高くてな。いまは晴れておるが、嵐が近づいているかもしれない」
 打ちのめされたように、時定は眉をひそめた。
「・・・いつごろ、出立できるかの」
 平静を取り繕いながら、目の前の奇異にめまいがした。
「少し様子をみぬと、何ともいえぬな。ささめどのを乗せて、万一があっても困る」
「・・・ああ。わかった」
 伯父たちの傍らで、ささめの顔はぱあっと輝いた。皆の危険が回避できたのがうれしい。
 時定は真逆に顔色がさめていた。心の中では己に言い聞かせていた。・・・ますますささめには、余計な言動を控えさせねばならない。どうしたものか、と。鎌倉でこんな力を他人に知られたら、北条の命取りになる。
 この家の者に案内され板敷きの間を出てから、時定はささめにつぶやいた。
「ささめ。これからは、余計な忠言などしてはならぬ。それが、そなたのためだ」
 鎌倉は、このような田舎とはちがう。
 生き馬の目を抜くような豪族間の争いの中で、北条と、何よりささめ自身を守るには、言動には注意しなければならないのだ。どんなところから揚げ足を取られ、恥をかいたり、失脚したりするかわからない。
 この娘の得体の知れなさ。御台所の政子には包み隠さず報告しているのに、あちらでは信じているのかいないのか、まったく意に介さず出仕をすすめてくる。この先のことを考えると時定は頭が痛い。
「――はい。伯父上」
 はっとして、そのあとしょんぽりするささめの姿は、不憫でもある。
 それでも、本人の奇異を教えてやるのが身内の責任だと時定は信じていた。


◇ ◇


 通された離れ。ささめは庇でぼんやりとしていた。ひとりだった。
 夕刻が近づいている。家人は一番忙しい時間だった。来客が重なったこともあり、宴の準備もある。ささめたちが連れてきた家人も、一時、手伝いに回っているらしい。
 いつもならささめを賑やかしてくれる叶野も、「気になることがあるからよ」と、姿を消していた。もっとも叶野には、こういうことがよくある。いつも必ずささめにひっついているというわけではないのだ。呼べば来てくれるのもわかっている。
 結局ひとりだけすることがなくて。ささめは庭を眺めるしかなかった。
 庭先の白い夕顔が、夕日をあびて淡く紅をはく。
 見事なほどの夕焼け。
 こんなにも晴れているのに、明日は雨なのか。こんなときに嵐がくるなんて・・・まるで足止めされているかのようだ。
「――鎌倉、か」
 だんだんと不安になってくる。
 こんな得体のしれない自分が、周りの人間とうまくやっていけるのだろうか。
 身内とでさえ、しっくりいかないというのに。
 ささめはいつも以上に弱気になっていた。
 やはり出仕など断って、尼にでもなった方がいいのかもしれない。許嫁の弔いに生涯を費やしてもいいではないか。その方がどれだけ心やすく、平穏な日々であるか。
 ゆっくりと向けた視線の先・・・庭の樹木が、かさりと揺れた。
 子どもがいた。
 こざっぱりした格好の、五つ六つくらいの女の子だ。身につけているものから、それなりの家の子どもだとわかる。着物は派手ではないが薄汚れた風もないし、髪もきれいにかむろに揃えられている。妙に白い顔。感情のない表情で、ささめを見ていた。
 ふっと、ささめの口元がゆるんだ。
「・・・どうしたの? 迷子?」
 やさしく、声をかける。自分が辛いときほど、人を労りたくなる。ささめはそういう娘だった。ましてやひとりぼっちで、所在なかったところだ。
 子どもは無言のまま。樹木の影に寄り添っている。
 警戒しているのかもしれない。
「そんなところにいないで、こちらへいらっしゃい。そうだ。お菓子があるのよ」
 子どもは動かない。人見知りなのか・・・それとも。
 もしかして、この子は・・・
 ささめは自分から、子どもに近づいた。草履を寄せて、庇から庭へ降りると、驚かせないようにゆっくりと歩く。
 近づくと、疑いが確信に変わった。
 ――この子、死んでる。
 霊魂のまま彷徨う子ども。見た目は、生きていたころと変わらないのだろう。ただ全体に生気がなく、どことなくぼんやりした印象だ。
 これまでささめの目に映る幽霊は、いろいろな姿をしていた。生きている人間とまったく変わらない者もいれば、体の一部がない者、姿がうすく透けている者、影としか認識できない者など、千差万別だった。それはどうやら、幽霊となった者の、死に際の状況と心根のあり方による影響らしい。
 この子どものように、わりと生前のままの姿をしている者は、自分の死に気づいていない場合も多い。
 ささめは、幽霊そのものは恐くなかった。見慣れていたし、往々にして彼らは悲しい存在だと知っていたから。
 ささめが近づいても、子どもは逃げなかった。
 ささめは腰をかがめて、子どもの視線の高さに自分のそれをあわせた。
「・・・迷っているの?」
 子どもは答えない。
「いつまでもこんなところにいてはいけないわ。ひとりきりで、さみしいでしょう? ――お空の方に、明るい道は見えない?」
 その先がどこへ通じているのかはよくわからないが、それが死者の辿るべき道だとささめは知っていた。
 その道を拒めば、いつまでも地上に縛り付けられてしまう。彼らはふつうの人間の目には映らないし、地に留まれば、あるのは果てしない孤独だけ。
「なにか、心残りがあるの?」
 家族とはぐれたのか、何かを探しているのか。
 子どもの手には、櫛が握られていた。漆塗りの、螺鈿まで施された見事な品だ。まだ新しい。
 すうっと、子どもは櫛をささめに差し出した。
 何か、意味があるのだろうか?
 無意識に、ささめはそれを受け取ろうとした。
 そこへ。
「――やめろっ」
 怒号が響いた。
 小刀がそれを追いかけた。ひゅんと風をきって、小刀は子どもの手をかすめた。
「ぎゃあああああ」
 突然火がついたように、子どもは絶叫した。実体もないのに、小刀はこの子を傷つけたのだろうか? 手に持っていた櫛は、地面に落ちた。
「――だいじょうぶ?」
 ささめは子どもに気を取られた。痛がる様子が不憫だった。
 傷の様子をみようと、子どもに手を伸ばしかけた刹那、太刀がふたりの間を遮った。
「やめろ、と、言っている」
 若武者が、強引にふたりの間に割って入った。
 太刀は子どもに向けられ、ささめは彼のうしろに庇われた。広い背中。褐色《かちいろ》の直垂がささめの視界をおおう。
「・・・あの?」
「安易に霊を構うなっ」
 見ず知らずの男に罵倒されるよりも、ささめには子どもの怪我が気にかかった。
「でも・・・」
「下がっていろ! こいつは怪しい」
 子どもはもう、泣いていなかった。
 にやっと口の端をあげると、すばやく後ずさって若武者と距離をあける。生きている者にはあり得ない素早さ。そして、先ほどまでにはなかった険しい眼差しで若武者をにらんでいる。
「きさま、どうやってこの屋敷に入り込んだ。どうやって結界を越えた?」
 鋭い詰問にも、子どもはたじろがなかった。いや、かえって薄く笑ってさえいた。
「もう、遅いわ」
「何っ」
 にやと気味の悪い笑い。子どもはささめを指さした。
「嫁御はたしかに見定めた。迎えは明後日。支度は何もいらぬゆえ、身一つで参るがよい」
 嫁? ・・・だれの?
「させぬっ」
 若武者は子ども目がけて太刀をふった。
 風の切れる音。
 子どもは軽くかわして、大樹の枝に飛び乗った。嘲りの視線が地面へ落ちる。
「印の品は置いていく。たのしみにしておれ」
 それは、ささめに向けられた言葉だった。
 子どもは次の瞬間、夕暮れの風の中へとけていった。姿がかき消したように消える。
 風だけが吹いた。
 何事もなかったかのように、静寂が戻った。
 印の品って・・・あれ?
 子どもの持っていた櫛が、地に転がっている。
 ささめは引きつけられるように歩み寄ると、その櫛を拾った。軽く埃をぬぐう。見事な品だが、ただの櫛にしか見えなかった。
「――おいっ」
 若武者はあわてて、ささめの、櫛を持つ方の腕を掴んだ。
「狙われているのはそなただぞ! そんな怪しい櫛を拾うな!」
「ご、ごめんなさいっ」
 きつく叱られて、ささめは逃げるように顔を背けた。目をつぶる。
 こわかった。霊よりも、この男の方が恐ろしかった。思えば、男に怒鳴られるなど、ささめには経験がない。だが振り解こうとしても、力でかなうはずもなかった。
 手は、捕まれたまま。ものすごく視線を感じる。
 もしかして――見られている? 
「離してください・・・お願い」
 見知らぬ男に捕まえられている羞恥と恐怖。がたがたと身が震え始めた。
 どれくらいそうしていたのか。
 男は、ぼそっとつぶやいた。
「・・・すまない。櫛を離してくれるか?」
「え? あ、はい」
 ささめは櫛を持つ手をゆるめた。男はその櫛を奪い取ると、ようやくささめを解放してくれた。
 捕まれていた腕をさすりながら、ささめはようやく相手の男をまともに見上げた。
 頭ひとつ分、彼はささめより背が高い。
 まだ若い。すらりとした長身に、すっきりとした褐色の直垂がよく似合っている。きつい細面にうすいくちびる。目元はすずしく、鼻筋も通っている。冷たさの漂う眼差し。突き刺す視線。
 こわい。
 ――それは、戦慄にも似た印象。
 ささめは彼から目を離せなかった。
 心の底が泡立っていく。
 こわい。
 かなしい。
 つらい。
 せつない。
 ・・・いや、そんなことばでは言い表せないような感情が、体中にみなぎっていく。
「なぜ、泣く?」
 男の眼差しから険がとれる。
 言われて初めて、ささめは自分の涙に気づいた。
「あ――いやだわ。どうしたのかしら、私」
 慌てて頬をぬぐう。はずかしい。見知らぬ男に涙を見せるなんて。
 けれど、ささめの涙を乾かしたのは、彼女の手だけではなかった。
 男はそっと手を伸ばして、ささめの目尻に触れた。元より大きなささめの目が、ひときわ見開かれた。
 つめたい指先が、そのつめたさが――やさしかった。
 さきほどの力がうそのような、やわらかな感触。
 この衝撃を、何と呼べばよいのだろう。驚愕のあまり、あらゆる感情がささめの中で硬直してしまった。
 口調を改めて、男はおだやかに言った。
「安心しろ」
 彼自身、自分の戸惑いを閉じ込めるように、あえて冷静をつくりながら。なぜか胸が締め付けられるような、説明のつかない衝動に駆られたのは、彼もおなじだったのだ。
「どのようなあやかしに魅入られようとも、そなたは、必ず守る・・・そうだな、宗員」
 いつからそこにいたのか、比企三郎宗員は離れた庭先からこちらを伺っていた。最初からいたのかもしれない。照れくさそうに、頭を抱えている。
「やっとわしを思い出してもらえたようだな、幸氏。いつ声をかけてよいやら、困っていたところだ」
「戯れ言はよい。それよりも、この櫛・・・何とかならんか?」
 幸氏はささめから離れると、宗員の側へ向かった。
 それを合図に、ささめもまた、自分の内側の思いから、現へと引き戻される。
 もうひとりの男の出現に、ささめは奇妙な居心地の悪さに襲われた。すべて見られていたのだろうか。
 有髪のお坊さまと若武者・・・奇妙な取り合わせのふたり。
「何かの目印か。呪具、という感じはしないな。経筒にでも封じておくか。とりあえず預かろう。・・・くそっ。この館の結界も張り直さないとな」
 宗員は櫛を受け取り、袂から経筒を取り出すと注意深く押し込め蓋をする。短く経文のようなつぶやきと共に。
 このひとたちは、いったいだれ?
 田舎には不似合いな精錬された気配。一種、清冽な風貌。
 彼らが伯父たちの話していた、鎌倉からの客人なのだろうか。
 そのとき、ふと、風とは違う感触がささめの頬に触れた。
「――どうした、ささめ。だれかにいじめられたか?」
 ささめの肩にちょこんと、叶野が乗っていた。戻ってきたのだ。
 叶野はめざとく、ささめの頬に残る涙のあとを見つけていた。
「叶野! どこに行ってたの」
 ささめは安堵のあまり声を出した。
「うん? 何かあったのか?」
「何かっていうか・・・私にもよくわからないけど・・・」
 どこから説明したものだろう。しかしささめは、男たちの視線に気づいて、話しを止めた。
 ふつうの人に、叶野は見えないのだ。独り言をくりかえす変な女と思われかねない。
 だが、ささめの心配は杞憂だった。
「・・・宗員。きさま、結界ひとつまともに張れずに、ここまで何をしにきたのだ」
 幸氏は低くののしった。
「おおっと。すまん、どこかにほころびがあったのかもしれぬ」
 おかしいなあ、と繰り返しながら、僧形の若者は誤魔化し笑いをしていた。
 もしかして、彼らには、叶野まで見えているのだろうか。
「あの・・・おふたりとも、見えるのですか?」
 叶野を庇うように抱きしめる。彼らが、あやかしに対して寛容にはとても思えなかったからだ。
「そのケダモノのことか」
 そっけない若武者。僧形の若者の方が、愛想はすごくよかった。
「見えるとも。何じゃ、それはおぬしの護法か?」
「友達です」
「ふーん。見たところ、大した力もないようだが・・・友達は選んだ方がよくはないかのう」
「よけいなお世話だ!」
 怒鳴ったのは、叶野だった。ささめの腕のなかで暴れている。
「ちょっと目を離すとすぐに、へんな虫が寄ってきやがる。やはりささめには、おれさまがついていないと駄目じゃないか」
「虫って、叶野・・・失礼よ。助けていただいたんだから」
「助けられたって?」
「なんだか、ちょっと変わった霊がいて・・・」
「襲われたのか?」
「いや・・・襲われたというか、言いがかりをつけられたというか・・・」
 ささめは口ごもった。
 言いにくい内容を宗員が代弁してくれた。
「その娘さんを嫁に欲しいとさ」
 宗員の口調は、どこまでも陽気だった。
 予想に反せず、叶野は低く唸った。
「嫁? ささめをか? どこのどいつだ、おれさまの許しもなく」
「生きた人間ではないのじゃろうな。ご本人は現れなかったが、使いらしい子どもは明らかに生者ではなかった。そんなものを寄越してくるヤツの正体が何なのか・・・死霊か、どこかの妖怪のたぐいか・・・妙なやつに目をつけられたな、娘さん」
 口調も態度も不敵で鷹揚だったが、宗員のまなざしは探るようにささめと叶野を見つめていた。
「死んだ人・・・?」
 ささめの中に、こつんと冷たいものが落ちた。
 死んだ人の、求婚? まさか・・・でも・・・。
「心当たりでもあるのかい?」
「許嫁が、亡くなっています。でも・・・もう、一年前で」
 浮かぶ彼の顔。でも、そんな、まさか・・・。
 困惑するささめを、幸氏はただ、無言で見つめていた。