くだん姫

「おまえの大事なひと、このままだと死んでしまうよ?」
 姫は、告げた。
 傍らに控える若武者は、海野(うんの)小太郎(こたろう)幸氏(ゆきうじ)。幼いころから鎌倉に仕え、この姫を守ってきた。
「わたしにとって大切なのは、姫さまだけです」
 幸氏の声に、感情はない。熱が感じられない。
 怜悧で見た目も涼しげな彼は、ともすると酷薄な印象さえある。若いくせに、近寄りがたい男だった。
「ふうん。そんなこと言って、あとで後悔するかもしれなくてよ」
 含みのある笑い。
 くすぐるような嘲笑を、しかし幸氏はつめたく受け流した。
「見知らぬ相手をどのように案じればよろしいのか」
 とぼけているわけではなかった。見知らぬ相手。姫が忠告する対象は、幸氏がこれから出会うはずの娘なのだった。
 顔も、名も、知らない。
 幸氏でなくても、実感を持てるはずもなかった。
「今生で、出会えなくなるわよ。いいの?」
「わたしの一生は姫さまに捧げました。いまさら人並みに恋だの愛だの」
「まったく、おまえは堅物もいいところねえ。それがいいところでもあり、悪いところでもあるのだけど。――こうもきれいに忘れてしまうなんて、つまらない。この世では、まだ出会っていないだけよ。出会えば、きっと愛するようになる。だって、かつてのおまえたちはそのために、共に地獄へ堕ちたのだもの。おまえたちは互いを諦めるよりも、地獄の鬼となってまで恋の成就を願った。閻魔王のご厚意によっていまは現世へ蘇り、共に私に仕える約束で、すべてを許されようとしているのに」
 ・・・姫は、相変わらず奇妙なことをおっしゃる。
 幸氏はこっそりため息をついた。
 姫には子供のころから、不思議がまとわりついていた。
 まわりの人間の秘め事を言い当てたり、未来を予知したり。
 あの世だとか、地獄だとか。まるで神のように人間を俯瞰した言動も、只人にとっては奇異にうつる。
 こうだから、父母に敬遠され、周囲にも恐れられ、不自由な境遇に甘んじねばならなくなるのだ。
 姫はその身分と能力ゆえに、なかば幽閉されているも同然の身だった。
 ほしいものは何でも与えられ、豪奢に埋め尽くされてはいたが、虜囚のように囲われていた。
 すべては周囲が姫の力を必要とし、それを恐れてもいたからだった。
 幸氏が知るかぎり最も高貴で、最も不幸せな方。
 鎌倉に仕えたその日から、今日まで、この姫を護るためだけに生きてきた。
 姫の予言は、かならず成就する。
 この姫が意味もなく、ただいたずらに相手の不安をあおるはずはなかった。
 姫が言うからには、いずれ、まだ出会ってもいないその娘とただならぬ仲になるのかもしれない。・・・期待ではなく、幸氏は淡々と、ただ、そう思った。
 運命の恋。
 それは、甘い響きを持つはずだった。
 けれど幸氏は、夢想家ではなかった。生まれる前の記憶などない。恋など、知らない。
 それに。
 自分にとって、この姫以上に大切な存在は、この世にあるはずもなかった。
 姫が幼いころに出会って、辛いときにいつも側にいて、命をかけて守ってきたのだ。
 この忠誠を超える感情?
 姫の言葉を疑いはしないが、幸氏はむしろそれを恐れた。
 ・・・幸氏の沈黙を、姫は、逡巡と捉えたのだろうか。
 衣擦れの音。姫は跪く幸氏の前に立ち、扇で彼の顎をしゃくりあげた。
 視線がぶつかる。
 揶揄の影はもう、姫からは感じられなかった。
「幸氏。忘れてはならぬ。おまえは、私のしもべ。逆らうことは許されないよ」
 傲慢で、残酷な姫。
 幸氏はこの姫には逆らえない。
「迎えにお行き。あの娘は鎌倉へ呼び寄せた。おまえがあの娘を忘れるなら、それはそれでもよい。ただ、あれも私のしもべには違いない。いずれ役に立ってもらうときが来る。こんなところで死なせるわけにはいかぬ。――守りなさい。私のために」
「はっ」
 姫のためといわれれば、何をおいても従わないわけにはいかない。
 気の重い任務に、彼は赴くしかなった。
 

◇ ◇


 桜が舞い散る。その風の中に。
 ――見て、兄上。あそこにいるのよ。


 夏の日の、まばゆい日差し。木陰には濃い影がこもる。
 ――わからないの?


 紅葉の森。夕暮れの帳に潜むものたち。
 ――大丈夫よ。いつもいるだけよ。


 雪の積もる夜。炎のあかりが届かぬ部屋の隅にも。
 ――私たちを守ってくれているのよ。


 いつもいつもいつも。
 だがその姿は、ささめにしか見えない。


◇ ◇

 
 きびしい残暑も、夕暮れになればいくらか和らいできた。
 風に混じる涼が、やさしく首筋をすり抜けていく。
 遠く、ひぐらしの声。
 夕映えに染まる山々をいつまでも眺めていたくて、ささめはゆらゆらと散策していた。
 山間に開拓された水田は、すでに収穫を得ていた。刈り取られた稲が、乾されて薄茶に染まっている。取り残されて、ぽつんと立ちつくす案山子たち。輝くばかりにやさしい、金色の風景。
 ああ・・・この懐かしい景色とも、もうお別れなのだ。
 慰めるような風のやさしさが、かえってささめにはせつなかった。
ざわざわと木々が揺れ、影の中からいくつもの「形」が這い出してくる。
一つ目は、ささめの膝ほどの高さしかない、水に濡れた河童の子供だ。寂しげに、キュウ、と鳴いてささめの小袖の裾を引っぱる。
「みんな、今までありがとう。もうお別れなの」
ささめが屈み込んでその頬を撫でると、冷たいはずのあやかしの肌が、どこか温かく感じられた。
すると、森の奥から一際大きな影がのそりと現れた。古い大木の精とも、山の主ともつかぬ、苔むした大入道のような異形だ。その巨大な一つ目が、哀れむようにささめを見下ろす。
『・・・行くのか、人の子の娘よ』
地鳴りのような声が、ささめの頭に直接響いた。
『東の都は、いまや血の匂いで満ち満ちている。数多の武士《もののふ》の怨念が渦巻き、人の業が新たな闇を生み出す地だ。お前のような脆い魂が行けば、たちまち呑み込まれてしまうぞ』
「でも、私には行く場所が他にないのです」
ささめは静かに、けれど毅然と答えた。大入道は深くため息をつくと、その大きな手でささめの頭上を払うような仕草をした。
『ならば、せめてこれを持っていけ。道中の魔を祓う気休めにはなろう』
 風が吹いた。異形の者たちも、その風にかき消された。
大入道が消えると同時に、ささめの手のひらに、ぽつんと小さな、琥珀色に透き通った木の実が落ちてきた。
異形たちの優しさが胸に染みる。やはり自分は、人間よりも彼らの方がずっと身近に感じられるのだ。
ささめがその木の実を大切に懐へと収めたとき、背後から不意に、聞き慣れたぞんざいな声が降ってきた。
「――ささめぇ」
 呼ぶ声が聞こえる。里の方から走ってくる娘がいた。
 従姉妹のかがりだった。
「もう! いつまでふらふらしてるのよ! あんたの姿が見えないから、父上が不安がってるじゃないの!」
 駆けつけると、肩で息をしながらけたたましく詰るこの幼なじみとも、明日にはお別れだ。
 ささめにとってはもはや数少ない、近しい血縁であった。
「探しに来てくれたの? ごめんなさい」
 小首を傾げるしぐさは無邪気で、さみしげで、ささめは同性から見てもかわいらしく、それでいてはかなげだった。
「ふんっ。なによ、上品ぶって! これから鎌倉に住むからってねえ、気取ってんじゃないわよ!」
「かがり・・・」
 いいがかりである。
 ささめにとっては、気取りもなければ、鎌倉へ行くからといってそれをひけらかす気分にもなれなかった。
 けれども、価値観とは、ひとそれぞれである。
 かがりには、ささめの一挙手一投足、何もかもが気に障るようだった。丁寧なことばも、やわらかい口調も、汚いものなど知らぬげな無垢な眼差しも、そのくせ物静かで滅多に感情を露わにしないところも、日焼けしない肌も、緑がかった滑らかな長い髪も・・・同じ一族に生まれて、同じ土地に育って、互いを身近に過ごしてきたというのに、どこかしらささめには、自分と違うものを感じてしまうのだ。
 年も、出自も、そうは変わらないからこそ、かがりには、ささめに対して素直になれない数々の感情があった。
 若い娘が、京やら鎌倉やら、上流にあこがれるのは世の常。
「ほんとだったら、あんたじゃなくて、この私が、鎌倉の御所にあがったっていいはずなのよ。それを父上てば、あんたじゃなくちゃ駄目だなんて・・・ひどいわよ。娘の私のことなんて、何にも考えてくれないんだから!」
 ささめは、かがりに妬まれているのは、承知していた。
 むかしから、ささめの持つものを何でも欲しがった従姉妹。
 あげられるものは何でもあげてきたから、ささめは執着心のない娘に育ったのかもしれない。あきらめるのは、慣れてしまっていた。
鎌倉への出仕。譲れるものなら譲ってやりたいが、ささめの意思でどうにかできる状況でもなかった。
「そのうち、かがりにだってお声がかかるわよ。私たちが北条の一族だから、御台さまのお声掛かりで行儀見習いにあがるだけだもの」
いまや東国の都となった鎌倉。その頂点に立つ源頼朝の妻・政子は、ささめたちにとって又従兄弟にあたる。元は小さな武士団だった北条が鎌倉で一目置かれているのは、ひとえに政子が頼朝の正妻であるからだった。
御所への行儀見習いは、そのまま北条のための政略結婚への道筋。有力御家人との繋がりを求める北条家にとって、一族の娘は格好の道具だった。傍流であり、家族を失って伊豆に居場所のないささめにまで順番が回ってきたのも、そのためだ。うれしいはずもなかった。ただの駒に過ぎないと、理解していた。
しかし、苦労知らずに育ったかがりは違う。華やかな鎌倉への憧れが強く、絶好の好機をささめに奪われたのが屈辱なのだ。
「父上も母上も、あなたに甘すぎるのよ。そんな冴えない顔で御所へ上がったら、北条の恥よ。せいぜい、身の程を知ることね」
かがりの言葉はいつも鋭く、ささめの心を削っていく。それでも黙って耐えるささめに、かがりはさらに苛立ちを募らせた。
そして――何より。
そう、何より。
「ささめは……やっぱり、兄上のこと、好きじゃなかったのね」
低い、低い声。
ささめは凍りついた。嫉妬以上の憎悪をそこに見たからだった。
反射的に、脳裏にあのひとの面影が差し込む。


 真夏の、日差しのような男だった。
 蝉の声を背負って、かがみこむように、ささめを覗き込む姿。
 木陰で隠れるように、座り込んで泣いていたささめを、最初に見つけてくれるのは、いつも、あのひと。
 まわりの子どもにいじめられたときも。
 父が討ち死にしたと聞いたときも。
 母が病で果てたときも。
 あの大きなあたたかい手が、いつもささめの手を握っていてくれた。
『おれは、おまえをひとりになんてしない』
あのやさしい眼差し。愛おしげな声。それは孤独なささめにとって、暗闇を照らす唯一の光だった。けれど、その時尚はもういない。


かがりの瞳の奥にある、歪んだ敵意がささめを射抜いていた。
「かがり・・・」
「だって、そうでしょ? 兄上はあんなに、あんたのこと好きだったのに! 婚儀だって決まっていたのに!」
 かがりは、ひどく兄を慕っていた。いつも彼の後を追いかけて・・・甘えて。まるで兄とささめの間に入り込むように、いつもいつも側にいた。
「かがり・・・あのひとはもう、いないのよ」
 ひぐらしの声が遠い。しずかな、しずかな夕暮れ。何もかもが赤く染まっている。しずかに、しずかに。
「だからって、あんたも父上もひどいよ! 兄上が死んじゃったらもう、何もかもなかったことにして・・・二親亡くしたあんたを、兄上がどれだけ大事にしていたと思うのよ! あんたが寂しくないように、辛くないようにって、いつもいつもそればかり。なのに、兄上がいなくなったとたん、手のひら返したように鎌倉へ行くなんて」
 わがままではあるけれど、かがりはまっすぐで偽りのない、情の厚い娘だ。
 ささめは従姉妹の憤りを甘んじて受けようと決めていた。
「感謝している・・・あのひとにも、伯父上にも・・・もちろん、あなたにも。父が戦で討たれて、母も病で死んで・・・ひとり残された私を伯父上は、かがりと同じように育ててくれた。その上、あのひとは私を嫁にするとまで言ってくれて・・・いくら感謝しても足りない」
「感謝って、何よ! だからあんたは冷たいっていうのよ! 兄上が奥州で討ち死にしたって聞いても、あんた平然としていたじゃない。兄上はあんなにあんたを好きだったのに・・・ろくに悲しみもしないあんたを」
「――悲しくなかったわけじゃないわ」
 やさしいひとだった。明るくて、快活で。たくましい腕。いつでもささめを庇い、慰めてくれた。あのひとがいたから、ひとりぼっちだと思ったことはない。戦に出るときだって、彼は笑っていた。ささめのために戦うと。手柄をたててくるのだと。いつでも笑顔しか思い出せないひと。
 悲しくなかったわけじゃない。
 泣けなかったのは。
「ふんっ。どっちにしろ、あんたは鎌倉に行くのだし、兄上はもう二度と戻ってこないんだわ。・・・あんたみたいな冷たい女、姿が見えなくなってせいせいする。鎌倉でもどこでも、好きなところに行けばいい」
 かがりはもう堪らないといった様子で、踵をかえした。ひるがえる長い髪。屋敷に向かって駈けていく。
 ささめはそれを見送るしかなかった。かけられる言葉などない。
 かがりの兄は、戦で死んだ。もう一年前の話だ。
 戦から戻っていれば、今頃はささめと婚儀を行っていたはずだった。
 けれど、彼は戻ってはこなかった。激しい戦闘のさなかに行方しれずとなり、それきりだれも姿を見た者がない。
「だって・・・戻ってこないんだもの」
 ぽつり、と、ささめはつぶやいた。
 うつむき、伏せたまつげに陰が籠もる。夕日は薄れつつあり、青白い闇が視界を覆いはじめていた。
 戻ってこなかったのだもの。――戻ってくれば、見えるのに。
 ふるさと最後の日。ささめはもうここへは戻れないのだと改めて身にしみた。
 ここにはもう居場所はないのだ。かがりのように口には出さなくても、家中のだれもが、おなじような気持ちであるのをささめは感じていた。
 だから、鎌倉行きを受けた。
 行きたかったわけじゃない。鎌倉になんて、御所勤めなんて、何の興味もない。
 けれど・・・ここにいるのは、あまりに辛いから。
「ごめんね。――さようなら」
 近くの森の闇を振り返り、ささめは告げた。
 そこには、ささめにしか見えない異形のあやかしたちがいた。


  ◇ ◇


「おれのことはさあ、連れていっておくれよな」
 細いきつね・・・に似たあやかし。ささめの周りをくるくる回りながら彼は懇願する。
「叶野《かなの》はだめって言っても、ついてくるのでしょう?」
 夜半に身の回りの荷物をまとめていたささめだった。
 もっとも、持参するものなどほとんどない。必要なものはすべて北条の総領家で揃えてくれるというし、もともとささめは物持ちでもなかった。ほんの身の回りのものと、父母の形見と。必要なものは、そのくらい。
 昼間あやかしからもらった琥珀の木の実は、お守り袋を縫い、大切にしまい込んだ。
 灯明の火は細くのび、ささめの陰をうつしている。叶野の陰はない。只人には、叶野の姿は見えない。だが多少の勘がよい者であれば、獣のような気配を感じる場合もあるらしい。
 かがりの母がそうだった。伯父の一家はこういうものを見る能力はないようだが、かがりの母は気配を感じる勘のよさがあり、ささめの側には近寄ってもこない。ささめを薄気味悪く思っている筆頭だった。
 もっとも、当のあやかしたちは人間の思惑など歯牙にもかけない。彼らはなぜかささめに懐いていたから、まわりの誰かがささめを苛めようものなら、頼みもしないのに仕返しをしてくれた。物が失せたり、何もないところで転んだり・・・ほんの些細な出来事ではあったのだが、家中の者たちはその異変に気づいていた。いつしか周囲は、ささめを奇異な者として見るようになり、ささめを孤立させた。そうなればいっそうあやかしたちがささめを構う。気づけば、ささめの周りにはあやかしが跋扈する状態だった。
 その過保護集団の筆頭が、一番の古株でもある、この叶野だった。
「もちろん離れるつもりはないさ。ささめが死ぬまで守ってやる約束だからな」
「母上と?」
「まあ・・・おれさまを召還したのはみはりだがよ。約束したのは、おまえとさあ。おれさまは、ささめが気に入ってる」
 みはりというのは、母の名だ。
 母はもともと京の人間で、陰陽師の流れをくむ家の女だったらしい。ささめのやや不思議なところは、この母から受け継いだのだろう。父はふつうの男だった。
 両親の出会いは、京のみやこでのこと。関東の武士たちには、兵役のように、一時の間、京都で警護などを科せられる義務(京都大番役)がある。京でのお役目中に父は公家に仕える母と出会い、愛し合い、母は父の役目が終わったあとこの東国までついてきたのだった。
 そのふたりもすでにこの世のひとではないのだけれど。両親の仲むつまじさは、いまもささめの記憶に残っている。
 平穏で、しあわせだった、遠い記憶。
「ねえ・・・叶野。やっぱり私が不吉な娘なのかしら」
 何度、この質問をしただろう。
 いつの間にか里人に広まっていたうわさ。根も葉もないうわさだと、豪快に笑い飛ばしてくれた許嫁さえ、いまはもういない。
 ・・・あの娘は、不吉だ。側には不可解な出来事ばかりある。そして、親しい者たちは早死にする・・・
 一笑に付すにはささめの周りの怪異は多すぎた。
 最初はささめにいたずらした里の子どもたちが、怪我をした。ひとりやふたりではなかった。それはささめを護るあやかしたちが彼らを罰しただけだが、周囲のおとなにそんな事情は通じない。
 やがて、死者が出た。ささめと親しかった少女。夏の日に、川で溺れて死んだ。熱を出して寝込んでいたささめのために、見舞いの花を摘もうとして足を滑らせたのだった。ささめや取り巻きのあやかしのせいではなかった。偶然だ。けれど、周囲のおとなたちの目には成る可くしてなった怪異としか映らなかった。
 そして、悲劇は続いた。
 平家打倒の戦で討ち死にした父。
 ささいな風邪をこじらせて、あっけなく他界した母。
 圧倒的な勝ち戦であったはずの、奥州征伐で行方知れずになった許嫁。
 父が死に、母が死に、そしてまた、許嫁を失って。もはや周囲のささめを見る目は、あやかしそのものを見る目だった。
 ささめ自身すら、自らの不吉を自覚せずにはいられなかった。そもそも自分がふつうでなかったから、だからこそあやかしたちが見えるのではないか? 
 自分にまとわりつく不吉の陰が、大事なひとたちをつぎつぎと死に追いやってしまったのかと思うと、苦しくて身の置き所もない心地だった。
「ばかだなあ」
 叶野はするすると腕に巻き付き、ささめに顔を近づけた。
「おまえにそんな力はないさあ。ただちょっと、目と耳がいいだけだ。おまえに近づいてくるやつも、みんな気のいいやつさ。やばいのはおれさまが追い払ってやる。安心しろ」
 口のききかたはぞんざいこの上ない彼の正体が何なのか、ささめは知らない。物心ついたときから彼は傍らにいた。
 ささめにとって奇異ではなかった。ただ、幼いころは彼がふつうの人間には見えない存在だというのが理解できなくて・・・それが余計に周囲の者を不気味がらせたのだった。
 他人には見えない何かと楽しげに話す子ども。周囲にとっては、不気味以外の何者でもなかった。
 彼だけではなく、ささめのところには時折異形のものが近寄ってきた。河童やら狢やら、他愛のないいたずらをしてはささめにちょっかいをかける。なぜか、彼らは少なからずささめに興味と好意をもって接してきていた。人間の友達はほとんどいなかったが、ささめには彼らが友達といえなくもなかった。
「叶野って、父親みたいね」
「おれさまはささめが笑ってないと嫌なんだよ。せっかくみはり譲りのべっぴんなんだからよお。機嫌よく笑っていてくれよな」
 ささめは、苦笑した。
 人間で、ささめに好意的だった男は、死んだ許嫁だけだった。同じ土地で、兄妹みたいにいっしょに育ち、いつだってだれよりもささめの味方でいてくれた。大事にしてくれた。彼が望むなら、自分をあげたかった。彼の嫁になって、この田舎でずっと変わらない毎日を繰り返していくと信じていたのに。
 彼は、もういない。
 寄る辺をなくした頼りなさ。あるはずの道を失って、先には空虚な闇しか見えない。
 これから先、自分にも人並みのしあわせがあるのだろうか。・・・しあわせを求めて、よいのだろうか。
「いつか・・・私も、だれかに嫁ぐのかな」
 こんな私を受け入れてくれるひとがいるだろうか。
 北条ゆかりの者として出仕するからには、いずれは豪族間の政略の道具としてどこかへ嫁がされるだろう。
 嫁いだところで、それがしあわせにつながるとも思えない。この不吉の影がいつ相手をおびやかすかもしれず、それがささめを追いつめるかも知れない。愛情を得られる確約もない。もっとも愛情もなく、政略の絆としてただ嫁ぐだけの方が、相手にとっても無難なのかもしれない。不吉の影がおよぶほど近づきすぎなければ、悲劇の連鎖は途絶えるかもしれない。
 しあわせを求めれば、苦しむだけ。ささめはもう、未来をあきらめていた。
「嫁ぐかもしれないし、嫁がないかもしれない。どっちでもいいじゃないか。人間になど、期待するな。ささめにはおれたちがいる。ささめは一生、おれたちと面白おかしく暮らすんだ」
 そう・・・そうだ。
 ささめは、小さく笑った。
 叶野たちは人の理とは違う次元で生きている。彼らと話していると、人間同士のしがらみに捕らわれる必要がないように思えてくる。
 周囲の人間にどれだけ忌まれても、嫌われても、叶野だけは、自分を見捨てない。
 自分には、叶野がいてくれる。
「叶野ったら。まさか、邪魔はしないでしょうね」
 つん、と、ささめの人差し指が叶野の額をつついた。
「ふふん。おれさまの意にかなうやつがいればな!」
「むずかしいわね」
「まあな」
 冗談を言い合える相手があるのはいい。叶野のおかげで、どれだけ救われてきただろう。叶野にはなんでも相談できる。ほしいときに、ほしい言葉もくれる。
 しかし、それでも。
 夕刻のかがりの言葉は、抜けない棘となって心を苛んでいた。死んだ許嫁は、ささめにとって、大事なひとだったのだから。彼のことだけは、きっと一生忘れられない。
 忘れない。
 ふうっとささめの表情からほほえみが消えていく。
「・・・兄上は、どうして戻ってきてくれなかったのかな。戻ってくれたら、私にはわかるはずなのに」
 たとえ、死んでも。ささめには死者の姿も見えるのだから。
 戻ってきてくれたなら、わからないはずがないのだ。
「さあなあ。なんか理由があるのかもしれないけどな。あいつの考えはおれにはわからねえよ」
 ささめに対してはただただ優しいひとだったが、叶野は気に入らないらしい。
「叶野?」
「おっと、誤解するなよ。あいつならささめの夫となっても許してやるつもりだった。残念なんだぜ、これでも。でも・・・ささめはもう、忘れなくちゃいけない。死んだものをいつまでも思っているのは、相手にとってもよくないからな。この世に未練を残してちゃあ、あっちの世界に行かれない。やつの足を引っ張っちゃいけないんだ」
 だれかを失うたびに叶野に説かれていた。だからささめは極力悲しまないように努力していた。
 知らせをきいたその日は、信じられなくて、泣けなかった。だって、会いに来てくれなかったから。
 両親でさえ、最後には一言告げるために自分をおとなってくれた。それなのに・・・あのひとは。
 いつまで待っても、彼は現れなかった。生きているのかもしれないと希望を抱いてしまうほど。彼の直垂を身代わりに弔いをしても、まだ信じられなくて。
 ささめは途方にくれていたのだ。それほどに彼を頼りにもし、支えとしていた。
 かがりの言うように、恋ではなかった。家族のように思っていた。結婚を承諾したのは、他にすべきことも行く道もなかったからだった。
 あのひとはささめを大事にしてくれた。
ささめにとって、彼は穏やかで、大切な存在だった。失ったいま、心のどこかにすっぽりと穴が空いたようにむなしい。眠れない夜が幾夜もあった。
 死者に執着しつづけてはいけないのに。
 執着は、現世にしばりつける鎖となってしまう。死者がどこへ行くのか、このときのささめにはよくわかってはいなかったが、それでもこの世に留まれば不幸でしかないと知っていた。
 生者と死者の世界は、別たれている。
 生きている者は、せいいっぱいその生を全うしなければいけない。無為に過ごすのは自分と、天命を愚弄するものだと母は言った。
 だから・・・ささめは強くあろうとした。鎌倉へ行けというなら、そうしよう。そこに何が待っていようと、自分は歩いていかなければいけない。
 頼るべき「家族」はもう、いない。
 自分は生きていかなければならないのだ。命があるかぎり。
「――おい。これ以上ささめがぐだぐだ悩むなら、あの小生意気なかがりにお仕置きしてくるぞ?」
 おまえを傷つけるやつは、ゆるせん。
 叶野のつぶやきが剣呑に響いた。
「やめて」
 ささめは慌てて叶野を捕まえて、抱きしめた。
「遠慮はいらないぜ?」
「してないわ。もう周りに手を出すのはやめてちょうだい。そんな必要、ないんだから。かがりは私にとっては、数少ない身内なのよ。それに・・・もしかしたら、もう会うこともないかもしれないし」
 鎌倉へ行けば、もう滅多に顔をあわせる機会もあるまい。分かり合うのは無理だとしても、これ以上かがりを傷つけたりしたくない。
「ささめは、ほんとうに、お人好しだな」
 叶野は呆れつつも、そんなおだやかで、すこし気の弱いささめが大好きだった。
「そんなんじゃないわ。私の方が、かがりをいっぱい傷つけてきたから・・・それに、私には叶野がいるもの」
 だいじょうぶよ。
 ――この先に、何があろうとも。
 叶野がいれば、孤独ではない。
 いつまでもいっしょにいるのだと、このときは信じて疑わなかった。