贄月と桜の契り


 桜真たちの住む門前町、人ならざるモノたちが時守町(ときもりまち)と呼ぶこの町は、時神(ときがみ)の屋敷を中心にして東西南北に広がっている。
 まず二人が向かったのは、その西側、食事処が特に多く集まっている地域だ。もう夕飯時は疾うに過ぎているが、道行く影は多い。これから一日を始める者たち、すなわち夜の住人だ。提灯や電灯、店から漏れ出る明かりに照らされていることもあって、美乃梨の目にも彼らの姿がよく見えた。

「あまり離れぬように」
「は、はい」
 
 進んで案内を受け入れた美乃梨だが、恐怖心が無くなるわけではない。その手は無意識のうちに桜真の袖を掴む。桜真はそれに言及することはなく、当然のように受け入れていた。

「あら桜真様。この時間に珍しい。偶には一杯どうです? 美味しいお魚が入ったんですよ」

 声を掛けてきたのは、すぐそばの暖簾(のれん)から顔を出した女性だった。女性の化粧も髪型も現代とさして変わらない。京都のような伝統的な佇まいの店には『(たれ)(かれ)亭』と書かれた看板があって、ちらりと見える店内は大小様々な影で賑わっていた。
 ――人間、なのかな? 綺麗な人……。
 
「すまない、今は彼女に町を案内しているところなのだ」
「あら、可愛いお嬢さん」

 美乃梨が桜真と女性のやり取りをぼんやり眺めていると、不意に意識を向けられた。慌てて挨拶をしようとして、息を詰まらせる。

「あら、驚かせちゃった? 私ろくろ首なの。名前は(れん)。よろしくね」

 店内から首だけを伸ばし、蓮は微笑む。堕霊(だりよう)と呼ばれたヘドロの化け物と違って歪さは感じられない。まるで普通の人間とのやりとりのようだった。

「あ、あの、よろしくお願いします。美乃梨です! えっと……」

 美乃梨が桜真をちらりと見たのは、人間だと言って良いのか分からなかったからだ。妖の世界に迷い込んだ人間がそうとバレて襲われるのは、物語としてよくある展開だという認識を彼女は持っていた。

「あら、この美味しそうな匂いは、稀血の子? ここまで濃い子は初めてね」

 ――美味しそう……。
 美乃梨が一歩引きそうになったのも、無理のないことだろう。それでも踏みとどまったのは、蓮に悪気が無さそうに見えたからだった。

「桜真様、ちゃんと守ってやってくださいよ? 小物はお(つむ)が弱くていけないんだから」
「ああ、当然だ」
「あら、あらあら、ふぅん。そういう……」

 何か得心がいったように蓮はにんまり笑みを作る。美乃梨がどういうことかを聞こうとして、その前に蓮がハッと表情を変えた。
 
「あら、ごめんなさいね、旦那に呼ばれちゃった。うふふ、また食べに来てね」

 美乃梨にはそれが人の良さそうな笑みに見えた。悪意も、嫌な好奇心のようなものも、欠片も感じられない。これまでの経験とはまったく違って、たまたま出会った友人の家族と話しているときのような感覚だった。
 時守町に来たときとは違った奇妙さを覚えながら、また歩き出す。桜真の袖を掴む手はいつの間にか力が緩んでいて、殆ど添えているだけのようになっていた。

「今の店は夕食とあやかし向けの軽食を出している店だ。人間ならば、魚や酒が欲しくなった時に行くと良い」

 そうか、食生活が違うのか、と美乃梨は別の所で納得しながら頷いた。

 桜真は大通りをある程度進むと、脇道に逸れるよう促した。脇道といってもそれなりに大きな道だが、それまで通っていたところに比べれば落ち着いている。道行く影は疎らで、客を呼び込もうとする商売人の声も聞こえない。
 そのまましばらく進むと、食事処の類いは殆ど見られなくなって普通の家らしき建物ばかり並ぶようになった。明かりももう殆ど見られない。桜真の出した光球がなければ月明かりのみを頼りにしなければいけない程には暗かった。桜真の袖を掴む手には、再び力が入っていた。

「この辺りは居住区、特に時の神である(ぬし)様に仕える者たちが多く住んでいる地域だ。公園等も多い」
「桜真、さんもこの辺りに住んでいるんですか?」
「家自体は北側の最も主様の屋敷に近い場所にある。だが基本的には、主様の屋敷内に与えられた部屋で過ごしている。それと、桜真で良い」

 やっぱり偉い人なんだ、と考えると、美乃梨はつい足を緩めてしまった。そんな彼女に合わせて、桜真も歩幅を小さくした。
 
 美乃梨がふと見上げると、月に僅かな雲が差していた。外の世界とまったく変わらぬ光景に美乃梨の未だ固い心も落ち着いてくる。そうすると、僅かな違和感にも意識が向けられるようになった。

「……笛の音?」
「ああ、そういえば今日は祭りがあったか。主様の用事もそれであろう」

 桜真が交差点で足を止めて、美乃梨の方を見た。

「この先の公園へ案内するつもりであったのだが、どうする、祭りへ行くか?」
「えっと、じゃあ、お願いします」

 美乃梨も人ならざるモノたちの祭りに興味があった。
 人の祭りと言えば、神に安全や豊穣を祈るものであったり、無事や豊作を感謝するものであったり、祖霊を迎えるものであったりと様々だ。
 (いず)れにせよ人ならざるモノとなった祖先や神にまつわるものである。それを人ならざるモノ自身が行うならどうなるのか、美乃梨の関心はそこにあった。

 祭りの会場に近づくほどに笛の音は大きくなり、太鼓の音も混じってくる。頭上にはオレンジ色にぼんやり光る提灯が見えるようになってきていて、道沿いには紙垂(しで)が連ねられ始めた。
 
 次第に人ならざるモノたちの数も増えていき、屋台も見え始める。人型の影は多くないが、それでも美乃梨は自分の知る祭りと同じような雰囲気を感じた。

「外の神社で人間たちがやっているのを真似て始めたものだ。美乃梨の知るものとそう変わらないだろう」
「そう、なんですね……」

 安心したような、残念なような、何とも言えない感覚を美乃梨は覚えた。

「せっかくだ。屋台も覗いていくか?」
「はい!」

 感慨については兎も角、先ほどから匂ってくる甘い香りが彼女の胃袋を刺激していた。このような非日常であっても、よく知る食べ物の香りにお腹を空かせてしまうのは不思議な話では無いだろう。

 美乃梨は周囲に視線を走らせて、匂いの出どころを探す。その出どころ、人形焼きと右から書かれた屋台はすぐに見つかった。
 思わず前に出た彼女を、桜真は微笑まし気に追う。屋台で生地を焼いていたのは、白い毛の狐だった。狐は柔らかそうな毛並みの上に作務衣(さむえ)を纏っており、獣の手で器用に串を扱っていた。

「おや、桜真様。主様の付き添い、という訳ではなさそうですね」
「ああ。主様を待つ間に彼女の案内をしようと思ってな」
「ほう、これは珍しい者をお連れで」

 狐は美乃梨をちらっと見ると、軽く礼だけしてすぐに桜真へ視線を戻す。珍しいのは人間なのか、稀血とやらなのか、どちらだろうと考えながら、美乃梨はお辞儀を返した。

「主様はまた外の祭りを眺めに行っておられます。まあ、その内戻られるでしょう」

 外とは人の世のことらしい。大通りの端に美乃梨たちの入ってきたのと同じような入口があって、その先にはまた別の時守神社があるのだと桜真は言った。
 
「本当に祭りのお好きなお方だ。お前もすまないな、担当外の仕事をさせてしまって」

 労う声に狐は、手を動かしたまま笑顔を返す。そこに取り繕ったものは見られない。

「いえいえ、案外これが楽しいんですよ。それより、桜真様も食べていかれますか?」
「ああ、元祖の十五個いりを一つ貰えるか?」

 美乃梨がよく見ると、元祖の他に(そな)え、生気、瘴気等とあった。さすが神域、と本人もよく分かっていない感想を漏らしながら、彼女は視線を鉄板の方に向ける。違いは、美乃梨にはよく分からなかった。
 
「はい。お嬢さんに渡せば良いですかね?」
「ああ」
「はい、それじゃあ稀血のお嬢さん」

 受け取った紙袋の熱に、美乃梨はつい笑みを浮かべる。彼女は祭りの屋台で、人形焼きが一番好きだった。幼いころはいつも祖母にねだっていたものだと、懐かしさも抱く。

「あ、お代は要りませんよ。桜真様にはお世話になってますからね」
「いいのか?」
「ええ、はい、勿論です。その代わり、今度外の仕事があった時はお土産期待してますね」

 美乃梨は、狐へのお土産は油揚げだろうか? なんて考えながらちょうど来た次の客の鬼に場所を譲った。