贄月と桜の契り

◆◇◆

 障子の隙間から差す光に照らされて、美乃梨はハッと目を開いた。勢いよく起こした上半身はすっかり馴染んだ布団を跳ね上げて、心地よい外気が彼女の火照った体を冷やす。

 いつもの朝だった。
 先ほどまで見ていた夢の影響か、美乃梨の全身は汗に濡れ、息も荒い。心臓も未だに煩い。しかし聞こえるのは雨音ではなくて、小鳥の歌う声ばかりだ。

 美乃梨はほっと息を吐いて、もう一度布団に倒れこむ。それから額に手の平を当て、天井をぼんやり見つめた。

「良かった……」

 あれが夢であると確信すると、バクバク鳴っていた心臓も次第に落ち着いてくる。そうすると、汗ばんだ不快さも思いだした。

「美乃梨、起きているか?」

 突然(ふすま)の向こうから聞こえた声に美乃梨は跳ね起きる。しかしそれが桜真の声だと気が付いて、力を抜いた。

「どうした?」
「何でもない! 桜真こそどうしたの?」
「ああ、伝言を預かってな。明葉(あかは)が少し手伝ってほしいそうだ」

 すっかり馴染みとなった店の店主の名前を出されて、美乃梨は首を傾げる。時折会って茶をする程度に仲の良い相手だが、彼女が美乃梨に手伝ってほしいことになど心当たりはなかった。
 ――私の体質を使うにしても、明葉さんも似たようなことできるしなあ?

 たしかに神の稀血故、美乃梨は育てる植物に強い影響を与えるが、林檎の木の精霊である明葉も同じことが出来る。わざわざ美乃梨を呼び出す理由がない。
 一応もう一度首を捻ってみるが、やはりそれらしい心当たりは出てこない。ともかく行ってみれば分かるか、と考えて、承諾の返事をする。

「……とりあえず、水浴びしよう」

 スマホのカレンダーが示す日付は、九月二十四日。秋晴れの空の下、神社の居住区域の片隅で、赤いコスモスが沢山の花を咲かせていた。

 二時間後、美乃梨は一人、時守町(ときもりまち)へやってきていた。桜真は私用があると言って、珍しく付いて来ていない。
 
 慣れた道を歩いていると目的の店はすぐに見えてくる。普段なら『草木と農具の店 紅玉』と書かれた看板が通りに向かって置いてあるのだが、今は見つからない。今日は店を閉めている、という合図だった。

「こんにちはー?」

 しかし今日はここの店主に呼び出されているのだ。普段ならば諦めて引き返すところで、美乃梨は店の入り口に手を掛ける。中はいつも通り緑に溢れ、土と植物の香りで満たされていた。

「あ、来た来た! みのりんこっち! 入ってきていいよ!」

 明葉は何かの準備をしていたようで、店の奥、農具の置いてある辺りから顔を出した。彼女は人間の肘から先ほどしかない小さな体で、めいっぱい手を振る。その勧めるままに美乃梨が奥へ進むと、スコップの他、布とロープ、それに大きめの鉢植えが一つ用意されていた。

「それで、手伝ってほしいことって?」
「ちょっと試したい事があってねー。予想が正しかったらだけど、みのりんの力が必要なんだよねー。あ、スコップだけお願い!」

 明葉は鉢植えに布とロープを入れると、浮かせて入口に向かう。けっきょく何かは教えて貰えていないが、変なことをさせられはしないだろうと美乃梨は後を追った。

 明葉は鼻歌を歌いながら、町の北東部を目指しているようだった。道中で美乃梨が行き先について聞いてみても、秘密、と笑って答えない。悪戯っぽい彼女の笑みに、美乃梨はすぐに聞き出すことを諦めた。
 ここ最近調子はどうだとか、桜真と上手くやれているかだとか、雑談に矜持ながらのんびり歩く。その緩やかな上り坂になった道に、美乃梨は見覚えがあった。
 ――あ、あの階段って……。

「あの上だよ!」

 手すりの無い少し急な階段を昇ると、秋だというのに満開の花を咲かせた桜の巨木があった。いつか桜真と見た御神木だ。

時桜(ときざくら)……」
「あっ、もしかして来たことあった?」

 明葉が美乃梨の前に回り込んで首を傾げる。美乃梨は彼女が自分を驚かせたかったのだと悟って、知らなかったフリをするか一瞬迷った。

「……うん。前に桜真が連れてきてくれたの」
「あー、そっかー。桜真様に先を越されたかー。残念!」

 明葉は分かりやすく項垂れてみせると、すぐに顔を上げて、桜真様なら仕方ないと笑う。それから時桜の根元まで一気に飛んで行った。

「みのりん、根元の近くの土を鉢植えに入れてくれない? いっぱい!」
「分かった。同じところからで大丈夫?」
「うん!」

 美乃梨がスコップを土に突き立てている間に、明葉は桜の枝の方で何かをしていた。若草色の瞳がいくつかの枝の間を行ったり来たりしては何かをじっと見つめ、また別の枝と枝の間を飛び回ってを繰り返す。
 ――何してるんだろう?

 鉢が土でいっぱいになってもそれは続いていた。かと思ったら、明葉は何かに納得をして一つ頷き、精霊術を発動する。

「えいっ」
「あっ」

 気の抜けるような掛け声だったが、その結果は美乃梨が声を出してしまうに十分なものだ。御神木だという時桜の枝がいくつか折れ、美乃梨のいる辺りまで飛んでくる。

「大丈夫なの?」
「うん、桜真様経由で時ノ主(ときのぬし)様の許可はいただいてあるから」

 だったら大丈夫か、と美乃梨は視線を折られた桜の枝に移す。枝は宙にふわふわ浮かんでいたが、何かが抜け落ちていってるようにも見えた。

「あ、ちょっと急いだほうが良さそう。みのりん、この布に神力を込めてくれない? 守るぜ! て感じで」
「うん。……これでいい?」
「完璧!」

 明葉は美乃梨の神力を込めた布とロープで桜の枝を包んだ。すると何かの流出が止まる。それを見て美乃梨が思いだしたのは、時桜が時神の影響を受けたものだということだった。

「もしかして、神力が抜け落ちてた?」
「そうそう! だから神力で保護しなきゃだったんだけど、神使様がたは忙しいじゃん?」

 時神に頼めないのは言うまでもない。
 となると、美乃梨が気軽に頼めて神力を扱える唯一の相手になる。彼女の存在は、明葉からすれば渡りに船だっただろう。

「土も十分だね。じゃ、帰ろっか!」
「もういいの?」
「うん! あとはお店でやるから!」

 まだ頼みたい事はあるということで、二人そろって『紅玉』へ戻る。明葉のやりたいことは、帰路で美乃梨も知った。
 『紅玉』に着くと、初めと同じように奥の農具が置いてある辺りに採ってきたものを広げる。ここが一番床が広かったからだ。

「枝だけってことは挿し木で増やすの?」
「うん。別の御神木だけど、接ぎ木じゃ土台の桜が負けて枯れちゃったんだってー」

 なるほど、と思いながら美乃梨は明葉の作業を見守る。彼女は時桜の根元から集めてきた土を小分けにして、別の土と混ぜているようだった。

「あ、みのりん、こっちの二つに神力混ぜてくれない?」
「どれくらい?」
「ん-っと、こっちが布に込めたのと同じくらいで、こっちがその半分!」
「うん、了解」

 肘から上程の身長の明葉と並んで土いじりをしていると、美乃梨としては子供と公園で遊んでいるような気分になってくる。話す内容はずっと年上だと分かるものなのだが、話し方もあって、美乃梨は必要以上に(かしこ)まらずに済んでいた。

「まあこんなものかなー」

 混ぜた土はさらに小分けにして小さな鉢に入れられ、採ってきた枝を挿される。本来は予め根を生やさせておく作業があるのだが、そこは植物系の精霊の力で解決していた。

「これで根付けばいいんだけどねー」

 美乃梨も明葉と並んで、鉢の中を覗き込む。それらは一見すれば、普通の桜の挿し木とあまり変わらない。

「これ、何のためにしてるの?」
「興味本位だよ? まあ、何かの役にも立つかもしれないけどねー」
「ふぅん……」

 美乃梨は、明葉のニコニコ顔を横目に見ながら、実験が上手く行くことを願った。