贄月と桜の契り


「いらっしゃーいって、有名人さん! 桜真様も!」

 声の主は美乃梨の右手側、蔦に覆われた暗幕の先から現れた。
 彼女は真っ赤な髪で、若草色の瞳を持った少女の姿をしていた。その収まる目は猫のようでぱっちりとしており、美乃梨の視線と同じくらいの高さにある。しかし足があるのも視界の内だ。彼女の身長は、人の腕の肘から先ほどしかなかった。

「可愛い……」
「うん? 私? ありがと!」

 赤髪の彼女は宙に浮いたまま美乃梨の前までやってくると、にっと笑った。葉っぱを縫い合わせて作ったような服も相まって妖精のような印象を受ける。思い出したのは誰もが知る童話のそれだ。

明葉(あかは)、農具とこの時期から植えられる種か苗かを見繕ってほしい」
「おっけー。美乃梨さんが使うんだよね?」
「ああ」

 明葉の口から美乃梨の名前が出たのは、特に驚くことではない。
 神域の主たる時神の使いの中でも、筆頭的な立場にあるのが桜真だ。その伴侶ともなれば、ひと月もかからずにその名を知らない者はいなくなる。さらに二ヶ月もあったのだから、美乃梨自身もその状況に慣れてしまっていた。

「軽い方がいいよね。んー、じゃああれと……、あっ、美乃梨さんってやっぱり神術使うの?」
「はい。まだ簡単なものだけですけど」
「固い! もっとテキトーで良いよ!」
「えっと、はい、じゃなくて、うん」

 明葉は満足げに頷くと、うんうん唸りながら術を行使した。それは離れたところにあった種や農具、苗を浮かせて、彼女らの下へ運ぶ。神術とは異なった雰囲気を感じて、美乃梨は桜真の方を見た。

「彼女は林檎の木の精霊だ」
「じゃあ精霊術なんだね、これ」

 美乃梨は桜真が神術以外の術を使っているときのことを思い出す。彼のそれと明葉の精霊術が微妙に別物らしいことは彼女にも分かった。
 ――桜真は精霊じゃないんだ……。妖でもないみたいだし、なんなんだろう?

 この三か月で美乃梨が関わってきた中で、桜真と同じ存在らしき者はいない。精霊まで違ったとなると、いよいよ桜真がどういった存在なのか分からなくなった。
 とはいっても、それで二人の関係が変わることは無い。どうしても分からなかったら聞くことにして、美乃梨は意識を明葉の方へ戻す。

「こんな所かなぁ? ねえ、どう?」

 ちょうど選別を終えたらしい。彼女と美乃梨たちの間にいくつかの農具と、何種類もの種の袋や苗木の生えた土塊(つちくれ)が浮かんでいる。
 美乃梨はその内で、一番重そうな農具を手に取ってみた。彼女もよく見慣れた形の鍬だ。

「あ、軽い」
「でしょ? ちょっとした(まじな)いがかけてあってね、実際はちゃんと重さがあるから、土に入らなくなるってことは無いよ」

 明葉は胸を張って自慢げだ。
 美乃梨はその姿に微笑ましさと懐かしさを感じつつ、鍬を石の床に置いてみた。体感としてはビニール傘を持っているのとさして変わらない印象だったが、床はゴンっとしっかり重量を感じさせる音をたてる。

「造りは人間の使ってるのと同じだから、気をつけなきゃいけない所もだいたい同じ。(まじな)いの印がここら辺に刻んであるから、そこが削れないようにだけしてね!」
「分かった。ありがとう。……種と苗は、全部野菜か果物?」

 少し子供っぽい雰囲気に反して、明葉の説明は丁寧だ。美乃梨は以前、精霊は生まれた時から殆ど内面的な性質が変化しないと聞いたのを思い出した。

「そ! あ、花も欲しい? じゃあ、この辺とかどう? 私の髪と同じ赤い花を咲かせるの!」
「コスモス……。じゃあ、これで。あと、ここら辺の野菜も」
「おっけー」

 美乃梨はけっこう多くなったなと財布の中身を確認する。生活費は桜真に貰っているが、人ならざるモノたち独自の単位がある訳ではなく、基本的に日本円が使われていた。

「お会計は二千円で!」

 明葉の立てた指の本数に美乃梨は首をかしげる。Vの字を作る本数では、どう考えても足りる量ではない。
 
「安すぎないか?」
「ほら、初来店記念のサービス? あと、みのりん、良い匂いするし」
「そうだな。ならばその好意は有難く受け取ろう」
 
 美乃梨としては突っ込みたいところが幾つかあったのだが、桜真はさもおかしな事はなかったと言わんばかりに話を進めてしまう。美乃梨は、こういう時は諦めるのが吉だと思考を放棄して、三つに折れた札を二枚差し出した。

 明葉はまだまだ話し足りない様子であったが、別のお客が来てしまったため二人はすぐに『紅玉』を後にする。
 
「今度遊びに行くねー!」

 店の前で叫ぶ彼女へ美乃梨も手を振り返してから、少し先で待つ桜真へ追い付いた。買ったものは桜真が持ってくれている。かなりの量があるはずだが、彼には軽いものらしい。特に苦労した様子もなく片手にぶら下げていた。

「可愛い人だった」
「彼女は何百年経ってもあの調子だな」

 みのりんかぁ、と呟いた美乃梨の表情は緩んでいて、明るい。
 脳裏には、小さな体を目いっぱい動かして手を振る明葉の姿があった。

「そういえば桜真っていくつなの?」
「私か? そうだな、五百は数えているが、実際の所は分からない」
「そうなの?」

 長く生きている相手だ。美乃梨もある程度は曖昧な答えになると考えていたが、想定以上に不確かなようで、聞き返す。

「ああ。実を言えば、主様に拾われる以前の記憶がないのだ。ある時気が付くと、私は私として、立っていた」

 桜真は少しばかり天を仰ぐ。美乃梨でも、狼の木面越しにはその感情を推し量れない。気にしていないのか、憂えているのか。
 続けて良い話なのかも分からず、美乃梨は俯いた。彼を知れたのは喜ばしいことだが、タイミングを間違えてしまった気がしてならなかった。

「……そろそろ昼時だな。どこかに入ろうか」

 美乃梨がどう続けようか悩んでいると、桜真が話題を変えた。彼女はその気遣いに縋るしか無かった。