「七音ー! 会いたかったー! なあ、今日はパーッと遊ぼうな!」
「うん。分かったから春希、もうちょっと声のボリューム抑えられる?」
高校2年生になって迎えた、ゴールデンウィークの初日。都会の街の真ん中で、オレは久しぶりにあった同士、またの名をライバルの七音に抱きついた。
ライバルと言っても、今となっては“元”だけれど。
「あっ、ごめん! うるさかった? 誰か七音に気づいちゃったかな」
「いや、それなら平気だと思う。ただ、普通にここ外だから」
「たしかに……気をつけます」
「ふ、よしよし。いい子だな」
「っ、うう、七音お兄ちゃん……」
「いや同い年な。むしろ春希のが誕生日は先な」
「それマジ信じらんねぇ」
「俺も同意」
「あは、ひでぇ」
思わず抱きついたオレの背をトントンとたたいてくれたし、よしよしなんて言いながら頭も撫でられてしまった。本当に優しくて、とびきりいいヤツ。おまけに顔は超ド級のイケメンだし、背は180センチを超えているし、この歳にして落ち着いていて大人っぽいし。
なのになんでフラれたんだろうな、オレたち。いや、オレはまあ納得って感じかもしれないけれど。
オレと七音の出逢いは、ちょっと特殊だ。恋愛リアリティーショーの参加者として、その現場で出逢ったのだ。とは言っても、オレは一般の選出枠。どうしても彼女が欲しくて、よく観ていた番組に応募してみたのだ。一方で七音はすでにインフルエンサーとして若者に人気を誇っていて、スタッフに声をかけられたらしい。オレももちろん知っていた、なんならSNSをフォローもしていた。顔を合わせた瞬間に「え! 七音がいる!? なんで!?」と騒ぎ立てるオレが、カメラにばっちり映っていることだろう。
そんなオレたちは、なんと同じ女の子に恋をしてしまった。時には火花を散らし、時には慰めあったりもして。オレも七音も、精一杯頑張ったと思う。でも最後に彼女が選んだのは、また別の男子だった。晴れてカップル成立。数ヶ月後には、オレたちの失恋する瞬間が全国に放送されるというわけだ。オレなんか泣いちゃったから、できればカットしてほしいと願っている。
「じゃあ行くか、カラオケ」
「うん、行こ行こ! オレめっちゃ楽しみにしてた」
「撮影中から行きたいって言ってたもんな」
「へへ。だって、七音と好きなアーティスト一緒だって知ってたから」
「それ聞いた時、すげー嬉しかったわ」
「へへ、オレもー」
駅の近くにあるカラオケ店へと向かう。手続きをする七音のとびきりかっこいい横顔を見ていると、不思議な気持ちになってくる。
こうして今日遊ぶことになったきっかけは、七音が作ってくれた。恋リアから帰ってすぐ、SNSでDMをくれたのだ。あの時言ってたカラオケに行こうよ、って。失恋パーティーでもしようかって。
あの特別な一週間を共に過ごしたとしたって、七音はオレにとってどこか雲の上の人だった。そんな人がオレの何気ない言葉を覚えていて、誘ってくれて。しかも、率先してこの店に予約まで入れてくれた。女の子にフラれたって、オレの人生捨てたものじゃないのかも。なんて思ってしまう。
「春希? 部屋行こ」
「あっ、うん!」
「ぼーっとしてたな? あ、ドリンクバーにしたけどよかったか?」
「へへ、ちょっとね。てか、ドリンクバー大好き!」
「だと思った」
七音に顔の前で手を振られて、ハッと背を伸ばす。くすりと笑って、じゃあ飲みものを取りに行こうと促してくれる。七音がオレにくれるひとつひとつの優しさに、オレは緩む頬を抑えられそうにない。
ドリンクバーに寄って、たっぷりの氷と一緒に飲みものを注ぐ。オレはコーラ、七音はカフェオレを選んだ。トレイを持つ係に立候補したら、七音が「さんきゅ」と言ってくれた。ふふんと鼻を高くしたら、七音が笑った。たったそれだけのことが、すごく楽しい。
「部屋ここな」
「はーい」
薄暗い部屋は、ふたりだから結構狭い。ソファがひとつだけあって、テーブルを挟んですぐそこにモニターが置いてある。七音が扉を開けてくれたから、オレはそのまま奥のほうへと座った。
「春希、お腹空いた? なんか注文する?」
「ううん、オレは平気。七音は?」
「俺はちょっと空いてるけど……いいかな。夕飯のために空けとく」
「確かにそれがいいかもな。せっかくの焼き肉食べ放題だし」
「そういうこと」
今は15時すぎ。夕方頃にはここ出て、焼き肉食べ放題の近くの店に行く予定になっている。なんと、ここも七音の提案で予約してくれた。本当に、フラれた理由が分からない最高の男だと思う。
「じゃあさっそく唄うか!」
「だな。順番は春希が先な」
「え! なんで!?」
「なんでって、カラオケ行きたいって言ってたのは春希だから?」
「それはそうだけどさあ……なんか恥ずかしいじゃん」
「ふ、なんでだよ」
「だって七音だよ? 七音が目の前にいるんだよ? 先には唱えないってぇ……」
七音がSNSで一気に人気を得たのは、なにもビジュアルだけが理由じゃない。その歌唱力が、多くの人の心を掴んだのだ。オレも何回聴いたことか。目玉が飛び出そうな再生回数のうち、オレはなかなかの数を占めている気がするくらいだ。
「別に気にすることないと思うけど。それに俺、今日は唄うよりも春希の聴きたくて来てるし」
「……え、マジ?」
「マジ。すげー楽しみにしてた」
「オレ、下手だって言わなかったっけ」
「言ってたけど、分かんないじゃん。それにオレ、春希の声好きだし」
「……っ、は? なにそれ! 聞いてない!」
「今初めて言ったからな」
「ええ〜……ハードル上がる……」
「いいから早く。じゃあ俺が入れるから、それ唄ってよ。あのアーティストのなら、どれでも唄えるだろ?」
「唄えるけどお……」
声が好きって、なにそれ。生まれて初めて言われたんだけど!? 顔を熱くするオレをよそに、七音は鼻歌を唄いながらリモコンを操作する。そのハミングを、マイクで本気で唄ってくれたらいいのに。
「両想いの歌でいい?」
「いや、ここは失恋ソングでしょ」
「んー、まあたしかに? じゃあ……これにするか」
そんな願いも虚しく、楽曲の予約が完了したようだ。マイクを手に取ると、スピーカーから聞き慣れたイントロが流れてくる。ずっと好きだった子にフラれて、未練を断ち切れない歌だ。うん、オレたちにぴったり。マイクを手に取って、もうどうにでもなれ! と声を張り上げる。
「全然下手じゃないじゃん」
唄い終わると、拍手をしながら七音がそう言った。お世辞だろうと分かってはいるけど、なんだかホッとする。
「そんなことないと思うけど、ありがと」
「あ、照れてる?」
「そりゃ照れるでしょ。てか次! 次は七音の番! オレめっちゃ楽しみにしてたんだからな」
「じゃあ気合い入れて唄うか」
「やった。今度はオレが選んでいい?」
「あ、ごめん。もう入れちゃったわ」
「ええー、マジかあ」
オレがコーラで喉を潤している間、リモコンを触っているなあとは思っていたけれど。リクエストしたい曲が山ほどあるんだけどな。でも七音が唄ってくれるのなら、例え今までは響かなかった曲でさえ大好きになってしまいそうだ。
わくわくしながら待っていると、モニターに表示されたのはやはりオレたちが大好きアーティストの一曲。しかも特にお気に入りの曲で、恋リア中に七音と語り合って盛り上がった思い出もある。最高だ。
この曲はイントロがなく、ボーカルからはじまる。カウントに合わせて息を吸った七音が、甘い歌声をそっとマイクに乗せた。ああ、やばい。集中したくて、目を閉じる。すると耳から入った七音の声が、頭の中で、いや体中に沁み渡っていく。サビにさしかかると熱量の上がった歌詞と声が、ますますオレを包んでいく。
そこでオレはふと気づく。この曲は、失恋ソングじゃない。ひとりの人をひたすら想う、切ない片想いの歌だ。なぜこれを選んだのだろう。目を開けて隣を見ると、七音と目が合ってしまった。
「っ、へ……?」
驚くオレをよそに、七音はオレを見つめ続ける。もしかして、最初からオレのことを見てたのかな。だって七音は、全く動じていない。それどころか、少しずつオレのほうににじり寄ってくる。
「な、七音?」
名前を呼んでも、七音は構わず唄う。あの甘い声で、ラブソングを。オレの目の奥まで覗きこむようにして、好きだ好きだと叫び、どうか振り向いてくれとシャウトする。
歌が終わり、七音はテーブルにマイクを置いた。七音に合わせて後ずさっていたオレの背は、とうとう壁についてしまった。まつげの一本一本が見えそうなくらい、すぐそばに七音がいる。
「春希」
「は、はい……」
「ふ、なんで敬語?」
「だっ、だって!」
「うん、だって?」
「七音が近すぎて、恥ずかしい、から」
口にしてみてハッとする。オレ、今恥ずかしいんだ。鼓動に耳を澄ませてみれば、暴れてるんじゃないかってくらい速い音がする。どうしてオレ、こんな風になってるんだろう。
「へえ。嫌じゃなくて恥ずかしいんだ。じゃあ、押してみてもいいのかもな」
「…………? なにが?」
「春希」
「……はい」
「今も悲しい?」
「へ?」
「あの子にフラれたの」
七音の言葉で、恋愛に情熱を注いだあの一週間を改めて思い出す。みんなとの出逢い、恋の予感、お目当ての子とふたりっきりで過ごすために男子同士で競ったこともあった。全部、彼女を作るためだ。
「そりゃあ、オレ本気で頑張ったし……七音だってそうだろ?」
「俺は……彼女できたらまあ楽しいのかなって思って参加した。でも正直、一週間じゃ恋なんかできなかった」
「え、ウソだ……あの子のためにオレと勝負だってしたし、告白もしたじゃん!」
「そうだな。参加した以上、恋しなきゃってプレッシャーがあったし、女子の中ではいちばんあの子が気が合ったから。でも、終わってみたら違ったなって。だから、今は全然凹んでない」
「っ、じゃあなんで!? 失恋パーティーしようって言ったの、七音じゃん!」
頭がこんがらがる。じゃあなんで、七音はオレとここにいるんだろう。失恋の傷を舐め合うための今日だったはずなのに。
「それは口実。春希に会いたかったから」
「なっ、なんで?」
そりゃあオレだって、七音には恋リアが終わったあとも会いたかった。失恋という共通点がなくたって、だ。あの一週間、男子の中でいちばん一緒にいたし、正直地元の友だちと過ごすより楽しかった。でも七音は? 交友関係の広そうな七音にとっては、オレなんか大した存在じゃなくてもおかしくない。
「んー……言っていいの?」
「…………? どういう意味?」
「俺たち、友だちじゃなくなるって意味」
なんでそんな酷いことを言うのだろう。オレなんか、と思っていたのに。友だちじゃなくなる、という言葉を聞いた瞬間、目がじゅわっと熱くなる。
「な、なにそれ……もう七音と会えなくなるってこと?」
「それは春希次第じゃないかな。俺は毎日でも会いたいし」
「っ、そんなのオレだって! オレだって毎日七音と一緒にいたいに決まってる!」
「ほんとに?」
「ほんとだよ! っ、なんでそんなこと言うんだよぉ……」
辛抱たまらず鼻をすすると、七音がオレの下まぶたに指をすべらせた。そのまま両手で頬を包みこまれてしまう。
「春希を困らせること、言っていい?」
「困らせること? なんだっていいよ、七音だし」
「本当に? ……春希が好きだ、って言うんだとしても?」
「…………? え? それって、どういう……」
「そのまんまの意味。俺、春希が好き」
「……っ、え? 好き? もしかして、そういう意味で?」
「そういう意味で」
「ええ……オレ、男なのに?」
「うん。俺もびっくり。俺、男も好きになれんだな」
「な、なんだよそれ……」
「春希に逢うまで知らなかったから。春希が俺を変えたってこと」
「な……っ」
「なんでも一生懸命なところとか、表情がくるくる変わるところとか。さっきも言ったけど声もだな。全部好き」
「ひえ……」
どうしよう、目の前で起きていることに理解が追いつかない。
あの七音がオレを好き? そういう意味で? ほんとに?
どこかまだ信じられないでいるのに、体がぶわりと熱を持つ。オレの頬を包んだままの七音にも、きっとバレバレだ。
「春希は? 男相手は無理?」
「……か、考えたことない」
「まあ、そうだよな。じゃあこれから考えてみることは?」
「ど、どうだろう……だってオレほんと、全然わかんない。女の子とだって、付き合ったことないし……」
「へえ、そうなんだ。はは、やば。嬉しい」
「う、嬉しい!?」
「そりゃあ嬉しいだろ。好きな子がまだ誰のものにもなったことないんだから」
「……っ!」
うわあ、七音のこんな顔、初めて見た。くちびるの端を片方だけあげて、目を細めるようにしてほのかに笑っている。ものすごく色っぽくて、かっこいい。こんな間近でその表情を見せられて、オレの胸の奥がしびれるように苦しくなる。
「七音……」
「なあ春希、試してみない?」
「試すって?」
「男が無理かどうか」
「……そんなの、どうやって?」
「まだ付き合ったことないんだったら、今回の恋リアが春希にとって初めての恋愛体験って感じ?」
「う、うん。そうだよ」
「じゃああの子とふたりきりの時、どこまで進んだ? 手は繋いだ?」
「……繋いだ」
「へえ……じゃあ俺も繋いでいい?」
「なっ、なんで」
「お試し。春希が嫌ならしない」
「…………」
春希はそう言って、オレの目の前に手を差し出した。その手は今の今まで頬に触れていた手だ。離れてしまったのがさみしくて、オレはとっさにその手を掴んだ。すると七音が、ゆっくりと指を絡めてきた。
「あ……っ。そ、そこまではしてない」
「マジ? じゃあオレが初めてだ」
「うん……え、七音はしたの? 撮影の時」
「撮影の時はしてないな。それで? 嫌な感じはする? 男同士で手繋いで、気持ち悪い?」
撮影の時は、か。そりゃあ七音はかっこいいから、経験があるよな。なんだか胸がモヤモヤする。不思議に思いつつも、繋がれた指をきゅっきゅっと動かしてみる。うん、気持ち悪くなんかない。むしろ……むしろ? その先に続きそうになった言葉に、オレはそっと首を振った。
「えっと……全然嫌じゃないよ」
「マジか。よかった。じゃあひとつクリアだな」
「そう? なのかな」
「そうそう。じゃあ次。抱きしめてもいい?」
「っ、マジで?」
「マジで」
「べ、つに……いいけど。だって男同士のハグとか、普通にあるじゃん。手ぇ繋ぐよりハードル低くない? てか、さっき会った時もオレからしたし」
オレはなにを強がったセリフを言っているのだろう。でもそうでもしないと、平然を保っていられないような気がした。そんなオレを知ってか知らずか、七音がむすっとした顔をする。
「ふうん。じゃあ、するよ」
七音がぐっと近づいて、オレの背中に腕を回した。うん、こういうのやっぱり経験がある。体育祭でクラスが優勝した時に、友だちとやったことがあるな。けれどそう思えたのは、ほんの一瞬だった。
ぎゅっと抱きしめたかと思うと、七音の片手がゆっくりと背をなぞり上げる。かと思えばその手はオレの髪を撫で、七音はオレの首元に顔を埋めてしまった。
「春希」
「あっ」
七音の声が、耳元でオレの名前をささやく。たったそれだけ、そう、それだけのはずなのに。甘い刺激がびりびりと体中に流れる。なんだよ、これ。オレは思わず、七音にしがみつく。
「な、七音」
「ん? なあに?」
「あっ、待った……耳元で喋んな」
「ハグは嫌だった?」
「ばっ、バカ、ダメだってば」
「嫌かどうか教えてよ。嫌だったらすぐ離れるから」
「い、嫌じゃない。嫌じゃないけどっ」
七音が離れそうな気配がして、ぎゅっと抱きしめて引き止める。今離れたら、ダメな気がする。優しい七音は、きっともうオレに触れなくなる。そこまで考えて、ふと気づく。なんでそれがダメなんだろう。七音の気持ちを受け入れられないのなら、それでいいはずなのに。
「けど?」
「……も、もうちょっと。こうしててほしい、って、思っただけ」
「ふ、そうなんだ?」
「……ん」
「じゃあ、春希の気が済むまでこうしてる」
変なことを言っていると分かっている。そもそもこれは、オレが男同士が無理なのかどうかを試しているわけで。それをやめるなということは、そのテストに丸をつけるのとほぼ同義だ。
本当に? そんなこと、考えたことが一度もなかったのに。でも確かに、七音とこうしているのは嫌じゃない。それどころかむしろ……ああ、さっき気づかないふりをした言葉がまた頭に浮かんでしまう。
「なあ、オレ……ドキドキする、んだけど」
「ん?」
「七音とこういうことすんの、ドキドキする」
「春希……」
少しだけ腕をほどいて、七音がオレの顔を覗きこむ。言ってしまった。嫌どころかむしろ、ドキドキする。自分でも自覚したばかりの気持ちなのに、七音にも知ってもらいたくなった。
「オレ、男も好きになれるってこと? それとも、七音のことが好き、なのかな」
「っ、じゃあもっと試してみる?」
「どうやって?」
「んー……キスする、とか」
「っ、キス……」
たった二文字の言葉に、体がぐらぐらと沸騰しそうになる。なんせ誰とも付き合ったことがないのだ、経験なんてもちろんない。
「キス、すんの? オレと七音が?」
「うん。できそう? いや、その前にひとつ質問。春希は、女の子とだったら誰とでもキスしたい?」
「は……んなわけないじゃん。そういうのは、好きな人とするもんだから」
恋リアの撮影中、実はオレにアプローチしてくれる女の子がひとりいた。その子とも、ふたりきりの時に手を繋いだ。もちろんドキドキしたけれど、それは恋愛初心者ゆえだったと思う。付き合うことも、もちろん手を繋ぐ以上のこともその子とは思い描くことができなかったから。
じゃあ、七音は? 頭の中に、ひとつの疑問が浮かぶ。
「どう? 俺とキス、してみる?」
「どうしよう……オレ、してみたい。七音と、キス……」
「っ、春希……!」
オレの名前を口の中だけで叫ぶみたいにして、七音がグッと顔を近づけてきた。あと1ミリでも動いたら、くちびるが触れる距離だ。
「あっ、七音……」
「本当に? 本当にいいんだな? 春希の初めて、もらっても」
「っ、いいから早く。早くしろよぉ」
「……っ」
辛抱できなくて、七音のシャツを引っ張った。その瞬間、くちびるが触れ合った。けれどほんの一秒足らずで離れてしまう。
「っ、七音……? もう終わり? なんで?」
「いや、だって春希、やばいって……俺キャパオーバーなりそ」
やばいってなにが? キャパオーバーって、どういう意味だろう。全部全部分からない。オレはもっと、したいのに。
「なんでだよぉ、七音……なあ、もっとしたい。そんなんじゃ、オレなんも分かんない」
「っ、春希お前……ほんとやばい」
「……なにが? やっぱり違った? 七音のほうが、オレのこと嫌になった?」
「っ、んなわけねえだろ」
「あ……っ!」
七音にしては珍しい荒っぽい口ぶりと共に、眉間がくしゅっと寄せられたのが見えた。あっと思う間もなく、くちびるとくちびるが重なった。もう、さっきみたいに離れないでほしい。咄嗟に七音の首にしがみついたら、キスするくちびるの間で七音が「くそっ」と悪態をつく。その割に、くちびるとオレの頭に添えてくれる手が優しくて。ああ、キスってくっつけるだけじゃなくて食べるみたいにするんだな。必死に応えていたら、壁にくっついていた背がいつの間にかずるずるとソファの上に落ちていた。
「七音、やばい……」
「んー?」
「泣きそう」
「ふ、もう泣いてるじゃん」
「っ、だって」
「だって?」
ほどけていた指がまた絡んで、話しながらもキスをするのをやめられない。くすんと鼻を鳴らしたら、今度は鼻にキスをしてくれた。
「……言ったら七音、引くかも」
「言ってみてよ」
「だって……自分でちょっと引いてる。オレちょろすぎない? って」
「……春希、早く言わないと、俺自惚れてもっとすごいキスしちゃいそうなんだけど」
「っ、な、七音!」
「うん」
少し背を起こして、ソファに肘をつく。七音とおでこ同士が重なって、前髪が混ざり合う。
「オレ、七音のこと……好きになっていいの?」
「ふ、なんだそれ」
「だって! さっき七音に言われたばっかで! オレ、考えたこともなかったのに……そんなんありだと思う? こんな一瞬で好きになるとか」
「そんなの今更だろ? だって俺たち、ついこの前まで一週間で恋しようとしてた」
「そう、だけど……」
オレはもう、本気で信じてる。オレの中に芽生えたこの気持ちが本物だって。七音にやっぱり嫌だって言われたって、ずっと抱えて生きていくことになりそうなくらい。失恋したからパーティーしよう! なんてことには絶対にならない。
でも七音は? 信じられる? こんな一瞬で恋したなんて言うオレのこと。そう思ったのに――
「だって、俺が仕向けたんだしな」
「…………? どういう意味?」
「今日、絶対に春希に惚れさせたいって思ってた。落とそうとしてそれが叶うなら、嬉しいだけだろ?」
「…………」
「今まではさ、俺なんでも流されるままだった。SNSも周りに言われて渋々やって、恋リアもまあ暇だしって感じ。そんな俺が、自分から春希に連絡取った。カラオケも焼き肉も予約なんて初めてした。結構手間なのな、あれ」
「七音……」
「だから春希が好きって言ってくれんのなら……春希に惚れてもがいてる俺のところに落ちてきてくれるなら、もう必死に捕まえて離さないでいるだけ」
「……っ、もーお! なん、だよそれ……七音、もしかしてオレのことめっちゃ好きじゃん」
「ふ、そうだよ」
「っ、オレも。オレも好き。七音のこと、好きになっちゃった! ……んっ」
叫ぶように伝えると、またキスが落ちてきた。3秒触れて、離れてぎゅっと抱きしめられて。その後のキスは、もう何秒なのか分からなくなった。たまに息継ぎをして、目が合ったらくすっと笑いあって。
キスのやめ方って、この世に存在するのかな。そんなことを頭の隅で考えながら、オレは七音のくちびるに夢中になった。
1ヶ月後。七音の家で、オレたちはふたりして自分のスマホを操作している。つい先ほど、オレたちが出演する恋愛リアリティーショーの予告が公開された。それをもってそれぞれのSNSでも各自告知するようにと、番組のほうから依頼されているのだ。
「春希、書けたか?」
「うん。七音は?」
「俺もできた」
お互いの文面をチェックすると、似たようなことが書いてあった。ほかのメンバーもきっとこんな感じだろう。
“こちらの番組に出演してきました。オレたちの恋を、見守ってください”
恋模様の結果はもちろん、一週間の間にどんなことが起きたのかも含めて一切他言無用だ。一定の人気がある番組だから、きっと多くの視聴者が一喜一憂することだろう。七音に至っては、すでに人気者だからファンの人たちが大荒れするかもしれない。
「緊張してきた……」
「まあな。でもまあ、俺はどうでもいいかな」
不安なため息とともにつぶやくと、七音がオレの頭をぽんと撫でる。だけどその心の内は、オレとは違う色をしているようだ。
「見られるのは慣れてるから?」
「まあ、それもあるっちゃあるけど……」
ふと七音の顔が近づいてくる。あ、と思う間もなく頬でキスの音がした。
「オンエアされる内容は、俺にとってはそんな重要なことじゃないからかな。春希に出逢えたってことではそうだけど……俺は、今春希と付き合ってることがいちばん大事」
「七音……」
そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。撮影の時は一生懸命頑張ったつもりだけど、オレの大切な恋人は目の前にいる七音だ。それは絶対に揺るがない。
「誰にも言えないね。恋リアではライバルのオレたちが、実は付き合ってるって」
「だな。内緒の恋ってやつ?」
「うん」
「まあ出逢いがあそこじゃなくたって、誰にも教えないけどな」
「男同士だから?」
「ううん、大事だから」
そう言った七音が、またオレにキスをする。今度はくちびるに、雨みたいに何度もたくさん。七音にしがみつきながら、キスの合間に尋ねる。
「大事だから、って?」
「春希のかわいいところは、誰にも分けてあげないってこと。付き合ってるって知ったら、想像されるかもしれないだろ? 俺たちがこういうことしてるところ」
「……それはそう、かも」
七音に恋人がいると知れたら、それこそ世界中の人が思い描くということか。七音がどんな風にささやいて、どんな風に触れるのか。たしかに、そんなことはオレだけが知っていればいい。絶対に誰にも、ほんの1ミリもあげたくない。
「じゃあ“彼氏な七音”は、オレだけのものってことだ」
「ふ、そういうこと。春希も俺だけのものな」
オレたちのスマホから、SNSの通知が鳴り止まない。だけど今、オレの意識を支配するのは七音だけだ。七音の瞳にも、オレだけが映っていて――
『恋愛リアリティショー、新章スタート! どんな恋が花開くか、乞うご期待!』
そんな見出しが、ネットのあちこちに貼られていく。けれど誰にも知られず、ひっそりと咲く花がここにある。放送が終わったって、オレたちの幸せはオレたちだけのものだ。
「うん。分かったから春希、もうちょっと声のボリューム抑えられる?」
高校2年生になって迎えた、ゴールデンウィークの初日。都会の街の真ん中で、オレは久しぶりにあった同士、またの名をライバルの七音に抱きついた。
ライバルと言っても、今となっては“元”だけれど。
「あっ、ごめん! うるさかった? 誰か七音に気づいちゃったかな」
「いや、それなら平気だと思う。ただ、普通にここ外だから」
「たしかに……気をつけます」
「ふ、よしよし。いい子だな」
「っ、うう、七音お兄ちゃん……」
「いや同い年な。むしろ春希のが誕生日は先な」
「それマジ信じらんねぇ」
「俺も同意」
「あは、ひでぇ」
思わず抱きついたオレの背をトントンとたたいてくれたし、よしよしなんて言いながら頭も撫でられてしまった。本当に優しくて、とびきりいいヤツ。おまけに顔は超ド級のイケメンだし、背は180センチを超えているし、この歳にして落ち着いていて大人っぽいし。
なのになんでフラれたんだろうな、オレたち。いや、オレはまあ納得って感じかもしれないけれど。
オレと七音の出逢いは、ちょっと特殊だ。恋愛リアリティーショーの参加者として、その現場で出逢ったのだ。とは言っても、オレは一般の選出枠。どうしても彼女が欲しくて、よく観ていた番組に応募してみたのだ。一方で七音はすでにインフルエンサーとして若者に人気を誇っていて、スタッフに声をかけられたらしい。オレももちろん知っていた、なんならSNSをフォローもしていた。顔を合わせた瞬間に「え! 七音がいる!? なんで!?」と騒ぎ立てるオレが、カメラにばっちり映っていることだろう。
そんなオレたちは、なんと同じ女の子に恋をしてしまった。時には火花を散らし、時には慰めあったりもして。オレも七音も、精一杯頑張ったと思う。でも最後に彼女が選んだのは、また別の男子だった。晴れてカップル成立。数ヶ月後には、オレたちの失恋する瞬間が全国に放送されるというわけだ。オレなんか泣いちゃったから、できればカットしてほしいと願っている。
「じゃあ行くか、カラオケ」
「うん、行こ行こ! オレめっちゃ楽しみにしてた」
「撮影中から行きたいって言ってたもんな」
「へへ。だって、七音と好きなアーティスト一緒だって知ってたから」
「それ聞いた時、すげー嬉しかったわ」
「へへ、オレもー」
駅の近くにあるカラオケ店へと向かう。手続きをする七音のとびきりかっこいい横顔を見ていると、不思議な気持ちになってくる。
こうして今日遊ぶことになったきっかけは、七音が作ってくれた。恋リアから帰ってすぐ、SNSでDMをくれたのだ。あの時言ってたカラオケに行こうよ、って。失恋パーティーでもしようかって。
あの特別な一週間を共に過ごしたとしたって、七音はオレにとってどこか雲の上の人だった。そんな人がオレの何気ない言葉を覚えていて、誘ってくれて。しかも、率先してこの店に予約まで入れてくれた。女の子にフラれたって、オレの人生捨てたものじゃないのかも。なんて思ってしまう。
「春希? 部屋行こ」
「あっ、うん!」
「ぼーっとしてたな? あ、ドリンクバーにしたけどよかったか?」
「へへ、ちょっとね。てか、ドリンクバー大好き!」
「だと思った」
七音に顔の前で手を振られて、ハッと背を伸ばす。くすりと笑って、じゃあ飲みものを取りに行こうと促してくれる。七音がオレにくれるひとつひとつの優しさに、オレは緩む頬を抑えられそうにない。
ドリンクバーに寄って、たっぷりの氷と一緒に飲みものを注ぐ。オレはコーラ、七音はカフェオレを選んだ。トレイを持つ係に立候補したら、七音が「さんきゅ」と言ってくれた。ふふんと鼻を高くしたら、七音が笑った。たったそれだけのことが、すごく楽しい。
「部屋ここな」
「はーい」
薄暗い部屋は、ふたりだから結構狭い。ソファがひとつだけあって、テーブルを挟んですぐそこにモニターが置いてある。七音が扉を開けてくれたから、オレはそのまま奥のほうへと座った。
「春希、お腹空いた? なんか注文する?」
「ううん、オレは平気。七音は?」
「俺はちょっと空いてるけど……いいかな。夕飯のために空けとく」
「確かにそれがいいかもな。せっかくの焼き肉食べ放題だし」
「そういうこと」
今は15時すぎ。夕方頃にはここ出て、焼き肉食べ放題の近くの店に行く予定になっている。なんと、ここも七音の提案で予約してくれた。本当に、フラれた理由が分からない最高の男だと思う。
「じゃあさっそく唄うか!」
「だな。順番は春希が先な」
「え! なんで!?」
「なんでって、カラオケ行きたいって言ってたのは春希だから?」
「それはそうだけどさあ……なんか恥ずかしいじゃん」
「ふ、なんでだよ」
「だって七音だよ? 七音が目の前にいるんだよ? 先には唱えないってぇ……」
七音がSNSで一気に人気を得たのは、なにもビジュアルだけが理由じゃない。その歌唱力が、多くの人の心を掴んだのだ。オレも何回聴いたことか。目玉が飛び出そうな再生回数のうち、オレはなかなかの数を占めている気がするくらいだ。
「別に気にすることないと思うけど。それに俺、今日は唄うよりも春希の聴きたくて来てるし」
「……え、マジ?」
「マジ。すげー楽しみにしてた」
「オレ、下手だって言わなかったっけ」
「言ってたけど、分かんないじゃん。それにオレ、春希の声好きだし」
「……っ、は? なにそれ! 聞いてない!」
「今初めて言ったからな」
「ええ〜……ハードル上がる……」
「いいから早く。じゃあ俺が入れるから、それ唄ってよ。あのアーティストのなら、どれでも唄えるだろ?」
「唄えるけどお……」
声が好きって、なにそれ。生まれて初めて言われたんだけど!? 顔を熱くするオレをよそに、七音は鼻歌を唄いながらリモコンを操作する。そのハミングを、マイクで本気で唄ってくれたらいいのに。
「両想いの歌でいい?」
「いや、ここは失恋ソングでしょ」
「んー、まあたしかに? じゃあ……これにするか」
そんな願いも虚しく、楽曲の予約が完了したようだ。マイクを手に取ると、スピーカーから聞き慣れたイントロが流れてくる。ずっと好きだった子にフラれて、未練を断ち切れない歌だ。うん、オレたちにぴったり。マイクを手に取って、もうどうにでもなれ! と声を張り上げる。
「全然下手じゃないじゃん」
唄い終わると、拍手をしながら七音がそう言った。お世辞だろうと分かってはいるけど、なんだかホッとする。
「そんなことないと思うけど、ありがと」
「あ、照れてる?」
「そりゃ照れるでしょ。てか次! 次は七音の番! オレめっちゃ楽しみにしてたんだからな」
「じゃあ気合い入れて唄うか」
「やった。今度はオレが選んでいい?」
「あ、ごめん。もう入れちゃったわ」
「ええー、マジかあ」
オレがコーラで喉を潤している間、リモコンを触っているなあとは思っていたけれど。リクエストしたい曲が山ほどあるんだけどな。でも七音が唄ってくれるのなら、例え今までは響かなかった曲でさえ大好きになってしまいそうだ。
わくわくしながら待っていると、モニターに表示されたのはやはりオレたちが大好きアーティストの一曲。しかも特にお気に入りの曲で、恋リア中に七音と語り合って盛り上がった思い出もある。最高だ。
この曲はイントロがなく、ボーカルからはじまる。カウントに合わせて息を吸った七音が、甘い歌声をそっとマイクに乗せた。ああ、やばい。集中したくて、目を閉じる。すると耳から入った七音の声が、頭の中で、いや体中に沁み渡っていく。サビにさしかかると熱量の上がった歌詞と声が、ますますオレを包んでいく。
そこでオレはふと気づく。この曲は、失恋ソングじゃない。ひとりの人をひたすら想う、切ない片想いの歌だ。なぜこれを選んだのだろう。目を開けて隣を見ると、七音と目が合ってしまった。
「っ、へ……?」
驚くオレをよそに、七音はオレを見つめ続ける。もしかして、最初からオレのことを見てたのかな。だって七音は、全く動じていない。それどころか、少しずつオレのほうににじり寄ってくる。
「な、七音?」
名前を呼んでも、七音は構わず唄う。あの甘い声で、ラブソングを。オレの目の奥まで覗きこむようにして、好きだ好きだと叫び、どうか振り向いてくれとシャウトする。
歌が終わり、七音はテーブルにマイクを置いた。七音に合わせて後ずさっていたオレの背は、とうとう壁についてしまった。まつげの一本一本が見えそうなくらい、すぐそばに七音がいる。
「春希」
「は、はい……」
「ふ、なんで敬語?」
「だっ、だって!」
「うん、だって?」
「七音が近すぎて、恥ずかしい、から」
口にしてみてハッとする。オレ、今恥ずかしいんだ。鼓動に耳を澄ませてみれば、暴れてるんじゃないかってくらい速い音がする。どうしてオレ、こんな風になってるんだろう。
「へえ。嫌じゃなくて恥ずかしいんだ。じゃあ、押してみてもいいのかもな」
「…………? なにが?」
「春希」
「……はい」
「今も悲しい?」
「へ?」
「あの子にフラれたの」
七音の言葉で、恋愛に情熱を注いだあの一週間を改めて思い出す。みんなとの出逢い、恋の予感、お目当ての子とふたりっきりで過ごすために男子同士で競ったこともあった。全部、彼女を作るためだ。
「そりゃあ、オレ本気で頑張ったし……七音だってそうだろ?」
「俺は……彼女できたらまあ楽しいのかなって思って参加した。でも正直、一週間じゃ恋なんかできなかった」
「え、ウソだ……あの子のためにオレと勝負だってしたし、告白もしたじゃん!」
「そうだな。参加した以上、恋しなきゃってプレッシャーがあったし、女子の中ではいちばんあの子が気が合ったから。でも、終わってみたら違ったなって。だから、今は全然凹んでない」
「っ、じゃあなんで!? 失恋パーティーしようって言ったの、七音じゃん!」
頭がこんがらがる。じゃあなんで、七音はオレとここにいるんだろう。失恋の傷を舐め合うための今日だったはずなのに。
「それは口実。春希に会いたかったから」
「なっ、なんで?」
そりゃあオレだって、七音には恋リアが終わったあとも会いたかった。失恋という共通点がなくたって、だ。あの一週間、男子の中でいちばん一緒にいたし、正直地元の友だちと過ごすより楽しかった。でも七音は? 交友関係の広そうな七音にとっては、オレなんか大した存在じゃなくてもおかしくない。
「んー……言っていいの?」
「…………? どういう意味?」
「俺たち、友だちじゃなくなるって意味」
なんでそんな酷いことを言うのだろう。オレなんか、と思っていたのに。友だちじゃなくなる、という言葉を聞いた瞬間、目がじゅわっと熱くなる。
「な、なにそれ……もう七音と会えなくなるってこと?」
「それは春希次第じゃないかな。俺は毎日でも会いたいし」
「っ、そんなのオレだって! オレだって毎日七音と一緒にいたいに決まってる!」
「ほんとに?」
「ほんとだよ! っ、なんでそんなこと言うんだよぉ……」
辛抱たまらず鼻をすすると、七音がオレの下まぶたに指をすべらせた。そのまま両手で頬を包みこまれてしまう。
「春希を困らせること、言っていい?」
「困らせること? なんだっていいよ、七音だし」
「本当に? ……春希が好きだ、って言うんだとしても?」
「…………? え? それって、どういう……」
「そのまんまの意味。俺、春希が好き」
「……っ、え? 好き? もしかして、そういう意味で?」
「そういう意味で」
「ええ……オレ、男なのに?」
「うん。俺もびっくり。俺、男も好きになれんだな」
「な、なんだよそれ……」
「春希に逢うまで知らなかったから。春希が俺を変えたってこと」
「な……っ」
「なんでも一生懸命なところとか、表情がくるくる変わるところとか。さっきも言ったけど声もだな。全部好き」
「ひえ……」
どうしよう、目の前で起きていることに理解が追いつかない。
あの七音がオレを好き? そういう意味で? ほんとに?
どこかまだ信じられないでいるのに、体がぶわりと熱を持つ。オレの頬を包んだままの七音にも、きっとバレバレだ。
「春希は? 男相手は無理?」
「……か、考えたことない」
「まあ、そうだよな。じゃあこれから考えてみることは?」
「ど、どうだろう……だってオレほんと、全然わかんない。女の子とだって、付き合ったことないし……」
「へえ、そうなんだ。はは、やば。嬉しい」
「う、嬉しい!?」
「そりゃあ嬉しいだろ。好きな子がまだ誰のものにもなったことないんだから」
「……っ!」
うわあ、七音のこんな顔、初めて見た。くちびるの端を片方だけあげて、目を細めるようにしてほのかに笑っている。ものすごく色っぽくて、かっこいい。こんな間近でその表情を見せられて、オレの胸の奥がしびれるように苦しくなる。
「七音……」
「なあ春希、試してみない?」
「試すって?」
「男が無理かどうか」
「……そんなの、どうやって?」
「まだ付き合ったことないんだったら、今回の恋リアが春希にとって初めての恋愛体験って感じ?」
「う、うん。そうだよ」
「じゃああの子とふたりきりの時、どこまで進んだ? 手は繋いだ?」
「……繋いだ」
「へえ……じゃあ俺も繋いでいい?」
「なっ、なんで」
「お試し。春希が嫌ならしない」
「…………」
春希はそう言って、オレの目の前に手を差し出した。その手は今の今まで頬に触れていた手だ。離れてしまったのがさみしくて、オレはとっさにその手を掴んだ。すると七音が、ゆっくりと指を絡めてきた。
「あ……っ。そ、そこまではしてない」
「マジ? じゃあオレが初めてだ」
「うん……え、七音はしたの? 撮影の時」
「撮影の時はしてないな。それで? 嫌な感じはする? 男同士で手繋いで、気持ち悪い?」
撮影の時は、か。そりゃあ七音はかっこいいから、経験があるよな。なんだか胸がモヤモヤする。不思議に思いつつも、繋がれた指をきゅっきゅっと動かしてみる。うん、気持ち悪くなんかない。むしろ……むしろ? その先に続きそうになった言葉に、オレはそっと首を振った。
「えっと……全然嫌じゃないよ」
「マジか。よかった。じゃあひとつクリアだな」
「そう? なのかな」
「そうそう。じゃあ次。抱きしめてもいい?」
「っ、マジで?」
「マジで」
「べ、つに……いいけど。だって男同士のハグとか、普通にあるじゃん。手ぇ繋ぐよりハードル低くない? てか、さっき会った時もオレからしたし」
オレはなにを強がったセリフを言っているのだろう。でもそうでもしないと、平然を保っていられないような気がした。そんなオレを知ってか知らずか、七音がむすっとした顔をする。
「ふうん。じゃあ、するよ」
七音がぐっと近づいて、オレの背中に腕を回した。うん、こういうのやっぱり経験がある。体育祭でクラスが優勝した時に、友だちとやったことがあるな。けれどそう思えたのは、ほんの一瞬だった。
ぎゅっと抱きしめたかと思うと、七音の片手がゆっくりと背をなぞり上げる。かと思えばその手はオレの髪を撫で、七音はオレの首元に顔を埋めてしまった。
「春希」
「あっ」
七音の声が、耳元でオレの名前をささやく。たったそれだけ、そう、それだけのはずなのに。甘い刺激がびりびりと体中に流れる。なんだよ、これ。オレは思わず、七音にしがみつく。
「な、七音」
「ん? なあに?」
「あっ、待った……耳元で喋んな」
「ハグは嫌だった?」
「ばっ、バカ、ダメだってば」
「嫌かどうか教えてよ。嫌だったらすぐ離れるから」
「い、嫌じゃない。嫌じゃないけどっ」
七音が離れそうな気配がして、ぎゅっと抱きしめて引き止める。今離れたら、ダメな気がする。優しい七音は、きっともうオレに触れなくなる。そこまで考えて、ふと気づく。なんでそれがダメなんだろう。七音の気持ちを受け入れられないのなら、それでいいはずなのに。
「けど?」
「……も、もうちょっと。こうしててほしい、って、思っただけ」
「ふ、そうなんだ?」
「……ん」
「じゃあ、春希の気が済むまでこうしてる」
変なことを言っていると分かっている。そもそもこれは、オレが男同士が無理なのかどうかを試しているわけで。それをやめるなということは、そのテストに丸をつけるのとほぼ同義だ。
本当に? そんなこと、考えたことが一度もなかったのに。でも確かに、七音とこうしているのは嫌じゃない。それどころかむしろ……ああ、さっき気づかないふりをした言葉がまた頭に浮かんでしまう。
「なあ、オレ……ドキドキする、んだけど」
「ん?」
「七音とこういうことすんの、ドキドキする」
「春希……」
少しだけ腕をほどいて、七音がオレの顔を覗きこむ。言ってしまった。嫌どころかむしろ、ドキドキする。自分でも自覚したばかりの気持ちなのに、七音にも知ってもらいたくなった。
「オレ、男も好きになれるってこと? それとも、七音のことが好き、なのかな」
「っ、じゃあもっと試してみる?」
「どうやって?」
「んー……キスする、とか」
「っ、キス……」
たった二文字の言葉に、体がぐらぐらと沸騰しそうになる。なんせ誰とも付き合ったことがないのだ、経験なんてもちろんない。
「キス、すんの? オレと七音が?」
「うん。できそう? いや、その前にひとつ質問。春希は、女の子とだったら誰とでもキスしたい?」
「は……んなわけないじゃん。そういうのは、好きな人とするもんだから」
恋リアの撮影中、実はオレにアプローチしてくれる女の子がひとりいた。その子とも、ふたりきりの時に手を繋いだ。もちろんドキドキしたけれど、それは恋愛初心者ゆえだったと思う。付き合うことも、もちろん手を繋ぐ以上のこともその子とは思い描くことができなかったから。
じゃあ、七音は? 頭の中に、ひとつの疑問が浮かぶ。
「どう? 俺とキス、してみる?」
「どうしよう……オレ、してみたい。七音と、キス……」
「っ、春希……!」
オレの名前を口の中だけで叫ぶみたいにして、七音がグッと顔を近づけてきた。あと1ミリでも動いたら、くちびるが触れる距離だ。
「あっ、七音……」
「本当に? 本当にいいんだな? 春希の初めて、もらっても」
「っ、いいから早く。早くしろよぉ」
「……っ」
辛抱できなくて、七音のシャツを引っ張った。その瞬間、くちびるが触れ合った。けれどほんの一秒足らずで離れてしまう。
「っ、七音……? もう終わり? なんで?」
「いや、だって春希、やばいって……俺キャパオーバーなりそ」
やばいってなにが? キャパオーバーって、どういう意味だろう。全部全部分からない。オレはもっと、したいのに。
「なんでだよぉ、七音……なあ、もっとしたい。そんなんじゃ、オレなんも分かんない」
「っ、春希お前……ほんとやばい」
「……なにが? やっぱり違った? 七音のほうが、オレのこと嫌になった?」
「っ、んなわけねえだろ」
「あ……っ!」
七音にしては珍しい荒っぽい口ぶりと共に、眉間がくしゅっと寄せられたのが見えた。あっと思う間もなく、くちびるとくちびるが重なった。もう、さっきみたいに離れないでほしい。咄嗟に七音の首にしがみついたら、キスするくちびるの間で七音が「くそっ」と悪態をつく。その割に、くちびるとオレの頭に添えてくれる手が優しくて。ああ、キスってくっつけるだけじゃなくて食べるみたいにするんだな。必死に応えていたら、壁にくっついていた背がいつの間にかずるずるとソファの上に落ちていた。
「七音、やばい……」
「んー?」
「泣きそう」
「ふ、もう泣いてるじゃん」
「っ、だって」
「だって?」
ほどけていた指がまた絡んで、話しながらもキスをするのをやめられない。くすんと鼻を鳴らしたら、今度は鼻にキスをしてくれた。
「……言ったら七音、引くかも」
「言ってみてよ」
「だって……自分でちょっと引いてる。オレちょろすぎない? って」
「……春希、早く言わないと、俺自惚れてもっとすごいキスしちゃいそうなんだけど」
「っ、な、七音!」
「うん」
少し背を起こして、ソファに肘をつく。七音とおでこ同士が重なって、前髪が混ざり合う。
「オレ、七音のこと……好きになっていいの?」
「ふ、なんだそれ」
「だって! さっき七音に言われたばっかで! オレ、考えたこともなかったのに……そんなんありだと思う? こんな一瞬で好きになるとか」
「そんなの今更だろ? だって俺たち、ついこの前まで一週間で恋しようとしてた」
「そう、だけど……」
オレはもう、本気で信じてる。オレの中に芽生えたこの気持ちが本物だって。七音にやっぱり嫌だって言われたって、ずっと抱えて生きていくことになりそうなくらい。失恋したからパーティーしよう! なんてことには絶対にならない。
でも七音は? 信じられる? こんな一瞬で恋したなんて言うオレのこと。そう思ったのに――
「だって、俺が仕向けたんだしな」
「…………? どういう意味?」
「今日、絶対に春希に惚れさせたいって思ってた。落とそうとしてそれが叶うなら、嬉しいだけだろ?」
「…………」
「今まではさ、俺なんでも流されるままだった。SNSも周りに言われて渋々やって、恋リアもまあ暇だしって感じ。そんな俺が、自分から春希に連絡取った。カラオケも焼き肉も予約なんて初めてした。結構手間なのな、あれ」
「七音……」
「だから春希が好きって言ってくれんのなら……春希に惚れてもがいてる俺のところに落ちてきてくれるなら、もう必死に捕まえて離さないでいるだけ」
「……っ、もーお! なん、だよそれ……七音、もしかしてオレのことめっちゃ好きじゃん」
「ふ、そうだよ」
「っ、オレも。オレも好き。七音のこと、好きになっちゃった! ……んっ」
叫ぶように伝えると、またキスが落ちてきた。3秒触れて、離れてぎゅっと抱きしめられて。その後のキスは、もう何秒なのか分からなくなった。たまに息継ぎをして、目が合ったらくすっと笑いあって。
キスのやめ方って、この世に存在するのかな。そんなことを頭の隅で考えながら、オレは七音のくちびるに夢中になった。
1ヶ月後。七音の家で、オレたちはふたりして自分のスマホを操作している。つい先ほど、オレたちが出演する恋愛リアリティーショーの予告が公開された。それをもってそれぞれのSNSでも各自告知するようにと、番組のほうから依頼されているのだ。
「春希、書けたか?」
「うん。七音は?」
「俺もできた」
お互いの文面をチェックすると、似たようなことが書いてあった。ほかのメンバーもきっとこんな感じだろう。
“こちらの番組に出演してきました。オレたちの恋を、見守ってください”
恋模様の結果はもちろん、一週間の間にどんなことが起きたのかも含めて一切他言無用だ。一定の人気がある番組だから、きっと多くの視聴者が一喜一憂することだろう。七音に至っては、すでに人気者だからファンの人たちが大荒れするかもしれない。
「緊張してきた……」
「まあな。でもまあ、俺はどうでもいいかな」
不安なため息とともにつぶやくと、七音がオレの頭をぽんと撫でる。だけどその心の内は、オレとは違う色をしているようだ。
「見られるのは慣れてるから?」
「まあ、それもあるっちゃあるけど……」
ふと七音の顔が近づいてくる。あ、と思う間もなく頬でキスの音がした。
「オンエアされる内容は、俺にとってはそんな重要なことじゃないからかな。春希に出逢えたってことではそうだけど……俺は、今春希と付き合ってることがいちばん大事」
「七音……」
そう言われてみれば、確かにそうかもしれない。撮影の時は一生懸命頑張ったつもりだけど、オレの大切な恋人は目の前にいる七音だ。それは絶対に揺るがない。
「誰にも言えないね。恋リアではライバルのオレたちが、実は付き合ってるって」
「だな。内緒の恋ってやつ?」
「うん」
「まあ出逢いがあそこじゃなくたって、誰にも教えないけどな」
「男同士だから?」
「ううん、大事だから」
そう言った七音が、またオレにキスをする。今度はくちびるに、雨みたいに何度もたくさん。七音にしがみつきながら、キスの合間に尋ねる。
「大事だから、って?」
「春希のかわいいところは、誰にも分けてあげないってこと。付き合ってるって知ったら、想像されるかもしれないだろ? 俺たちがこういうことしてるところ」
「……それはそう、かも」
七音に恋人がいると知れたら、それこそ世界中の人が思い描くということか。七音がどんな風にささやいて、どんな風に触れるのか。たしかに、そんなことはオレだけが知っていればいい。絶対に誰にも、ほんの1ミリもあげたくない。
「じゃあ“彼氏な七音”は、オレだけのものってことだ」
「ふ、そういうこと。春希も俺だけのものな」
オレたちのスマホから、SNSの通知が鳴り止まない。だけど今、オレの意識を支配するのは七音だけだ。七音の瞳にも、オレだけが映っていて――
『恋愛リアリティショー、新章スタート! どんな恋が花開くか、乞うご期待!』
そんな見出しが、ネットのあちこちに貼られていく。けれど誰にも知られず、ひっそりと咲く花がここにある。放送が終わったって、オレたちの幸せはオレたちだけのものだ。



