DOLLは月夜に恋してる


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 実織さんの言葉はわだかまりを残したものの、先輩の歌に再び引き込まれ、2曲目が終わる頃には感動で胸が熱くなっていた。
 ステージ終了後、実織さん、なぎ先輩と連れ立って学校に戻る。
 メイクを落としながら、僕は冷めやらない感動をなぎ先輩に伝えた。

「すごく、すごくよかったです! プロみたいでした。英語なのに……ほんとすごいです」
「ありがと。でも麻青、語彙力ない子になってる。『すごい』、もう10回くらい聞いた」
「す、すみません。でも本当にすごかったから……」
「話してばっかいないでちゃんとメイク落としな。残すと肌に悪いよ」
「あっ、はい」

 リムーバーを交換して、しばらくメイク落としに専念する。
 なぎ先輩は実織さんにラメチップを外してもらっていた。それが終わると実織さんは、「ちょっと電話かけたいとこあるから」と言って部屋を出ていく。

 メイクを落とし終わり、洗顔も済ませると心は幾分落ち着きを取り戻していた。
 でも冷め切ってはいなくて、着替えをしながら再び、控えめに切り出す。

「先輩、ジャズが好きなんですか?」
「どうだろ。ジャズに限らず音楽全般好きだけどね。しっくりきて歌いたくなる曲は、たしかにジャズが多いかもな」

(しっくり? 自分と合うってことかな……?)

「歌詞、英語だから全部はわからなかったけど、今日のはどっちも恋愛ソングでしたよね……?」
「ていうか、世の中の曲って大体は恋愛ソングじゃない?」

 先輩の声に皮肉の色が混じる。
 おそるおそる尋ねた僕の心中を、彼も敏感に察したのだと気づいた。

「メロディが好みかどうか程度のことだよ。歌詞の内容はそこまで気にしてない」
「……そうですか」

(先輩が恋愛トークにのってくれるなんて思ってたわけじゃないけど……)

 それでも、こうしてしっかり予防線を張られてしまうと、やっぱり気分は落ち込む。
 気まずい思いでブラウスのリボンに手をかけた。胸元にも背面にも編み上げリボンがあって、脱ぐのもけっこう大変なデザインだ。

「あっ……」

 ほどいたリボンが袖口のボタンに引っかかった。沈む心に追い打ちをかけるようなもたつき具合で、自己嫌悪に陥りそうになっていると──

「じっとして」

 すっと影が落ちて、上のほうから声が降ってくる。
 顔を上げると、先輩がすぐ傍に立っていた。

「こら。引っ張っちゃダメ」

 とっさに動かしかけた手首をつかんで止められ、ボタンに引っかかったリボンを外してくれる。

「っ……」

 距離が近い。しかも……

(先輩、着替えてる途中だったんじゃ……シャツが……)

 胸元が半分くらい開いていて、白い素肌があらわになっている。

(お礼、言わなくちゃ……)

 そう思っているのに、呼吸すらできない。

(なんで、こんな……)

 こんなの、僕がドキドキしないわけないのに。どうして、今。
 無言で見上げると、表情のない顔が視線を受け止めた。
 1秒にも満たない、けれど僕にはとても長く感じられる沈黙のあと、先輩は嘆息するようにふっと笑う。

「悲しいかな、トロい子はほっとけない性分なんだよなぁ」
「ト、トロいって……」
「いいから、動かない」

 先輩はそのまま、胸元のリボンを外してくれた。結び目をほどき、首が通るくらいまで広がるようにひとつひとつ編み込みをゆるめてくれる。
 ドクンドクン、自分の心音がうるさい。下唇を噛んで、僕は体が震えそうになるのを堪えた。
 やがてリボンをゆるめ終わった先輩は、一歩下がって少し距離を取る。

「あんまりかわいそうな子の顔しないで」
「え?」

 顔を上げたのと同時に、頭に何かが被さった。
 テーブルに置いてあったさっきまで僕が着けていたウィッグを、先輩が頭の上にのせている。

「うん。こうしてるとほんと、お人形みたいに可愛い」
「先輩……」
「そういう麻青でいてよ。可愛いねって、オレが可愛がってあげられるようないい後輩で」
「…………」

 それなら、こんなドキドキさせるようなことしないでほしい。
 喉までそう出かかったけれど、のみ込む。
 それとも僕は、突き放したいのに突き放しきれないくらい、もの欲しそうな顔をしているんだろうか。

(でも、隠せない。だって僕は……)

 これまで見たことのなかった表情、新たな一面を知るほどに、どんどん惹かれてしまっているから。

「先輩……僕は……」

 なんとかこの気持ちを言葉にしようとした時、部屋の扉をノックする音が響いた。

『お二人さん、着替え終わった? もう入っていい~?』

 実織さんだ。

「ごめん、もうちょっと待って」

 なぎ先輩が返事をし、僕にも「急ごう」と言って離れていく。
 せかせかと着替えて実織さんを迎え入れると、「今から飲み会が入っちゃった」と言うので、彼女とは学校を出たところで解散した。
 僕の帰路も一度駅を通るので、先輩と二人で駅までの道を歩いていく。

「あ、惜しい」

 突然先輩がつぶやいたのでなんのことかと見やれば、彼の目は上空に向けられていた。

「……月?」

 最初は満月かと思ったけれど、よく見ればごくわずか、正円に満たない。

「十四日月、ですね」

(ああ、だから『惜しい』か)

 満月の夜だけ生を得る人形たち。今日が満月なら、演じた舞台とまさに同じだったのに、ということだ。

「でも、満月じゃなくても綺麗です」
「そだねー」

 あまり感情のこもっていない軽い相槌だったのでその表情をうかがうと、

「オレはどっちかっていうと、あんまり明るくない夜のほうが好きだから」
「それって、夏の空が苦手なのと同じ理由ですか?」
「そんなところかな。満月だと夜なのに明るすぎ」

(そうなんだ。満月の下で歌う先輩も、リラックスして見えたけど……)

 あの『ナイショ』の夜のことを話題にしたことはない。
 言ったらどんな反応をするだろう。また、いい子でいなくちゃダメでしょという目で苦く笑うんだろうか。

「……先輩は、冬の空に浮かぶ三日月みたいです」

 言えない代わりに、そう伝えた。

「へぇ」

 先輩は笑い含みにそれだけをつぶやく。
 三日月なので光は弱く、満月のように煌々と僕らを照らしはしない。だけど見上げればそこにあり、かすかな光を降らせている。
 冴え冴えと冷たい、静謐(せいひつ)で硬質な美しさ。ひそやかで控えめで、はかないのにどこか優しい。

「それ、誉め言葉?」

 しばらく間を置いてから抑揚のない声で問われ、僕も静かに答えた。

「もちろん誉め言葉です」

 だって僕は、こんなにも目が離せない。