DOLLは月夜に恋してる


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 偶然にもるー先輩と話した日に実織さんからラインが来て、翌週末のバイトが決まった。
 前回お世話になった喫茶エテの香夏子さんが指名で依頼してくれたらしい。急だからもう少し先の日程でもいいと言われたけれど、予定もないので最短日でOKした。

『渚も一緒だから楽しみにしてて!』

 実織さんからのメッセージに、胸が高鳴る。
 すぐに台本のデータも来て、内容を見た僕はますます心が昂るのを感じた。


 当日は実織さん、なぎ先輩と駅で待ち合わせ、学校へ。
 もう流れはわかっているけれど、なぎ先輩が一緒ということで、前回と同じくらいそわそわしてしまう。

「今回は渚に合わせて、ゴシックに行くからね~」

 着替えを済ませ、僕は綾羽さん、なぎ先輩は実織さんにメイクしてもらっている。
 綾羽さんの言葉がどういう意味かよくわからなかったけれど、僕はとりあえず「はい」とうなずいた。
 なぎ先輩も同室にいるのだけれど、90度の角度でそれぞれ別の壁側を向いているので、彼のメイクの様子は見えない。

「……そういえば、ちょっと気になってたんですけど」

 アイメイクをしてもらいながら、僕は緊張を紛らわせようと話しかけた。

「ん、なに?」
「近くとはいえ、お店で準備したほうが効率いいと思うんですけど、どうして学校でやるんですか?」

 前回、2分足らずとはいえ衣装で外を歩くのは少し恥ずかしかった。下手をしたらステージを観る予定のお客さんと会って、ネタバレしてしまうかもしれない。

「できるならやるけどね。お店、スペースないでしょ? 出演者が多い日もあるし」
「あ……言われてみれば……」

 1階のバックヤードと地下の控え室。たしかにどちらも広くはなくて、お世辞にもゆったりしているとは言いがたかった。
 壁を囲む棚には天井近くまで荷物が積まれていて、普段使いしてなさそうなものも多かったけれど。季節ごとの店内装飾品とか、きっといろいろあるのだろう。

「渚のメイクは時間かかるから、控え室で席陣取って長々やってんのも申し訳ないしね~」

 会話を聞いていたようで、離れたところから実織さんが声だけで話に入ってくる。

「時間がかかる……んですか?」
「見たらわかるよ。自分の終わったらこっちおいで」

 僕のメイクはそれから15分くらいで完成した。
 ゴシックと言われた通り、黒くて濃いアイライン、アイシャドーはラメ入りのシルバー。ルージュは鮮烈な赤。でも今日は少年の人形という役なので、衣装はフリルやリボンたっぷりの白ブラウスに、黒のベストと膝丈のパンツを着ている。
 ウェーブのかかった黒髪のウィッグも着けて、ゴスロリ人形の男の子版といったところだ。

 その格好で、言われた通りなぎ先輩の背後に寄った僕は、鏡の中を見て思わず息をのんだ。

「え……わ……!」
「ね、時間かかるの納得でしょ?」
「お化け見たような顔しないの。……デザインメイクっていうんだよ」

 実織さんに続いて教えてくれたのは鏡越しのなぎ先輩だけれど、別人のような気がしてしまった。
 なぎ先輩のメイクは、僕とはまったく違っていたのだ。

 両目の端から額と頬に向かって、レースのような、蝶の羽のようなデザインが描かれている。シャドーはブルーシルバー系で、他にも随所にラメチップがあしらわれていた。
 まるで舞踏会で着ける仮面のように、顔半分を隠すメイク。
 華やかで、妖艶で……恐れにも似た感覚で、肌が粟立つ。
 この妖しい美しさに、僕のメイクもイメージを合わせたのだとようやく理解した。

「……先輩は、いつもこういうメイクを?」
「毎回じゃないけどね。ここでメイクしてから、会場まで電車移動なんてこともあるから。これで乗ったら職質食らうでしょ」
「た、たしかに……」
「けど、そういう時も派手系メイクとウィッグでしっかり化けるでしょ。渚のメイクはね、『変身』がテーマなんだよ、麻青くん」
「変身……」
「そそ。毎回『円城寺渚』を完全に消して、別の顔、別の人間になるの。ね、渚?」
「……実織、しゃべりすぎ」

 低くたしなめられ、実織さんは「あ、ごめーん」と舌を出して、そこからは手を動かすことに集中した。僕より遅れること15分弱で、なぎ先輩のメイクも完成する。
 先輩の服装は大人っぽいデザインの黒の上下。そこに背中まである黒いストレートのウィッグを着けている。

 兄弟として作られた少年の人形。それが今回の僕たちの設定だ。
 劇団の人の朗読劇に合わせて、動きだけの演技をする。クライマックスには、僕たち自身で口にするセリフもある。観客の、この美しい人形たちはどんな声で話すんだろうという興味が高まったところで、それぞれ2言だけ。今回も面白い構成だ。

「あらぁ~! 最高、イメージ通り!」

 お店地下の控え室に入ると、香夏子さんが両手を胸の前で握り合わせて感動してくれた。

「この間の二人を見てて、ピピッとインスピレーションが湧いて書いたのよね。間違いなかったわぁ。観る前から成功だわ、これ」
「……書いた?」
「あぁ、麻青くん聞いてなかった? 今回の脚本、私が書いたのよ」
「えっ、そうだったんですか!?」

 台本には劇団名と脚本家名が入っていた。香夏子さんの名前なら気づいたはずだけど、と見直してみると『暮ノ宮(くれのみや)カナ』となっている。
 この間聞いた名前は『落合(おちあい)香夏子』さんだったと思うから──

「……ペンネーム?」
「ペンネームというか芸名というか。私、この劇団の初代代表なのよ。結婚を機に引き継いだんだけど」

 ほぼ同時に遺産としてこの店を譲り受けた香夏子さんは、お店の経営をしつつ、脚本の寄稿やアドバイザーのような形で演劇業界にも関わり続けているらしい。

「だからジャズ喫茶なのに、音楽だけじゃないステージも多いんですね」
「そういうこと。出演者は大体みんな私の知り合いだしね」

(半分趣味って言ってたのもそういうことか。プロの元劇団代表さん……すごいな、あらたに紹介してあげたいなぁ。なぎ先輩のことは秘密だから難しいけど……)

 ちょっと残念に思いながら劇団の人たちと挨拶を済ませた。

「渚くん、久しぶり! 今回も綺麗だねぇ」
「ホント、実織ちゃんの腕もどんどん上がってるよね。いつ見ても見惚れちゃうわぁ」
「ありがとうございます。今日もよろしくお願いします」

 なぎ先輩は劇団の人とも顔見知りで、気さくに話している。
 ご近所のこの店と『西東京ビューティー&アート専門学校』も、昔から浅からぬ付き合いがある。その縁での依頼なので、何度か共演しているということだった。

「さぁ、そろそろ準備お願いね!」

 開演10分前、香夏子さんの号令で順次控え室を出て舞台袖に移動する。
 時間になると店内は、薄闇の中にほのかな青い照明が揺らめく幻想的な空間になった。
 海の底にいるような気もしてくるけれど、これは夜を照らす月の光を表しているのだろう。

 2体の兄弟人形は持ち主に手離され、人形店の狭い一室にいる。高価すぎて買い手がなく、店頭にも出されず保管されているのだ。
 彼らは孤独だった。だがある日、その美しさに魅了された月の精の魔力を得て、満月の夜にだけ自らの意思で動けるようになる。
 そこには自由と幸福があると思い街に出た兄弟だったが、眠らぬ世界では夜にこそ人々の醜い感情がうごめいていた。

 怒り、憎しみ、悲しみ、虚飾──そこから生まれる犯罪。

 兄弟は自分たちの世界のほうがよほど美しいと嘆き、再び二人きりの世界に閉じこもることを選ぶ。

 これが、今回の朗読劇の内容だ。
 30分くらいの短いストーリーで、動きは台本で指示されているし、朗読のセリフに合わせればいいから間違える心配もない。自分で言うセリフも2つだけなのですぐ覚えたけれど………

(ぶっつけ本番、大丈夫かな)

 わずかにそんな不安が心をかすめた時、傍らに立つ先輩が僕の肩に手を置いた。

「よろしくね、可愛い我が弟」
「はい。よろしくお願いします、『兄さん』」
「オレたちなら問題ないよ。一夜(ひとよ)の幻想、楽しもう」

 先輩の唇が綺麗な弧を描く。メイクのせいか壮絶なまでに妖艶なその笑みを見て、不安は消えていった。
 こんなにも妖しく美しい『兄』、焦がれずにはいられない。
 海の底に二人で沈むような、幸福な孤独。
 欲しい、と本能のように願ってしまう。
 先輩の笑みひとつで、僕はもう『弟』だった。


『ずっとここにいよう。そうすれば、私たちが(けが)れることはない』
『はい、兄さん。僕には兄さんがいればいい。美しいあなたさえ傍にいてくれれば』
『月の精よ。幸福を与えてくれるのであれば、どうか永遠に私たちが離れぬ未来を』
『二人きりの世界──それが僕たちの幸福です』

 BGMがフェイドアウトしていき、照明が一度落ちる。
 次には普通の照明が灯り、拍手の中、僕は先輩や劇団の人たちと一礼して舞台袖に下がった。

「はぁっ……」
「お疲れさま」

 先輩の手が労うようにぽふっと頭をなでる。

「お疲れさまです。僕、大丈夫でしたか?」
「それ確認する必要ある?」

 ちらっと客席の方向に目をやって、先輩はおかしそうに肩をすくめた。
 お客さんの「よかった」「綺麗だった」「見入っちゃった」などと褒めてくれる声が、ここまで届いている。

「麻青のバイトを歓迎してないのはたしかだけど……また一緒のステージに立てたのはよかった。楽しかったよ」
「……ほんとですか!?」
「ああ。春で引退したのは寂しかったし、オレたちが育てた後輩が、こんなにいい役者になったんだからね。オレも鼻が高いよ」
「あ、ありがとうございます!」

 こんなふうに言ってもらえるとは思っていなかったので、じわっと目の奥が熱くなる。
 けれど感動に浸る間もなく、実織さんが速足で近づいてきてなぎ先輩の手を取った。

「渚、こっちこっち、早く!」
「もう? 水くらい飲ませてよ」
「水も用意してあるから。あんま時間ないんだよ」
「はいはい。じゃあね、麻青。オレもう1ステあるから」
「えっ?」

(先輩、まだ何かするの?)

 驚くも、すでに二人はバックヤードに消えている。
 香夏子さんも見かけないのでお店の人に聞くと、このあとにもうひとつ、なぎ先輩が歌うステージがあるらしい。

「僕、ここで見学しててもいいですか?」
「もちろん」

 快諾してもらえたのでそのままステージ袖で待っていると、20分くらいして衣装を着替えたなぎ先輩が戻ってきた。
 メイクもアレンジされていた。先ほどまでよりシンプルで、淫靡さが軽減されている。

「あれ、麻青。まだいたの」
「先輩が歌うって聞いたので……見学してていいですか?」

 嫌がられるならやめようと思っていたけれど、先輩は一瞬苦笑してから、「ご自由に」と言ってステージに出ていった。
 再び店内の照明が落とされ、舞台にスポットライトが当たる。
 先ほどの『兄人形』だと気づいた人もいるのか、登場だけで歓声が上がるなか、ピアノの伴奏が始まった。
 そして、スタンドマイクに手をかけた先輩が歌い始める。
 英語の歌詞のジャズソングだった。

(すごい……上手……)

 どこか気だるげなメロディライン。ときどき声がかすれ気味になるのはたぶんわざとなんだろうけど、扇情的だ。
 英語なので歌詞はなんとかくしかわからないけれど、恋愛の曲のようだった。

(あの夜もこんな感じの曲だったな)

 以前見た、月の下で歌う先輩を思い出す。
 場所も服装も違うし、今はメイクで素顔はほとんどわからない。
 それでもやっぱり、同じように綺麗だと思った。

「──……、──……」

 伸びやかな声が店内を満たす。
 歌っている時の彼は、何かから解放されているように見える。

「気持ちよさそう……」
「だね~」

 漏らした声に返答があって、いつの間にか隣に実織さんがいることに気づいた。
 自分がメイクしたなぎ先輩を、誇らしげな顔で見ている。
 僕も先輩に視線を戻した。『I need』から始まる歌詞を、目を閉じて情感的に歌い上げている。

「今の先輩は……うまく言えないけど、自由なんだなって感じがします」

 自由と幸福を求める兄弟を演じた直後だからかもしれないけれど。
 そんなふうに思えて実織さんに言うと、彼女は「合ってると思うよ」とうなずいた。

「むしろ、そのためにやってるっていうか。あの子にはこの時間が必要なんだよね」
「え……?」
「円城寺渚を解放できる時間っていうか……『円城寺渚』でいなくてもいい時間、かな。それが必要なの。でないと窒息しちゃうから」

 先輩を見たままそう話す実織さんの横顔に笑みはない。
 いつ消えるとも知れない蜃気楼を見つめるような瞳に、心臓を冷たい手でなでられたような不安を覚えた。

「窒息って……?」

 僕まで神妙な声になったからか、実織さんはハッとしたように目元を和らげる。

「って、ははっ、ごめん。ちょっと話しすぎちゃった。また渚に怒られそうだから今の内緒ね!」
「……は、はい」

 本当は気になって仕方がなかったけれど、しつこく聞けば実織さんを困らせてしまうだろう。簡単に詮索していいことではない気配もあって、僕は素直に引き下がった。

(でも……なぎ先輩がこのバイトをしてる理由は、単なる受験勉強の息抜きっていうだけじゃないのかもしれない……)