夏休みも終わりに近づいていた。僕は変わらず、部活とバイトに明け暮れる日々を送っている。
準主役を務める舞台は苦労も多いけれど、おおむね順調だ。練習は着々と進み、芝居も完成形に近づいていた。
変わったことといえば、あれ以来待ち合わせするなぎ先輩を見かけることがなくなった。
もう女の人たちとは会っていないのか、単に待ち合わせ場所を変えただけなのか、それはわからない。僕には知るすべもない。
もちろん、探る権利もないとわかっている。
だけど……気になる心を、どうしても抑えられなかった。
「渚に変わったこと?」
その日の部活はまた大道具の制作日で、3年の松田涼介さん、通称りょう先輩が来ていた。春に引退した先輩の中で、一番手伝いに参加してくれているのが彼だ。大道具チームのリーダーを務め、当日は音響も担当してくれる。
そのりょう先輩とるー先輩に、僕は思い切って「最近なぎ先輩に変わったことがないか」と尋ねた。
「なんでそんなこと気になるんだ?」と、るー先輩。
「大したことじゃないんですけど、前回会った時なんか元気なかったような気がして。夏バテとかしてないかなぁって」
口止めされたことを話すわけにはいかない。持っている演技力を総動員して、軽い口調で答える。
「夏バテは大丈夫だと思うが。俺も会ってないし、あいつはプライベートの話をあまりしないからよくわからないな」
りょう先輩が言い、るー先輩も「だな」とうなずいた。
「オレも、前にあいつが打ち合わせに来た時会ったきり。たまにラインで話してはいるけど」
「……そうですか」
「でも、特に何も聞かないってことは、順調に受験生やってるんだと思うけど?」
るー先輩にそう言われ、それ以上食い下がることはできなかった。
それから数日後のバイト中。
仕事をしながらも、僕はつい駅前の広場に目をやってしまっていた。
「穂村っち、何してんの? 品出し進んでないじゃん」
「あっ、ごめんなさい」
緒方さんに叱られ、慌てて止まっていた手を動かす。
「なんか最近、ボーっとしてること多くない? 大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
(ダメだな、僕)
多分もう、先輩はここには来ない。なんとなくそんな気がしているのに、無意識のうちに彼の姿を探している。
その日は18時に勤務を終え、店を出た時にも、いつも先輩が立っていた場所を確認してしまった。
でも、もちろんその姿はない。
未練を断ち切るように瞬きをしてから、家の方向へと歩き始める。
見覚えのある人とすれ違ったのは、その直後だった。
(今の人……!)
「あのっ、すみません!」
とっさに振り返り、その人を呼び止めていた。
「え? 私?」
呼ばれた人はいぶかしむように眉を寄せている。
自分でもよく覚えていたなと思うけれど、その顔を見れば間違いないと確信した。
(初めて見た時、なぎ先輩と会ってた人だ)
前に会った「綾羽さん」とは別の人。
でも、背中や肩にタッチしたりして、この人が一番先輩と親しげだった。
「なんですか?」
女の人が首をかしげると長い髪が揺れる。
前に見た時はたしかポニーテールだったけど、今日は下ろしていた。
「と、突然すみません。えっと……」
僕はボトムパンツをぎゅっと握って焦り始める。
(勢いで呼び止めちゃったけど、なんて聞こう……)
「あの……この前、なぎせんぱ……円城寺先輩と……」
「──ああ! もしかしてキミが渚の後輩?」
不審そうだった女の人の顔がぱっと明るくなった。合点がいった、という様子だ。
「あ、はっ、はい! そうですっ」
「そっかそっか。綾羽さんからも聞いてたからピンと来たよ。いやキミ、マジでめっちゃ可愛いね!?」
ハイテンションに、バンバンと背中をたたかれた。思わず「うっ」と声を漏らしてしまう。
「っと、ごめんごめん。予想以上の可愛さだったから興奮しちゃった。それで、私になんの用? 渚を探してるの?」
「いえ、探してるわけじゃないんですけど……最近は見なくなったので……」
「待ち合わせ場所変えたからね」
サラリと返ってきた返事が胸に刺さる。
これも、なんとなく予感はあったけれど……
(やっぱり会うのをやめたんじゃなくて、場所を変えただけだったんだ)
「……それって僕のせいですか?」
「うん。後輩に見られてたから、これ以上変な誤解されたくないしって、渚が」
「誤解……」
「ママ活だと思ったんでしょ? 詳しくは言えないけど、ほんとそんなんじゃないから安心していいよ。渚は女遊びなんかしないって」
そう言ってからからと笑っていた女性は、ふと思い出したように腕の時計を見た。
「ヤバ。ごめんね、それじゃ私、行かなきゃならないとこあるから」
「……はい。突然呼び止めてすみませんでした」
頭を下げて、立ち去る女性を見送る。
ところが、しばらく歩いたところで彼女は再び足を止めた。
スマホに着信があったようで、バッグの外ポケットから出して画面を確認する。直後、「えっ、今!?」と大きな声をあげた。
(……メッセージかな。どうしたんだろう?)
「あ、そか、地下いたから……。うわ、マジか~。えー、どうしよ……今からじゃ他の人間に合わないかも……」
その場で彼女はおろおろとうろたえ始めた。そして、ガバッと勢いよくこちらを振り返る。
「後輩くん!」
「!? は、はいっ」
ズンズンと速足で戻ってきた彼女は、真剣な表情で僕に詰め寄った。
「キミ、渚の後輩ってことは演劇部なんだよね? ってことは演技できるんだよね?」
「えっ? まぁ、一応……」
「一応でいい。お願い、助けて!」
パンッと、顔の前で両手を合わせて拝むポーズをされる。
僕が面食らっていると、手を下ろした彼女はさらにぐいっと体を寄せてきて、
「渚には怒られると思うけど私が責任持つから! 大丈夫、もとは渚のせいだし!」
「はい? いや、あの、話がよく……」
「詳しくは歩きながら説明する。とにかくドタキャンはまずいし時間ないの! 今から3時間、時間ちょうだい。ムリ?」
「……ムリ、ではないですけど……」
「助かるっ! ありがとう! んじゃ行こう!」
むんずと手首をつかまれる。
「あっ、私、瀨多実織。よろしくねっ」
ついでのように名乗って歩き出す実織さんに引かれ、僕はわけもわからぬまま彼女のあとをついていった……。



