DOLLは月夜に恋してる


「こんな感じでいいのかな、母さん?」
「いいんじゃないかしら。あとは保温カバーをかけて──」
「これだね。麻青、そっち持ってくれる?」
「はいっ。えっと、こうですよね……」

 3月上旬の休日、土曜日。
 僕はなぎ先輩の家のベランダで、種まきのお手伝いに励んでいた。
 12月に渡した花の種。寒い時期を過ぎ、ようやく種まきのできる季節になったのだ。

「まだ少し早いかもだけど、母さんが簡易温室みたいの用意してくれたから。今度の土曜、一緒にまこう?」

 先輩がそうお誘いしてくれた。午前中にお家へお邪魔して、プランターに土を作るところからせっせと作業して──

「よし、完成♪」

 なぎ先輩が晴れやかに額の汗を拭う。

「ていうか、ホントに保温カバーいる? 暑いくらいなんだけど」
「そりゃ今は作業してましたから……。今日、天気いいですしね。でも朝晩はまだ冷えるし、必要ですよ」

 僕が言うと、窓を開け放したリビングの中にいるお母さんも「そうそう」とうなずいている。

「お茶淹れたから休憩にしたら?」

 お母さんに呼ばれ、僕たちは軍手を外してリビングに入った。
 ソファに座り、お母さんが運んできてくれたアイスティーで喉を潤す。

「発芽に1~2週間、開花が6月頃か……」

 スマホを見ながら先輩がつぶやいた。僕のお母さんお手製のメモを画像で送ってあるので、それを見ているんだろう。

「時々様子を見に来るけど、水やりよろしくね、母さん。枯らさないでね」
「ええ、わかってるわよ」

 真顔で心配そうな息子に、お母さんは苦笑している。『それもう何度も聞きました』という顔だ。
 そんな二人を見て、僕も温かい気持ちになった。

(なぎ先輩とお母さん、前より距離がなくなったみたい……絶対気のせいじゃないよね)

 先輩が変わったから、ご両親とも関係も変わっていっている。血のつながりなんて関係ない。円城寺家はこれからもっと、いい家族になっていくはずだ。

(開花、僕も楽しみだなぁ)

 「あの花は実家のほうにまく」と先輩から聞いたのは、2月に入って何日か経った頃だった。

「卒業式終わったら家出るし、引っ越し先で育てることも考えたんだけど。『幸せの種』なら、やっぱりあの家で育てて、あの家を彩ってほしいなって。独り暮らし始めても、オレの帰る実家はあそこだし」

 少し照れくさそうに話す先輩の顔が、なんだか小さな子供みたいで。

(なんか先輩、どんどん柔らかくなってる)

 そんな変化をうれしく思いながら、「種まきの日は麻青も来てほしい」というお願いを一も二もなくOKした。
 先輩がいなくなってからはお母さんが育てることになるけど、なぎ先輩も帰れる時には帰ってきて、世話をするつもりでいるらしい。

「綺麗な花が咲くといいな……」
「絶対綺麗に咲くよ。麻青がくれたものなんだから」

 なかば独り言だった言葉に、なぎ先輩がすぐさまそう返した。ためらいのない声がくすぐったくて、頬がふにゃっとゆるむ。

「はい、そうですね」

 その後、遅めの簡単な昼食をご馳走になると、お母さんは夕食の買い物に出かけていった。
 お父さんは土曜出勤で17時頃に帰ってくる予定で、今日は夕食までご馳走になることになっている。前にご両親が言ってくれていた『お礼』のご飯だ。

 なぎ先輩と僕で昼食の洗い物をして、食後のコーヒーを淹れてソファに移動した。

「……卒業式まで、あとちょうど10日か」

 カップを口に運んでいた時、ふいに隣の先輩がひとりごちる。手を止めて顔を見ると、正面の壁に掛けられたカレンダーを見ていた。

「……そうですね」

 一口コーヒーを飲んで、カップをソーサーに戻す。

(卒業……犀堂高校からなぎ先輩がいなくなる……)

 素直に、とても寂しい。

(卒業で終わりじゃなくなったけど……それでも、今までみたいに学校で会えなくなるのは寂しいよ。先輩は実織さんのバイトも辞めちゃって、同じステージに立つことももうないし)

「先に言っておきますけど、僕多分すっごい泣くと思います。すみません」

 なぎ先輩だけじゃない。るー先輩をはじめ、演劇部であんなにお世話になった先輩方ともお別れなのだ。

(うう、大泣きする自信ある……)

「だろうね。早めにオレのとこ来て、抱きしめるから」
「だ、抱きっ……!?」

 ぎょっとして体ごと隣を向いたけれど、同時に腕が回ってきてぎゅっと抱きしめられた。

(って、今も……!?)

 あっという間に心拍数が上がって、ドッドッと脈打ち出す。

「い、今は泣いてないですよ……?」
「今はただの愛情表現」

 髪に頬をすり寄せられて、ますます体温が上がった。

「せ、先輩……」
「ん、ダメだった?」

 声が近い。先輩の体温も、香りも……何もかも近すぎて、くらくらする。

「ダメじゃ……ないですけど……」

(うれしいけど……ドキドキしすぎて、困る……)

「先輩、変わりすぎですよ……」
「何が?」

 少し体を離して、至近距離で顔を覗き込んでくるなぎ先輩。

(だからその優しい目も、声も全部ですって……!)

 想像もしてなかった。先輩がこんなに甘ったるい眼差しで誰かを見たりするなんて。

「ねぇ。オレの何が変わったの、麻青?」

 全力で『可愛くて仕方ない』と訴えてくる、艶めいてほんの少し悪戯な光を灯した瞳。

「……キャラが」

 消え入りそうな声で答えると、熱くなっている頬にチュッと音を立ててキスされた。

「素直になっただけだよ」
「~~~っ……」

 マンガだったらきっと今、僕の頭からはフシューッと蒸気が出ているに違いない。

(骨抜きってこういうこと……?)

 力が入らない僕を、先輩はふふっと楽しげな笑みをこぼしてもう一度抱き寄せた。

「卒業しても時々は帰ってくるし、麻青も横浜、遊びに来てよ。受験生だから頻繁には無理かもしれないけど、勉強だって教えるし」
「それは、はい、もちろん。行きます」

(先輩の独り暮らしする家とか、住んでる街とか……あ、大学も見てみたい)

 そう話すと、先輩も「いつでも案内するよ」と笑ってくれる。

「そういえば、実織からの仕事は来年も続けるの?」
「はい。それも受験勉強や部活とのバランスを考えながらですけど、できる限りはやりたいなって思ってます」
「そっか、実織も喜ぶね」
「先輩は、大学で演劇サークルに入るんですよね?」
「うん、そのつもり。けっこう大きいサークルがあるみたいで」

(そうなんだ。先輩、そこでもきっと大人気になるんだろうなぁ。大学って、綺麗な女の人とかもたくさんいるだろうし……)

 僕にはまだ手の届かない、ひとつ先の華やかな場所に先輩が行ってしまう気がして、正直、不安がないわけじゃないけれど……。

「──大丈夫だよ」

 ふいに体を引いた先輩が、両手で僕の頬を包んだ。

「……え?」
「どこに行ったってオレには麻青しか見えてないし、麻青しかいらないから」
「!」

(僕、何も言ってないのに……)

「『人と人を繋ぐのは、関係でも距離でもない。互いの想い』でしょ」

(……それ、月の精の)

 ジャズ喫茶エテでの最終公演で、るー先輩演じる月の精が告げたセリフ。僕の伝えたいことを聞いて、あらたが紡いでくれた言葉だ。

「はい……そうですね!」

 雲が晴れるように不安が消えていく。

(そうだ、何も心配することなんてない。こんなに僕のこと見て、わかってくれてる先輩が傍にいるんだから)

 愛おしげにうるんだ先輩の瞳に、僕が映っている。

「オレも麻青には、幸せの中で笑っていてほしい。オレの隣で」

 顔を寄せながら先輩がささやいた。
 唇にかかる吐息を感じながら、僕は目を閉じる。

「ん……」

 くすぐるようにそっと触れて、輪郭をたどるようにチュ、チュ、と軽くついばんで。それからゆっくりと、深く重なる唇。

「ぁ……せん、ぱ……」

 息を継いだ隙に唇を押し開いた舌が、僕のそれをすくい取って翻弄する。

(……頭、ジンジンして……何も考えられなくなりそう……)

 先輩のキスは、いつも僕をおかしくする。

(触れ合ってるの、唇だけなのに……全身の皮膚が、唇と同じ厚さになったみたい……)

 交わる吐息も、先輩の指先になぞられる頬や首筋も、耳に響く水音も。全部が、不思議なくらい敏感になった僕をどんどんのぼせ上がらせていく。

(あぁ、でも……)

「……先輩、大好き」

 キスの合間、熱に浮かされたように告げた。
 ッハ、と先輩がどこか苦しげに息を吐く。

「……麻青」

 片手がグッと僕の腰を抱き寄せて、ウエストのラインをなでるように動いた。

「んっ」

 くすぐったくて思わず声をもらした時、先輩がゆっくりと体を引く。

「……おしまい」

 頭ひとつ分くらいの距離で、艶を帯びた瞳を三日月の形に細めて少し笑う。
 僕はまだぼうっとしていて、額をぶつけるように先輩の胸に体をあずけた。くったりした僕を、先輩はそっと抱きしめてくれる。

「ちょっと、外出よっか」

 しばらくして互いの鼓動が少し落ち着いた頃、先輩がそう言った。

「外? どこか行くところあるんですか?」
「特にないけど……このまま家いると、オレがまずいことなりそうだから」
「え?」

(まずい……?)

「気にしないで、なんでもない。いい天気だし、散歩しよ」

 普段よりやや早口に告げ、先輩が僕の手を取る。支えてもらいながら一緒に立ち上がった。

(散歩か。なんかまだ少し体がカッカしてるし、たしかに熱冷ましにいいかも)

 コーヒーカップをシンクに運び、上着を羽織って家を出た。
 今日は晴天だ。エントランスから出ると、午後の陽光がまぶしく降り注ぐ。
 なぎ先輩は空を仰ぎ、目を細めた。

「いい天気。やっぱ今日、かなりあったかいよね」
「ですね。そういえば天気予報で、4月下旬並みの気温まで上がるって言ってたかもです」
「4月下旬? どうりであったかいわけだ」

 言いながら歩き出した先輩の隣に並んだ。
 あてのない散歩。どこに向かっているのか知らないけど、別にどこでもいい。
 ゆっくりと、ただ春の日差しと空気を感じながら二人で歩いていく。

「あっという間に桜も散って、夏が来るだろうな」

 寂しそうにも、期待しているようにも聞こえる声でなぎ先輩が言った。

「そうかもしれないですね。今年の夏も暑いかな」

(去年の夏も暑かった。でもあらたがいい本書いてくれて、今年は本気で都大会狙えるかもって気合入ってたから、ワクワクもしてて……)

 そこでふと思い出して、僕は先輩を見上げた。

 夏。真っ青な空に、真っ白い入道雲。ぱきっとした、目の醒めるようなコントラスト。
 まぶしい──まぶしすぎるくらい降り注ぐ太陽。 

「先輩はまだ、夏の空が苦手ですか?」

 問いかけると、先輩は足を止める。

「ううん」

 僕と目を合わせ、つぼみが開くようにふわりと微笑んで。それから、眼差しを澄んだ空に向けた。

「これからは、夏空も満月も好きになっていけそう」
「……よかった」

 予想していた答えだったけれど、心の底からそう思う。

 ──春も夏も秋も冬も……満月の夜も三日月の夜も、月のない夜も。
 どんな時も、先輩と一緒にいたい。

 それに、二人一緒ならいつだって、僕らの周りはとびきりのまぶしさと『綺麗』であふれているに違いない。

(先輩が隣にいてくれるだけで、僕には今だって、こんなに世界が輝いて見えるんだから)

 空を見上げながらそんなことを考えていると、先輩が僕に手を伸ばす。

「行くよ」
「──はい!」

 差し出された手のひらをきゅっと握り返して、僕たちは再び歩き出した。




    〇END●