DOLLは月夜に恋してる


 クリスマスが終わり、年が明け、新学期が始まった。
 なぎ先輩から連絡が入ったのは、1月の3週目に入ったなかばのこと。

『今週末、会える?』

 電話でなぎ先輩は短くそれだけ尋ねた。

「はい、大丈夫です」

 日曜の午後、先輩の住む街にある公園。それが先輩の指定した場所だった。

「その公園って……」
『そう、麻青がオレを助けに来てくれたところ。覚えてる?』
「もちろん覚えてます」

 家を飛び出して数日帰宅せずにいた彼が、一人ずぶ濡れになっていた夜。忘れようと思っても忘れられない。

『麻青んちからは遠くて悪いけど、来て。待ってるから』
「わかりました」

(遠くたって何時だって、先輩が待ってくれてるなら行かない選択肢なんてない)

『じゃあ、その時に』

 それ以上は何も告げず、先輩は通話を切った。
 彼がその日、僕にどんなことを話すつもりなのか。
 話を聞く時まで、勝手に詮索するのはやめよう──なんて思っても、実際にはなかなか無理で。正直、いろいろ考えた。
 よくも悪くも、振り回してきた自覚はある。でも最終的にいい方向へ向いてくれたのなら、お礼か、お詫びか……。

(もしかしたら──いやいや、バカ。期待するな)

 どんな内容だってかまわない。先輩は僕から逃げないと言ってくれた。笑顔の仮面で隠さない本音を伝えてくれるなら、それで充分じゃないか。
 そんなことをぐるぐる考えながら、週末までの数日を落ち着かない思いで過ごした。

 
 そして、当日──


「来てくれてありがとう」

 高台にある公園にたどり着くと、先輩はすでに僕を待っていた。
 鉄棒に腰をあずけて立ち、白い息を吐いている。
 もう子供たちは帰ったのか、元から人気のない公園なのか、他に人の姿はなかった。

「お待たせしてすみません」
「ううん、全然」

 先輩は鉄棒から腰を上げると、コートのポケットから出した小さめの缶を僕に差し出す。

「これあげる。まだ熱いから気をつけて」
「あ、ありがとうございます」

 僕はコートの中に来たセーターの袖を引き出し、直接触れないようにして手のひらで受け取った。

(……おしるこ)

「あ、チョイスー、とか思ってる?」
「いえ、えと……ちょっと意外だっただけで」

(先輩、そこまで甘党じゃなかったと思うけど……)

「コーヒーって体内冷やすし。甘いの飲んだほうが、気持ちほぐれてちゃんと話せるかなと思って」

 言いながら、逆のポケットからもう1本おしるこの缶を取り出した。

「あそこ、座ろっか」

 指さすのはふたつ並んだブランコ。

「先輩、座れますか?」
「大きめだから大丈夫じゃない」

 さらりと言って歩き出し、向かって左側に座る。
 ぎりぎりだけど、大丈夫だったようだ。僕も右側のブランコに座った。
 先輩はさっそくおしるこの缶を開け、一口飲んで「あま!」と目を丸くする。

「そりゃ甘いですよ」

 つい苦笑しながら缶を開けた。おしるこなんて飲むのどれくらいぶりだろうと思いながら口をつける。

(うん、甘い)

 もう一口飲んで、小さく息をついてから、先輩が切り出した。

「あの夜さ……麻青に連絡するかと、この場所を教えるか、かなり葛藤した」

 その言葉に、僕の記憶もあの日へとさかのぼる。見知らぬ土地で、先輩を探し回った夜。

「着信やメッセージには気づいてた。無視するつもりだったけど、近くまで来て探してるっていうし、雨降り出してきたし……」

(そうだったな……でも雨なんて気にしてられなかった。とにかく、早く見つけたくて必死で……)

「このまま無視してたら、麻青は雨の中探し続けるんだろうなって思って。結局連絡しちゃった」
「……はい、わかってました。根負けしてくれたんですよね」

(自分のことよりも、僕のことを心配してくれてたんだ。やっぱり先輩は、優しい)

「そうだね。でも、『麻青に無茶させるわけにはいかないから』って自分に言い訳してたけど……会ったら、それだけじゃなかったって気づいたよ」

(……それだけじゃない?)

 疑問の目を向けた僕に、先輩はきまり悪そうな笑みを浮かべながら、

「麻青の顔を見たら、勝手に言葉が出てきたんだよね。オレ、聞かれてもないのに自分からベラベラ打ち明けてたでしょ」

(たしかに……実のお母さんとのこと、なぎ先輩のほうから話し出してくれたっけ)

「それで、話しながら思った。そうか、会ったらこうなるってわかってたから会いたくなかったんだ、って」
「……? それは、どういう……?」
「いろいろ限界だったんだと思う。麻青がオレを心配して探してくれてるって知って、会ったらすがらずにはいられないことがどこかでわかってた。オレ自身がそれを望んでしまって、もう突き放すことなんてできないって」

 先輩の声にそれまでなかった熱が混じった気がして、胸がトクンと弾んだ。
 手の中でぬるんでいくおしるこの缶とは逆に、体の内側が温度を上げる。

「麻青のご家族にも会って、いろんな話聞かせてもらって、温かさに触れさせてもらって。本当はあの日に、もう降参してたんだ。でもそんな自分を素直に受け入れられなくて……麻青は自分の気持ちを全部はっきり伝えてくれたのに、オレはまた逃げた」

 キィ、と軋んだ音が鳴る。
 左手でぐっとブランコの鎖をつかんで、先輩は体をこちらに向けた。

「ほんと情けないし、ずるいことしたなって思ってる。ごめん」
「………」

 僕はなんて返したらいいかわからなくて、何も言えなかった。
 先輩の声は一言一句漏らさず集中して聞いているのに、現実味を伴わない。

(だって、そんなの……こんな話、期待しちゃいそうになる……)

 こんなに真剣な瞳で見つめられたら。もう一度願っていいのかと、思ってしまいそうになる。
 視線を絡めたまま、張りつめた沈黙が流れた。
 耳の奥で響く鼓動がうるさい。僕の表情はきっと強張っていたと思う。それを解きほぐすように、先輩が顔をほころばせた。

「今のがひとつめの話。あと、報告もあって」
「……報告?」

 話題が変わり、ほっとしたような残念なような、なんともいえない心地になった。でも忘れかけていた呼吸を再開して、早鐘を打っていた心臓は少しだけ落ち着きを取り戻す。

「年末に、養父母と話した。それと来週、実の母親と会うことになってる」
「えっ、そうなんですか!?」

 唐突な重大報告に、さっきまでの緊張も忘れて高い声を出してしまっていた。

(実のお母さんとももう約束を? いつの間にそこまで……)

「勇気くれコールがなかったから、まだ何もしてないと思ってた?」
「……すみません、ちょっとだけ」

(別に電話してくれるのを期待してたわけじゃないし、先輩が一人で決めて行動できたなら、それでいいんだけど)

「声聞きたいなとは思ってたけどね。麻青からもらったあの小瓶見てたら、けっこう大丈夫だった」

(……種の小瓶、見たりしてくれてるんだ)

 その姿を想像すると、むずがゆいうれしさが肌をくすぐる。

「よ、よかったです。それで、言いたいことは全部言えたんですか? ご両親はなんて……?」
「うん、言えたよ。本音、全部ぶちまけた。養父母は驚いてたけど、謝ってくれたよ。『価値観を押し付けてた、苦しみをわかってあげられてなくて申し訳なかった。これからはどんなことでも、正直に話してくれたらいい』って」
「……! よかった……!」

(なぎ先輩とあのご両親なら、きっとわかり合えるって信じてたけど)

 不安がなかったわけじゃない。通じたと知って、不覚にも涙が込み上げそうになってしまう。

「話してしまえば、そんなに難しいことじゃなかった。もっと早くに言っていればよかったって、自分で自分に呆れたよ」

 両手で缶をもてあそびながら、最後は自虐的に笑う。

「それは伝えることができたからわかったことですよ。答えが見えてない時は、怖くて当たり前です。先輩は大切な人を傷つけたくなかったし、居場所を失いたくなかった──それだって、当たり前の感情です」

 真顔で返した僕をしばらく呆けたような表情で見てから、先輩は「そうかな」とつぶやいた。

「麻青がそう言ってくれると、少し気が楽になるよ」
「じゃあどれだけでも言いますから、どんどん楽になってください」

(もうこれ以上自分を責める必要なんてない。先輩は勇気を出したんだから)

 僕が伝えることでわずかでも先輩の心を軽くできるなら、いくらでも伝える。

「ふふ、ありがと」

 風のような笑いを落として、先輩は缶に口をつけた。こくりと、喉が動く。

「実の母親にも、同じようにこれまで抱いてきた感情、全部話したいと思ってる。そのうえで、でも今のオレは恵まれてて幸せだから……『あなたも幸せになってください』って言えたらいいな。なんか、オレへの罪悪感で独り身貫いてるらしいから」
「……そうなんですね」
「顔も知らない相手だし、養父母と話す時のようにはいかないと思う。うまく話せる自信、まったくないし」
「きっと大丈夫ですよ、先輩なら」
「……前日、今度はさすがに麻青へ電話しちゃうかも」

 ちらりと僕を見てはにかむ。僕はおおげさに胸を張ってみせた。

「ウェルカムです。待ってます」

 その返しが意外だったのか、先輩は目を丸くした後でプッと噴き出す。

「はは……頼もしい」

 目を細めて肩を揺らす姿は、憑き物が落ちたようにすっきりしていた。

「そんなに笑わないでくださいよ。僕は、僕にできることならいくらでもって……」
「うん、わかってる」

 ふいに先輩が立ち上がった。鎖の揺れる音が、冴えた空気をかすかに震わせる。
 正面に立った先輩は、缶を持たないほうの手で僕の髪に触れた。

「ここまで行動できたのも麻青のおかげ。本当にありがとう」

 手のひらが柔らかく髪をなでる。そのたびに、胸がきゅううっと痛くなる。

「先輩、僕の頭なでるの多くないですか……?」

 かすれた声で、そんなことしか言えない。

「だって『先輩』が触れていい場所ってここくらいじゃない?」
「え……」

 どういう意味ですか──そう聞き返す前に、もう手は離れている。
 先輩は近くにあったリサイクルボックスに缶を捨てに行き、戻ってきた。

「あともうひとつ、一番大事な話があるんだけど……その前に、場所を変えたいんだ。いいかな?」

(場所を?)

「かまいませんけど……どこですか?」
「オレんち」