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ピアノの生演奏と共に物語が始まる。
青みを帯びた照明の落ちるステージ。クラシカルな衣装に身を包んだ、美しい黒髪の兄弟人形。
満月の夜。月の精の魔力を得て、二人は人間界での自由と幸福を探しに行く。ここまでの展開は前回と同じだ。
だが、その先は大きく異なる。
二人はそこで、両親や祖父母と仲よく暮らす自分たちと同年代の子供を多数見て、自分たちと彼らが根本的に違うことを初めて知る。
『兄さん。人間の子供にはみんな、家族がいるんですね』
『そうだな。だが、私たちにはいない』
『僕には兄さん、兄さんには僕しかいない……』
自分たちは親の、家族の愛を知らない。そんな自分たちに人間の子供と同じ幸せが手に入るはずもない、と嘆く二人。
その時──
『悲しむことはないよ、可愛い兄弟』
流音がステージに登場し、観客席の、主に女性から小さな歓声があがった。
真っ白い王子様のような衣装に、長い金髪のウィッグを着けた美青年。役どころは、兄弟に力を与えた月の精だ。
前回同様、序盤のシーンでは照明で生み出す陰影や、二人の芝居で月の精の存在も演出した。そして後半は香夏子の知人の劇団員が吹き込んでくれた台詞の録音を使うと聞いていたが、これは渚にだけされた噓の説明だったらしい。
実際には流音が演じるのだと、準備をしている時に渚も聞いた。
これだけでもかなり演技プランが変わるのでいい迷惑だが、もはや怒る気力もない。すでに即興芝居でもなんでもやってやると開き直っている。
『親がいなくても、おまえたち二人は家族だ。二人の幸せを探せばいい。この世界にも必ずあるはずだよ。おまえたちが、それに気づくことができれば』
月の精の言葉を受けて、兄弟は再び夜の人間界に出る。
そこで見つけたのは、一人息子を亡くし悲嘆にくれていた夫婦の姿。
窓も開け放したまま泣き濡れている夫婦を見て、兄弟はその窓辺にそっと降り立つ。
まだ悲しみの涙に頬を濡らしつつも、兄弟に気づいた夫婦は「美しい人形だね」とかすかに微笑んでくれる。
『息子の代わりにはなれなくても、私たちが彼らの悲しみを癒すことができるかもしれない』
『うん。僕たち、ここにいよう。二人が僕たちを見て少しでも笑ってくれたら、それが僕たちの幸せ──』
そうして二人は、自らの意思で新しい居場所を見つけた。
──ここまでが、渚の把握しているストーリーだ。
二人なりの幸福を見つけた喜びに、『弟』である麻青と微笑み合うラストシーン。演じながら、渚は内心で『さあどうくるか』と考えていた。
バンドの生演奏はまだ続いているが、一度照明が落ちる。そして演奏が終わった時、渚と麻青にスポットライトが当たった。
『兄さん、少し待っていて』
麻青……いや、『弟』が言い、『兄』をその場に残してステージを下手側へ移動する。ライトも彼を追い、渚は照明から外れ薄闇の中に残った。
『月の精!』
弟が呼ぶと、流音演じる月の精が下手から現れる。
『どうしたんだい?』
『月の精。あの夫婦は、僕たちをとても大切にしてくれている。僕たちも、もっと二人の力になりたいよ。ねぇ、人形の僕たちは、彼らの家族になることはできないの?』
『それはおまえたちが決めることだよ。家族になれるか、なれないか。すべてはおまえたちの心次第』
『僕たちの、心……?』
『そう。大切なのは、共にいたい、家族になりたいと願う心だ。人と人を繋ぐのは、関係でも距離でもない。互いの想いなんだよ』
『じゃあ、僕と兄さんの想いがあれば家族になれる?』
『そう願い続けなさい。そうしてもう一度、おまえたちの幸せについて考えてみなさい』
しなやかに腕を動かし、月の精が懐から何かを取り出した。
渚は目を凝らす。手のひらに収まるほどの、ガラスの小瓶だった。何か黒いものが入っているが、中身まではよくわからない。
『前にも話しただろう? 幸せは、向こうから訪れるものじゃない。自分たちが幸せになろうとすること。そして、周りにある幸せの種に気づくこと』
小瓶を差し出され、弟は両手で包み込むように受け取る。
『幸せの、種……』
『気づいて、種をまいて、水をやりなさい。どんな花が咲くか、私も楽しみにしているよ』
月の精が優美に微笑むと、また短い暗転が挟まれた。
月の精がステージから去り、スポットライトが再び自分と、傍へ戻ってきた弟を照らす。
『兄さん、これを』
弟が兄の手を取り、受け取った小瓶を握らせた。
(……種)
瓶の半分ほどの高さまで入った黒っぽい粒。間近で見て、何かの種子だと把握する。
『兄さん』
弟が自分を見た。
弟であると同時に、その微笑みは麻青のものだった。『なぎ先輩』と呼ぶ声が、耳の奥で聞こえた気がした。
『僕は信じます。僕たちを大切にしてくれるあの二人と、家族になれると。だって僕は、兄さんやあの人たちが大好きだから。この想いを伝えれば必ず届くと、信じます』
(麻青……)
渚はただ、目の前にある澄んだ黒い瞳を見つめていた。
ここが店のステージであることも、芝居の上演中であることも意識の外へ飛んでいく。
ただ、揺るぎのない光を湛えた瞳に釘付けになっていた。
(……これが、2年ほど前までは引込み思案で自分に自信もなくて、発声にも声を震わせてたあの子なのか)
堂々とした立ち姿、声。眼差しに宿る信念と希望。
これが演技であると同時に、麻青から渚へ向けた言葉なのはもうわかっていた。
プレゼント。麻青から渚への、メッセージ。
(本当に、麻青は強い。強くて、馬鹿みたいにまっすぐで、温かくて……)
『この種はきっと僕たちの心。家の庭にまいて、育てましょう。花が咲く頃には、きっとまた新しい幸せの中にいます。……あなたには、幸せの中で笑っていてほしい』
小瓶を持つ手を、麻青の手のひらがきゅっと握り込む。伝わる温もりが、波紋のように全身へと広がっていくのを感じた。
自分の中で凍えていた何かが、優しく溶かされていく。
『兄さん』
麻青がじっと自分を見ている。自分の言葉を待っている。
(ったく……この状況で長たらしいアドリブができるとか思うなよな)
片隅でそんな負け惜しみじみたことも考えつつ、渚は心からの笑みを返した。
「そうだね、私もそうありたいと願う。もう一度、二人の幸せを探しに行こう」
照明がゆっくりと絞られ落ちていく。一拍の間の後、店内は大きな拍手に包まれた。
ステージ裏に戻ってきた渚と麻青を、真っ先に流音とあらた、実織が出迎えた。
「よかった! めっちゃよかったよ、二人とも!」
「いやー、うまくいきましたね!」
興奮で頬を赤くしている実織とあらたに、麻青が「ありがとう」と返す。
渚は身をすり寄せるように近づいてきた流音に、ぽんと肩を叩かれた。
そのまま流音は渚の耳元に顔を寄せ、小声で告げる。
「あのさ。オレがはけてからの『弟』のセリフは、オレらの台本にもないの。麻青にお任せした部分」
「……だろうね」
あれは麻青の言葉だった。あらたに書けるものではない。
「で、どうだった? オレたちの特別ステージ」
体を引き、目線を合わせて流音が聞いてくる。
「それ、どっちのことを言ってんの?」
「どっちも」
「……よかったんじゃない」
「実織さんの名演技も?」
「だね。すっかり騙されたよ」
「当然。オレとあらたで演技指導つけたんだから。迫真だっただろー」
にやにやと笑う流音に、渚は舌打ちしたくなるのをかろうじて堪えた。
(はいはい、そうですね。素人の演技とチャチな騙しに、あっさり引っかかってパニクりましたよ)
「でもさ。あれ、瓶が落ちたのは偶然だよね?」
悔しまぎれに、気にかかっていたことを極力平静な口調で尋ねた。
店のスタッフが落としたらしいから、そこまで仕組まれていたわけではない。
「うん。実織さんとつながったものの、今日一日でオレたちに何ができるかなって話しながら、ステージの下見とオーナーさんへの挨拶に行ったんだ。その時バックヤードであのトラブルがあって、麻青が掃除始めて。それ見てる時、ひらめいたあらたが速攻で段取り考えた」
(じゃあ、あれこそ本当に即興劇だったってこと?)
「……元部長も現部長も怖すぎなんだけど」
途方もない疲労感に、渚は天井を仰ぐ。
「はは、たしかにオレの教育の賜物かもね〜。でも、おかげで気づいたことあるんだろ。感謝してよ」
もう一度渚の肩を叩き、流音は一歩離れた。その顔から笑みが消え、真剣な眼差しが渚を突き刺す。
「もう逃げんなよ」
「……逃げたくても無理っぽい」
低く答えると、流音は満足そうに口角を上げて去っていった。



