DOLLは月夜に恋してる


 11月初旬の土日。運よく快晴の空の下、学園祭の当日を迎えた。
 演劇部では初日の土曜に体育館で舞台公演を行う。
 開演1時間前。控え室で準備をしていると、引退した3年の先輩たちが差し入れを手に顔を出してくれた。

「ほれ、陣中見舞だぞー」
「わぁ、ありがとうございます!」

 るー先輩とくら先輩、ながやん先輩がドサッとテーブルに置いてくれた大量のビニール袋に、部員たちが群がる。

「うわ、見て見て! う〇い棒大量にある!」
「すげー、全種類あんじゃね!? 俺コンポタ、コンポタ!」
「相変わらず安いもんでも喜んでくれるよなぁ。うんうん、いい後輩だ」

 腕組みをしてしみじみと首を縦に振っている、るー先輩。
 その横で、なぎ先輩も穏やかに微笑んでいた。

(なぎ先輩……体は、大丈夫そうかな)

 先日自宅に来てもらった時には顔色も冴えず、隠せない疲れがうかがえた。まさか野宿をしていたわけではないだろうけど、家を出ている間、不安定な生活を送っていたのだろう。
 でも今は顔色もよくて、少なくとも健康面での問題はないように見える。

「また香納のタケルが観られるのうれしいよ。オレ、けっこう好きなんだよね」

 あらたと一緒にポテトスナックを食べている香納に、なぎ先輩が話しかけた。

「ども」
「説得、ほんっと大変だったんですよ! 本当にこれが最後って約束で、なんとか口説き落としました」
「もったいないですよねー! 続けてくれたらめちゃくちゃ戦力になんのに!」

 あらたの説明に、同じ2年の祥太も便乗して話に入ってきた。

「うーん、まぁでも、本人の自由だからね」
「それはそうなんですけどぉ。先輩たちも香納もいなかったら、麻青と身長差でバチッと決まる男役がいないし……なぁ、麻青?」

 祥太に呼びかけられて、僕はドキリとしたのを表情に出さないよう努めた。
 まだなぎ先輩とどんな顔で接したらいいかわからなくて、距離を取っていたのだけれど……

「そんなことないよ。祥太も淳巳も、剣斗もいるし」

 答えながら、彼らの輪に加わる。精一杯、何気ない声を装って。

「いや、俺と麻青でギリ10㎝差だろ。淳巳と剣斗はもうちょい低いし、メリハリそんな出せないじゃん。うーくそ、180欲しい~!」
「見た目だけがすべてじゃないでしょ。大丈夫、祥太なら演技でカバーできるって。ね、麻青?」

 祥太の背中をなでてなだめながら、なぎ先輩が僕に笑いかける。柔和で優しい、後輩思いの先輩の顔で。

「……はい、僕もそう思います」

(今、うまく笑えてたかな)

 僕は再び、先輩に明確なラインを引かれてしまった。

 知らなかった先輩の素顔に、ほんの少しだけ近づけた夏。
 でも秋から夏へと時間を巻き戻し、彼はもう、それまでと同じ距離感にいる。
 二人で同じステージに立ったこの夏と秋を、先輩はきっとなかったことにして……このまま、僕の前から消えるつもりなんだろう。
 僕はその時──卒業までの残り時間を、ただの後輩として、受け入れるしかない。

(どんなに苦しくても……本当に、なぎ先輩がそう望むなら……)



 本番上演後、出演者は舞台衣装のまま、外通路に続く体育館前に移動した。ここで少しだけ、観に来てくれたお客さんに挨拶したり、話したりできるようになっている。

「麻青くん! 観てたよ~!」
「わぁ、本当に来てくれたんですね!」

 なぎ先輩を引っ張るように連れて声をかけてくれたのは、バイトでお世話になっている実織さんと綾羽さんだ。二人も専門学校のイベントで忙しい時期だけれど、都合をつけて来てくれたのだという。

「ありがとうございます、実織さん、綾羽さん」
「こっちこそ! すっごくよかったよ、舞台!」
「お話もだし、みんな素敵だったし、何より麻青くんのミユキ超可愛かったぁ~! タケル待ってるとことか切なくて泣いた~!」
「はは、そんなに褒められると照れちゃいますよ……」
「いやホントによかったから! バイトの案件だとせいぜい2,30分のお芝居じゃん? でもあんなの観ちゃうと、がっつり演技してもらえる案件やりたくなるね~」
「そういうのもやってもいいんじゃない? ねえ、渚くん?」

 綾羽さんが斜め後ろのなぎ先輩を振り返った。
 おそらくなぎ先輩は、二人が顔見知りを探して強引に連れてきただけだろう。最初から困惑気味の表情で女性二人の背後に立っていた。

「45分くらいの二人芝居とか、こないだのたんぽぽ園みたいに、施設系の依頼ならよさそうじゃない?」
「……どうかな。オレ、今はほとんど時間取れないし」
「あ、そっか。渚くん、受験大詰めだっけ」

(受験……)

 そうだ。確か先輩は、公募推薦で年内には試験があると前に実織さんたちと話していた。

(学科試験もあるし、確実に受かるとも限らないから勉強も欠かせないって言ってたっけ。論文とか面接の対策も大変だろうし……)

「結果も年内にわかるんだよね?」
「うん。受かれば来月なかばには落ち着いてる」

 実織さんの問いに、なぎ先輩は淡々と答えた。自信のほどは口調からは読み取れない。

「来月なかばか。じゃあ受験が終わったら、またバイトしなよ。香夏子さんも渚に来てほしいってよく言ってるし」
「……そうだね。香夏子さんには特にお世話になったし、最後にお礼を兼ねて」
「最後……?」

 驚いたのは僕と綾羽さんだけ。実織さんは寂しそうな表情をしつつも、予想していた答えを受け取った顔だった。

(最後って……先輩はあのバイトも……?)

 食い入るように見つめる僕の視線を、なぎ先輩は苦笑しながら受け止めて、

「受験のストレス発散はもう必要なくなるし。卒業したら家出るしね」
「そうなの? 大学遠いんだ?」

 と、やはり僕と同じく知らなかった様子の綾羽さんが問う。

「本命は横浜。遠いってほどでもないけど、毎日通うのはダルい」
「あー、そかぁ。この辺からだとトータル90分くらいかかるもんねぇ」
「だね。大学入ったら、そっちで演劇サークルとか入るだろうし」

(そっか……先輩にはもう、あのバイトも必要なくなるんだ……)

 家も出て、物理的にも遠いところへ行ってしまう。
 本当に、これきりになる。
 わかっていたはずの事実が改めて重くのしかかって、きりきりと胸を締め付けた……。


 ●〇●〇


「なぎ先輩、大学遠いとこ行くんだ……」

 女性客2人と話す渚と麻青をやや離れた位置から見ていたあらたは、やるせない感情をため息にのせた。
 傍らに立つ流音もそちらに目をやりながら、

「元から家は出たかったのかもしれないけどな。これ幸いと逃げる気か……ったく、あのバカ……」

(どう見ても、全然ただの先輩後輩になんか戻れてないくせに。二人とも、何をヒヨッてんだか)

 苛立ちに近いもどかしさに、流音は自分の首筋に爪を立てる。

「麻青、おれにも心配かけないように元気なふりしてるんですけど、無理してるの伝わってきて……」
「だろうね。健気だよなぁ」
「るー先輩。余計なお世話かもしれないけど、おれたちに何かできることってないんでしょうか……?」

(オレも渚に発破はかけてみたんだけどね……)

「残念だけど、オレらが話した程度じゃ無理っぽい。渚はだいぶこじらせてるから。あいつが自分で殻をぶち壊すようなきっかけがないと難しいかもな」
「そうですか……」

 その時、渚たちの輪を離れた麻青があらたのほうへと歩いてきた。

「あらた、そろそろ撤収の時間じゃない?」
「あっ、う、うん。そうだね!」

 先ほどまでの密談を気取られないよう、流音も何事もなかったようにその場を離れた──。


 ●〇●〇


 11月下旬に差し掛かった頃、実織さんからメッセージが来た。

『渚が12月に最後のバイトする件、日程出たんだけど麻青くんも一緒にステージ立たない?』

(え、受験の合否発表はまだだよね。もう日程決めちゃえるってことは、手応えあったのかな)

「きっと入試、うまくいったんだ。よかった……」

 自然とそんな言葉が口をつき、ワンテンポ遅れて安堵した。

(よかった。僕、ちゃんと先輩の合格を喜べそう)

 様々な感情を抱えたまま受験に臨んだ先輩。心配だし、無事に合格してほしいと思う。
 でも合格すれば、他県の大学に進学することが確定する。家を出ることや、最後のバイトも。
 そのうえで、僕は先輩の合格を素直に喜べるんだろうか。
 そんな心配をしていたけど、大丈夫だった。純粋にうれしいし、大変ななか乗り越えたなぎ先輩はすごいと思う。
 『最後のバイト』という文字には、やっぱり胸が痛むけれど……。

 詳細を尋ねると、予定通りバイト先はジャズ喫茶エテで、45分程度のバンド生演奏付きお芝居で考えているとのことだった。

(これが、先輩と立つ最後のステージ……だったら……)

『それならお願いがあるんですが』と僕は返信を返した。

『前にやった、兄弟ドールの物語をアレンジしたものがやりたいです』

 満月の夜に魔力を得て、人間世界での幸福を探そうとした美しい人形の兄弟。
 でも逆に人間たちの汚れた感情を見てしまい、二人きりの世界で生きていくことを選んだ。

(あのストーリーもすごく綺麗なメリバでよかったけど……)

『朗読だった部分も全編二人芝居にするってこと? いいね! アレンジって?』
『中盤からの展開を変更して──』

 ざっくりと、ストーリー案も長文メッセで送る。
 しばらくして返ってきたメッセージは意外なものだった。

『なるほど! それなら、私からも特別ゲストの提案があるんだけど──』