DOLLは月夜に恋してる


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 夕食を終えると、僕の部屋に来客用の布団を運び込んだ。布団を敷いている時、僕はふと、実織さんに連絡できていなかったことに気づく。

(そうだ。なぎ先輩と会えたこと、伝えておかないと。今も心配してるはず)

「先輩、ゆっくりしててくださいね」

 先輩のいる前で連絡するか迷ったけれど、今は何も考えずに休んでほしかった。だから布団の入っていた袋を戻しに行くついでに、さりげなくスマホを持って部屋を出る。
 リビングで実織さんに電話をかけると、2コールで応答があった。

『はいっ、もしもし』
「実織さん、ごめんなさい。連絡が遅くなりました」

 なぎ先輩を見つけて、ずぶ濡れだったことと家に帰りたくない様子だったので、僕の家に泊まってもらうことにしたと説明する。

『そっか、とりあえずよかった……! ありがとう、麻青くん!』
「いえ、そんな。来てもらったものの、僕もどうしたらいいか、まだあれこれ考えてるんですけど……」

 とにかく濡れている先輩をどうにかしたいのと、あの場で別れたらそれきりになってしまいそうな不安で、一緒に帰ることしか考えていなかった。
 僕には推し量りようもない深い苦悩を抱えている先輩に、僕が何をできるのか。相談のつもりで、実織さんにもこう言ったのだけれど……

『別に、あれこれ考えなくてもいいと思うよ』

 しばらく思案するような間を置いた後で、落ち着きを取り戻した静かな声が返ってきた。
「……考えなくてもいい?」
『うん。麻青くんは、渚と一緒にいてくれればそれでいいよ。渚が麻青くんと帰ったってことは、多分そういうことだと思う』

(そういうこと……? って、どういうこと……?)

『私が行っても、渚はきっと、一緒には戻ってくれなかった気がする。まいってる自分を見せるのとか、頑なに拒んできた子だもん』

(それは……僕だから、なぎ先輩はついてきてくれたっていう意味……?)

「そんなことは……」
『あるんだって。最初からあの子、ずっとそうなんだから』

 きっぱり言い切ったあとで、実織さんは少しだけ気恥ずかしげに続けた。

『あのね。実は渚と同じで、私も養子なんだ。実の両親が事故で死んで、親戚んちの養子になったの』
「え……そ、うなんですか……?」
『うん。で、似たような境遇の渚に親近感持って、私から声かけて話すようになって。お互い、周りと自分とは違うって思ってたし、似た者同士、素で話せて楽でさ。仲よくはなったんだけど、それでも渚は、泣き言とか悩みは全然口にしないんだよね。あの子は基本、諦めたような、冷めた顔で笑ってんの。いっつも』

 穏やかで柔らかい、それでいてどこか冷たく寂しげな。僕がこれまで見てきたなぎ先輩の笑顔が、まぶたの裏に浮かぶ。

『外面で接しなくていい私にも、本当の本当はやっぱり見せないんだよ。私は親に捨てられたわけじゃないから、完全に渚と同じになることはできない。渚もそう思ってるんだと思う。だからあの子は、誰にもすべてをさらけ出さない』

(そうだったんだ。すごく親しく見えてたけど……)

 同胞といっていい実織さんですら、その心に触れられるところにまでは、手が届かない。

『そんな渚見ててね、実はちょっと好きになりかけた時期もあったんだけど、あぁ私にこの子を支えるのは無理だなって思ったら、その気持ちも消えちゃった。私じゃ手に負えんのよ、あの子は』

 軽い口調で言って、あははっと実織さんは笑った。

『私ができるのは、今みたいにバイト紹介して、あの子が息抜きできる時間を与えてあげるくらい。でもずっと、いつかあの子が本当に心を開ける相手ができたらいいなって思ってた』
「先輩が……本当に、心を開ける相手……」
『うん。私は、麻青くんなら渚を変えられるかもしれないって気がするんだ』
「ぼ、僕がですか……!?」

 今の話を聞いたら、とてもそんなふうには思えなかった。
 そうだったらいいなとは思う。でも僕は生まれ育った環境も、抱えてるものも、まったく違う。

「けど僕には、実織さんよりももっと『同じになること』ができないかと……」

 そんな僕に、実織さん以上に彼へ近づくことなんて、できるんだろうか。

『それはそうだね。でも、渚が私に最後の壁を取り払えないのはそこがあるからだろうけど、必要なのは『同じになること』じゃなかったのかもしれない』
「……? どういうことですか?」

 抽象的な言い方に戸惑い、僕は眉間を寄せる。

『私と渚は、今の距離感がベストっていうだけ。それと、渚の心を溶かせる存在はまた別ってこと』
「別……」

(そうなのかな……正直、よくわからない)

 ピンと来ていないことは実織さんにも伝わっただろう。彼女は、「気にしないで」と言うように再び笑った。

『まぁ予感っていうか、だったらいいなっていう希望のほうがデカいんだけどね。でも今、渚が麻青くんのところにいるのは事実なんだし。少し前からは信じらんないじゃん。養子だってこと、あの子高校では隠してるはずだよ。それが本当のこと話して、素直にお持ち帰りされて、麻青くんの家族とご飯食べてるんでしょ』
「お、お持ち帰りって。実織さん、言い方……」

 思わず焦ってしまう。
 でもたしかに、実織さんの言う通りだ。以前の僕たちの関係を思えば、信じられない。

(もっと傍に行けるって、思っていいのかな……)

『麻青くんは麻青くんのまんまでいいから、渚と一緒にいてあげて。あの子のこと、よろしく』

 明るい声に切実な響きが覗く。

(一緒にいたいのは、僕だって……)

 僕は「はい」と答えて通話を終えた。