DOLLは月夜に恋してる


「あぁ、なんとか着れたわねぇ。よかったわ」

 お風呂を出てリビングに入ってきたなぎ先輩を見て、お母さんがふくふくと笑う。

「下はさすがに短いけどねぇ。我慢してね」
「いえ、充分です。ありがとうございます」

 なぎ先輩は、まだ呆けているような顔で軽く頭を下げた。
 移動中もずっと、心をどこかに置いてきたような無表情で黙り込んでいたなぎ先輩。今にも消えてしまいそうな頼りなさで、僕は袖をつかんでおきたくなるのをなんとか我慢していた。

(でも、顔色はかなりよくなったな。よかった)

 それだけでも、ずいぶん安心する。
 着替えは福袋に入っていた未使用のMサイズパジャマで、上はオーバーサイズタイプだったので普通に着られた。でも下のスウェットは短くて、7分丈になっている。

「下、俺のパジャマのほうがマシだったんじゃないか?」

 ソファに座ってテレビを見ていたお父さんが口をはさんだ。途端、お母さんに、

「あなたのじゃウエストガバガバに決まってるでしょ。自分のお腹見てから言ってちょうだい、もう」
「……はい、失礼しました」

 容赦なくツッコまれ、すごすごと引き下がった。お父さんは173㎝で僕より高いけど、メタボ気味だ。

「麻青はほんとにお風呂いいの?」
「うん。髪も乾いたし平気だよ」

 お母さんの問いかけに、僕は髪を示して見せた。
 先輩が入浴中に僕も着替え、髪はドライヤーで乾かした。先輩ほどは濡れていなかったので、体ももう温まっている。

「それよりご飯にしよう。遅くなってごめんね」

 ちょうど夕食の時間帯に、僕は家へ『今夜、学校の先輩を泊めてあげたい』と連絡した。両親はやってきた先輩がずぶ濡れで顔面蒼白なのを見ると驚いていたけれど、何も聞かずにお風呂を勧めてくれた。
 夕食も希空と桃香には先に食べさせたけれど、両親は取らずに僕たちを待ってくれていたらしい。食事を終えた妹弟はお父さんと一緒に座って、好奇心の隠せない目でなぎ先輩を見ている。

「兄ちゃん、演劇大会の時に会った人だよね? やっぱかっけー!」
「希空、かっけーなんて言い方しちゃよくないよ……」
「なんで? 桃ねぇもあの時、姉ちゃんとすごいかっこいい人だったって言ってたじゃん」
「の、希空っ!」

 ボンッと顔を赤くする桃香を見て、お母さんがのんきに「あらそう、演劇大会でねぇ」と笑っている。
 そんな光景に、なぎ先輩の表情も少しだけ和らいだ気がした。その変化に、僕はひそかにほっとする。

(うちの家、賑やかだからちょっと心配もあったけど……大丈夫かな)

 自分で言うのもなんだけど、我が家はみんな仲よくて、明るい家族だ。
 サラリーマンのお父さん、パートタイムで働いてるお母さん。二人ともごく普通の人だけど、人がよくてにこやかで優しい。そして、素直で可愛い妹と弟。
 温かい家族で大好きだけど、だからこそ今の先輩には、逆に鬱陶しく思えるかもしれないという懸念があった。でも今の先輩を見る限り、負担にはなっていなそうで安心する。

「なぎ先輩、ここ座ってください」

 ダイニングテーブルの自分の隣、普段は希空が座っている席に先輩を促した。

「そうね、食べましょ食べましょ。お父さん!」
「ほいほい」

 お母さんとお父さんもテーブルへとやってくる。
 先輩は僕に背中を押されつつもためらいながら、

「いいんですか、オレまで……」
「いいのよう、うちいつも多めに作るから! 大したものじゃないけどね」
「遠慮なく食べてください、先輩。中からも体あっためないと」
「……うん、ありがとう」

 そうして、4人で食事を始めた。興味深そうに周りを歩き回っていた希空と、ソファからチラ見していた桃香は、途中でお母さんに「宿題してきなさい」と言われて残念そうに部屋を出ていく。
 先輩はやっぱり元気がないけれど、食事を進めるうちにだんだん表情から陰りが抜けていった。

「……あ、これもおいしいです」
「そう? うちの肉じゃが甘めでしょう、大丈夫?」
「全然。好きです、こういう味付け」
「あらそう、よかったわぁ!」
「それで、渚くんは演劇部の先輩なんだよな?」
「……はい。春で引退はしたんですけど」
「でも、9月の地区大会では照明とか手伝ってくれたんだよ」
「そうかそうか。いやぁ、うちの麻青が2年間、大変お世話になりました」

 お父さんがペコペコしながら言うと、お母さんもしみじみと頬に手を添えて、

「麻青が演劇部に入ると聞いた時には、この子にそんなことできるのかって心配したんだけどね。楽しんでるようだったし、どんどん明るく積極的になっていって……いい仲間に恵まれたおかげだなって、本当に感謝してたのよ」
「ちょっと……やめてよ、お父さんお母さん。恥ずかしい」

 急に感慨深そうな顔で話し出す二人を、僕は慌てて止めた。

「いやでも本当に感謝してるからな。麻青が変われたのは演劇部のおかげだろう」
「そうだけど……そんな話、今しなくていいから!」

 顔が熱くなるのを感じながらきつめに言うと、両親は「はいはいわかったよ」と首をすくめる。

(もう、恥ずかしげもなくこういう話するんだから。今は僕のことなんてどうでもいいのに……先輩、困ってないかな)

 横目で見ると、先輩と目が合った。ごく薄い笑みを浮かべ、何も言わずに食事を続けている。
 その胸中までは読めないけれど、にこやかな両親のおかげで、食事は終始穏やかな空気のなか進んでいった。