DOLLは月夜に恋してる


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 そして翌週の土曜日。
 『児童養護施設たんぽぽ園』でのイベントに出演するため、僕、なぎ先輩、実織さん、綾羽さん、そしておっとり系先輩の唯子(ゆいこ)さんという5人で待ち合わせ、施設に向かった。

 今日は控え室を用意してくれているそうなので、準備もそちらで行う。衣装、小道具、メイク道具も持ち込みのため、全員なかなかの大荷物になっていた。
 区内にある『児童養護施設たんぽぽ園』は、電車を1回乗り継いで30分ほどの距離。最寄駅から施設までは徒歩約10分とのことだった。

「麻青、ショーのほうだけど、送った説明でわからないとこなかった?」

 電車の中でなぎ先輩がそう確認してくる。マジックショーで僕は助手を務めるので、マジックの説明や僕がすることをデータでもらっていた。

「はい、大丈夫だと思います」
「そう、よかった。よろしくね」

 僕を見下ろす目元がふっとゆるむ。今日の先輩は白いシャツの上に黒のロングベスト、黒スキニー、頭には同じく黒のハットというモノトーンコーデで、大人っぽいかっこよさについドキドキしてしまう。

「養護施設のイベントっていうのは初めてよね。ショッピングモールの子供向けステージと同じようなノリでいいのかなぁ」
「いいんじゃない? まあ私たちが緊張することないよ。メインは渚くんと麻青くんなんだから」

 司会も務めることになっている唯子さんと綾羽さんがそんな言葉を交わしていた。その横で、実織さんは様子をうかがうようになぎ先輩を見ている。

「どしたの、実織?」
「あ、ううん。なんでも」

 なぎ先輩に不思議そうな顔をされ、そう言って視線をそらしたけれど……

(実織さん……?)

 まもなく施設の最寄り駅に到着した。綾羽さんがスマホでマップを出して先導してくれる。

(徒歩10分ってことはもうそろそろかな)

 そんなことを考えた時、隣のなぎ先輩が小さく息をつきながら、ハットを少し目深に被り直した。

「えっと、この先の交差点を右に曲がったらすぐだね」
「そか、時間通りだね~」

 前を歩く綾羽さんと実織さんが言葉を交わす。
 ほどなくして交差点に指しかかり、右折して1分も歩かないうちに資料で見た施設の建物が見えてきた。オレンジの屋根にクリーム色の外壁の2階建て。小さな園庭もあり、幼稚園のような雰囲気だ。
 門は閉じられているので、門柱にあるインターホンを実織さんが押す。『はい』と女性の声で応答があり、『アートチームFLUX』だと名乗ると、声と同一人物と思われる40代くらいの女性が迎えに出てくれた。

「まぁまぁ、ようこそ。急なお願いを受けていただいて、今日はありがとうございます」
「いえ、よろしくお願いします」
「話には聞いていましたけど、本当に若い方たちでやられているのねぇ」
「はは、そうですね。本業は学生なので。でもステージの経験はそこそこありますから安心してください!」

 気さくな実織さんと綾羽さんが中心になって、施設の人と話しながら案内されるまま進んでいく。職員出入り口のようなところから入り、そのすぐ近くにある8畳ほどの和室に通された。

「ここをお使いください。開演は予定通り1時間後でいいですか?」
「はい、大丈夫です」

 開演10分前に迎えに来ると言い、施設の人は去っていく。そんなに余裕はないから、さっそく着替えとメイクを始めなくてはいけない。
 僕は衣装の入っているスポーツバッグを床に置いて、着替えのスペースを探した。

(着替えられる場所を作っておいてくださいって、実織さんが施設にお願いしてくれてるはずだけど……)

「あ、なぎ先輩。あそこのパーテーションの奥で着替えられるみた──」

 衣装を取り出しながら傍らを見上げて、僕は言葉を切った。
 なぎ先輩はハットを被ったまま、固まったようにじっとしている。この施設の資料を見た時と同じような硬い、緊張したようにも見える表情をしていた。

「……なぎ先輩?」

(やっぱりなぎ先輩、なんかおかしい)

「渚」

 近づいてきた実織さんに軽く肩をたたかれて、なぎ先輩はビクッと肩を震わせた。

「……ごめん。すぐ準備するから」

 バッグを下ろし、屈んで衣装を出し始める。実織さんはその様子をしばらく見降ろしていたけれど、やがて「うん」とだけ言って自分のメイク道具を準備しに戻っていった。

「着替えよう、麻青」
「あ……はい」

 今回の依頼は、なぎ先輩にとって何かある。そして実織さんはその理由を知っている。そう察していても尋ねるタイミングはなく、あっという間に開演時間を迎える。
 そして1時間の出演の後、僕たちは再び控え室へと戻ってきた。

「子供たち喜んでくれてたね~!」
「うん、大成功だね! よかったぁ~」

 20人ほどの子供たちを前に演じたお芝居とマジックショーは大盛況で、肩の荷が下りた僕も力を抜いて畳に座り込んだ。

「麻青、お疲れさま」

 なぎ先輩が隣にやって来て、施設の人が置いてくれていたペットボトルの水を手渡してくれる。

「お疲れさまでした。なぎ先輩のマジック、すごいですね。助手っていうの忘れて、僕も見入っちゃってました」
「嗜む程度だよ。あれで持ちネタほぼ全部だし」
「いやいや、それでもすごいですよ」
「ふふ、そう? ありがと」

(先輩……今は普通、かな……)

 笑いながら水を飲んでいる横顔は、本番を終えて安堵しているように見える。開演前の硬さはない。
 気になりつつも、この部屋を使わせてもらえる時間も決まっているので急いでメイク落としと着替えを済ませた。

「ねぇ、渚と麻青くんで荷物まとめるのと、忘れ物ないかのチェックしてもらっていい? 私たち、施設の人に挨拶してくる」

 着替えを終えてパーテーションから出ると、実織さんがそう言って綾羽さん、唯子さんと共に部屋を出ていく。

「じゃあオレ荷物まとめるから、麻青、忘れ物チェックしてくれる?」
「はい」

(何もない……うん、大丈夫)

 そうして帰り支度を終え、なぎ先輩が荷物の上に置いていた自分のハットを被ろうとした時だった。

「失礼しますね」

 襖の向こうからそう声がして、女性が一人、部屋に入ってくる。

(この人……たしか、ここの園長さん?)

 60代くらいの、ほとんど真っ白になった髪を後ろでひとつにまとめている小柄な女性だ。彼女は静かに襖を閉めると、なぎ先輩のほうに歩み寄った。

「……少し、お話したいことが」

(え……?)

「…………」

 なぎ先輩は黙って園長さんの顔を見た後で、被ろうとしていたハットを下ろす。

(園長さんが、なぎ先輩に話?)

 と、その園長さんがちらりと僕のほうをうかがった。僕がここにいることを気にしているみたいだ。

(もしかして僕、いないほうが……?)

「いいですよ。バレてたんなら、今さら隠しても仕方ないし」

 なぎ先輩が、諦めたような苦笑を浮かべて言った。

「気づかれないと思ってたんですけど」
「わかりますよ。……あのお顔でしたから、少し時間はかかりましたけどね」

 園長さんの声音が変わった。親しみのこもった……旧知の相手に対するような口調だ。

「久しぶりね、渚くん」
「はい。11年ぶりかな。ご無沙汰しています、園長先生」

(……! それって、まさか……)

「こんな形で再会できるとは思ってもみなかったわ。立派になったわねぇ」
「おかげさまで。今日のこれはあくまでバイトで、本業は受験生ですけどね」
「高3ですものね。でも渚くんなら大丈夫でしょう。昔から優秀だったもの」

 園長さんの眼差しには、慈しむような優しさと懐かしさがにじんでいる。

「そんなことないですけど。まあ、それなりに頑張ってます」

 少しくすぐったそうに受け答えしつつも、なぎ先輩も優しい目で園長さんを見ていた。

「それで……」

 ふいに園長さんの声が緊張を帯びる。

「……あのことは、聞いている?」
「……あのこと?」

 なぎ先輩は軽く眉を寄せて聞き返した。すると園長さんは、取り繕うような笑顔になって、

「まだならいいの、ごめんなさい。気にしないでちょうだい」

 会えてよかった、またいつでも遊びに来てね、と言って、園長さんは部屋を出ていった。
 見送ったなぎ先輩は何かを考えるようにしばらく無言だったけれど、やがてくるりと僕を振り向く。

「成長してるし、メイクしてるし気づかれないかと思ってたけど、さすがに園長先生は騙せなかったみたい。オレの様子が変で麻青にも心配かけてたよね、ごめん」
「いや、えっと……」
「オレ、7歳までここで育ったんだ。養子にもらわれて出ていったんだけどね」
「……!」

(やっぱり、そうだったんだ……)

 園長先生との会話を聞いていれば、なんとなくの事情は察せられた。

「じゃあ、実織さんが心配してたのも……?」
「うん。実織は前から、オレが養護施設出身だってことは知ってるから。施設名までは教えてなかったし、まさかここがそうだとは思ってなくて、話したら驚いてたけど」
「……そういうことだったんですね」
「別にここでもよくしてもらってたし、オレだと気づかれたところで施設には特に問題ないんだけどね。オレのほうがまぁ、なんとなくやりにくいっていうか照れくさいっていうか」

 言いながら、なぎ先輩は来た時よりも浅く、ハットを頭にのせる。

「知ってるのは実織だけだから、他の人には内緒にしといてね。学校のみんなにも」
「あ、当たり前ですっ。言いませんよ……」

 なぎ先輩にはなぎ先輩の過去があって、触れられたくない部分だってある。隠そうとしていたくらいだし、小さくない事実を聞いてしまったのだという自覚があった。

「ごめんなさい。僕……聞いてよかったんでしょうか……」

 おずおずと見上げると、なぎ先輩はもういつもの穏やかな顔で見返してくる。

「いいよ。あの状況で麻青に席外してもらったって不自然だし、そうしたらキミ、ずっとぐるぐる考えてたでしょ。あれこれ悩ませるくらいなら話しちゃったほうがいいから。それに、過去は過去でしかないからね」
「……はい」

 『過去は過去』。そう話すなぎ先輩の瞳が、ふっと焦点をぼかす。
 定まらない視線の先には、過去とは違う別の憂いが潜んでいるような気がした。