DOLLは月夜に恋してる


 10月下旬。
 都大会が終わるまでは回数を減らしていた実織さん経由のバイトを、僕は度々入れるようにしていた。
 なぎ先輩も受験勉強に本腰を入れていると言いつつ、月に何度かは依頼を受けているようだ。一緒の現場に入ることも、これまでに数回あった。
 そして土曜日の今日も、一番のお得意様であるジャズ喫茶エテで同じステージに立っている。今日はジャズバンドと、僕となぎ先輩の二人芝居のコラボ。ミュージカルテイストの短い寸劇だ。

『さあ、行こう! この先にオレたちの新天地が待ってる!』
『はい、師匠! どこまでもお供いたします!』

 道化師の師弟という役どころだった僕たちが最後のセリフを演じてステージからはけていくと、バンドによるエンディングの生演奏が始まる。この後は演奏がもう何曲か続き、全ステージ終了だ。

「お疲れさま! 今日もよかったわよ、二人とも!」

 袖に控えていた香夏子さんが小さな拍手をしながら迎えてくれた。実織さんと、今日は手が空いていたからと綾羽さんも来ている。

「ありがとうございます」

 僕が頭を下げると、被っているジェスターハットのツノが揺れた。

「お褒めにあずかり光栄です、マダム」 

 なぎ先輩は真っ白いシルクハットを取り、茶目っ気たっぷりに恭しく一礼する。
 僕はピエロの衣装だったけれど、先輩はタキシードをアレンジしたマジシャンっぽい衣装だ。
 今回も顔にはトランプのスートをあしらったデザインメイクをして、キザなセリフ回しの道化師をとてもかっこよく演じ切った。

(メイクをしてるせいもあるけど、ホントにバイトのステージに立ってるなぎ先輩は、毎回まったく違う人みたいだ)

 部活の時もいろんな役を務めていたけれど、その時以上にそう感じる。
 そして何より、楽しそうだった。だから、隣で演じている僕もすごく楽しい。

「下にプリン買ってあるの。みんなで食べてってよ。あと、二人に紹介したい仕事もあって」
「やったー、プリン!」

 実織さんが歓声をあげる。香夏子さんはもう少しステージを観ると言うので、ひとまず4人で地下の控え室に移動した。

「ところでちょっと気になってたんだけど、高校生ってこの時期、学園祭準備とかで忙しいんじゃないの?」

 衣装の装飾をはずしてさっそくプリンを頂いていると、綾羽さんが僕に尋ねた。

「そこそこは。でもクラスでやるのは模擬店だから事前準備とかそんなにないし、演劇部は大会でやったのと同じ演目をやるので、そんなに大変でもないです」
「あ、そうなのね」
「あれをやるんだ。主役のタケルはどうするの?」

 なぎ先輩もスプーンを持つ手を止めて僕を見る。
 バンドのステージはまだ続いていて、室内もすいているので、彼は先にメイクを落としてからプリンを食べ始めたところだ。

「あらたが頼み込んで、最後の1回ってことで香納がまたやってくれることになりました」

 香納は地区大会での代役だけという条件だったので、都大会では本来の主演だったるー先輩がタケルを演じた。でも受験のため、るー先輩もそこで完全引退している。

「へぇ、そうなんだ。香納のタケルもよかったからね~。じゃ、流音たちと観に行くことにしよう」
「いいなぁ、私たちも麻青くんの舞台観てみたい~」
「行けるんじゃない? いつだっけ?」

 日程を教えると、実織さんと綾羽さんはスケジュール帳を確認し始めた。その時、香夏子さんが部屋に入ってくる。

「さっき言ってた紹介の件なんだけど」

 空いていた席に座り、手にしたものをテーブルに置く。A4サイズ、ペライチのチラシのようなものだった。

「ここ、夫の知り合いが務めている施設でね。子供向けの余興をしてくれる人を探してるんですって。あなたたちにお願いすることってできないかしら」

(施設……?)

 僕は体を傾けて紙面を覗き込む。
 『児童養護施設たんぽぽ園』という文字と、横に長い2階建ての建物の写真などが目に入った。施設紹介の資料だったようだ。

「予算がそんなに余裕なくて、苦労して見つけておいたところが、ダブルブッキングでキャンセルされてしまったそうなのよ。だから日程がけっこう急なんだけれど……」
「いつですか?」
「1週間後、次の土曜日。設立記念日のイベントなの」

 実織さんの確認に、香夏子さんは申し訳なさそうな顔で答えた。

(1週間……たしかに急だな。今までにやったことがあるものならできるだろうけど)

 そう思っていたら、香夏子さんが先回りして、

「今日の二人芝居だったら子供にも楽しんでもらえそうじゃない? 私、ちょっと本を書き足すからどうかしら」

 施設が困っていることを旦那さんから聞いているのか、けっこう熱心に頼まれる。

(それなら……次の土曜もあいてるし──)

 僕は紙面から目を離し、なぎ先輩を見た。

「…………」

 なぎ先輩は硬い表情でテーブルに視線を落としている。
 でも資料を読んでいるわけではなく、ただじっと何かを考えるように黙り込んでいた。

「……なぎ先輩?」

 戸惑いながら呼びかけると、我に返ったように顔を上げる。

「あ……ごめん、なに?」
「えっと、都合どうかなって……僕は大丈夫なんですけど」
「ああ……うん、そうだね……」

 逡巡するように視線がさ迷う。

(どうしたんだろう? 乗り気じゃないのかな……?)

「……毎週は難しいかな、渚? 今回はご遠慮する?」

 強張った顔のなぎ先輩を気遣うように、実織さんが尋ねた。

「……いや。お困りのようだし、オレでよければやらせてもらうよ」
「本当にいいの?」

 微妙な態度に違和感を抱いたのか、香夏子さんもそう確認する。
 なぎ先輩はニコリと綺麗な笑みを浮かべてうなずいた。

「はい、お受けします。道化師役ですし、芝居の後に短いマジックショーを入れてもいいかもですね」
「まぁ素敵! 渚くんマジックも上手だものね。お願いできるなら施設の方も喜ぶと思うわ」
「プロ並みとはいきませんけど、オレのできるものでよければいくつかやらせてもらいますよ」
「ありがとう! じゃあ実織ちゃん、先方の連絡先を渡すから詳細は直接相談してくれる?」
「はい、わかりました」

 こうして依頼を受けることで決まり、僕たちはプリンのお礼を言って学校に戻った。

(なぎ先輩、本当によかったのかな。なんだか様子がおかしいような気がしたけど……)

 気にかかったものの、受けると言ってからは積極的に段取りの話なんかをし始めたので、聞くに聞けない。
 心に引っかかりを残しつつもメイク落としと着替えを済ませ、僕はトイレに行くため一度部屋を出た。
 急ぎ足で廊下を部屋へと戻り、ドアに手をかけた時。

「えっ、そうだったの!?」

 驚いたような、実織さんの大きな声が聞こえてくる。
 思わずビクッとしてドアを開けるタイミングを逃していると、続く会話も途切れ途切れに聞こえてきた。

「うん」
「じゃあ……もし……だったら、無理には……」
「ううん、大丈夫。多分……だろうし」

 実織さんが話している相手はなぎ先輩だ。心配そうな実織さんに対し、なぎ先輩の声は淡々としていている。トーンも低めなので聞き取りにくい。

「香夏子さんにはお世話になってるしね。問題ないから心配しなくていいよ、実織」

 最後のその声だけは、明るいものだったのではっきりと聞こえた。

(やっぱりあの施設の依頼、何かある……?)

 引っかかりは確信に近いものに変わったけれど、僕が踏み込んでいいかはわからない。
 結局、二人の会話が終わったところで、僕は今戻ってきたような顔でドアを開けた。