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1校目の公演を見終わるとすぐ楽屋に戻り、全員で普段の練習と同じストレッチと声出しをした。
着替えとメイクを始めるまでにはまだ30分ほど余裕がある。この時間はあらたと演技の最終確認をしたり、一人でセリフの確認をしたり、精神統一したりと、みんな思い思いの過ごし方をしていた。
僕も絡みの多い香納と、練習後半に演出が変わった箇所があったので動きの再確認をしていた。すると、少し離れたところにいたながやん先輩が僕を呼ぶ。
「麻青、さっきからスマホが何回も鳴ってるぞ。電話じゃないか?」
(電話? 誰だろう)
「ありがとうございます。──香納、ちょっといい?」
「おう」
何回もと言われると気になり、香納に断ってテーブルに置いてあった自分の荷物へ駆け寄る。
バッグからスマホを取り出して確認すると、着信は姉さんからだった。留守電も1件入っていたのでまず聞いてみる。
『麻青、本番前にごめん。でも言っといたほうがいいかと思って。今、トイレに行った希空が戻ってこなくて探してるの。どこかで迷子になってたら係員さんに麻青のことを言うかもしれないから、もしそっちに連絡があったら私の電話番号か座席番号を伝えて。G列の──』
(希空が……!?)
頭からさあっと血の気が引いていくのがわかった。
「なんだったんだ?」
ながやん先輩と一緒にいたるー先輩が、僕の様子に気づいて尋ねてくる。
「あ、えっと……会場に来てる弟が、迷子になったみたいで……」
「弟?」
「えっ、希空くん?」
家族のことを知っているあらたがバタバタとやってくる。他にも近くにいた数人が気遣わしげに加わった。
「弟さんっていくつなんだ?」
「会場の人には言ったのか?」
小3で、姉が探してて……と説明しながらも、鼓動が速くなっていく。
(何もわからない歳じゃないし、会場にいればそこまで心配しなくていいかもしれないけど……)
もう小3、場所がわかっていればトイレくらい一人で行って戻ってこられる。いつもそうだから、姉さんも一人で行かせたはずだ。
──でも、じゃあ、どうして戻ってこない?
事故、犯罪……嫌な想像と不安がどんどん広がっていった。大人の前ではまだまだ非力な子供だ。
外に出ることは考えにくいけれど、天候もどんどん悪化していて、激しい風雨に加えて少し前から雷も鳴り出していた。それがいかにも不吉に感じられて、さらに不安を掻き立てる。
「麻青、まだ時間はあるよ。おれたちも探しに行こう」
「え。でも……」
あらたの声に僕は戸惑った。本当はすぐにでもそうしたいけれど、20分後くらいには着替えとメイクを始めないといけない時間帯だ。
「少しだけでも行かないよりはいいよ。おれ、希空くんの顔覚えてるし」
「う、うん。ありがとう」
「待って。あらたは残ったほうがいい」
冷静な声で割り入ったのはるー先輩だった。
「総指揮者が本番前に抜けるのは避けたほうがいい。麻青には申し訳ないけど」
「あ……」
動きを止めたあらたと同様に、僕もハッとする。
(そうだよ、みんなあらたを頼りにしてて、話したい部員もいるのに。ここであらたが抜けちゃダメだ)
「あらたは残って。僕だけ行かせてもらっていいかな? 時間までには戻るから」
「うん、わかった」
「ありがとう」
お礼を言ってから、僕は意図して大きく、深い呼吸をした。
(落ち着け、こういう時こそ冷静にならなきゃ。冷静に──)
「オレも行くよ」
背後から聞こえた声に驚いて振り返る。彼もるー先輩の隣で聞いているのはわかっていたけれど、意外な申し出だった。
「なぎ先輩……」
「さっき会ったから顔わかるし、オレには支度もないし。麻青も大急ぎで準備すれば、30分くらいは探せるよね」
「い、いいんですか?」
「一人よりは二人でしょ」
「それなら俺も行こう。顔は知らないが俺も手は空いてるからな。その子の背格好を教えてくれれば」
もう一人の裏方、りょう先輩もそう言ってくれる。
「すみません、ありがとうございます!」
3人で探しに出ることに決め、姉さんにも電話をした。まだ見つかっておらず、トイレに立ってからもう40分近くたっているらしい。姉さんは防災センターに報告しているところだった。
「みんな、ごめん! ちゃんと遅れないように戻るから!」
全員に向けてそう言ってから、僕はなぎ先輩、りょう先輩と部屋を出た。
会場部分に出ると、見つけ次第連絡を取り合うことにして3方向に分かれる。
「希空、どこに……っ」
僕はロビーの西側を探して回った。姉さんから、こちら側にあるトイレに行ったはずだと聞いている。当然姉さんも一度探した場所だけど、その時はいなくて、戻ってきている可能性もある。
でも、いない。しばらくするとロビーの東側を探していたなぎ先輩がやってきた。
「東口付近にはいないみたいだ」
「こっちにもいないみたいです」
その時、2校目の公演が終わったようで、ホールの入口が開きぞろぞろと人が出てきた。
「本日は3階のトイレも解放されておりまーす。1階は込み合いますので2階、3階もご利用くださーい。右手のエスカレーターか、左手のエレベーターよりお上がりくださーい」
スタッフらしき人が、ホールから吐き出されてくる人たちに向かって声をかけている。
僕となぎ先輩は同時に顔を見合わせた。
「希空も今の案内を聞いたとしたら……!」
「移動した可能性はあるね。西側のトイレを使おうとしてたんだったら、エレベーターが近い。行ってみる?」
「はい!」
僕たちはエレベーターに乗り込んだ。3階は貸会議室のフロアで、臨時解放のようだ。
たまたまかもしれないけれど、今回はエレベーターで3階まで行こうという人は少なかったようで、乗り合わせたのは他に3人だった。
「貸会議室のフロアに入ったんだとしたら、単調なレイアウトだろうから迷ったとしても──」
エレベーターが動き出し、先輩がそう言った直後。
ふいにガタンと振動が伝い、周囲が闇に包まれた。
「えっ……!?」
四角い空間に動揺が走る。
「やだ、嘘。停電!?」
女の人の声がした。多分、奥のほうに乗っていた人だ。
隣でなぎ先輩が小さく舌を打つ。
「落雷でもあったのかもしれないな」
「あ……」
(それで停電して、エレベーターが止まった……!?)
「うわぁ、最悪だ」
パネルの近くに立っていた男性がスマホのライトをつけ、非常連絡ボタンを押す。僕たち以外に乗っていたのは全員大人の人で、声を掛け合いながら非常連絡ボタンからの通報を続けた。でも、まだ応答はない。
「ど、どうしよう……」
(停電っていうことは、もしかして会場も真っ暗になってる? 希空、暗いの苦手なのに……)
「会場もエレベーターも非常電源に切り替わるはずだ。会場全体が真っ暗闇なんてことにはならないはずだから大丈夫だよ」
先輩の手が背中に触れた。
ちょうど連絡ボタンもつながったようで、男の人が状況を伝える。
なぎ先輩が言った通り、『じきに予備電源に切り替わって動くはずなのでもうしばらくお待ちください』という声がスピーカーから聞こえてきた。
(もうしばらくってどれくらいなんだろう)
会場のほうはどうなっているんだろう。希空は。演劇部のみんなは。そうだ、連絡しなきゃ。
そんなことを考えてはいるのに上滑りで、体が動かない。
……僕は、暗いのは怖くない。でも、暗くて狭いところが苦手だった。
子供の頃、父方の実家の納戸で探検ごっこをしていたらうっかり閉じ込められたことがあって、それ以来、軽いトラウマになっている。
狭くても明るければ平気だけど……今も一人がライトを照らし続けてくれているけれど、薄暗い。
(僕もライトを……あ、でも充電があんまりなかった……)
今消費しないほうがいいかもとか、そんなこと気にしている場合じゃないかもとか、あれこれ考えるだけで全部が中途半端に流れていく。
(落ち着けって、僕。もう1回深呼吸──)
「大丈夫だから」
きゅっと、少し強い力で左手が握り込まれた。ドキリとして隣を見ると、さっきまでより近い位置になぎ先輩の顔がある。
「すぐ出られるし、全部うまくいくよ。大丈夫」
「なぎ先輩……」
薄暗い中だけど、先輩の微笑みが優しく僕を照らしてくれたように思えた。手のひらから伝わってくる体温は温かい。
「会場はもう電気ついてるって。楽屋もね。ちょうど休憩中だったから、次の開演は少し遅れるようだけど」
もう一方の手に持ったスマホを示しつつ教えてくれる。僕が動揺している間に、誰かに連絡を取ってくれたんだろう
「ご、ごめんなさい……僕、何もできなくて……」
「いいよ。無理な時は遠慮なく先輩に頼りな」
「……ありがとうございます」
冷えていた心臓に温かい血がトクトクと通い始めた気がした。焦燥感が和らいでいく。
『全部うまくいく』
根拠のない言葉でも、きっぱりした声は僕を安心させてくれた。
(……先輩は、冷たいけど優しい)
また、そんな相反することを考えた。
優しいけど冷たい時もあって、冷たいけど優しい時もある。
(でも……多分本当は、すごく優しいんだ)
だってこうやって、僕を救い上げてくれている。
「あっ、ついた!」
パッと明るくなり、女の人が歓声をあげた。数秒おいて、体に伝わってくる振動。エレベーターも動き出した。
(よかった……!)
安堵するのと同時に、するりとなぎ先輩の手が離れていく。
「もう問題なさそうだね。麻青は平気? 少し休む?」
「平気です。希空を探さないと」
「わかった、行こう」
その後、3階を探している時に、姉さんから希空が見つかったと連絡が入った。
予想通り3階のトイレを使ったけれど、トイレを出たところで左右どっちから来たかを間違って、別のエレベーターで降りてしまった。左右真逆の勘違いをしたままうろつき、レストラン街に迷い込んでいたらしい。
「見つかってよかったね」
自分の捜索は徒労に終わったけれど、なぎ先輩は嫌な顔も疲れた顔もせず、笑って僕の頭をなでてくれた。
「急いで戻って、超特急で準備すれば充分間に合うよ。いけるいける」
そう言って、最後にぽんぽんと頭の真上で手を弾ませた。なんだか元気の出るおまじないをかけてもらったような気分になる。
「頑張ってね、ミユキ」
「はい、頑張ります!」
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「なぎ先輩、今日はありがとうございました」
20分遅れでの本番後、時間が決められているのでバタバタと撤収、着替え、搬出を終えて。
ホール裏手の搬出口で一段落ついたところで、僕はなぎ先輩に声をかけ、頭を下げた。
「ん、どのこと?」
作業中に乱れたハーフアップを結び直しながら、なぎ先輩はいつもと変わらない声で聞き返してくる。
今日あったことなんてどれも取るに足らないことで、心当たりがないというような態度。
その表情に、エレベーターの中で隣にいてくれた時よりも距離を感じた。
でも僕は、ちゃんと思っていることを伝えたい。だから言おうとしていたことをそのまま言葉にする。
「希空を探してくれたことも、エレベーターで助けてくれたことも、全部です。先輩が一緒に探してくれて、励ましてくれて……エレベーターの中でも大丈夫って言ってくれて、本当に助かりました。ありがとうございました」
最後にもう一度、深く頭を下げた。
顔を上げると、なぎ先輩は少し困ったような、あいまいな微笑を浮かべている。
「お礼言われるほどのことじゃないよ。適材適所」
もしかしたら、なぎ先輩は後悔しているのかもしれない。外された視線に、そう感じた。
(世話を焼きすぎたって思ってるのかな)
たしかに、いつもの一定距離を置こうとしている先輩なら同じようにはしてくれなかったかもしれない。
(でも……先輩が後悔してたとしても……)
「……僕は、うれしかったから。感謝してます」
顔を見て告げると、再び目が合う。
しばらくじっと僕を見ていた先輩は、ふっと息をついた。
「……キミがわかりやすく不安そうな顔するからだよ」
「……ごめんなさい」
心許ない僕が放っておけなかっただけで、それはあくまで部の先輩の、後輩に対する恩情でしかないのかもしれない。
(だけど、それでも……やっぱり、なぎ先輩は優しい)
やっぱり僕は、この人が好きだ。
一見すると冷たいようで、触れるとじんわり温かい。ほの白い月のような、この人の内側をもっと知りたくなる。
「心配かけてばかりの後輩ですみません。だけど……これからも、先輩の後輩でいさせてください」
地区大会は終わった。なぎ先輩が、手伝いとしてでも演劇部に関わってくれるのは今日が最後だ。
(でも、卒業まではまだ時間がある。だから、それまでは)
「今のままでもいいから……後輩として、先輩の世界の片隅にいさせてください」
話してるうちにかすかに手が震えているのに気づいて、きゅっと拳を握り込んだ。
先輩は答えず、無言の間が生まれる。
傍を、他の部員たちが疲れた疲れたと言いながら会場に向かって歩いていくけれど、僕となぎ先輩の間だけ空気が止まっている。
やがて、感情を抑えた抑揚のない声が、その空気を動かした。
「……麻青はオレにとって、夏空や満月と一緒なんだよ」
「え……?」
先輩の顔にも表情はない。凪いだ水面のように、ただ静かにそこにある。
彼の心中はつかめない。けれど、拒絶を感じることもなかった。
夏空。満月。──先輩の、苦手なもの。
「オレには、まぶしすぎて痛い」
ぽつりと、つぶやくような声が落ちる。
「痛い……ん、ですか?」
「まぶしすぎる光って目に痛いだろ?」
朝の登校時、まぶしい空に目をすがめ、手のひらをかざすことが度々ある。そんな自分と、その時の突き刺すような日光を思い出す。
(たしかにそうかもしれない)
まぶしすぎる光は、時に目に痛い。
「……僕がいたら、つらい、ですか……?」
「…………」
また、数秒の沈黙。やがて、先輩はするりと僕に背を向けた。
「……好きにしなよ」
「……!」
「そう感じるオレのほうがダメなんだし、キミがそういう子だっていうのはわかってたことだから」
あきらめたように言い、先輩は歩き出す。
その日の閉会式で結果発表があり、犀堂高校演劇部は念願の都大会進出を果たした。
けれど10月の都大会ではそれ以上の結果を残すことができず、選外。僕たちの今年の高校演劇大会は、幕を下ろした──。



