9月下旬までの期間に、週1ペースで計3回バイトをした。なぎ先輩と一緒に出演するものはさすがにそう都合よくなかったけれど、1回は同じイベントだったので顔を合わせる機会はあった。
部活のほうが大詰めに入ったので、そちらも慌ただしく……
そして、9月下旬の日曜日。いよいよ、地区大会当日を迎えた。
搬入は昨日終わっているので、午前中にリハーサル、舞台装置や音響・照明の会場スタッフとの最終確認。午後から出演準備をして本番上演となる。
プログラム順は4校目なので、それまでは楽屋で練習したり、他校の舞台を観劇しながら待つというスケジュールだ。
リハーサルを無事に終え、僕は楽屋で、館内のコンビニで買ってきた昼食をとっていた。
ハンバーガーが食べたいなどと言って外食に出た部員も何人かいたけれど、大体の生徒がコンビニ飯で済ませている。
というのも──天気が、かなり悪い。朝家を出た時にはまだ普通の雨だったけれど、時間が経つにつれ灰色の雲は厚さを増し、激しい風雨に変わっていた。
「うわ、大雨注意報出たって」
「マジかよ。風もヤバいよなぁ。完ペキ嵐じゃん」
窓際で1年の律と剣斗が話しているのが耳に入り、僕もスマホでウェザーニュースをチェックしてみた。たしかに大雨注意報が発令され、この後さらに荒れ模様になる見込みだ。
「波乱の予感……」
「おい、縁起でもないこと言うな」
おおげさにぶるっと震えた1年の大地を、2年の淳巳が先輩らしくたしなめている。
「帰る頃には落ち着いてるといいけどねー」
「ピークは16時頃みたいだから、大丈夫じゃないか」
「閉会式17時30分だっけ」
「そうだ。でも、予定通り涼介と渚は本番が終わったら帰ってくれてもいいぞ」
「んー、どうしよ。予備校はないし天気次第かな」
「俺もだな。嵐の中を帰ってずぶ濡れになるくらいなら落ち着くまで待つよ」
3年生の5人はひとかたまりになっていて、そんな会話がこちらまで聞こえてきた。
「早めに発声とか準備始めるとしても、1校くらいはちゃんと観る時間あるよね。麻青、どうする?」
「1校目、多摩永学高校か。うん、観ておきたいね」
食事を終え、あらたとそんな話をしていた時、ポケットの中でスマホが震え出す。
見ると、姉さんからのラインだった。
「えっ、もう来たんだ」
「へ、なに?」
「あ、ごめん。姉さんからもう会場に来てるって連絡あって」
「早くね?」
あらたの隣でスマホゲームをしていた香納が顔を上げる。
「うん、早いけど天気がマシなうちに来たって。妹と弟もいるから」
説明しながら、僕は食事のゴミを手早くまとめて立ち上がった。
「ロビーにいるそうだからちょっと会ってくる。あらた、先に客席行ってて」
「わかった、詩希と行ってる」
あらたと香納に見送られ、急ぎ足でロビーに向かう。
「麻青!」
「兄ちゃーん!」
隅のほうで、ソファに座った下2人のうち弟の希空と、傍らに立つ姉さんが手を振っていた。
「姉さん、久しぶり!」
姉の藍は大学2年生で、神奈川の大学に通うためすでに家を出て一人暮らししている。今日は両親ともに都合がつかなかったため、妹、弟と一緒に観劇するため帰ってきてくれた。だから、会うのは数カ月ぶりだ。
「久しぶり、元気そうだね」
「うん、外大丈夫だった?」
「今のとこ、まだ傘させるレベル。だから早めに来てこっちで暇つぶしたほうがいいかと思って」
『そっか』と返事をする前に、希空がぴょんっとソファから降りて僕のスラックスを引っ張った。
「なんだ~。兄ちゃん、まだ男じゃん~」
小3の希空はヤンチャ真っ盛りの、明るくて元気な子だ。成績表に『落ち着きがありません』と書かれないようになるのが目標ながら、今のところ叶っていないけれど。
「まだ早いから、衣装に着替えるのはもっと後だよ」
「えーっ」
「えーって、私がさっきそう説明したでしょ。それより、肩まだ濡れてるからちゃんと拭きな」
「はーい」
姉さんにハンカチを手渡され、むくれつつも言われた通り肩を拭き始める。
僕はその隣でちょこんと座っている、妹の桃香の前に屈んだ。
「桃香も、来てくれてありがとう」
「うん。お兄ちゃん、お芝居がんばってね」
桃香は小4で、希空とは年子のお姉ちゃん。おっとりタイプというか、おとなしい女の子で希空とは真逆だ。性格が僕に一番似ているのは桃香だと思う。
4人きょうだいで、『動』が藍と希空、『静』が麻青と桃香ね、と母さんが前に言っていた。
だから去年、僕が演劇部に入ると聞いた時には家族全員驚いていた。でもみんな応援してくれているし、公演も都合がつく限りはこうして観に来てくれている。
「でも、うちの出順までまだ3時間以上あるよ。それまでどうするの?」
「レストランとかあるでしょ。お昼食べないで来たからまずランチにして、その後は他の学校の観てるよ」
「ああ、ご飯まだなんだ」
この会場は1,2階がホール、それより上は貸会議室やオフィスの入っている複合ビルで、1階には飲食店が3,4店舗ほど入っている。誰かがどこもお値段高めと言っていたので、僕たちのランチからはあっさり選外にされたのだけれど。
桃香も希空も食事には時間のかかる子なので、そういうことならそこまで退屈させる心配はなさそうだった。
「僕は1校目を観たあと準備に入ると思うから、本番間近は連絡つかなくなるかもだけど。今回は本当にいい仕上がりだから、しっかり観ていってね」
「うん! がんばれよー、弟!」
姉さんが右手の拳で僕の肩を小突く。昔からよくやってくれた気合注入に「がんばるよ」と返していると、視界の端に見知った人影が映った。
「……あ」
なぎ先輩だった。どこかに行こうとしていたようだけれど、僕に気づいて彼も足を止める。
「麻青。……そちらはご家族?」
柔和な笑みを浮かべながら姉さんたちへと視線を流した。
「あ、はい。姉と妹、弟です」
「きょうだいで観に来てくださってるんだ。よかったね」
姉さんが「どうも」と挨拶をして、なぎ先輩も「こんにちは」と会釈を返す。
「麻青の姉の藍です。いつも弟がお世話になってます」
「こちらこそ、お世話になっています」
「もしかして去年の文化祭で女性役やってた人ですよね? えっと、女社長の役」
姉さんが妙に目を輝かせて一歩前に出た。
「ああ、はい。よく覚えていらっしゃいますね」
「そりゃあもう! すっごく綺麗だったんで!」
「ありがとうございます」
「……ちょっと、姉さん」
(そういえばあの公演の後も、『女社長役の子超綺麗だった!』って言ってたっけ)
今までこんなふうに顔を合わせたことはなかったので、姉さんときたら実物を間近で見られてはしゃいでいるようだ。
「っと、ごめんごめん」
「姉ちゃん、腹減ったー! 早くご飯食べよー!」
そこに希空がご飯コールを始めたので、姉さんたちは慌ただしく「じゃあ本番楽しみにしてるねー!」と去っていった。
「すみません、足止めしちゃって」
流れで一緒に見送ってくれたなぎ先輩に、3人が見えなくなってから謝る。
「ううん、別にいいけど」
さらりと告げてから、先輩はわずかに目尻を下げた。
「仲よさそうなきょうだいだね。麻青がバイトをがんばる理由になってる人たちだから、そうだろうとは思ってたけど」
(そっか。なぎ先輩にはきょうだいが多くて、家計のためにバイトしてること話したんだった)
「うちは、両親もなんていうかのんびりしてて、家族みんな仲いいです。姉さんはもう実家出てるんですけど、今日は神奈川から来てくれてて」
「そうなんだ。家族思いのいいお姉さんだね」
「本当にそうなんです!」
思わず勢い込んでしまい、面食らったなぎ先輩が目を瞬いた。
「ふふ。お姉さんのこと、大好きなんだ?」
「はい。家族はみんな大好きですけど、姉さんは特に、尊敬してるっていうか。小さい頃から、いつも下の僕たち3人を守ってくれる、頼りになる存在だったんです。演劇部の活動を一番応援してくれてるのも姉さんで」
「……そっか」
目線を床に落として先輩が微笑む。その表情にごくわずか、影が差した気がした。
「あ、ごめんなさい、なんかベラベラと……。先輩、どこか行く途中だったんですよね?」
「ああ、うん、コンビニにね。ジャン負けで3年のみんなのドリンク買いに出たんだけど、自販機のゼロコークが売り切れてて。まったく、すっかり治ってるくせに人使いが荒いよ」
そう言って苦笑するので僕も同じように笑った。
ゼロコークはるー先輩の愛飲料で、去年から度々「これゼロじゃないじゃん」「たいして違わないだろ」「違うよ」のやり取りが繰り広げられている。今回もそのこだわりを発揮されたらしい。
「そろそろ行くね。麻青は1校目を観るの?」
「はい、今から行きます」
「それじゃ、また後で」
その場で別れ、それぞれ別の方向へと足を向けた。



