柏木くんと待ち合わせをした教室の入り口には、「写真部 特別展 ―hibi―」という看板がまだ残っていた。
深呼吸をしてから意を決して扉を開くと、教室のなかに立ち並ぶいくつものパネルが飛び込んで来た。その一つひとつに、文化祭に向けて歩んできたクラスや部活の「日々」を収めた写真が、作品となって展示されている。
その中央に置かれたパネルの前で、柏木くんは一人、背を向けて佇んでいた。
「柏木くん、お待たせ」
「あぁ、松田。片付け、もう終わった? 思ったより早かったじゃん」
「えーっと……実は、名残惜しくて。まだドームは壊せてないんだ」
「そっか。いいんじゃない? 撤収は来週までだし。月曜日の朝、俺も手伝うよ」
「……ありがとう」
装飾の入ったダンボール箱の間を縫うように歩み寄ってきた柏木くんは、俺の手首を優しく引いて自分の方へと導いた。
「こっち来て。俺が撮った天文部の写真……松田に見てほしいんだ」
教室の窓際、一番目立つ場所に置かれた背丈ほどのパネル。その裏側にそっと回り込むと、木製のフレームに入れられた三枚の写真が並んでいた。
一枚目は、部室で俺がいつも座っている机と椅子、地球儀、そして星のモビール。二枚目は、柏木くんが壊してしまう前に撮った、まだ仮止めだった時のドームの姿。
そして三枚目は、天体望遠鏡の前で笑う俺の写真だった。その視線の先を頭の中で辿って、俺たちが初めて話したあの日、両手でカメラを構えた柏木くんの姿を思い出す。
「柏木くん……これ」
なんて綺麗な写真だろう。
コンテストで賞をとるような実力があるくらいだし、柏木くんの腕前が素晴らしいのは、分かっている。でも、そうじゃない。
この写真に宿っているのは、そういう技術だけじゃなかった。放課後の寂しさとか、カーテンの揺れまでも伝えるような、俺が天文部で過ごしてきた、愛おしい日々そのもの。
一人で黙々と作業を続けていたあの静かな時間を、柏木くんが柔らかく抱き寄せ、見守ってくれているみたいに感じる。
写真の下に貼られた真っ白な紙には、柏木くんらしい少し癖のある丁寧な文字で、作品名が綴られていた。
『あなたのやわらかい「日々」/二年 柏木星砂』
気づけば、気持ちといっしょに溢れてきたのは涙じゃなくて、生まれて初めて、自分より大切にしたいと思える人の名前だった。
「柏木くん……」
柏木くんが好きだ。どうしようもなく、好きだ。
自分に自信がない俺を殻から連れ出してくれるその明るさも、おかしなことを言ったときに呆れながら愛おしそうに笑ってくれるところも。ずっと隣で見ていたいし、その瞳にはずっと俺だけを映していてほしい。
抑えきれずに口をついて出た言葉は、自分でも驚くほど小さく震えていた。
「柏木くんが、俺と一緒にいると子供の頃に戻れるって言ってくれたの、すごく嬉しかった。でも……俺は、それだけじゃ嫌で」
「……松田?」
「子供みたいに笑い合う時間も、大人になる未来も……ずっと柏木くんと一緒がいいんだ」
どうか、お願いだから。この気持ちに応えてほしい。
そう願いを込めて、柏木くんのブレザーの袖口を親指と人差し指でそっと掴む。
唇をぎゅっと硬く結んで見上げると、柏木くんは俺の手をとり、深く繋ぎ直してくれた。
「俺……今まで、星しか綺麗だと思ったことなかったんだ。人を綺麗だと思って撮ったのは、松田が初めてだった。誰と居てもそこそこ楽しければいいやって思ってたのに。自分の写真を見てほしいとか、この景色を一緒に見たいって願うのも、全部、松田が初めてなんだよ」
柏木くんは今までに見たことがないほど、緊張で強張った表情をしていた。
その言葉に小さく頷き、柏木くんが細く長い息を吐き出すのを見つめながら、言葉の続きを待つ。
「優しくて一生懸命なところとか、星の話をしてる時の顔とか……全部。松田の全部が好き。だから……俺と、付き合ってくれませんか」
涙が零れないように、深く息を吸い込んで我慢する。
柏木くんを上目遣いに見つめ、俺は真心を込めて返事をした。
「うん、俺も……。俺も、柏木くんのことが大好きです」
張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れたように、柏木くんは「はぁぁー」と顔を片手で覆った。繋いだ手は離さないまま、その場に崩れるようにしゃがみ込む。
くしゃりと髪の間を通った指が、ばっちり決めていたヘアセットを崩した。いつもの柏木くんだ。
「柏木くん、大丈夫?」
「……いや、ごめん。ホントダサいんだけど、嬉しすぎて」
その正面に膝を抱えて座る。目の前で「あんまし見ないで」と顔を背ける柏木くんは、首筋まで赤らんでいる。
「じゃあ、俺たち……付き合う、ってことでいい?」
「うん。あの、不束者ですが……これから、どうぞ末永く、宜しくお願いしま――」
正座で座り直し、言いかけた最後の一文字を閉じ込めるように、柏木くんがそっと体を傾けてキスをした。
温かくて柔らかい、唇の感触。
優しく頬に添えられた手も、肌の匂いも、吐息も、今までにないくらい近くに感じられて、ぎゅっと瞼を閉じる。
顔がゆっくりと離れると、熱くなった頬を両手で覆って照れる俺を見て、柏木くんはふわりと笑った。
「もう恋人になったから、愛情表現は惜しまない。こちらこそ宜しくね。詩月」
「えっ……今、俺の下の名前」
「初めて見た時から、ずっと綺麗な名前だなって思ってた。……俺も、詩月に名前で呼んでほしいんだけど。いい?」
俺は心の中で二回、呼びかける練習をしてから、ゆっくりと彼の名前を紡いだ。ずっと、ずっと呼びたかった名前だ。
「――星砂くん」
名前を呼んだ瞬間、嬉しそうに細められた瞳が、星屑を閉じ込めたみたいに輝いた。
窓の向こうでは、夜空に浮かぶ月と糠星が静かに瞬いている。
これから先、何十年先だって――。
星砂くんとこうして隣り合って、同じ星を見上げていたい。
教室の片隅。俺たちは繋いだ手の親指で、お互いの手の甲をそっと撫で合った。
(終)
深呼吸をしてから意を決して扉を開くと、教室のなかに立ち並ぶいくつものパネルが飛び込んで来た。その一つひとつに、文化祭に向けて歩んできたクラスや部活の「日々」を収めた写真が、作品となって展示されている。
その中央に置かれたパネルの前で、柏木くんは一人、背を向けて佇んでいた。
「柏木くん、お待たせ」
「あぁ、松田。片付け、もう終わった? 思ったより早かったじゃん」
「えーっと……実は、名残惜しくて。まだドームは壊せてないんだ」
「そっか。いいんじゃない? 撤収は来週までだし。月曜日の朝、俺も手伝うよ」
「……ありがとう」
装飾の入ったダンボール箱の間を縫うように歩み寄ってきた柏木くんは、俺の手首を優しく引いて自分の方へと導いた。
「こっち来て。俺が撮った天文部の写真……松田に見てほしいんだ」
教室の窓際、一番目立つ場所に置かれた背丈ほどのパネル。その裏側にそっと回り込むと、木製のフレームに入れられた三枚の写真が並んでいた。
一枚目は、部室で俺がいつも座っている机と椅子、地球儀、そして星のモビール。二枚目は、柏木くんが壊してしまう前に撮った、まだ仮止めだった時のドームの姿。
そして三枚目は、天体望遠鏡の前で笑う俺の写真だった。その視線の先を頭の中で辿って、俺たちが初めて話したあの日、両手でカメラを構えた柏木くんの姿を思い出す。
「柏木くん……これ」
なんて綺麗な写真だろう。
コンテストで賞をとるような実力があるくらいだし、柏木くんの腕前が素晴らしいのは、分かっている。でも、そうじゃない。
この写真に宿っているのは、そういう技術だけじゃなかった。放課後の寂しさとか、カーテンの揺れまでも伝えるような、俺が天文部で過ごしてきた、愛おしい日々そのもの。
一人で黙々と作業を続けていたあの静かな時間を、柏木くんが柔らかく抱き寄せ、見守ってくれているみたいに感じる。
写真の下に貼られた真っ白な紙には、柏木くんらしい少し癖のある丁寧な文字で、作品名が綴られていた。
『あなたのやわらかい「日々」/二年 柏木星砂』
気づけば、気持ちといっしょに溢れてきたのは涙じゃなくて、生まれて初めて、自分より大切にしたいと思える人の名前だった。
「柏木くん……」
柏木くんが好きだ。どうしようもなく、好きだ。
自分に自信がない俺を殻から連れ出してくれるその明るさも、おかしなことを言ったときに呆れながら愛おしそうに笑ってくれるところも。ずっと隣で見ていたいし、その瞳にはずっと俺だけを映していてほしい。
抑えきれずに口をついて出た言葉は、自分でも驚くほど小さく震えていた。
「柏木くんが、俺と一緒にいると子供の頃に戻れるって言ってくれたの、すごく嬉しかった。でも……俺は、それだけじゃ嫌で」
「……松田?」
「子供みたいに笑い合う時間も、大人になる未来も……ずっと柏木くんと一緒がいいんだ」
どうか、お願いだから。この気持ちに応えてほしい。
そう願いを込めて、柏木くんのブレザーの袖口を親指と人差し指でそっと掴む。
唇をぎゅっと硬く結んで見上げると、柏木くんは俺の手をとり、深く繋ぎ直してくれた。
「俺……今まで、星しか綺麗だと思ったことなかったんだ。人を綺麗だと思って撮ったのは、松田が初めてだった。誰と居てもそこそこ楽しければいいやって思ってたのに。自分の写真を見てほしいとか、この景色を一緒に見たいって願うのも、全部、松田が初めてなんだよ」
柏木くんは今までに見たことがないほど、緊張で強張った表情をしていた。
その言葉に小さく頷き、柏木くんが細く長い息を吐き出すのを見つめながら、言葉の続きを待つ。
「優しくて一生懸命なところとか、星の話をしてる時の顔とか……全部。松田の全部が好き。だから……俺と、付き合ってくれませんか」
涙が零れないように、深く息を吸い込んで我慢する。
柏木くんを上目遣いに見つめ、俺は真心を込めて返事をした。
「うん、俺も……。俺も、柏木くんのことが大好きです」
張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れたように、柏木くんは「はぁぁー」と顔を片手で覆った。繋いだ手は離さないまま、その場に崩れるようにしゃがみ込む。
くしゃりと髪の間を通った指が、ばっちり決めていたヘアセットを崩した。いつもの柏木くんだ。
「柏木くん、大丈夫?」
「……いや、ごめん。ホントダサいんだけど、嬉しすぎて」
その正面に膝を抱えて座る。目の前で「あんまし見ないで」と顔を背ける柏木くんは、首筋まで赤らんでいる。
「じゃあ、俺たち……付き合う、ってことでいい?」
「うん。あの、不束者ですが……これから、どうぞ末永く、宜しくお願いしま――」
正座で座り直し、言いかけた最後の一文字を閉じ込めるように、柏木くんがそっと体を傾けてキスをした。
温かくて柔らかい、唇の感触。
優しく頬に添えられた手も、肌の匂いも、吐息も、今までにないくらい近くに感じられて、ぎゅっと瞼を閉じる。
顔がゆっくりと離れると、熱くなった頬を両手で覆って照れる俺を見て、柏木くんはふわりと笑った。
「もう恋人になったから、愛情表現は惜しまない。こちらこそ宜しくね。詩月」
「えっ……今、俺の下の名前」
「初めて見た時から、ずっと綺麗な名前だなって思ってた。……俺も、詩月に名前で呼んでほしいんだけど。いい?」
俺は心の中で二回、呼びかける練習をしてから、ゆっくりと彼の名前を紡いだ。ずっと、ずっと呼びたかった名前だ。
「――星砂くん」
名前を呼んだ瞬間、嬉しそうに細められた瞳が、星屑を閉じ込めたみたいに輝いた。
窓の向こうでは、夜空に浮かぶ月と糠星が静かに瞬いている。
これから先、何十年先だって――。
星砂くんとこうして隣り合って、同じ星を見上げていたい。
教室の片隅。俺たちは繋いだ手の親指で、お互いの手の甲をそっと撫で合った。
(終)



