文化祭当日の朝。俺はスクールバッグの肩紐を両手でぎゅっと握りしめ、教室の扉を開けた。
昨日の夕方、部室で柏木くんと手を重ねたこと。抱きしめられたこと。そして、文化祭のあとに大事な話があると言われたこと。しかも、あのあと柏木くんは家が反対方向なのにもかかわらず、「もう遅いから」と駅の改札まで送ってくれた。
昨日の出来事のすべてが、何十年に一度の流星群のように、一生分の運を使い果たしたんじゃないかと思えるほどの大事件だった。
頭の中で何度も会話のシミュレーションを繰り返したのに、いざ本人の姿を目の前にすると、どんな顔で彼を見ればいいのか、まるで分からなくなってしまう。
「ねぇ、三組でチーズハットグ売るらしいからさ、みんなで食べてインスタに載せようよ。あとお化け屋敷も行こう!」
柏木くんの方をちらりと見ると、ど派手な格好のクラスメイトたちが、教室のコンセントを占領して、みんなで柏木くんの髪を整えている真っ最中だ。
ワイシャツにギャルソンみたいな黒いエプロンを巻いた柏木くんは、スマートフォンから視線を上げる。
「俺、前半は店回さなきゃだし、後半は部活の方で受付があるから無理」
「え、待って。星砂って部活やってんの? 帰宅部なんだと思ってた」
「違う、写真部」
そう答えた瞬間、周りから「ぎゃはは」と楽しそうな笑い声が上がった。
みんなに悪気がないことは分かっているけれど、自然と眉間に皺が寄る。
「松田、おっはよー」
ドサッ、という物音がして横を見ると、大きなリュックを机におろした西村くんが片手を上げていた。
「西村くん、おはよう」
「プラネタリウム、無事に完成した? 本当はこの間、見に行きたかったんだけどさ」
「うん。柏木くんが、西村くんの代わりに、撮影しに来てくれたよ」
「それな! いやー、マジでビビったわ。あいつ、久々に部活に来たと思ったら『天文部だけ、俺と交代して』とか言ってくんだもん。あんなキラキラした奴に急に近付かれたら、俺みたいな陰キャは寿命が縮むって」
「え……? 西村くんが、柏木くんに交代してって頼んだんじゃないの?」
西村くんはコソッと俺の耳元で内緒話をするように口元に手を当てると、横目で柏木くんを見ながら言った。
「ちげーよ。元々はくじ引きだったんだけど、柏木にどうしても、って頼まれたんだよ」
その言葉が、胸の奥のやわらかいところに、すとんと落ちてきた。
西村くんが「松田?」と俺の顔を覗き込んでくる。返事をしなきゃいけないのに、言葉が喉の奥で張り付いて、うまく声にならない。疑問符で頭を埋め尽くしていると、「げっ」と西村くんが声を上げた。
その視線の先に居たのは、髪をバッチリと決めた柏木くんだった。サイドがすっきりとまとめられたヘアスタイルは、いつもよりずっと大人っぽく見えて、思わず見惚れてしまう。
「西村、松田となに話してんの」
「べ、別になんでもねぇよ。そんな怖い顔すんなって」
西村くんが唇を尖らせると、柏木くんはむっとした顔で視線を逸らした。
「松田。今日は手伝いに行けないけど、なんかあったらすぐ行くから」
「ありがとう。柏木くんも、大変だと思うけど頑張って」
「……あと、片付けが終わったら。写真部の展示、見に来て欲しいんだけど」
「えーと……場所は」
「西校舎の一年四組。……待ってるから」
柏木くんはそれだけ言うと、自分の席に戻って行った。その後ろ姿を見送りながら、いつのまにか自分の手を強く握り込んでいることに気付く。
HRが始まっても、柏木くんとは一度も目が合わなかった。恥ずかしくて俺が合わせられなかった、というのが正しい言い方かもしれない。
開場のアナウンスが流れたあと、天文部には最初のお客さんがやってきた。
俺と同じ校章の制服を着た男子二人組だ。部活の先輩と後輩という間柄に見える。
「あの、入ってもいいですか?」
受付に座る俺の前で、彼らがスタンプラリーのカードを差し出す。俺は緊張で体がこわばり、まるでロボットのようなぎこちない動きで「どうぞ」と二人を中へと案内した。
「先輩、見て! これ、本当に全部段ボールで作ってあるよ」
「マジかよ。っていうか、そもそもこんなの作れることがビックリなんだけど」
二人がドームの中に入ったのを確認してから、室内の電気を消し、手元のプロジェクターのスイッチを入れた。
天井いっぱいに満天の星空が映し出された瞬間、中から小さな感嘆の声が漏れる。
「……うわぁ、すげぇ! めちゃくちゃ本格的じゃん!」
「やばい、めっちゃ綺麗……」
自分の作ったプラネタリウムを見て、目の前の誰かが心から感動してくれている。それは言葉では言い表せないほど、胸の奥からじんと熱いものが込み上げてくるものがあった。
「あの、天文部のプラネタリウムってここで合ってますか?」
時間が経つにつれ、来場者はどんどん増えていった。収容人数には限りがあるから、あっという間に待機列が廊下の奥まで延びていく。
焦る俺のもとに、西村くんがやってきて「SNSで呟かれてインプレめっちゃ伸びてるぞ」とスマホの画面を見せてくれた。詳しい仕組みはよく分からないけれど、プラネタリウムが口コミを通じて広がっている、らしい。
やがて他校の制服を着た生徒や、楽しげな親子連れも増えていった。幼稚園児くらいの男の子が、ドームから出てくるなり目を輝かせて「たのしかった!」と言ってくれた時は、俺は誰よりも柏木くんに、この笑顔を見せてあげたいと願ってしまった。
(無理だって分かってるけど……やっぱり、隣にいてほしかったな)
一人で受付と上映を回すのは想像以上に大変だったけれど、どんくさい俺にしては上出来だったと思う。
最後の上映回を終えると、さっきまでの慌ただしさが嘘のように、部室は静まり返っていた。
あれだけ時間をかけて作り上げたドームは、朝の姿よりも随分とくたびれていて、壁もへにゃりと歪んでいる。
「……よく頑張ってくれたね」
そう労うようにドームの丸みにそっと手を添えたとき、俺は柏木くんがこのドームを壊してしまったあの日を、ふと思い返していた。
(……柏木くんがここに来てくれる理由は、もう無いんだ)
そして、最初に胸の奥から湧き上がってきたのは「いやだ、柏木くんと一緒がいい」なんて、子どもみたいな願いだった。もし、今この気持ちを全部ぶつけたら、柏木くんはどんな顔をするだろう。
声もかけられなかった頃は、勝手にその先を想像して、自分の中で納得して諦めていた。けれど、今は違う。
きっと柏木くんは、片手を額に当てて、あの困ったような顔で優しく笑ってくれる。そう信じることが出来たのは、二人で過ごしたあの時間が、彼がいつだって俺をまるごと受け止めてくれると教えてくれたからだ。
――行かなきゃ。柏木くんのところに、行かなくちゃ。
迷いを振り切るように、部室を出て西校舎へと続く渡り廊下を駆け出した。
走って、走って。切なさに締め付けられるこの痛みが、柏木くんに抱いている気持ちの正体を、痛いほど教えてくれている。
(俺は、本当は……柏木くんのことが、好きなんだ)
溢れ出るこの想いをどんな言葉で伝えたらいいのか、これだという答えは見つからないままなのに。
それでも俺は、今すぐ柏木くんに会いたくて、どうしようもなく会いたくて、仕方がなかった。
昨日の夕方、部室で柏木くんと手を重ねたこと。抱きしめられたこと。そして、文化祭のあとに大事な話があると言われたこと。しかも、あのあと柏木くんは家が反対方向なのにもかかわらず、「もう遅いから」と駅の改札まで送ってくれた。
昨日の出来事のすべてが、何十年に一度の流星群のように、一生分の運を使い果たしたんじゃないかと思えるほどの大事件だった。
頭の中で何度も会話のシミュレーションを繰り返したのに、いざ本人の姿を目の前にすると、どんな顔で彼を見ればいいのか、まるで分からなくなってしまう。
「ねぇ、三組でチーズハットグ売るらしいからさ、みんなで食べてインスタに載せようよ。あとお化け屋敷も行こう!」
柏木くんの方をちらりと見ると、ど派手な格好のクラスメイトたちが、教室のコンセントを占領して、みんなで柏木くんの髪を整えている真っ最中だ。
ワイシャツにギャルソンみたいな黒いエプロンを巻いた柏木くんは、スマートフォンから視線を上げる。
「俺、前半は店回さなきゃだし、後半は部活の方で受付があるから無理」
「え、待って。星砂って部活やってんの? 帰宅部なんだと思ってた」
「違う、写真部」
そう答えた瞬間、周りから「ぎゃはは」と楽しそうな笑い声が上がった。
みんなに悪気がないことは分かっているけれど、自然と眉間に皺が寄る。
「松田、おっはよー」
ドサッ、という物音がして横を見ると、大きなリュックを机におろした西村くんが片手を上げていた。
「西村くん、おはよう」
「プラネタリウム、無事に完成した? 本当はこの間、見に行きたかったんだけどさ」
「うん。柏木くんが、西村くんの代わりに、撮影しに来てくれたよ」
「それな! いやー、マジでビビったわ。あいつ、久々に部活に来たと思ったら『天文部だけ、俺と交代して』とか言ってくんだもん。あんなキラキラした奴に急に近付かれたら、俺みたいな陰キャは寿命が縮むって」
「え……? 西村くんが、柏木くんに交代してって頼んだんじゃないの?」
西村くんはコソッと俺の耳元で内緒話をするように口元に手を当てると、横目で柏木くんを見ながら言った。
「ちげーよ。元々はくじ引きだったんだけど、柏木にどうしても、って頼まれたんだよ」
その言葉が、胸の奥のやわらかいところに、すとんと落ちてきた。
西村くんが「松田?」と俺の顔を覗き込んでくる。返事をしなきゃいけないのに、言葉が喉の奥で張り付いて、うまく声にならない。疑問符で頭を埋め尽くしていると、「げっ」と西村くんが声を上げた。
その視線の先に居たのは、髪をバッチリと決めた柏木くんだった。サイドがすっきりとまとめられたヘアスタイルは、いつもよりずっと大人っぽく見えて、思わず見惚れてしまう。
「西村、松田となに話してんの」
「べ、別になんでもねぇよ。そんな怖い顔すんなって」
西村くんが唇を尖らせると、柏木くんはむっとした顔で視線を逸らした。
「松田。今日は手伝いに行けないけど、なんかあったらすぐ行くから」
「ありがとう。柏木くんも、大変だと思うけど頑張って」
「……あと、片付けが終わったら。写真部の展示、見に来て欲しいんだけど」
「えーと……場所は」
「西校舎の一年四組。……待ってるから」
柏木くんはそれだけ言うと、自分の席に戻って行った。その後ろ姿を見送りながら、いつのまにか自分の手を強く握り込んでいることに気付く。
HRが始まっても、柏木くんとは一度も目が合わなかった。恥ずかしくて俺が合わせられなかった、というのが正しい言い方かもしれない。
開場のアナウンスが流れたあと、天文部には最初のお客さんがやってきた。
俺と同じ校章の制服を着た男子二人組だ。部活の先輩と後輩という間柄に見える。
「あの、入ってもいいですか?」
受付に座る俺の前で、彼らがスタンプラリーのカードを差し出す。俺は緊張で体がこわばり、まるでロボットのようなぎこちない動きで「どうぞ」と二人を中へと案内した。
「先輩、見て! これ、本当に全部段ボールで作ってあるよ」
「マジかよ。っていうか、そもそもこんなの作れることがビックリなんだけど」
二人がドームの中に入ったのを確認してから、室内の電気を消し、手元のプロジェクターのスイッチを入れた。
天井いっぱいに満天の星空が映し出された瞬間、中から小さな感嘆の声が漏れる。
「……うわぁ、すげぇ! めちゃくちゃ本格的じゃん!」
「やばい、めっちゃ綺麗……」
自分の作ったプラネタリウムを見て、目の前の誰かが心から感動してくれている。それは言葉では言い表せないほど、胸の奥からじんと熱いものが込み上げてくるものがあった。
「あの、天文部のプラネタリウムってここで合ってますか?」
時間が経つにつれ、来場者はどんどん増えていった。収容人数には限りがあるから、あっという間に待機列が廊下の奥まで延びていく。
焦る俺のもとに、西村くんがやってきて「SNSで呟かれてインプレめっちゃ伸びてるぞ」とスマホの画面を見せてくれた。詳しい仕組みはよく分からないけれど、プラネタリウムが口コミを通じて広がっている、らしい。
やがて他校の制服を着た生徒や、楽しげな親子連れも増えていった。幼稚園児くらいの男の子が、ドームから出てくるなり目を輝かせて「たのしかった!」と言ってくれた時は、俺は誰よりも柏木くんに、この笑顔を見せてあげたいと願ってしまった。
(無理だって分かってるけど……やっぱり、隣にいてほしかったな)
一人で受付と上映を回すのは想像以上に大変だったけれど、どんくさい俺にしては上出来だったと思う。
最後の上映回を終えると、さっきまでの慌ただしさが嘘のように、部室は静まり返っていた。
あれだけ時間をかけて作り上げたドームは、朝の姿よりも随分とくたびれていて、壁もへにゃりと歪んでいる。
「……よく頑張ってくれたね」
そう労うようにドームの丸みにそっと手を添えたとき、俺は柏木くんがこのドームを壊してしまったあの日を、ふと思い返していた。
(……柏木くんがここに来てくれる理由は、もう無いんだ)
そして、最初に胸の奥から湧き上がってきたのは「いやだ、柏木くんと一緒がいい」なんて、子どもみたいな願いだった。もし、今この気持ちを全部ぶつけたら、柏木くんはどんな顔をするだろう。
声もかけられなかった頃は、勝手にその先を想像して、自分の中で納得して諦めていた。けれど、今は違う。
きっと柏木くんは、片手を額に当てて、あの困ったような顔で優しく笑ってくれる。そう信じることが出来たのは、二人で過ごしたあの時間が、彼がいつだって俺をまるごと受け止めてくれると教えてくれたからだ。
――行かなきゃ。柏木くんのところに、行かなくちゃ。
迷いを振り切るように、部室を出て西校舎へと続く渡り廊下を駆け出した。
走って、走って。切なさに締め付けられるこの痛みが、柏木くんに抱いている気持ちの正体を、痛いほど教えてくれている。
(俺は、本当は……柏木くんのことが、好きなんだ)
溢れ出るこの想いをどんな言葉で伝えたらいいのか、これだという答えは見つからないままなのに。
それでも俺は、今すぐ柏木くんに会いたくて、どうしようもなく会いたくて、仕方がなかった。



