文化祭で展示する手作りプラネタリウムを破壊したハイスペ男子に「責任とるから」と部室に通いつめられていますが、いつもと様子が違うのは何故ですか?

 週明け、移動教室で一階の廊下を歩いている時のことだった。
 職員玄関へ続く廊下には、歴代のトロフィーや賞状が並ぶ大きなガラスケースがある。そのすぐ隣、普段は誰も見向きもしないひっそりとした場所に、一枚の大きな写真が飾られていた。
 あれ、今まであんなところに写真なんて飾ってあったっけ、と体育館へ向かおうとしていた足が止まる。
 立派な額で縁どられた写真の右下には、小さな白いプレートが添えられていた。

『全国高校生写真コンテスト・星景部門《銀賞》 柏木星砂』

 昨日、部室ではにかんでいた柏木くんの笑顔が、頭の中でぐるぐると渦を巻いた。こんなにすごい賞を取っていることまでは、教えてもらっていない。

(銀賞……しかも全国って、これ、かなりすごいことなんじゃ……?)

 プレートから視線を上へ移すと、そこには言葉を失うほどに圧倒的な星空が広がっていた。
 真っ暗な地平線の上に、まるで巨大な光の橋のように架かっている天の川の帯。吸い込まれそうなほどに深い、青と黒の世界。
 スマートフォンの画面で見せてもらった時も綺麗だと思ったけれど、こうして引き伸ばされた作品は、夜のひんやりとした空気まで伝わってくるみたいだ。
 周りを行き交うジャージ姿のクラスメイトたちは、誰もその写真に目を留めない。お喋りをしながら、ただの風景として素通りして行く。
 その賑やかな廊下のずっと奥、階段の手前あたりから、一際大きな笑い声が響いてきた。

「マジで体育だるいって。見学してぇから骨折しよっかな」

 視線を向けると、そこにはいつもの仲間と肩を組んで、「お前らシャバすぎだろ」と笑っている柏木くんの姿があった。もしかしたら、俺が居ることに気づいてくれるかもしれない。
 柏木くんの視線がこっちへ巡り、あ、と目が合いそうになった瞬間。角を曲がった先から、一年生の女子たちが小走りでやってきた。

「星砂先輩~!」
「おい、そこのイケてる男ー。ほら、ファンが来てるぞ」

 何も悪いことはしていないのだけれど、俺は咄嗟にガラスケースの物陰へ身を隠した。
 廊下の先で足を止めた柏木くんは、ジャージのポケットに手を入れたまま、楽しそうに後輩たちと笑い合っている。

「体育頑張ってください」
「あー、うん。ありがとう」

 こっちを向いてくれないかな、気づいてくれないかな。
 自分からは声をかけられなくて隠れているくせに、おまじないをかけるみたいに、心の中で柏木くんの背中にビームを送る。

(こっち向いて、柏木くん。こっち、後ろだよ……!)

 けれど、柏木くんは俺に気付くこともなく、そのまま渡り廊下へと消えていった。昨日の部室での時間が、まるで夢だったみたいにさらさらと指の隙間を抜けていく。
 柏木くんは誰からも好かれる、眩しい人だ。そんなの、当たり前じゃないか。二百五十万光年も先の銀河に手を伸ばそうとするなんて、俺は一体何を浮かれていたんだろう。
 そう自分に言い聞かせても、胸の奥ではささくれを何度も触られたような、チクチクとした痛みが走っている。
 それがなぜなのか分からないまま、俺は下がりかけた口元を隠すように、ジャージのファスナーを喉元までぐっと引き上げた。



「ねぇ、今週の日曜日さ、みんなでラウワン行こーよ!」

 体育が終わった後の昼休み。柏木くんの周りには、いつものメンバーが賑やかに輪になって座っていた。
 西村くんや席が近いクラスメイトとお弁当を食べながら、じっと対岸から聞こえてくる会話に耳を澄ませる。

「てかさ、最近の星砂、なんか機嫌良くない? いつもよりちょっと楽しそうっていうか」
「え、やっぱ? ウチもそう思ってたんだよね」

 今朝、自分で用意したお弁当のラインナップは、ウインナーと、冷凍食品の星型のポテト。そして、西村くんに「それって爆弾?」と毎度からかわれる、大きなおにぎりが二つ。
 ウインナーは切れ込みを多くしすぎたせいで、宇宙人みたいになってしまったけれど、自分としてはなかなかの力作のつもりだ。
 箸の先で、隣にある黄色い星の形のポテトをそっと(つつ)く。

「もしかして、好きな子が出来たとか?」

 一人の男子が冷やかすように言うと、周りのメンバーが「えー!」「誰誰!?」と一斉に身を乗り出す。おかずを口に運ぶ俺の手も、ほぼ同時にピタリと止まった。

「彼女は作る気なんてないよ。興味ないし」

「とか言って、実は好きな子いるパターンじゃない?」
「えー、それ無理なんだけど。だって、星砂は『みんなのもの』でしょ」

 柏木くんは、みんなのもの。誰か一人の特別にはならない。それは本人が決めているというより、クラス中の女子たちが「そうであってほしい」と共有している不文律のように思えた。
 心に重たい砂を流し込まれたみたいに、ずぅんと気持ちが沈んでいく。
 ……あれ。なんで、こんな気持ちになっているんだろう。
 柏木くんの恋愛事情なんて、俺には何の関係もないはずなのに。みんなのものだと聞いて、どうしてこんなに息が苦しいんだろう。
 俺は手の中のお弁当箱をじっと見つめ、迷い箸でおかずの境界を行ったり来たりした。

「でも、理想のタイプくらいはあるだろ? 髪はロング派かショート派か、とかさ」
「え、普通に好きになった人がタイプ」
「うーわ、出た! ずるいってそれ。イケメンが中身も男前なこと言うなよな」
「そんなつもりじゃない。見た目とか、性格の枠に当てはまるから惚れる、みたいなのが無いだけ」

 どんどん窮屈になっていく心とは反対に、柏木くんは何でもないような顔で楽しげな会話に混ざっていた。
 本当の自分や、本当に好きなものを、みんなの前では出さないように器用に立ち回っているんだって分かってる。
 それでもやっぱり、二人で星空の話をしていたときのような、口を大きく開けて「あははっ」と笑う柏木くんのほうがいいのに、と思ってしまう。
 ほんの一瞬、さっきまでの会話を止めて、柏木くんがこっちの方を見たような気もしたけれど――今は見ていない。たぶん、俺の気のせいだ。

「松田ー? どうした、捨てられた子犬みたいな顔して」
「捨てられた子犬?」
「はいはい、自覚ナシっと。今にも『くぅん』って鳴きそうだったけどな」
「ううん、何でもない。いつも通りだよ」

 西村くんの追及から逃れるべく、お弁当箱の隅に転がっている冷え切った星のポテトを口に放り込む。
 カリカリとした食感をちゃんと味わうこともなく、ささっとお弁当の包みを結び、勢いよく椅子から立ち上がった。

「俺、ちょっと……中庭に行って来るね」
「は? 何、どうした急に」
「部活で使う段ボール、足りないのを忘れてて。予鈴までには戻ってくる!」

 そう言い残して席を外し、逃げるように教室を出た。向かったのは、中庭と体育館の隣にある、部室棟よりもっと奥。ゴミ置き場だ。
 どうしてこんなに胸がざわざわしているんだろう。本当の柏木くんは違うのに、なんて。まるで柏木くんのことすべてを知っているかのような、とんでもないおせっかいだ。
 渦巻くもやもやを断ち切るように、俺はプラネタリウムの補強に使えそうな、ぶ厚い段ボールの束を力任せに引っ張り出した。

「……う、重っ!」

 ビニール紐で固く縛られた段ボールの塊は、見た目以上に重かった。思い切り抱え上げると、ぷるぷると腕の震えが止まらない。
 行き交う生徒たちにぶつからないように、足元の感覚だけを頼りに先へ進もうとした、その時。

「松田、危ないよ」

 ふわっと、腕の中から段ボールが持ち上がる。顔を上げた先には、ちょっとだけ息を切らして心配そうな顔をしている柏木くんが居た。
 中庭を通り抜ける風が俺たちの間を吹き抜けて、ふわりと髪を揺らし、シャツを膨らませる。
 柏木くんが一歩近づくと、ほんのり石鹸みたいな香りがした。

「なんで柏木くんがここに……?」
「席外すの見えたから。西村に聞いたら、段ボールを取りに行ったって」
「え、気づいてたの」
「うん。ずっと見てたから」

 口にぎゅっと力を入れていないと、頬が緩んでしまいそうになる。
 その不自然な顔を見られたくなくて下を向くと、柏木くんは段ボールを担ぎ直して歩き始めた。

「手伝うよ。松田、もやしみたいに細いし。見ていて危なっかしい」
「も、もやしは言いすぎじゃない? アスパラのポテンシャルくらいはあると思うんだけど……」

 不満げな口調で必死に言い返した俺に、柏木くんは「ぶはっ」と吹き出して大笑いした。
 俺としては真面目に、結構いい例えをしたつもりだったんだけど……。

「いいから。絶対、俺が運んだ方が早いよ」
「……柏木くん、見かけによらず筋肉があるんだね」
「なんか突然ディスられてる?」
「ディス……?」
「ん、なんでもない。休みの日は、機材一式持って、山道登ったりするから。自然と筋肉がついただけだよ」

 遠目で見ていた時は気づかなかったけれど、ドームが崩れて庇ってくれた時の、がっしりとした身体の感触、低い声、体温。
 ひとつひとつを思い返しながらぼーっと歩いていると、柏木くんは一度足を止めて、俺を振り返った。

「……松田、前がよく見えないから誘導してほしいんだけど」
「誘導?」
「うん、責任重大だよ。周りにぶつかったら危ないから」
「あ、うん。任せて」

 てっきり誘導員のように、オーライオーライと手で合図してくれるものだとばかり思っていたけれど、柏木くんは段ボールを左腕に抱え直すと、空いた右手をそっと俺のほうへ差し出している。
 一拍置いて、その大きな手をそっと握った。誰かと手を繋ぐなんて子供の時以来で、心臓は身体の奥で大暴れしている。
 廊下に響く声に、手を繋いでいるのを誰かに見られたら……と思ったけれど、何人かが俺たちとすれ違っても、柏木くんの段ボールが壁になって気付かれることはなかった。
 握った手に意識を集中させながら、ふたりで一緒に話せるような話題を探す。

「……あの、体育に行く途中、柏木くんの作品を見かけたんだけど。銀賞って、本当にすごいね。おめでとう」
「サンキュ。てか、あんな地味なとこに飾られてるのに、よく見つけたね」
「ああいう高画質の星景を撮影する時って、バズーカみたいなでっかいカメラで撮ってるの?」

 一度手を離して、両手で大きな筒を抱える仕草をしてみせると、柏木くんは一瞬きょとんとした後、「ははっ、バズーカって!」と声を上げて笑った。
 その笑顔を見た瞬間、溜まっていた重たいもやもやが、あたたかいお湯に溶かされるようにすうっと消えていく。
 手が離れたのは、ほんの束の間。それでも柏木くんは俺の手を上から包み込むように、強めに握り直しながら言った。

「それって、超望遠レンズのこと?」
「うん、あの、エビフライに似てるやつ」

 俺が指で宙にエビフライの形を描くと、柏木くんは段ボールを抱えたまま、目尻に涙を浮かべて大笑いした。

「はー………いや、あれはさすがに無理。重すぎて持ち運べないし、値段もやばいよ。下手したら三百万くらいかな」
「三百万……!? じゃあ、本物のエビフライが一生分食べられるね」
「なんでエビフライで換算してんの、松田は」
「あ、ごめん」
「でもまあ、確かにそれだけあれば、一生エビフライには困らないかもな」

 こうして二人きりになると、自分の好きなものの話を、本当に楽しそうに教えてくれた時の柏木くんのままだ。
 柏木くんに、もっと笑って欲しい。屈託なく笑う顔が好きだ。
 クラスの誰にもみせていない、俺だけが知ってる柏木くんの顔。

 (……俺、もしかして……柏木くんを独り占めしたくなってる?)

 そう気付いたのは、この時間を少しでも引き伸ばすように、いつもよりゆっくりと廊下を歩いていたからだった。