文化祭で展示する手作りプラネタリウムを破壊したハイスペ男子に「責任とるから」と部室に通いつめられていますが、いつもと様子が違うのは何故ですか?

「おい、柏木。起立して、教科書の六十四ページを読んでみろ」

 五限目の現代文。チョークの音が途切れたかと思うと、教卓から先生の低い声が飛んできた。
 斜め前に視線を向けると、指名された柏木くんの広い背中がビクッと跳ねる。机に突っ伏したまま、深い眠りに落ちていたらしい。

「あー……すいません、今何ページすか」
「お前は本当に、数学と地学以外はいつも寝ているな。俺の授業はそんなに退屈か?」

 周りの男子たちが「またかよ」と言わんばかりに肩を揺らしている。当の本人はバツが悪そうに頭を掻きながらも、持ち前の愛嬌で小言をさらっと受け流していた。
 クラスでも成績は上位のはずなのに、意外と内申は気にしないタイプなのかもしれない。
 先生が音読を終えて黒板に向き直った瞬間、柏木くんは吸い込まれるように、再び夢の世界へと旅立ってしまった。

 ――そんな昼間の光景を頭の中で再生しながら、放課後の廊下を早歩きで進む。今日に限って週番の仕事が長引いてしまい、部室へ向かうのがすっかり遅くなってしまった。
 柏木くんが手伝いに来てくれるのは嬉しいけれど、本当は負担なんじゃないかという不安も拭えない。
 ぐらぐらと揺れる心を振り払うようにしてドアを開けた、その瞬間。俺は息を呑んで、入り口で立ち尽くした。

「ね、寝てる……?」

 柏木くんは、部屋の隅に押しやっていた椅子を四つ並べて、即席のベッドを作っていた。そして、その狭い座面の上で見事なほどに体を横たえて眠りこけている。
 ゆっくりと穏やかな寝息に合わせるように、床の上に落ちたカーテンの影が、ゆらゆらと波打っていた。
 上履きの音を忍ばせてそろりと近づき、腕枕に半分埋もれた寝顔を、一定の距離を保ったまま覗き込む。
 柏木くんの寝顔は、同じ男の俺から見ても、ドキリとするほど格好良かった。

(全然起きそうにない……疲れてるのかな)

 俺は自分のブレザーを脱ぐと、熟睡している柏木くんの身体に被せようと、そっと手を伸ばした。
 ――せめて、お腹だけでも冷やさないようにしないと。
 子どもの頃、母さんがよく言っていた言葉を心の中で反芻しながらブレザーをかけた、その時。

「……松田?」

 低く掠れた声にハッとして視線を落とすと、柏木くんはいつの間にかうっすらと目を開けて、じっと俺を見上げていた。

「あ……っ、ごめ、起こしちゃっ、」

 驚いて、慌てて身体を引き剥がそうと、勢いよく後ろへ飛び退く。タタッと不格好によろけたあと、そのまま床へ派手に尻もちをついてしまった。

「いった……」

 お尻に響く軽い痛みに顔をしかめつつ、情けないやら、恥ずかしいやらで顔から火が出そうになる。
 見上げると、椅子の上で上体を起こした柏木くんは、床に座り込む俺に向かって大きな右手をすっと差し伸べていた。

「そんな驚かなくても。ほら、大丈夫?」

 差し出された綺麗な手のひらを見つめ、ゴクリと喉が鳴る。おそるおそるその手を握ると、包み込まれるような温かさと、想像以上の力強さでぐいっと身体を引き起こされた。

「週番、お疲れ」
「ありがとう。それから、お待たせしました」
「ごめん、普通に爆睡してた。いまって何時?」
「十六時半だよ。すごく気持ち良さそうに寝てたから、起こすのが可哀想で」
「うわー、マジか。松田が来るまでの間に、ちょっと仮眠しようと思ったんだけど」

 柏木くんは何度も目を擦ってから、くあっと大きな欠伸をした。そんな無防備な仕草を見るのは初めてだ。
 授業中も放課後もこんなに爆睡できるなんて、一体どんな生活をしているんだろう。

「寝たのがそもそも間違いだった。折角の時間なのに、勿体ないことした……」
「勿体ない?」

 柏木くんは俺がかけたブレザーを折り畳みながら、小さく溜息をついた。

「約束したのもあるんだけどさ。松田といる時間っていうか、喋る時間が減っちゃうの、やっぱ嫌なのかもしんない」
「俺と、喋る時間」
「うん。ここだと、松田と二人だけでゆっくり話せるじゃん?」
「……そっか。なら、ずっと寝顔見てないで、もっと早く起こせばよかったね」

 小さく息を吸う気配のあと、柏木くんの動きがピタッと止まった。切れ長の瞳が、まん丸になっている。

(あれ……俺、また何か変なこと言っちゃったのかな)

 不安になって首を傾げると、柏木くんの耳がほんのりと赤くなる。どうしたんだろう。
 気まずさを誤魔化そうと、俺はとりあえず口角を上げて見つめ返す。けれど、そんなアイコンタクトも虚しく、柏木くんは指先で頬を掻くと、ぎこちなく目を逸らしてしまった。

「ん゛んっ」

 柏木くんが不自然な咳払いをして、口元を片方の手のひらで覆う。

「えっ、柏木くん。もしかして、もう風邪引いちゃった!?」
「違うちがう、そうじゃなくて」
「これね、舐めると一発で喉のイガイガが取れる飴なんだ。柏木くんも、良かったら一個どうぞ」

 俺の問いかけを早口で全否定した彼は、『のど黒飴』と極太の毛筆で書かれた袋を、なんとも複雑そうな顔で受け取ると、すぐにポケットへ隠すようにしまった。
 あんまり好きじゃないのかな。うちのおばあちゃんも大絶賛してるし、俺だって季節の変わり目には欠かせない愛用品なんだけど。
 しょんぼりした空気に気を遣ったのか、柏木くんは「あとで食べるから」と言って、椅子から降りて床に直接あぐらをかいた。
 そのまま横に回り込むと、覗き込むように顔を近づけてくる。

「なぁ、松田の中でさ、俺の印象ってどんどん悪くなってない? 大事なドーム壊しちゃうし、授業中も寝てばっかだし、手伝うって言ったくせに寝落ちしてるし……」

 大きな身体を小さく縮こまらせ、そっと俺の顔色をうかがうように呟く。柏木くんの瞳は、迷子のように頼りなく揺れていた。その意外すぎる表情に、俺はただぱちぱちと瞬きを繰り返す。

「悪くなんて、全然なってないよ。むしろ、その逆っていうか」
「マジで?」
「その……今までは、もっと近寄りがたい、華やかな人なのかなって思ってたから」
「……あとは? 俺のこと、他にどう思ってる?」
「えっと……あとは、どうしてそんなに毎日眠そうにしてるのかなって。もしかして、部活のあとにバイトとかしてる?」

 首を傾げて問いかけると、柏木くんはガシガシと頭を掻いて、手をひらりと振った。

「いや、バイトはしてない。ぶっちゃけ写真部もサボり気味だし」
「え、でも、昨日は部活の撮影をしてるって――」
「あれは普段が幽霊部員だから、真面目に出席しろって顧問にキレられて」

 ……じゃあ、部活やバイトのせいじゃないんだ。ちょっと聞きづらいことを聞いちゃったかもしれない。
 どうフォローすればいいか分からなくて、「そっか」と苦笑いする。自分の手元に視線を落としたまま、柏木くんは小さな声で呟いた。

「……写真、撮ってんだよね。夜中に」
「えっ……夜中?」
「そう。俺の撮りたいものが、夜にしか現れてくれないから」

 そう言って、柏木くんはスラックスのポケットからスマートフォンを取り出して、液晶画面を最大限に明るく設定すると「これなんだけど」とぶっきらぼうな口調とともに差し出してきた。

「昔から星景(せいけい)写真が好きでさ。だから毎晩、ベランダから撮ってる。休みの日は親父に頼んで、車を出してもらって。朝まで粘ったりもするんだ」
「嘘、これ、全部柏木くんが撮ったの……!?」

 一枚一枚をスクロールする画面に収められていたのは、圧倒されるほど美しい星空の写真の数々だった。
 漆黒の山頂を前景に、今にも降ってきそうな満天の星空に輝く天の川。湖の(ほとり)で、鏡のような水面に逆さに映り込んでいるオリオン座の星像。そのどれもが、物語のワンシーンのように幻想的だった。

「綺麗すぎる……プロみたい……」
「あはは、サンキュ。松田にそこまで褒められると、普通に照れるんだけど」
「すごいよこれ! 北斗七星におうし座……こっちはスピカで、春の大曲線!」
「おお、さすが天文部。じゃあさ、デネボラとアークトゥルスがあるから、これが」
「「春の大三角」」

 同時に画面を指差した瞬間、こぼれた声まで綺麗に重なり合う。
 思わず息を呑んで見上げると、すぐ目の前にある柏木くんの澄んだ瞳に、俺の驚いた顔が映り込んでいる。
 まっすぐに俺を捉えるその瞳は、液晶の光を反射して、まるで夜空に浮かぶ星のように揺らめいていた。

「すげぇ、一発で通じ合えた。星座の名前までパッと出てくるの、マジで感動なんだけど。こんな風に話せるの、初めてだわ」
「俺の方こそ感動してるよ! ベランダからでもこんなにノイズなく映るんだ」
「実は何枚も重ねて明合成(コンポジット)しててさ。この湖のやつは夜中の三時まで粘って、やっと撮れたんだよ」
「水面にこんなにはっきり反射してるなんて、よっぽど風がなかったんだね」
「そう、マジで無風で。水面が鏡になっててさ、シャッター切った瞬間、鳥肌がやばかった」

 柏木くんはスマートフォンを持ったまま、さらに距離を詰めてきた。
 薄暗い部屋の中で、さっきは触れ合うだけだった肩が今はぴったりとくっついている。

「松田って、本当に星が好きなんだな。話してて、めちゃくちゃ伝わってくる」
「うん、小さい頃からずっと好きで。でも、こういう話ができる人、周りに全然いなかったから……」
「俺もそうなんだよな。一人で夜中にカメラ構えてると、たまに寂しくなってさ。これ、明日誰かに見せたいなって思っても、次の日学校に行ったら言える奴がいないっていうか」
「わかる! 俺も、黒点のスケッチを描き終えた後、いつもそう思うよ」

 少しだけ間が空いて、柏木くんは画面に視線を落としたまま続けた。

「だから、松田がいてくれて良かった。……これからさ、撮れたら一番に松田に見せるよ。そんで、今日みたいにたくさん喋りたい」
「うん、俺も見たい。もっとスクロールしていい?」
「いいよ。この辺が今年撮ったやつ。さそり座といて座、あと北斗七星もあるよ」

 それから俺たちは、ひとつの小さな画面を囲んで話し込んだ。
 いつものクールな印象が嘘みたいに、童心に返ったように夢中で語る柏木くんの声が、どんどん弾んでいく。

「子どもの頃、家族旅行でハワイに行ったんだ。そこで星空を見てから、ずっと好きでさ……でも、学校でそれを友達に喋ったら『カッコつけじゃん』って言われたことがあって。だから、あんまりそういう話は学校で出さないようにしてる」
「それ、ちょっと分かるかも。俺も星の話をすると、みんなにポカンとされちゃうこと、何回もあるから」
「あー、めっちゃ分かる。進路の話になった時もさ、俺……将来は、星景写真家になりたいって思ってんだけど、周りのノリの中でそういうのってすごく言いにくいじゃん? だから、いっつも誤魔化してばっかだよ」
「……星景写真家?」
「やっぱ変かな。俺のキャラじゃない、って思った?」

 不安そうにこちらを覗き込んできた柏木くんに、俺はふるふると首を横に振った。

「そんなことない。すっごく素敵な夢だと思うよ」
「……じゃあ、カッコいいって思う?」
「うん、もちろん。それに、尊敬もしてる」

 それを聞いてホッとしたように目を細めると、柏木くんは機嫌良さげに、画面に映る星空を指先でなぞった。
 みんなの中心にいる彼の、誰も知らない心の中。そのいちばん大切で、いちばん綺麗な夢の場所に、今、触れさせてもらっている。
 そう思うと、嬉しさで胸の奥がじわじわと熱くなって、なんだか背筋をしゃんと伸ばしたくなる気分になった。

「松田はいつから天文に興味あんの?」
「亡くなったじいちゃんが、大学院で惑星科学を教えてたんだ。その影響で、小さい頃から図鑑がすごく好きだった」
「へぇ、じゃあガチ勢ってことだ」
「がちぜい……?」
「本気で取り組んでる、ってこと」

 俺が「うん、ガチ勢です」と覚えたての言葉で返事をすると、柏木くんは目尻を下げて笑ってくれた。

「悪い。俺、一気に喋りすぎたな。……あ、そうだ。これ、この間のお詫びってわけじゃないけど、松田のために持ってきたんだ」

 スクールバッグから取り出された袋。差し出されたそれを見た瞬間、思わず息を呑んだ。それは、俺が昼休みにいつも教室の隅でこっそり食べている、お気に入りのお菓子――『スター☆たべよ』だった。

「松田、いつも休み時間のたびに美味そうにお菓子食ってるじゃん? たまに、横顔が頬袋みたいになってんなーって思ってたんだよね」
「頬袋」
「うん。すげー、リスみてぇにモグモグしてるーって笑いそうになった時もあった」
「り、リス……っ!?」
「星ラムネと、きらりグミと、『スター☆たべよ』。……全部、星の形しばりしてんのな」

 昼休みに一人、大量のお菓子で至福のひと時を過ごしていた時の自分を想像して、今頃になって「見ないで」と顔を両手で覆う。
 うぅ、と恥ずかしさで唸る俺を、柏木くんはお腹を抱えて、前屈みになりながら本当に可笑しそうに笑っていた。

「他に好きなお菓子ってあんの? 今後の参考にしたいんだけど」
「星の形しばりなら、『しっとりチョコ』とか」
「分かる! あれ美味いよな。サクサク感も最高だし」
「そうそう! あと、アイスの『ピノ』で星形が出たときとか、すっごくテンション上がっちゃうよね」
「一日ハッピー確定演出だよな。あとはカールの星形とか?」
「あー、それ! 出現率0.018%って言われてるくらいだし、あれはもう家宝にするレベルで珍しいと思う」
「なんでそんな詳しいんだよ。じゃあ、今度出たらあげるから。家宝にしてくれる?」

 大事なものをあげると言われて、俺は受け取ったお煎餅を持つ指先に、きゅっと力を込めた。

「もし、柏木くんにいつか星のカールを貰ったら……永久保存するには、どうしたらいいのかな」
「あはっ、あははっ! もー、マジで腹痛い。顔がガチすぎるって、それ!」

 柏木くんは笑い転げながら俺の肩を叩くけれど、俺の湿気対策への情熱は至って真剣だ。
 こんなに会話が弾むなら、子どもの頃の俺なら「今日から親友だね!」と迷わず言えたと思う。けれど、今の俺には「柏木くんと俺って、もう友達なのかな」なんて確かめる勇気はなかった。

 柏木くんと校門の前で別れたあとの家までの道も、とっくに日は沈んでいるのに、心の中は陽だまりみたいに温かい。
 思い返してはふっと緩んで、火照った頬を冷ますように撫でていく、十月の風。
 今までと明らかに違ったのは、この冷たさまで心地いいと思ってしまうほど、明日の部活も楽しみになっていることだった。