なんで俺が本気になってんの?

 芭玖と付き合って、あっという間に三週間と少しが経った。八月も下旬となって、夏休みも残りわずか。今日は待ちに待った祭りの日だっていうのに、俺はTシャツとハーフパンツというクソダサ──じゃなくて、超ラフな格好で、芭玖の家を訪れていた。
 というのも、昨日、俺が課題を終わらせていないことがバレてしまって、朝から芭玖んちで、強制的に勉強させられているのだ。
 リビングのローテーブルに置いたスマホに軽く触れると、時刻は午後五時半。いったい俺は、何時間勉強してるんだよ。
 
(あーあ。あのとき、夏休みの宿題もらくらく終わらせられるって思ったのにな。ぜーんぜん、終わらん)

 数学のワークに視線を戻して、俺は指でくるくるとシャーペンを回した。
 ただ、今日まで宿題が終わってないのは、芭玖にも原因があると思う。
 だって、芭玖を楽しませようと張り切ったがゆえに、つい遊びすぎてしまったのだ。
 部活のあとは毎回、どこか寄ったり、冷たいものを買って半分こしたり、わざわざ遠回りして帰ったり。休みの日はプールや映画に行ったり、チャリを激走して高台の公園で星を見たりもした。

(正直、恋人というより、なんか親友のままのような毎日だったけどさ……)

 夜は寝落ち電話したり、買い食いでは間接キスが当たり前になったり、という変化はあった。
 しかも、芭玖は親友のときより、俺に甘くなったと思う。
 俺に合わせて少女漫画も読み始めてくれたし、やりたいことは全部付き合ってくれる。車道側を歩いてくれたり、歩く速度を合わせてくれたりもする。

(あ、そっか。今の芭玖なら、俺に甘いし? この山盛りの課題も手伝ってくれるかもしれないよな)

 それに気づいた俺は、早速、芭玖に泣きつくことにした。

「芭玖ぅ〜。俺、もうムリ。こんな量終わる気がしないんだけど。手伝ってくれよぉ」

 大げさにべそをかく演技をして、後ろのソファへ振り返る。
 どうやら、芭玖は読書感想文の小説を読んでいたらしい。ページをめくる手を止めると、組んでいた足を戻して、眉間にしわを寄せた。

「なーに言ってんだ、甘えんな」

 芭玖は呆れたように一蹴して、俺の額を人差し指で軽く小突いてくる。

「痛っ。もぉ、仮にも恋人だろー! 俺はたくさんお前を楽しませてやったのに。ひどい。しくしく」

 泣き真似をしたら、今度は「はぁー」と大きなため息をつかれてしまった。

「蘭が勉強から逃げてただけじゃねぇか」
「逃げてないし。毎日部活と遊びに必死だっただけだろ!」
「それを逃げてるって言うんだよ」
「うっ……」
「俺もお前と同じ生活してるんだけど? どうやったらこんだけ溜め込めるんだ?」

 芭玖は肩をすくめると、ソファから降りてきて、俺の隣に座った。テーブルに置いていた英語と化学のプリントに手を伸ばして、ぱらぱらとめくる。
 ただ、それだけ。ただそれだけの行動なのに、肩が触れ合そうな距離のせいで、呼吸が止まりかけた。

(あぁ……ダメだ、やばい。なんか緊張してきた)

 最近、俺はどうもおかしい。芭玖の匂いを嗅いだだけで、なぜか動悸がするのだ。
 自分では考えたくはないけど、もしかしたら……そういうことなのかもしれない。
 まだ、確証はないんだけど、付き合ってから日に日に芭玖のことが気になって仕方ない。
 気づけば部活中も目で追ってるし、帰り道は横目で盗み見ちゃうし。夢にまで見たときは、芭玖の顔も見れんくらい意識してしまって、ほんと単純すぎる。
 夏休みを楽しませてやろう。その気持ちが、いつしかこんな風になってしまっていたみたいだ。

(さすがに育ちすぎだろ。俺の気持ちよ……)

 それなのに……芭玖の馬鹿野郎。こいつは、全く俺を意識していない。

「ん? なに変な顔してんの?」

 俺にぐいと近づいてきて、平然と顔を覗き込んでくる。

「うぐっ……」
「ん?」
「ち、近い」

 これ以上はだめだと、俺は鼻を摘んだ。すると、芭玖は驚いたように、目を丸くする。

「待てよ。おい、お前、俺が臭いって言いたいんかよ」
「いや、違う!」
「じゃあ、なに」

 何って言われても、俺だってなんでこんなアホなことしてるのか、分からない。だからこそ、もう早く離れて欲しくて、咄嗟に叫んだ。

「圧が強いんだよ! 圧が」
「圧ぅ?」
「そう! ちょっとはさ、離れろよ。プレッシャーがあんの!」
「はぁ? 意味わかんね。お前が手伝えって言ったんだろうが」

 芭玖はガシガシと後ろ頭をながら「もういいわ」と、ソファに戻ろうとした。
 だが、それはそれで困る。俺は今すぐ、この環境から解放されたいのだ。
 慌てて、背を向けた芭玖のTシャツの袖を、ガシッと掴む。

「なんだよ」

 むっとした表情をしながら、膝立ちのまま芭玖が振り返る。

「……宿題終わんなくても、今から夏祭り行っちゃだめ?」
「はぁ?」
「このままじゃあ、俺、息が詰まって死にそう」
「そんなにかよ」
「そんなに。朝からずっと勉強してるとか、もう無理。勉強よりも体動かす方が得意なの、芭玖も知ってるだろ?」
「あー……まぁ、そうだな」
「だろ? だから……だめ?」

 最後の手段だ。姉ちゃんにも通用する、必殺うるうる攻撃を試しに繰り出した。すると、なぜか芭玖が「うっ…」と狼狽える。

(あれ? もしかして効く感じ? あ、そっか。芭玖も弟と妹いるもんな?)

 そうとなれば、だ。俺は覚悟を決めて、姉ちゃんたちの前でしか見せない甘えん坊モードに突入した。袖をくいっと引っ張ってからの、上目遣い。うるうる攻撃を連発して「なぁ、ダメ?」と、首を傾げる。
 その結果、ものの数秒も経たないうちに、芭玖がぐっと喉を鳴らすのが分かった。
 その瞬間、頭の中で、カンカンカンと勝利の鐘が鳴る。芭玖も、姉ちゃんたちと同じだ。こうなれば、皆いつも俺に折れてしまうのだ。

「あー、もうわかった。祭りに行く前に、とりあえず数学は終わらせるぞ?」
「ほんと?」
「ほんと」
「やりぃ!」

 へへっと笑っていたら、芭玖は「お前なぁ」と言いながら、容赦なく俺の頭をガシガシ撫でてきた。

「あーもう、麦茶のおかわり持ってくるから、ちょっと待っとけ」

 芭玖は立ち上がると、テーブルの上のコップを二つ持って対面キッチンの方に向かっていく。
 芭玖の香りにそわそわするっていうのに、離れるとそれはそれで物寂しいとか。ほんと、どういうことだよ。
 数学に集中しなきゃなんないのに、俺は自然とその背を目で追っていた。

***
 なんとか午後七時までに数学のワークを終わらせた俺は、芭玖の家から徒歩十分の神社に向かった。
 祭りの会場となる境内は高台にあって、長い階段をのぼった先にはたくさんの出店が並ぶ。
 ソースや焼き鳥のタレの匂いで腹は空くし、宙には提灯が浮いていてワクワクする。
 浴衣や甚平を着た人の流れに身を任せるだけで楽しくて、つい子どもみたいにキョロキョロ見回しながら歩いてしまった。
 あまりに夢中で、いつの間にか芭玖を追い越していたらしい。

「らーん。おいこら、どこ行こうとしてんだよ」

 急に肩をぐいと抱かれて、咄嗟に「うぎゃっ」と変な声が出た。
 しかも、ダイレクトにシトラスの香りがする。芭玖の匂いだ。ということは、俺の汗臭さも芭玖にバレてるかもしれないってことで……。なんか急激に羞恥心が込み上げてくる。
 
(やばい。死ぬ死ぬ。マジで無理)

 心臓が縮みあがってはくはくと口を動かしてたら、芭玖はふっと目を細めた。

「ほら、色々買って早く食べようぜ」
「あ、あぁ、うん」
「なんだよ、調子悪い?」
「違う。ただ……なんか近くね?」
「いやいや。迷子になんねぇように捕まえとかなきゃなんないだろ。お前、ふらふらどっか行きそうだし」

 芭玖はそう言って「ほら行くぞ」と、肩を抱いたまま歩き出す。
 
(あぁ、やばいどうしよ。なんか心臓がドンドコ変な音立ててんだけど)

 いつもなら反論するのにもう何も言えなくて、芭玖に肩を抱かれたまま、屋台を回ることになった。