なんで俺が本気になってんの?

***
 夕方とはいえ、本格的な夏だ。外は日が傾き始めても蒸し暑くて、じめじめとした空気が肌にまとわりつく。体育館を出て、部室棟近くの自販機に向かうだけで、汗がしきりに首筋を流れていった。
 
「あちぃー」

 溶けそうになりながら、俺は部室棟前の段差に腰を下ろす。すると、芭玖が「ほらよ」と、俺の首にグイとペットボトルを押し付けてきた。
 雑に渡すなよと思いながらも、「さんきゅ」と受け取る。その冷たさに「やべぇ、天国〜」と言っていたら、隣に座った芭玖が「あのさ」と話しかけてきた。

「ん、何?」

 隣を見れば、なんか居心地悪そうな顔をしている。
 告白──じゃないだろうし、一体どうしたよ。ちょっとでも話しやすくしてやろうと思って、「なんて顔してんだよ。腹痛か?」とけらけらと笑った。

「ちげーわ」
「ならなんだよ」
「んー……いや、蘭はなんで女子にあんな風に笑いかけられんのかなって」

 そう言う芭玖の声は、いつになく真面目なトーンだった。

(ん? 何で急に?)

 こいつがなんでこんなことを言い出したのか見当がつかなくて、一瞬戸惑う。でも、もしやと思って、眉をぎゅっと寄せた。

「えっと……うん。何、芭玖。お前、あんだけ毛嫌いしてんのに、実は彼女欲しい……とか?」
「なんでそうなんだよ。んなわけあるか」
「じゃあ、なんで急に」
「……お前が、俺の前と態度がちげぇのがなんか」

 芭玖は言葉の続きを飲み込むと、わずかに口を尖らせて俺から目を逸らした。
 まるで、拗ねてるみたいだ。茶化してくれとでも言わんばかりの態度に、思わずニヤついてしまう。

「あらやだ、ヤキモチですかぁ? 芭玖くんったらかわいいでちゅねぇ〜」
「はあ? ちげーから! 疲れねぇのかなって!」
「疲れる?」
「いや、だって、さっきもやたらと笑顔振り撒いてたみてぇだし。お前のそういうとこ……放っとけねぇんだよ」

 芭玖は芭玖なりに、俺のことを心配してくれているらしい。口は悪いし、女子には無愛想だけど、なんだかんだで俺には優しいのだ。
 こんな巨男に可愛いと思うのは癪だが、普通に可愛い。思わず、くすくすと笑みがこぼれる。
 
「そんな心配してくれてたん」
「悪いかよ」
「んーん。全然。ありがとな。今んとこは大丈夫だよ。少女漫画のヒーローみたいだなって楽しんでるし」

 と言ったところで、自分の失言に気づいた。

(俺、少女漫画好きっての、隠してんのに……!)

 でも、芭玖は何ら顔色を変えないし、冷やかしてくる気配もなかった。ただ「マジかよ」と言ってくるだけで、俺はホッとした。
 そうだ。芭玖ってこういうやつだ。俺の好きなものは、絶対に否定的なことは言ってこない。むしろ、そうかそうかって受け入れてくれる感じ。
 普段はむっとしてること多いのに、人のことをちゃんと考えられるいいやつなんだよな。

「マジマジ。ほんとは、甘酸っぱい青春したいけど、うちの部じゃ無理だし。きゃあきゃあ言われるので我慢してる」

 芭玖なら大丈夫だと思って、そう口にしながら、ペットボトルの蓋を開ける。ジュースを口に運んで、ふとなんでこうなったのかを思い返した。

 三姉弟の末っ子の俺は、姉ちゃんたちの少女漫画を読んで育った。中学まではバスケ一本だったけど、高校入ったら可愛い彼女作って、バスケと青春を謳歌する──その予定だった。
 だけど、いざ蓋を開けてみれば、全国大会常連校のうちのバスケ部は、彼女作るのは禁止。部活に集中しろってことで、作ったヤツは即退部って謎ルールがある。だから俺は、仕方なくバスケをとった。
 ただ、今年は、まさかの全国に進む前に敗退。
 おいこら、彼女作ってなくても負けたじゃん! てか向こうのエース彼女いるやん! って、先月末の俺は内心めちゃくちゃ荒れた。

(あ、やばい。思い出したらなんかちょっとムシャクシャしてきた)

 余計に喉が渇いて、ごくごくと半分近くオレンジジュースを飲んだら、何が面白かったのか。隣で、芭玖が「ふはっ」と噴き出した。

「何。お前こそ、そんな彼女欲しいんかよ」

 くすくすと笑われて、俺は「は?」と芭玖を見る。いやいや、何を当たり前のことを言っている。

「そりゃほしいだろ。この顔が宝の持ち腐れじゃね?」

 大真面目に自分の顔を指差せば、芭玖はぽかんとしてから、またけらけらと笑い始める。

「あははっ。ほんと、それは言えてる。お前、美人だもんな」
「だろ?」
「──でさ、その甘酸っぱい青春ってどんなの。少女漫画みたいな?」
「え?」

 急に聞かれて、たじろいだ。自分の妄想を垂れ流すとか、いくら芭玖でも恥ずかしい。てか、スルーしてくれるんじゃなかったのか。

「こんなの話すことじゃないだろ」
「話せねえの?」

 そう言って芭玖は、喉の奥で軽く笑う。

「はぁ? 話せるし!」
「なら、教えてくれよ。なんかちょっと気になった。甘酸っぱい青春っての、よくわかんねーから」
「えぇ? じゃあ……少しだけな? 少女漫画でよく見るやつだけど」

 ペットボトルのキャップを閉めて、地面に置く。昨日読んだ少女漫画を思い出しながら、俺は芭玖に理想を語り始めた。

***
「──でさでさ、付き合ったら、帰り道にアイス半分こしたり、雨の日に相合傘したり……あとは試験前とかに、頑張れってメモ渡すのもいいよな。夏休みはプールにお祭り、花火もしたい! あ! あとあと! 体育祭ははちまき交換したい」

 そこまで話したところで、俺は自分の願望を夢中で話していたことに気づいた。やばい。これは絶対にからかわれる。
 でも、恐る恐る芭玖を見たけれど、俺をおちょくる気はないらしい。むしろ、俺の話を楽しむみたいに、唇の端にやわらかな笑みを残していた。

(ん? なんで、そんな顔してんの……?)

 芭玖の優しい表情に、少し戸惑う。視線を逸らそうとしたら、芭玖が「蘭」と呼んできた。

「な、何……」
「蘭がさ、少女漫画好きなのって、姉ちゃんの影響?」
「そ……そうだけど」
「くくっ。……蘭。お前、ほんと可愛いな」
「……は?」

 こいつは何を言ってんだと、自分の耳を疑った。

「な! なんだよ、急に! 変なこと言って、からかうなよ」
「からかってねぇよ。……だからさ、蘭。俺と付き合わねぇ?」

 またもや芭玖の口から、信じがたい言葉が飛び出した。

「……ん? 今なんか幻聴が聞こえた気がする」
「俺と付き合うかって聞いてる」

 即答されて、すぐには言葉が飲み込めなかった。数秒固まってから、ようやく自分が何を言われたのかを理解した。

「……って! なんでだよ!」
「ん? ダメか?」
「だ、だめかって……ダメだろ? 彼女作ったやつは即退部って、部活入る時に言われてるじゃんか。ダメに決まってるだろ?」

 動揺のあまり、いやいやそうじゃない。つっこむところはそこじゃないと思いながらも、つい確認とるみたいに疑問形になる。
 すると、芭玖は「あのさ」と言ってから、汗で俺の頰に張りついた髪に触れてきた。

「彼女禁止なだけで、彼氏は禁止じゃねーよ」

 髪を耳にかけてくれながら、芭玖は俺の目をまっすぐ見て、はっきりと口にした。
 揚げ足をとるような言葉に、ぐっと喉が詰まる。
 いや、だって……あの芭玖がそんな抜け道を提案してくるとか、誰も思わないじゃん。
 固まった俺を見て、芭玖はクスッと笑う。

「俺なら、お前の憧れる青春、付き合えるからさ。ゆっくり考えてみろよ」
「え」
「それじゃ、俺は先に戻るな」

 芭玖はそう言って、俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でてから立ち上がった。
 どうしよう。芭玖とは中学の県選抜で知り合ってからの仲で、一番の親友だ。これまで数え切れないくらい、スキンシップをしてきたし、大人になってもずっと友達でいたい存在だ。
 それなのに──なぜか突然、心臓がトクトクと早鐘を打ち始める。
 
(やばい。やばい。やばすぎる。なんで、芭玖にこんな……。てか、待って。俺……もしかして、男もいける感じ?)

 両手で顔を覆って「うわぁー…」と声を漏らす。
 少女漫画っていうより、少し前に姉ちゃんから借りたBLのシチュエーションみたいじゃん。これ。
 あまりに想定外な出来事すぎて、俺はしばらく部室棟の前から動けなかった。