***
夕方とはいえ、本格的な夏だ。外は日が傾き始めても蒸し暑くて、じめじめとした空気が肌にまとわりつく。体育館を出て、部室棟近くの自販機に向かうだけで、汗がしきりに首筋を流れていった。
「あちぃー」
溶けそうになりながら、俺は部室棟前の段差に腰を下ろす。すると、自販機でオレンジジュースを買ってきてくれた芭玖が「ほらよ」と、俺の首にグイとペットボトルを押し付けてきた。
雑に渡すなよと思いながらも、「さんきゅ」と受け取る。その冷たさに「やべぇ、天国〜」と言っていたら、隣に座った芭玖が「あのさ」と話しかけてきた。
「ん、何?」
隣を見れば、なんか居心地悪そうな顔をしている。
告白──じゃないだろうし、一体どうしたよ。ちょっとでも話しやすくしてやろうと思って、「なんて顔してんだよ。腹痛か?」とけらけらと笑ってやる。
「ちげーわ」
「ならなんだよ」
「んー……いや、蘭はなんで女子にあんな風に笑いかけられんのかなって」
そう言う芭玖の声は、いつになく真面目なトーンだった。
(ん? 何で急に?)
こいつがなんでこんなことを言い出したのか見当がつかなくて、一瞬戸惑った。でも、もしやと思って、眉をぎゅっと寄せる。
「えっと……うん。何、芭玖。お前、あんだけ毛嫌いしてんのに、実は彼女欲しい……とか?」
「なんでそうなんだよ。んなわけあるか」
「じゃあ、なんで急に」
「……お前が、俺の前と態度がちげぇのがなんか」
芭玖は言葉の続きを飲み込むと、わずかに口を尖らせて俺から目を逸らした。
まるで、拗ねてるみたいな様子だ。茶化してくれとでも言わんばかりの態度に、思わずニヤついてしまう。
「あらやだ、ヤキモチですかぁ? 芭玖くんったらかわいいでちゅねぇ〜」
「はあ? ちげーから! 疲れねぇのかなって!」
「疲れる?」
「いや、だって、さっきもやたらと笑顔振り撒いてたみてぇだし。お前のそういうとこ……放っとけねぇんだよ」
芭玖は芭玖なりに、俺のことを心配してくれているらしい。口は悪いし、女子には無愛想だけど、なんだかんだで俺には優しいのだ。
こんな巨男に可愛いと思うのは癪だが、普通に可愛い。思わず、くすくすと笑みがこぼれる。
「そんな心配してくれてたん」
「悪いかよ」
「んーん。全然。ありがとな。今んとこは大丈夫だよ。少女漫画のヒーローみたいだなって楽しんでるし」
と言ったところで、自分の失言に気づいた。
(俺、少女漫画好きっての、隠してんのに……!)
からかわれるかもって、内心冷や汗もんだ。けど、動揺を悟られないように、表情筋を引き締めて冷静に努めた。
でも、杞憂だった。
芭玖は何ら顔色を変えないし、冷やかしてくる気配もない。
「マジかよ」
ただそう言ってくるだけ。俺の肩からふっと力が抜けた。
そうだ。芭玖ってこういうやつだ。俺の好きなものは、絶対に否定的なことは言ってこない。むしろ、そうかそうかって受け入れてくれる感じ。
普段はむっとしてること多いのに、人のことをちゃんと考えられるいいやつなんだよな。
「マジマジ。ほんとは、甘酸っぱい青春したいけど、うちの部じゃ無理だし。きゃあきゃあ言われるので我慢してる」
芭玖なら大丈夫だと思って、そう口にしながら、ペットボトルの蓋を開ける。ジュースを口に運んで、ふとこれまでのことを思い返した。
三姉弟の末っ子の俺は、姉ちゃんたちの少女漫画を読んで育った。中学まではバスケ一本だったけど、高校入ったら可愛い彼女作って、バスケと青春を謳歌する──その予定だった。
だけど、いざ蓋を開けてみれば、全国大会常連校のうちのバスケ部は、なぜか彼女を作るのは禁止。作ったヤツは即退部って謎ルールがあって、二つを天秤にかけられた俺は仕方なくバスケをとった。
なのに入部二年目の今年は、まさかの地方ブロックで敗退。
おいこら、強豪じゃねーのかよ。彼女作ってなくても負けてんじゃん! てか向こうのエースの彼女可愛すぎじゃん! うらやまーって、先月末の俺は、顔には出さなかったけど内心めちゃくちゃ荒れたっけ。
(あ、やばい。思い出したらなんかちょっとムシャクシャしてきた)
余計に喉が渇いて、ごくごくと半分近くオレンジジュースを飲んだら、何が面白かったのか。隣で、芭玖が「ふはっ」と噴き出した。
「何。お前こそ、そんな彼女欲しいんかよ」
くすくすと笑われて、俺はペットボトルを口から離すと、「は?」と芭玖を見る。いやいや、何を当たり前のことを言っている。
「そりゃほしいだろ。この顔が宝の持ち腐れじゃね?」
大真面目に自分の顔を指差せば、芭玖はぽかんとしてから、またけらけらと笑い始める。
「あははっ。ほんと、それは言えてる。お前、美人だもんな」
「だろ?」
「──でさ、その甘酸っぱい青春ってどんなの。少女漫画みたいな?」
「え?」
急に聞かれて、たじろいだ。自分の妄想を垂れ流すとなると、いくら芭玖相手でも恥ずかしい。
てか、スルーしてくれるんじゃなかったのか。
「こんなの話すことじゃないだろ」
「話せねえの?」
そう言って芭玖は、喉の奥で軽く笑う。
「はぁ? 話せるし!」
「なら、教えてくれよ。なんかちょっと気になった。甘酸っぱい青春っての、よくわかんねーから」
「えぇ? じゃあ……少しだけな? 少女漫画でよく見るやつだけど」
ペットボトルのキャップを閉めて地面に置くと、俺は「えっと……片想いの時は〜」と、昨日読んだ少女漫画を思い出しながら、話し始めた。
***
「──でさでさ、付き合ったら、帰り道にアイス半分こしたり、雨の日に相合傘したり……あとは試験前とかに、頑張れってメモ渡し合ったりするのもいいよな。夏休みはプールにお祭り、花火もしたい! あ! あとあと! 制服デートは必須だろ。それから、試合前にはお守りもらったり、体育祭とかははちまき交換したりとかも憧れてて」
部室棟の前でそこまで話したところで、俺はようやく途中から自分の願望を夢中で話していたことに気づいた。やばい。これは絶対にからかわれる。
でも、恐る恐る芭玖を見たけれど、俺をおちょくる気はないらしい。むしろ、俺の話を楽しんでくれていたみたいに、唇の端にやわらかな笑みを残していた。
(ん? なんで、そんな顔してんの……?)
芭玖の優しい表情に、ほんの少し戸惑う。視線を逸らそうとしたら、芭玖が「蘭」と呼んできた。
「な、何……」
「蘭がさ、少女漫画好きなのって、姉ちゃんの影響?」
「そ……そうだけど」
「くくっ。……蘭。お前、ほんと可愛いな」
「……は?」
こいつは何を言ってんだと、自分の耳を疑った。
「な! なんだよ、急に! 変なこと言って、からかうなよ」
「からかってねぇよ。……だからさ、蘭。俺と付き合わねぇ?」
またもや芭玖の口から、信じがたい言葉が飛び出した。
「……ん? 今なんか幻聴が聞こえた気がする」
「俺と付き合うかって聞いてる」
即答されて、すぐには言葉が飲み込めなかった。数秒固まってから、ようやく自分が何を言われたのかを理解した。
「……って! なんでだよ!」
「ん? ダメか?」
「だ、だめかって……ダメだろ? 彼女作ったやつは即退部って、部活入る時に言われてるじゃんか。ダメに決まってるだろ?」
動揺のあまり、いやいやそうじゃない。つっこむところはそこじゃないと思いながらも、つい確認とるみたいにそんな風に疑問形で返す。
すると、芭玖は「あのさ」と言ってから、汗で頰に張りつく俺の髪に触れてきて、耳にかけてくれる。
「彼女禁止なだけで、彼氏は禁止じゃねーよ」
芭玖は俺の目を見て、はっきりと口にする。
その揚げ足をとるような言葉を聞いて、俺はぐっと喉を詰まらせた。
いや、だって……あの芭玖がそんな抜け道を提案してくるとか、誰も思わないじゃん。
固まった俺を見て、芭玖はクスッと笑う。
「俺なら、お前の憧れる青春、付き合えるからさ。ゆっくり考えてみろよ」
「え」
「それじゃ、俺は先に戻るな」
芭玖はそう言って、俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でてから立ち上がった。
どうしよう。芭玖とは中学の県選抜で知り合ってからの仲で、一番の親友だ。これまで数え切れないくらい、スキンシップをしてきたし、大人になってもずっと友達でいたいと思えるくらい信頼してる。
それなのに──なぜか突然、心臓がトクトクと早鐘を打ち始める。
(やばい。やばい。やばすぎる。なんで、芭玖にこんな……。てか、待って。俺……もしかして、男もいける感じ?)
両手で顔を覆って「うわぁー…」と声を漏らす。
少女漫画っていうより、少し前に姉ちゃんから借りたBLのシチュエーションみたいじゃんか。これ。
自分の身にこんなことが起こるなんて想定外すぎて、俺はしばらく部室棟の前から動けずにいた。
夕方とはいえ、本格的な夏だ。外は日が傾き始めても蒸し暑くて、じめじめとした空気が肌にまとわりつく。体育館を出て、部室棟近くの自販機に向かうだけで、汗がしきりに首筋を流れていった。
「あちぃー」
溶けそうになりながら、俺は部室棟前の段差に腰を下ろす。すると、自販機でオレンジジュースを買ってきてくれた芭玖が「ほらよ」と、俺の首にグイとペットボトルを押し付けてきた。
雑に渡すなよと思いながらも、「さんきゅ」と受け取る。その冷たさに「やべぇ、天国〜」と言っていたら、隣に座った芭玖が「あのさ」と話しかけてきた。
「ん、何?」
隣を見れば、なんか居心地悪そうな顔をしている。
告白──じゃないだろうし、一体どうしたよ。ちょっとでも話しやすくしてやろうと思って、「なんて顔してんだよ。腹痛か?」とけらけらと笑ってやる。
「ちげーわ」
「ならなんだよ」
「んー……いや、蘭はなんで女子にあんな風に笑いかけられんのかなって」
そう言う芭玖の声は、いつになく真面目なトーンだった。
(ん? 何で急に?)
こいつがなんでこんなことを言い出したのか見当がつかなくて、一瞬戸惑った。でも、もしやと思って、眉をぎゅっと寄せる。
「えっと……うん。何、芭玖。お前、あんだけ毛嫌いしてんのに、実は彼女欲しい……とか?」
「なんでそうなんだよ。んなわけあるか」
「じゃあ、なんで急に」
「……お前が、俺の前と態度がちげぇのがなんか」
芭玖は言葉の続きを飲み込むと、わずかに口を尖らせて俺から目を逸らした。
まるで、拗ねてるみたいな様子だ。茶化してくれとでも言わんばかりの態度に、思わずニヤついてしまう。
「あらやだ、ヤキモチですかぁ? 芭玖くんったらかわいいでちゅねぇ〜」
「はあ? ちげーから! 疲れねぇのかなって!」
「疲れる?」
「いや、だって、さっきもやたらと笑顔振り撒いてたみてぇだし。お前のそういうとこ……放っとけねぇんだよ」
芭玖は芭玖なりに、俺のことを心配してくれているらしい。口は悪いし、女子には無愛想だけど、なんだかんだで俺には優しいのだ。
こんな巨男に可愛いと思うのは癪だが、普通に可愛い。思わず、くすくすと笑みがこぼれる。
「そんな心配してくれてたん」
「悪いかよ」
「んーん。全然。ありがとな。今んとこは大丈夫だよ。少女漫画のヒーローみたいだなって楽しんでるし」
と言ったところで、自分の失言に気づいた。
(俺、少女漫画好きっての、隠してんのに……!)
からかわれるかもって、内心冷や汗もんだ。けど、動揺を悟られないように、表情筋を引き締めて冷静に努めた。
でも、杞憂だった。
芭玖は何ら顔色を変えないし、冷やかしてくる気配もない。
「マジかよ」
ただそう言ってくるだけ。俺の肩からふっと力が抜けた。
そうだ。芭玖ってこういうやつだ。俺の好きなものは、絶対に否定的なことは言ってこない。むしろ、そうかそうかって受け入れてくれる感じ。
普段はむっとしてること多いのに、人のことをちゃんと考えられるいいやつなんだよな。
「マジマジ。ほんとは、甘酸っぱい青春したいけど、うちの部じゃ無理だし。きゃあきゃあ言われるので我慢してる」
芭玖なら大丈夫だと思って、そう口にしながら、ペットボトルの蓋を開ける。ジュースを口に運んで、ふとこれまでのことを思い返した。
三姉弟の末っ子の俺は、姉ちゃんたちの少女漫画を読んで育った。中学まではバスケ一本だったけど、高校入ったら可愛い彼女作って、バスケと青春を謳歌する──その予定だった。
だけど、いざ蓋を開けてみれば、全国大会常連校のうちのバスケ部は、なぜか彼女を作るのは禁止。作ったヤツは即退部って謎ルールがあって、二つを天秤にかけられた俺は仕方なくバスケをとった。
なのに入部二年目の今年は、まさかの地方ブロックで敗退。
おいこら、強豪じゃねーのかよ。彼女作ってなくても負けてんじゃん! てか向こうのエースの彼女可愛すぎじゃん! うらやまーって、先月末の俺は、顔には出さなかったけど内心めちゃくちゃ荒れたっけ。
(あ、やばい。思い出したらなんかちょっとムシャクシャしてきた)
余計に喉が渇いて、ごくごくと半分近くオレンジジュースを飲んだら、何が面白かったのか。隣で、芭玖が「ふはっ」と噴き出した。
「何。お前こそ、そんな彼女欲しいんかよ」
くすくすと笑われて、俺はペットボトルを口から離すと、「は?」と芭玖を見る。いやいや、何を当たり前のことを言っている。
「そりゃほしいだろ。この顔が宝の持ち腐れじゃね?」
大真面目に自分の顔を指差せば、芭玖はぽかんとしてから、またけらけらと笑い始める。
「あははっ。ほんと、それは言えてる。お前、美人だもんな」
「だろ?」
「──でさ、その甘酸っぱい青春ってどんなの。少女漫画みたいな?」
「え?」
急に聞かれて、たじろいだ。自分の妄想を垂れ流すとなると、いくら芭玖相手でも恥ずかしい。
てか、スルーしてくれるんじゃなかったのか。
「こんなの話すことじゃないだろ」
「話せねえの?」
そう言って芭玖は、喉の奥で軽く笑う。
「はぁ? 話せるし!」
「なら、教えてくれよ。なんかちょっと気になった。甘酸っぱい青春っての、よくわかんねーから」
「えぇ? じゃあ……少しだけな? 少女漫画でよく見るやつだけど」
ペットボトルのキャップを閉めて地面に置くと、俺は「えっと……片想いの時は〜」と、昨日読んだ少女漫画を思い出しながら、話し始めた。
***
「──でさでさ、付き合ったら、帰り道にアイス半分こしたり、雨の日に相合傘したり……あとは試験前とかに、頑張れってメモ渡し合ったりするのもいいよな。夏休みはプールにお祭り、花火もしたい! あ! あとあと! 制服デートは必須だろ。それから、試合前にはお守りもらったり、体育祭とかははちまき交換したりとかも憧れてて」
部室棟の前でそこまで話したところで、俺はようやく途中から自分の願望を夢中で話していたことに気づいた。やばい。これは絶対にからかわれる。
でも、恐る恐る芭玖を見たけれど、俺をおちょくる気はないらしい。むしろ、俺の話を楽しんでくれていたみたいに、唇の端にやわらかな笑みを残していた。
(ん? なんで、そんな顔してんの……?)
芭玖の優しい表情に、ほんの少し戸惑う。視線を逸らそうとしたら、芭玖が「蘭」と呼んできた。
「な、何……」
「蘭がさ、少女漫画好きなのって、姉ちゃんの影響?」
「そ……そうだけど」
「くくっ。……蘭。お前、ほんと可愛いな」
「……は?」
こいつは何を言ってんだと、自分の耳を疑った。
「な! なんだよ、急に! 変なこと言って、からかうなよ」
「からかってねぇよ。……だからさ、蘭。俺と付き合わねぇ?」
またもや芭玖の口から、信じがたい言葉が飛び出した。
「……ん? 今なんか幻聴が聞こえた気がする」
「俺と付き合うかって聞いてる」
即答されて、すぐには言葉が飲み込めなかった。数秒固まってから、ようやく自分が何を言われたのかを理解した。
「……って! なんでだよ!」
「ん? ダメか?」
「だ、だめかって……ダメだろ? 彼女作ったやつは即退部って、部活入る時に言われてるじゃんか。ダメに決まってるだろ?」
動揺のあまり、いやいやそうじゃない。つっこむところはそこじゃないと思いながらも、つい確認とるみたいにそんな風に疑問形で返す。
すると、芭玖は「あのさ」と言ってから、汗で頰に張りつく俺の髪に触れてきて、耳にかけてくれる。
「彼女禁止なだけで、彼氏は禁止じゃねーよ」
芭玖は俺の目を見て、はっきりと口にする。
その揚げ足をとるような言葉を聞いて、俺はぐっと喉を詰まらせた。
いや、だって……あの芭玖がそんな抜け道を提案してくるとか、誰も思わないじゃん。
固まった俺を見て、芭玖はクスッと笑う。
「俺なら、お前の憧れる青春、付き合えるからさ。ゆっくり考えてみろよ」
「え」
「それじゃ、俺は先に戻るな」
芭玖はそう言って、俺の頭をぐしゃぐしゃ撫でてから立ち上がった。
どうしよう。芭玖とは中学の県選抜で知り合ってからの仲で、一番の親友だ。これまで数え切れないくらい、スキンシップをしてきたし、大人になってもずっと友達でいたいと思えるくらい信頼してる。
それなのに──なぜか突然、心臓がトクトクと早鐘を打ち始める。
(やばい。やばい。やばすぎる。なんで、芭玖にこんな……。てか、待って。俺……もしかして、男もいける感じ?)
両手で顔を覆って「うわぁー…」と声を漏らす。
少女漫画っていうより、少し前に姉ちゃんから借りたBLのシチュエーションみたいじゃんか。これ。
自分の身にこんなことが起こるなんて想定外すぎて、俺はしばらく部室棟の前から動けずにいた。


