結局、それ以降何も起こらず、あっという間に放課後になってしまう。
生徒会選挙日があと数日に迫ってきている中、誰もいなくなった教室で、原稿確認や機材チェック、当日の段取りについて話し合っていた。
「私、このあと塾があるからそろそろ帰らなきゃ」
突然、白鳥さんが言う。
「そうなの? じゃあ、残りは私と椿さんでやっておくよ」
そう言ったあと、私の方を向いて、「ね! 椿さん」と駒井さんに同調を求められる。
自分が立候補して選挙に出るくせに、演説原稿や手直しなんかは全て駒井さん任せ。白鳥さんは何一つしていない。そのくせに原稿の気に入らないところがあれば指摘する。まるで女王様。いや、女王蜂か。
とにかく全部に腹が立って文句を言いたいところだけれど、ここで怒りを爆発させるわけにはいかない。
「……うん」
渋々、頷くことにする。
「ほんとにー? 二人ともありがとう!」
言いながら両手を合わせたあと、席を立って鞄を肩にかける。
「何か分からないことがあったら聞いて! 連絡くらいは返せるから。あと、桃子ちゃんにお願いしたいことがあるんだけど……」
「大丈夫だよ。何すればいい?」
「ありがとう〜! じゃあ、メッセージで指示出すからあとで確認しておいてね!」
聖女の顔でニコニコしながら言ったあと、私たちに手を振って教室を出ていく。
「じゃあ続き再開させよっか」
気を取り直すように駒井さんが言うので、原稿確認や当日の段取りについて話し合いをしようと思ったら、ピロンッと音が鳴った。
通知オフにしているので私のではない。
「あ、ごめんね。私だ」
駒井さんが紙から目を離して机の中にあったスマホを取って画面を確認する。
その直後、駒井さんの顔が強張った。
『じゃあ、メッセージで指示出すからあとで確認しておいてね!』
白鳥さんが帰る前に言っていた言葉。
その連絡がおそらく今、彼女のスマホに届いたということは、「何か」の指示があったということだ。それも良からぬこと、で。
「どうかした?」
「あ、ううん、なんでもない!」
カラ元気のように無理して笑いながらスマホ画面を閉じたあと、
「そうだ。喉乾かない? 私、何か買ってくるよ。何がいい?」
と、駒井さんが言う。
「喉、乾いてないから」
「そ、そう? じゃあ私、飲み物買って来るからちょっとだけ席外すね!」
スマホと財布を持つと教室を出る。
直後、廊下にあるロッカーが開く音がしたかと思えば、すぐにパタンッと閉まる音がする。
それから教室の前方にある入り口から駒井さんの慌てたような姿が見えたので、私は少し遅れてから席を立ち、彼女に気づかれないようにあとを追いかける。
たどり着いたのは、別館にある一年二組の教室。周りを何度も確認しながら彼女はそこへ入っていく。
私は足音を立てないように入り口のそばまで近づくと、後ろの空いたドアからそうっと中を確認する。
すると、スマホを見ながら誰かの机を探しているようだった。
このクラスには選挙に立候補した中澤さんがいる。しかも最近人気が上昇中。つまり、白鳥さんが選挙で勝つには、「邪魔になる相手」だということだ。
その相手に、白鳥さんが「何かしら」の指示を出したということは、決定的な証拠になり得る。
私は興奮する感情を抑えながら気づかれないようにスマホを録画画面にして、スタートボタンを押すと彼女にレンズを向ける。
目当ての机を見つけたのかピタリと立ち止まると、スマホと財布と白い紙のようなものを机の上に置き、かがんで机の中を覗きだす。
私は、はっきりと分かるように少しだけズームをした。
ノートのようなものを手に取ると、それを机の上に広げて、自分の持ち物であるはずの紙を中澤さんのノートに挟む。
私は思わずニヤリと口元を緩めたあと、録画ボタンを停止して教室の中へ足を踏み入れる。
「そこで何してるの?」
声をかけると、彼女は先生か誰かだと勘違いしたのか、慌てたように振り向く。
「ち、違うんです! これは──…」
誤解を解こうと必死になるが、相手が私だと気づくとすぐに言葉を飲み込む。
「……あ、椿さん」
まるでホッとしたようにわずかに表情を緩める。
どうやらまだバレていないと思っているらしい。
「どうしてここにいるの。飲み物を買いに行くって行ってなかった?」
「あ、うん、そうなんだけど、途中でノートが落ちてたから拾ってここまで届けてたところ!」
「そうなの?」
「う、うん!」
そう言って、何事もなかったかのようにノートを机の中にしまう。
「ふーん、そうなんだ。じゃあこれは何かしら?」
私はスマホを操作して、さっき録画したばかりの動画を再生して彼女に見せる。
駒井さんがスマホを見ながら席の場所を確認して、中澤さんの席を見つけたらスマホを置き、机の中からノートを取り出して何かを挟む瞬間の決定的な証拠だ。
「ノートを拾ったなんて嘘じゃない」
動画が停止したので、彼女をちら、と見ると、まさに言葉通りに顔面蒼白になっている。
「最初から机の中にノートはあったわよ。しかも、何か挟んだわね」
直立不動になる彼女をよそに、私は机の中からノートを取り出す。ぱらぱらとめくると、自動で挟まれたページが開かれる。
「これ、何かしら?」
「そ、それは……」
駒井さんはパッと目を逸らす。
私は、折り畳まれた紙を開く。すると、テスト問題のカンニングペーパーが現れる。次の定期テストの「流出した問題」と「回答が書かれたメモ」が入っていた。
この筆跡は白鳥さんのものではない。ということは、中澤さんの筆跡を真似て偽造されたということ。
そうまでして白鳥さんはライバル相手を立候補から引き摺り下ろしたいのか。
やっぱりね。あの完璧な聖女様は、裏ではこんなに汚いことを他人にさせていたわけだ。
「あなたがたった今、挟んだものよね。これ、あなたの意志でやったこと? それとも誰かの指示かしら?」
訊ねてみても返事はない。
どうやら答えたくないらしい。というよりも、この態度は怯えていると説明する方が正しい。
誰かにバレても答えるな、と脅されているのかもしれない。
「そう、答えるつもりはないのね。ならいいわ。この動画を先生に見せてくるわ」
「やめて! そんなことしたら、私、私……っ」
突如、駒井さんは頭を抱えてかがみ込む。
その反応そのものが答えだ。
誰に脅されていて、誰にやらされているのか。駒井さんの頭を占領しているのは、おそらく白鳥さんだろう。
彼女からの指示が失敗したとなれば、どうなるかは明白だ。
だけど、確たる証拠がないとあの女を追い詰めることはできない。物的証拠が必要なのだ。
「安心してよ。私は先生にチクるほど、頭の固い正義の味方じゃないの。……あの女に、白鳥さんに脅されて、ずっと辛かったんでしょう?」
怯えて今にも泣き出しそうな顔を浮かべる彼女をなだめるように、肩にそっと手を添える。
「助けてあげる。この動画を消して、あなたをあの恐怖から解放してあげる。……ただし、条件があるわ」
「……条件?」
駒井さんは、恐る恐る顔を上げる。
「私のスパイとして彼女の言動を逐一伝えて」
「そ、そんなこと……っ!」
「できない? だったら私はこの動画を先生たちに見せるわ。選挙中の不正なら白鳥さんが当選することはまずないだろうし、そうなったらあなたもタダでは済まない。それに進路にだって影響あるでしょうね」
「そんなの、ひどい……」
「ひどい? 何バカなこと言ってるの」
彼女の肩から手を退けると、私はその場を立ち上がる。
「私は親切に提案をしてあげてるの。あなたが助かるように道を示してあげているの。白鳥さんに怒られてこれから怯えながら学校生活を過ごすか、先生たちに黙っている代わりに私の元につくか、どちらがいいか考えてごらんなさい」
この作戦に私が勝利することは決まっている。
駒井さんがどんな子なのか、日頃から様子を伺っていた私には手に取るように理解できた。
「……わ、分かった」
涙を拭って、彼女はこくりと頷いた。
白鳥さんの一番の弱みを握っているであろう彼女を、こちらに引き込むことができた。
あとは、決定的な物的証拠をもっと手に入れたい。
あの女が言い逃れができないようにあらゆる逃げ道も潰して、とことん追い詰める。
それが私のやり方だから。
選挙演説当日まで残り二日。
それまでには証拠を集めてみせる。
──さあ、白鳥さん。覚悟しときなさい。



