「ご無事でしたか」
私が部屋に戻るなり、ベルガモットが急ぎ足で駆け寄って来た。ネロリとクラリセージの姿は室内になかった。
「待っててくれたんだ、ベルガモット」
「はい。千枝が戻られたら、すぐに対応せねばと。その、フォローなども」
ベルガモットの顔には「心配で心配で心配で仕方なかった」という気持ちがでかでかと描かれていた。私の身を案じてくれる人の存在、そして安心できる場所に戻ってこられたことを実感し、ほっと温かな気持ちになる。
テーブルの上へ目をやると、ベルガモットお手製らしきクロワッサンサンドが置いてあった。
(夕飯を用意して待っていてくれたんだ)
「ベルガモット、これ、食べていい?」
「勿論です。あなたのために作ったものですから」
すぐにベルガモットはお茶の準備を始める。私がいつ戻って来てもいいように、用意してくれていたのだろう。紅茶はちょうどいい温度だった。
(彼が淹れてくれる紅茶って、いつもアールグレイだよね。アールグレイは確か、ベルガモットで風味付けした紅茶……)
体の中から彼に満たされていくようで、温められていくようで、少しドキドキした。
口の中でクロワッサンがさくりと崩れる。今日の具材はスモークサーモンとアボカド、それにクリームチーズだ。さっぱりした具材が、バターの効いたクロワッサンによく合う。
「昨日からほぼ何も食べておられませんでしたから、さぞかし空腹なのではありませんか。必要であれば、他にも何か作ってきます」
「ううん、大丈夫。さっき、仔牛のヴァンルージュ食べたから。その前にマドレーヌも」
「仔牛のヴァンルージュ? カフェテリアの今日のスペシャルメニューの?」
「そう。ベルガモットも知ってたんだ」
ベルガモットは、考え込むような顔つきになる。
「どうしたの?」
「いえ、千枝はカフェテリアで食事をすることが出来たのか、と」
「出来たって言うか、罠にはめられたって言うか」
「罠?」
私は、今日の出来事をベルガモットに報告する。注文を拒絶した私に代わって、チュベローズが無茶な量の料理をオーダーしようとしたこと。回避するために紅茶を頼んだら、お茶請けにマドレーヌを付け足され、それを食べたら急にお腹が空いてきたこと。その後、空腹のまま連れ回され、バーに立ち寄った時にペパーミントが仔牛のヴァンルージュを持参してくれて、とてもおいしかったこと。
「思い返すと、ペパーミントが仔牛のヴァンルージュを持ってきた時、チュベローズは全然驚いていなかったんだよね。もしかして、彼がそうすることを予測していたのかな。……まさかね」
笑って話す私に、ベルガモットははかなげな微笑みを浮かべる。そして、私から目を逸らすと、細く息を吐いた。
「……やはり、チュベローズに任せたのは正解でした」
「チュベローズに任せ……、あっ!」
彼が私を連れ出そうとした時、ベルガモットが止めてくれなかったことを思い出す。
「そう! ベルガモット、私のこと守るって言ってくれたのに、連れ去られるの黙って見送ったよね? それどころか、助けてくれようと舌ネロリとクラリセージまで制止して。あれに関しては小一時間問い詰めさせてもらえるかな?」
「申し訳ございません、如何様にも。ただ……」
ベルガモットが睫毛を伏せ、自身の胸の辺りをキュッと掴む。
「今の千枝には、自分よりも彼の方が必要だ、そう感じたのです」
「ベルガモット……」
「本当は自分の導きで、千枝にこの世界を見せたかった。知ってもらいかった。けれど、あなたが望まないことを自分はしたくない。その点、チュベローズならきっとやり遂げてくれると考えたのです。たとえあなたに嫌われても、真に必要なことをしてくれると」
ベルガモットが、小さく息を吐く。そして、自虐めいた微笑を浮かべた。
「あなたに嫌われたくなくて、あなたのためになることを最優先に出来なかった自分は、卑怯者です」
「そ、そんなことない!」
見るからにしょげてしまった彼に、私は慌てる。ベルガモットの正面に回り込み、彼の金色の瞳を覗き込んだ。
「確かにチュベローズの今日の行動は、結果的に私の役に立ったよ。だけど、全員がチュベローズのような行動をとっていたら、多分私はずっとこの世界が怖かったと思う。ベルガモットが安心させてくれたんだよ。何かあってもベルガモットは、私の意思を最優先すると信じさせてくれた。だから私は心の余裕を持つことが出来たの」
掴んだベルガモットのジャケットが、私の手の中で皺になっているのに気付き、慌てて離す。
「ありがとうね、ベルガモット。私に無理強いしないでいてくれて」
「勿体なきお言葉です」
(あ……)
この時初めて気づいた。私の髪がぼんやりと私の視界に映り込み、ベルガモットの周囲に淡いピンクのフィルターがかかっているように見える。
「ふふっ」
乙女ゲーのスチルのようだと思った瞬間、つい笑いがこみあげてしまった。その瞬間、ベルガモットが驚いたように目を見開く。
「え? 何?」
「あぁ、いえ……」
ベルガモットはうっすらと頬を染めて、睫毛を伏せた。
「あなたは、こんな愛らしい笑い方をするのかと思いまして。まるで花がほころぶような」
(え……、ちょ……!)
思いがけぬストレートな誉め言葉に、一瞬頭の中が空白になり、すぐさま耳がカッと熱を帯びた。
火照る耳を両手で抑え込み、私もベルガモットから視線を逸らす。
「な、なんか、乙女ゲーみたいなこと言って……」
いや、乙女ゲーだったわ。アロバラは紛れもなく乙女ゲーでした。
「えぇと、許す……」
「許す、とは?」
「私を見捨てたこと。チュベローズの魔の手から」
「魔の手……」
呟いて、ベルガモットはフフッと笑う。
「その節は本当に申し訳ありませんでした」
「いいよ、もう。それより、ベルガモット」
「はい」
「明日の朝は、私のご飯作らなくていいからね」
私が部屋に戻るなり、ベルガモットが急ぎ足で駆け寄って来た。ネロリとクラリセージの姿は室内になかった。
「待っててくれたんだ、ベルガモット」
「はい。千枝が戻られたら、すぐに対応せねばと。その、フォローなども」
ベルガモットの顔には「心配で心配で心配で仕方なかった」という気持ちがでかでかと描かれていた。私の身を案じてくれる人の存在、そして安心できる場所に戻ってこられたことを実感し、ほっと温かな気持ちになる。
テーブルの上へ目をやると、ベルガモットお手製らしきクロワッサンサンドが置いてあった。
(夕飯を用意して待っていてくれたんだ)
「ベルガモット、これ、食べていい?」
「勿論です。あなたのために作ったものですから」
すぐにベルガモットはお茶の準備を始める。私がいつ戻って来てもいいように、用意してくれていたのだろう。紅茶はちょうどいい温度だった。
(彼が淹れてくれる紅茶って、いつもアールグレイだよね。アールグレイは確か、ベルガモットで風味付けした紅茶……)
体の中から彼に満たされていくようで、温められていくようで、少しドキドキした。
口の中でクロワッサンがさくりと崩れる。今日の具材はスモークサーモンとアボカド、それにクリームチーズだ。さっぱりした具材が、バターの効いたクロワッサンによく合う。
「昨日からほぼ何も食べておられませんでしたから、さぞかし空腹なのではありませんか。必要であれば、他にも何か作ってきます」
「ううん、大丈夫。さっき、仔牛のヴァンルージュ食べたから。その前にマドレーヌも」
「仔牛のヴァンルージュ? カフェテリアの今日のスペシャルメニューの?」
「そう。ベルガモットも知ってたんだ」
ベルガモットは、考え込むような顔つきになる。
「どうしたの?」
「いえ、千枝はカフェテリアで食事をすることが出来たのか、と」
「出来たって言うか、罠にはめられたって言うか」
「罠?」
私は、今日の出来事をベルガモットに報告する。注文を拒絶した私に代わって、チュベローズが無茶な量の料理をオーダーしようとしたこと。回避するために紅茶を頼んだら、お茶請けにマドレーヌを付け足され、それを食べたら急にお腹が空いてきたこと。その後、空腹のまま連れ回され、バーに立ち寄った時にペパーミントが仔牛のヴァンルージュを持参してくれて、とてもおいしかったこと。
「思い返すと、ペパーミントが仔牛のヴァンルージュを持ってきた時、チュベローズは全然驚いていなかったんだよね。もしかして、彼がそうすることを予測していたのかな。……まさかね」
笑って話す私に、ベルガモットははかなげな微笑みを浮かべる。そして、私から目を逸らすと、細く息を吐いた。
「……やはり、チュベローズに任せたのは正解でした」
「チュベローズに任せ……、あっ!」
彼が私を連れ出そうとした時、ベルガモットが止めてくれなかったことを思い出す。
「そう! ベルガモット、私のこと守るって言ってくれたのに、連れ去られるの黙って見送ったよね? それどころか、助けてくれようと舌ネロリとクラリセージまで制止して。あれに関しては小一時間問い詰めさせてもらえるかな?」
「申し訳ございません、如何様にも。ただ……」
ベルガモットが睫毛を伏せ、自身の胸の辺りをキュッと掴む。
「今の千枝には、自分よりも彼の方が必要だ、そう感じたのです」
「ベルガモット……」
「本当は自分の導きで、千枝にこの世界を見せたかった。知ってもらいかった。けれど、あなたが望まないことを自分はしたくない。その点、チュベローズならきっとやり遂げてくれると考えたのです。たとえあなたに嫌われても、真に必要なことをしてくれると」
ベルガモットが、小さく息を吐く。そして、自虐めいた微笑を浮かべた。
「あなたに嫌われたくなくて、あなたのためになることを最優先に出来なかった自分は、卑怯者です」
「そ、そんなことない!」
見るからにしょげてしまった彼に、私は慌てる。ベルガモットの正面に回り込み、彼の金色の瞳を覗き込んだ。
「確かにチュベローズの今日の行動は、結果的に私の役に立ったよ。だけど、全員がチュベローズのような行動をとっていたら、多分私はずっとこの世界が怖かったと思う。ベルガモットが安心させてくれたんだよ。何かあってもベルガモットは、私の意思を最優先すると信じさせてくれた。だから私は心の余裕を持つことが出来たの」
掴んだベルガモットのジャケットが、私の手の中で皺になっているのに気付き、慌てて離す。
「ありがとうね、ベルガモット。私に無理強いしないでいてくれて」
「勿体なきお言葉です」
(あ……)
この時初めて気づいた。私の髪がぼんやりと私の視界に映り込み、ベルガモットの周囲に淡いピンクのフィルターがかかっているように見える。
「ふふっ」
乙女ゲーのスチルのようだと思った瞬間、つい笑いがこみあげてしまった。その瞬間、ベルガモットが驚いたように目を見開く。
「え? 何?」
「あぁ、いえ……」
ベルガモットはうっすらと頬を染めて、睫毛を伏せた。
「あなたは、こんな愛らしい笑い方をするのかと思いまして。まるで花がほころぶような」
(え……、ちょ……!)
思いがけぬストレートな誉め言葉に、一瞬頭の中が空白になり、すぐさま耳がカッと熱を帯びた。
火照る耳を両手で抑え込み、私もベルガモットから視線を逸らす。
「な、なんか、乙女ゲーみたいなこと言って……」
いや、乙女ゲーだったわ。アロバラは紛れもなく乙女ゲーでした。
「えぇと、許す……」
「許す、とは?」
「私を見捨てたこと。チュベローズの魔の手から」
「魔の手……」
呟いて、ベルガモットはフフッと笑う。
「その節は本当に申し訳ありませんでした」
「いいよ、もう。それより、ベルガモット」
「はい」
「明日の朝は、私のご飯作らなくていいからね」



