カレンデュラ先輩の猛アタックが止まらない

 森川先輩を待つ園芸部のプレハブで、俺は少し緊張していた。

 一時の感情にならないようによく考えて決心して、『先輩話があります』と森川先輩に連絡したはずが、待っている今でさえも、まるで故障したメーターのように、右に左に心が揺れている。

 本当にこれでいいのか? もう後戻りできないんだぞ。
 何度も何度も自分に問いかけてみた。
 そのたびに、思い出すのはあのカレンデュラのような眩しい笑顔。
 その笑顔を、これからは近くで見ていたい。そして、支えたい。
 きっとそれが答えなんだ。

 そのとき、コンコンと扉が鳴り、ひょこりと森川先輩が顔を出した。
「お待たせ」
 強張る俺の顔を見て、森川先輩はわずかに目を瞠る。
「……もしかして僕、今から告白される?」
「断じてそれは」
 よかった、あまりにも顔が必死だったから、と森川先輩はメガネの奥で笑いながら、向かいのパイプ椅子に腰を下ろす。
 緊張する俺の心をほぐそうとしてくれる、本当に良い先輩だ。

「今日はバレー部は……って、そうか月曜日はやすみなんだっけ」
 こくりと俺がうなずくと、森川先輩は首を傾げた。
「それで話って?」
「あの、俺、き、決めました」
 森川先輩は静かに頷いた。俺は膝に置いた手をぎゅっと握りしめる。

「園芸部も植物も俺にとって本当に大切で……、それは、いまも変わりません」
 でも、と俺は伏せていた目を上げる。
「もっと大切にしたいものに出会えたんです。だから俺、園芸部を……」

 そこまで言って、息が詰まった。喉が張り付いたように言葉がうまく出てこない。
 吐き出す息がかすかに震える。
 それでも、前に進まなければと俺はまっすぐに森川先輩を見た。
「やめようと思います」

わずかに胸が痛む。園芸部をやめることは先輩のことも、植物のことも裏切るような気がしていたから。
 でもそれは間違いだって、今ならわかる。
 ――自分にも……自分の気持ちにも、もっと優しくなってあげてほしい
 朝陽先輩の言葉を思い出す。
 自分の気持ちに蓋をして出した答えに、誰が喜ぶだろうか。きっとそういう思いは、植物にも伝わる。
 
 森川先輩は、確かめるように数回頷くと、口角を上げた。
「うん。良い判断だと思うよ」
 そう言われて、少しだけ肩の力が抜けた。

「いろいろ悩みはしたんですけど、森川先輩の言うように、部活を掛け持ちするのは無理だなって自分でも思いました。俺……、器用じゃないから。どっちかに集中した方がいいし」
 少しの自嘲を混ぜると、森川先輩はすぐに首を横に振った。
「違うよ。僕は千尋が器用じゃないから掛け持ちを進めなかったんじゃないよ? 人一倍責任感が強いから。だからふたつとも頑張っちゃって、パンクしちゃうと思ったんだ」
 自分のことを考えているからこその言葉に、改めて胸が熱くなる。
 確かに自分の性格上、どっちも頑張らなきゃと気合を入れては空回り、どっちも中途半端になってしまっていただろう。
 どうやら森川先輩は、自分のことを何でも分かっているらしい。

「それに俺、その……」
 ――朝陽先輩が好きだって気づいたんです。
 そう言葉をつづけようとして、顔が真っ赤になった。
本人に伝えるならまだしも、相手は森川先輩。それなのに想いを言葉にするのはこんなに難しいのかと、そのハードルの高さに絶望しかける。

森川先輩はそんな俺を見て、くすくすと肩を揺らした。
「なるほど。そっちの答えも出たわけね」
「……はい」
やっぱり森川先輩はなんでもお見通しらしい。

「じゃあ伝えに行かなきゃ」
「わかってます。わかってるんですけど……」
 柔らかに微笑む森川先輩を前に、俺は視線を泳がせた。
「なんだか言いづらくって……」
 だって、俺は森川先輩にすら『朝陽先輩を好きになった』と言えなかったのだ。
 本人を前に言える気が全くしない。

「でも、こういうのは先延ばしにしない方がいいよ。朝陽君のためにも早く言ってあげなきゃ」
「それは……そうなんでしょうけど」
 もごもごと口ごもったそのとき。
 
 ガチャン――。

 ふいに扉の閉まる音がして、俺は反射的に部室の扉に目を向けた。
「……あれ?」
「どうした?」
「今、なんか扉の音がしたような」
「そう? 俺は聞こえなかったけど」
 じゃあ気のせいだろうか。
 一瞬納得しかけたが、なんだかすこし気になって、腰を上げて入口まで向かう。
 扉を開けて外を見回してみるも、やっぱりそこには誰もいなかった。
「誰かいた?」
「いえ、誰も」
 首を傾げながら席に戻る。やっぱり俺の気のせいか。

「話戻すけど、なんで言えないの? 朝陽くんに好きって」
 森川先輩の口からさらりと出た『好き』の二文字に、思わずたじろいでしまう。
「え、あ、う、いや……」
 壊れたスピーカーのように声がこぼれ出る。

 俺は一度大きな深呼吸をして心を落ち着かせると、小さな声で呟いた。
「俺、人を好きになったの初めてで……、その、恥ずかしくて」
 あまりに幼稚な返答に、自分のことながら情けない。
 それでも、こんな相談できるのは森川先輩くらいで、俺は心のままに吐露した。
「そもそもなんて返事をすればいいかもわからなくて。間違ったら嫌われちゃうかもだし……」
 ばかばかしいと一蹴される気満々だったが、森川先輩は俺を揶揄うことはしなかった。

「間違いなんてないよ。思ったままに伝えればいいんだよ」
「思ったまま?」
「うん。千尋の心に正直に、そのままの気持ちを伝えればいい」
 森川先輩の言葉に、それまでぐだぐだと考えすぎてどんどん自分を縛っていた鎖がパリンと割れたような気がした。
「……俺、ちょっと行ってきます」
 なんだか今なら言える気がする。
「うん、それがいい。こういうのは早いに越したことはないから」
 勢いよく立ち上がる俺に、森川先輩はいってらっしゃいと手を振ってくれた。
 
 部室を飛び出して、走り出す。
 けれど数歩走ったところで、俺ははたと足を止めた。
 一体、どこへ向かえばいいのだろう。
 想いを告げると意気込んでみたはいいものの、肝心の朝陽先輩がどこにいるかわからない。
 今日は月曜日で、バレー部は休み。
 もしかしたら、もう帰っているかもしれない。
 俺はポッケからスマホを取り出すと、メッセージアプリを開いた。
 朝陽先輩に『先輩、今どこにいますか?』そう打ちかけて、指が止まる。

 たしか、前に休みの時も自主練したりしてるって言っていたような。
 もしかしたら――。
 俺はスマホをポッケにしまうと、再び駆け出した。
 向かう先はバレー部の部室。

 こんなに全力で走るなんて、小学生の徒競走ぶりだろうか。
 走りながら息がきれる。
 苦しい。肺がきしむように痛い。
 文化部は体力がないんだ。舐めないでもらいたい。
 
 なりふり構わず走っているせいか、周りの視線もささる。
 でも、今はそんなの関係ない。
 早く、一秒でも早く、朝陽先輩に会いたい。
 今を逃したら、またネガティブな自分が顔を出し、もう一生言えない気すらする。
 走りながら、ただ朝陽先輩のことだけを考えた。

 そうして気づけば部室の前にいた。
 荒い呼吸を整えたくて、一度だけ大きく息を吸う。
 そして、ゆっくりと扉を開く。

 いつも賑やかな部室が今日はガランと静かだった。
 カーテンが開いているから、外からの光は入るものの、電気がついていないせいか仄暗い。
 その中央にあるベンチに腰掛ける人物を見て、俺はのどをごくりと鳴らした。
 朝陽先輩だ。

 先輩は俺に気づくと、わずかに目を瞠った。
「……どうしたの? そんなに急いで」
 心なしかいつもより声のトーンが落ち着いている気がする。
 
「せ、先輩に、言いたいことがあって」
 精一杯の勇気を振り絞ると、声がわずかに掠れていた。
 心臓がうるさいのは、走ったからか、朝陽先輩を前にしたからか、自分でもわからない。
 それでも。
 今しかない。もう後には戻れない。
 
 言え。言うんだ。
「俺――」 
 再び口を開いたそのとき。
「聞きたくない」
 朝陽先輩の静かな声が、俺の言葉を遮った。