朝陽先輩への答えと、森川先輩への園芸部存続の答えが出ないまま、十一月になった。
マネージャーお試し期間終了まで、あと二週間をきったある日の放課後。
俺と朝陽先輩は、裏庭の花壇を前に、呆然と立ち尽くしていた。
「なんだこれ……」
目の前の光景に、朝陽先輩の怒りの滲んだ声が漏れる。
先日まいたカレンデュラの種が、やっと芽を出したと、朝陽先輩と手を取り合って喜んだのも束の間。今はその芽が、見るも無残に踏み荒らされている。
足元には先輩が作ってくれた、「カレンデュラ」と書かれたフラワーラベル。
「一体誰がこんなこと……」
思わず声が震える。
口を開いた瞬間、涙の水位がぐんと上がった。目の縁で、今にもこぼれそうになる涙を、表面張力ぎりぎりでせき止める。
朝陽先輩と毎日水やりを頑張ったこれまでの日々を思い出すと、悔しくてやるせない。
その一方で、どこかこの状況に諦めかけている自分もいた。
だって、こんなことは初めてじゃない。
花壇にごみがおかれたり、せっかく咲いた花が摘まれていたり。
そのたびに、俺は呪文のようにつぶやいた。
「……仕方ないですね」
震える声を必死に抑える。
「他の人にとって、花なんてそんなもんですから……」
だって、俺にとって大切な花が、だれにとっても大切だとは限らない。
いや、むしろみんなにとってはこの花壇なんて、きっとただの背景でしかない。
だから、仕方ない。
そう思うことで、これまでだってやり過ごしてきた。
だから今回も。きっと諦められるはず。
けれど、朝陽先輩は納得してない表情で俺を見ていた。
「仕方ないってなに?」
怒気を孕んだ声に思わず肌がひりつく。
「毎日お世話してた花が踏みにじられたんだよ? 仕方ないなんかで片付けちゃだめっしょ」
「でも……」
だって、怒ってもどうにもならない。
仕方ないって笑ってごまかす以外の気持ちのなだめ方を、俺は知らない。
「怒っていいんだよ。ってか、怒んなきゃ。そんな風に飲み込んじゃダメだよ」
いつになく真剣な表情の先輩を前に、俺は何も言えなくなる。
「三木君は、植物や他人には優しいのに、なんで自分のことになるとそんな簡単に諦めちゃうの? 自分にも……自分の気持ちにも、もっと優しくなっていいんだよ」
「……自分の気持ちに優しく?」
思わず聞き返すと、朝陽先輩は静かに頷いた。
「腹立つって叫んでいいんだよ。泣いて地団駄踏んでもいい。我慢せずに、もっと自分の気持ちにわがままになっていいんだよ」
朝陽先輩の大きな手が、ポンと頭に触れた瞬間、カチカチに固まっていた俺の心が少しずつほどけていくようだった。
「……腹立ちます」
言葉の後を追うように、ポロリと涙が溢れ出た。一粒を皮切りに、堰を切ったように次々と頬を伝う。
「い、一生懸命に育てたのに。朝陽先輩と、一緒に植えたのにっ」
感情のままに声を出すと、朝陽先輩の右腕が俺の背中に回った。
「それでいい。誰も見てないから。思いっきり俺の胸で泣いていいよ」
柔らかな声が頭に降ってきて、俺はもう子供のように涙をこぼした。
「どう、少しは気が晴れた?」
「……はい」
ひとしきり泣いたあと、俺の顔を窺うように朝陽先輩が見つめる。
悔しい気持ちをすべて涙に流したからか、心なしか少しだけ気持ちが落ち着いている。
「感情を爆発させたあとは、次にどうすればいいか考えよう」
「次……?」
こくりと頷く朝陽先輩に、俺は頭を巡らせてみた。
「とりあえず全部がだめになってるわけじゃないと思うので、まだ生きてる芽だけそのままにして、ダメになった芽だけ間引く、とかですかね……?」
口にしながら、でも、と目を落とす。
視線の先には荒らされた花壇。生きている芽だけでは、きっと花壇はスカスカだ。
そんな俺の心を読み取ったのか、朝陽先輩の明るい声が耳を揺らす。
「なら、もう一度植えよう」
「でも、新しく種を蒔くにはもう時期が遅いから……」
「それは種の場合でしょ? 苗を買って植えるのは?」
朝陽先輩の提案に俺は思わず目を丸くした。
確かにそれならできる。むしろカレンデュラのような花は、苗から買って植える方が主流だ。
「大変かもしれないけど……」
そこまで言うと朝陽先輩はにっと笑みを深める。
「また二人で植えようよ」
その笑顔が眩しくて、自然と胸が高鳴る。
――やっぱり先輩はカレンデュラだ。
まるで太陽みたいに、こっちまで胸を温かくしてくれる。
その日はそれ以上、花壇に手をつけることはしなかった。
明日の昼休み、ダメになった芽を間引き、必要な苗の数を確認しよう。
そう約束して、俺たちはそのままバレー部の練習へ向かった。
翌日の昼休み。
一人スコップを片手に花壇の前にしゃがんでいると、目の前に人影ができた。
朝陽先輩かなと顔を見上げると、そこには見慣れない顔が三つ並んでいる。
誰だろう、そう思った次の瞬間、三人が勢いよく頭を下げた。
「ごめん! わざとじゃなかったんだ」
「ボールが飛んで、花壇に入っちゃって」
「新芽だって気づかず、ただの草だと思って踏み入ってしまったんだ」
口々に何か言っているが、あまりに急なことに頭が追い付かない。
戸惑う俺に、彼らは一から説明してくれた。
どうやら、昨日の昼休み裏庭でサッカーをしていたとき、誤ってボールが花壇に飛んで行ってしまったらしく、そのボールをとるために、花壇に足を踏み入れてしまったのだという。
ただの草だと思っていたら、花の新芽だったと知って、謝りに来てくれたらしい。
「本当にごめん! 謝って済む話じゃないかもだけど……ごめんなさい!」
再び頭を下げられる。
純度百パーセントの謝罪に圧倒されながら、俺は口を開いた。
「頭、上げてください」
恐る恐る顔を上げる三人に、今度は俺が頭を下げる。
「むしろ、ちゃんと言いに来てくださってありがとうございます」
「え?」
三人は、まるで鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くする。
踏まれた新芽を見たとき、自分のこれまでの努力まで踏みにじられた気がした。
自分のやってることを馬鹿にされたような気がして、悔しくて悲しくて、やるせなかった。
でも。
「わざとじゃないって知れただけで、十分です」
自然と口角が上がった。
誰にだって間違いはあって、それをちゃんと伝えに来てくれた。
それだけで俺には十分だった。
三人は、相当緊張していたのか俺の言葉に、安堵したようだった。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
そう訊ねると、俺は一つ疑問だったことを口にした。
「なんでこれが新芽だったって気づいたんですか?」
最初は草だと思っていたのなら、どうやって気づいたのだろう。
俺の問いに、三人の視線がわずかに泳ぐ。
「あーそれは……」
三人は互いに目を合わせると、合図のように頷き合い、再び俺を見た。
「口止めされてるんだけど、実は――」
***
「三木君、ごめん!」
昼休みも半ばを過ぎたころ、朝陽先輩が遅れてやって来た。相当急いでくれたのだろう。額には汗がにじんでいる。
「顧問に呼び出し食らっちゃって」
申し訳なさそうに顔を歪める朝陽先輩を前に、俺はさっき聞いた言葉を思い出していた。
『実は朝陽にめちゃくちゃ怒られたんだ』
『俺らが昨日裏庭でサッカーしてたの、聞きまわって突き止めたらしくて』
『一生懸命してるやつの気持ち踏みにじるな、って』
『いつもニコニコしてる朝陽にしてはめちゃくちゃ怖くかったよな』
『あんな朝陽、初めて見た』
朝陽先輩の整った顔がグッと近づく。
「おーい、三木君? どした? あ。もしかして怒ってる……?」
何やら勘違いをしてる先輩を見たとき、胸の奥のざわめきがすとんと収まっていくような気がした。
そしてそのあとから、嬉しいような、泣きたいような、それでいて温かな感情がじわじわと湧き上がってくる。それは押さえようとしたところでもうとっくに手遅れで、どんどんと溢れ出して止まらない。
――ああ。
もう気づかないふりは無理だ。
自分でもうすうす分かっていたけれど。きっともうずっと前から。
――俺、朝陽先輩のことが、好きだ。
わずかに開きかけた口を、俺はぎゅっとつぐんだ。
想いを伝えるその前に。
俺には決めなければいけないことがある。
マネージャーのこと。そして、園芸部のこと。
『園芸部がなくなっても、花壇がなくなるわけじゃない』
今なら少しだけ、森川先輩のその言葉の意味が分かる気がする。
だから、もう迷わない。
この想いを伝えたら、先輩は喜んでくれるだろうか。
もしかしたら驚くかもしれない。
でもきっと、最後はカレンデュラのように笑ってくれるはずだ。
「三木君に嫌われたら死ぬんだけど……」
いまだに盛大な勘違いをしている朝陽先輩は、おろおろと落ちつかない。
その姿すら愛おしくて、俺は小さく笑った。
マネージャーお試し期間終了まで、あと二週間をきったある日の放課後。
俺と朝陽先輩は、裏庭の花壇を前に、呆然と立ち尽くしていた。
「なんだこれ……」
目の前の光景に、朝陽先輩の怒りの滲んだ声が漏れる。
先日まいたカレンデュラの種が、やっと芽を出したと、朝陽先輩と手を取り合って喜んだのも束の間。今はその芽が、見るも無残に踏み荒らされている。
足元には先輩が作ってくれた、「カレンデュラ」と書かれたフラワーラベル。
「一体誰がこんなこと……」
思わず声が震える。
口を開いた瞬間、涙の水位がぐんと上がった。目の縁で、今にもこぼれそうになる涙を、表面張力ぎりぎりでせき止める。
朝陽先輩と毎日水やりを頑張ったこれまでの日々を思い出すと、悔しくてやるせない。
その一方で、どこかこの状況に諦めかけている自分もいた。
だって、こんなことは初めてじゃない。
花壇にごみがおかれたり、せっかく咲いた花が摘まれていたり。
そのたびに、俺は呪文のようにつぶやいた。
「……仕方ないですね」
震える声を必死に抑える。
「他の人にとって、花なんてそんなもんですから……」
だって、俺にとって大切な花が、だれにとっても大切だとは限らない。
いや、むしろみんなにとってはこの花壇なんて、きっとただの背景でしかない。
だから、仕方ない。
そう思うことで、これまでだってやり過ごしてきた。
だから今回も。きっと諦められるはず。
けれど、朝陽先輩は納得してない表情で俺を見ていた。
「仕方ないってなに?」
怒気を孕んだ声に思わず肌がひりつく。
「毎日お世話してた花が踏みにじられたんだよ? 仕方ないなんかで片付けちゃだめっしょ」
「でも……」
だって、怒ってもどうにもならない。
仕方ないって笑ってごまかす以外の気持ちのなだめ方を、俺は知らない。
「怒っていいんだよ。ってか、怒んなきゃ。そんな風に飲み込んじゃダメだよ」
いつになく真剣な表情の先輩を前に、俺は何も言えなくなる。
「三木君は、植物や他人には優しいのに、なんで自分のことになるとそんな簡単に諦めちゃうの? 自分にも……自分の気持ちにも、もっと優しくなっていいんだよ」
「……自分の気持ちに優しく?」
思わず聞き返すと、朝陽先輩は静かに頷いた。
「腹立つって叫んでいいんだよ。泣いて地団駄踏んでもいい。我慢せずに、もっと自分の気持ちにわがままになっていいんだよ」
朝陽先輩の大きな手が、ポンと頭に触れた瞬間、カチカチに固まっていた俺の心が少しずつほどけていくようだった。
「……腹立ちます」
言葉の後を追うように、ポロリと涙が溢れ出た。一粒を皮切りに、堰を切ったように次々と頬を伝う。
「い、一生懸命に育てたのに。朝陽先輩と、一緒に植えたのにっ」
感情のままに声を出すと、朝陽先輩の右腕が俺の背中に回った。
「それでいい。誰も見てないから。思いっきり俺の胸で泣いていいよ」
柔らかな声が頭に降ってきて、俺はもう子供のように涙をこぼした。
「どう、少しは気が晴れた?」
「……はい」
ひとしきり泣いたあと、俺の顔を窺うように朝陽先輩が見つめる。
悔しい気持ちをすべて涙に流したからか、心なしか少しだけ気持ちが落ち着いている。
「感情を爆発させたあとは、次にどうすればいいか考えよう」
「次……?」
こくりと頷く朝陽先輩に、俺は頭を巡らせてみた。
「とりあえず全部がだめになってるわけじゃないと思うので、まだ生きてる芽だけそのままにして、ダメになった芽だけ間引く、とかですかね……?」
口にしながら、でも、と目を落とす。
視線の先には荒らされた花壇。生きている芽だけでは、きっと花壇はスカスカだ。
そんな俺の心を読み取ったのか、朝陽先輩の明るい声が耳を揺らす。
「なら、もう一度植えよう」
「でも、新しく種を蒔くにはもう時期が遅いから……」
「それは種の場合でしょ? 苗を買って植えるのは?」
朝陽先輩の提案に俺は思わず目を丸くした。
確かにそれならできる。むしろカレンデュラのような花は、苗から買って植える方が主流だ。
「大変かもしれないけど……」
そこまで言うと朝陽先輩はにっと笑みを深める。
「また二人で植えようよ」
その笑顔が眩しくて、自然と胸が高鳴る。
――やっぱり先輩はカレンデュラだ。
まるで太陽みたいに、こっちまで胸を温かくしてくれる。
その日はそれ以上、花壇に手をつけることはしなかった。
明日の昼休み、ダメになった芽を間引き、必要な苗の数を確認しよう。
そう約束して、俺たちはそのままバレー部の練習へ向かった。
翌日の昼休み。
一人スコップを片手に花壇の前にしゃがんでいると、目の前に人影ができた。
朝陽先輩かなと顔を見上げると、そこには見慣れない顔が三つ並んでいる。
誰だろう、そう思った次の瞬間、三人が勢いよく頭を下げた。
「ごめん! わざとじゃなかったんだ」
「ボールが飛んで、花壇に入っちゃって」
「新芽だって気づかず、ただの草だと思って踏み入ってしまったんだ」
口々に何か言っているが、あまりに急なことに頭が追い付かない。
戸惑う俺に、彼らは一から説明してくれた。
どうやら、昨日の昼休み裏庭でサッカーをしていたとき、誤ってボールが花壇に飛んで行ってしまったらしく、そのボールをとるために、花壇に足を踏み入れてしまったのだという。
ただの草だと思っていたら、花の新芽だったと知って、謝りに来てくれたらしい。
「本当にごめん! 謝って済む話じゃないかもだけど……ごめんなさい!」
再び頭を下げられる。
純度百パーセントの謝罪に圧倒されながら、俺は口を開いた。
「頭、上げてください」
恐る恐る顔を上げる三人に、今度は俺が頭を下げる。
「むしろ、ちゃんと言いに来てくださってありがとうございます」
「え?」
三人は、まるで鳩が豆鉄砲を食ったように目を丸くする。
踏まれた新芽を見たとき、自分のこれまでの努力まで踏みにじられた気がした。
自分のやってることを馬鹿にされたような気がして、悔しくて悲しくて、やるせなかった。
でも。
「わざとじゃないって知れただけで、十分です」
自然と口角が上がった。
誰にだって間違いはあって、それをちゃんと伝えに来てくれた。
それだけで俺には十分だった。
三人は、相当緊張していたのか俺の言葉に、安堵したようだった。
「あの……一つ聞いてもいいですか?」
そう訊ねると、俺は一つ疑問だったことを口にした。
「なんでこれが新芽だったって気づいたんですか?」
最初は草だと思っていたのなら、どうやって気づいたのだろう。
俺の問いに、三人の視線がわずかに泳ぐ。
「あーそれは……」
三人は互いに目を合わせると、合図のように頷き合い、再び俺を見た。
「口止めされてるんだけど、実は――」
***
「三木君、ごめん!」
昼休みも半ばを過ぎたころ、朝陽先輩が遅れてやって来た。相当急いでくれたのだろう。額には汗がにじんでいる。
「顧問に呼び出し食らっちゃって」
申し訳なさそうに顔を歪める朝陽先輩を前に、俺はさっき聞いた言葉を思い出していた。
『実は朝陽にめちゃくちゃ怒られたんだ』
『俺らが昨日裏庭でサッカーしてたの、聞きまわって突き止めたらしくて』
『一生懸命してるやつの気持ち踏みにじるな、って』
『いつもニコニコしてる朝陽にしてはめちゃくちゃ怖くかったよな』
『あんな朝陽、初めて見た』
朝陽先輩の整った顔がグッと近づく。
「おーい、三木君? どした? あ。もしかして怒ってる……?」
何やら勘違いをしてる先輩を見たとき、胸の奥のざわめきがすとんと収まっていくような気がした。
そしてそのあとから、嬉しいような、泣きたいような、それでいて温かな感情がじわじわと湧き上がってくる。それは押さえようとしたところでもうとっくに手遅れで、どんどんと溢れ出して止まらない。
――ああ。
もう気づかないふりは無理だ。
自分でもうすうす分かっていたけれど。きっともうずっと前から。
――俺、朝陽先輩のことが、好きだ。
わずかに開きかけた口を、俺はぎゅっとつぐんだ。
想いを伝えるその前に。
俺には決めなければいけないことがある。
マネージャーのこと。そして、園芸部のこと。
『園芸部がなくなっても、花壇がなくなるわけじゃない』
今なら少しだけ、森川先輩のその言葉の意味が分かる気がする。
だから、もう迷わない。
この想いを伝えたら、先輩は喜んでくれるだろうか。
もしかしたら驚くかもしれない。
でもきっと、最後はカレンデュラのように笑ってくれるはずだ。
「三木君に嫌われたら死ぬんだけど……」
いまだに盛大な勘違いをしている朝陽先輩は、おろおろと落ちつかない。
その姿すら愛おしくて、俺は小さく笑った。

