カレンデュラ先輩の猛アタックが止まらない

「……初めて三木君を見たのはね、夏休み。部活の休憩時間にふと外をみると君がいて、その時も今日みたいな恰好で一人、中庭の花壇の手入れをしてた」
 朝陽先輩は少し遠くを見つめると、思い出すように話し始めた。

「正直最初はね、こんなくそ暑い中よくやるなって、それだけだった。でも、次の日も次の日も三木君は変わらず花壇の手入れしてて……。誰かが見ているわけでも、誰かに褒められるわけでもないのに、手を抜くことも、さぼることもなく一生懸命に作業をしていて。その姿が印象的で、いつからか目で追うようになってた」
 朝陽先輩の口調は穏やかで、いつもの飄々とした姿とは違って見える。
 相槌を打つのもはばかられ、俺は黙ったまま耳を傾けた。

「ある日、俺、めちゃくちゃ落ち込んでて。公式戦で思うようなプレーができなくて、そのまま負けちゃって、チームメイトにあたったりなんかして。学校に戻ってそのまま一人自主練してたんだけど、全然気持ちは晴れなくて。そんな時、三木君いるかなって花壇を見たら、そこには三木君がいない代わりに、誰かが飲んだジュースの缶が捨てられてた。俺、それを見て、めちゃくちゃ腹が立ったんだ。自分の花壇でもないのにおかしいよね。でも、三木君が一生懸命育ててるの知ってたからさ。そしたらそこにちょうど三木君がやってきて、その空き缶たちを前に嫌な顔一つせず、まるでそれが当たり前かのように、拾って袋に入れてて。それを見て、驚いたんだ」
 いつのことだろう。まったくもって記憶にない。
 というか、一体それのどこに驚いたのか。いまいちよくわからない。
 戸惑う俺に朝陽先輩は楽しそうに肩を揺らす。

「ふふっ、なんで驚いたんだろうって顔だね」
「えっ、あっ、はい……」
 どうやら顔に出ていたらしい。
「普通はさ、自分が手入れをしている花壇にごみが捨てられてたら腹が立つよ。てか怒っていい。俺だったらその空き缶、足で蹴るか、握りつぶしてその場に投げつけるね」
 なるほど、そういうものなのか。
 半ば感心するように頷きながらも、もしまた同じようなことが起きても、俺はきっと腹を立てないだろうなと思った。
 もちろん花壇が荒れたのは悲しい。でもごみは捨てればいいだけだ。
 誰かに嫌な感情を抱くのはすごく疲れるし、そうしないで済むならそれが一番平和な気がする。

 そんなことをぼんやりと考えていると、朝陽先輩はふっと目を細めて俺を見た。
「その時思ったんだよね。この子は、人に優しくできない日なんて、ないんだろうなって」
「……人に優しくできない日?」
 朝陽先輩は静かに頷く。

「人ってさ、どうしても他人に優しくできないときがあると思うんだ。むしゃくしゃしてて誰かにあたっちゃうとか、あとは……、あっ、ポケットから落ちたごみをいつもは絶対拾うのに、なんかその日はもういいやって諦めちゃうような、そんなとき。わかる?」
 訊かれてすぐに『わかる』とは答えられなかった。
 そもそも八つ当たりできるほど仲の良い友達はいないし、ごみは持ち歩かずに、すぐにごみ箱に捨てちゃう派だ。
 宙を見て必死に思考を巡らす俺に、朝陽先輩は柔らかに笑った。

「そうだよね。多分三木君は、そんなことしない。その時もね、三木君は何かに当たったりすることなく、淡々と自分の仕事をしてた。そんな人がいるんだなって思った。それと同時に気づいたんだ。花壇に捨てられた空き缶を見て腹を立ててたけど、俺だってそいつらと何ら変わりないってことに」
 朝陽先輩は顔を歪ませ、自嘲するように言った。

「そいつらがどんな奴かは知らないけど、もしかしたらいつもはごみをちゃんと捨てる奴だったかもしれない。でもその日はなんかむしゃくしゃして、いつもはしないポイ捨てをしたのかも。だからと言ってそれが許されるわけじゃないのに、『今日は仕方ない』『俺だって落ち込んでるから』って自分に言い訳して。でも、それって俺じゃんって……みんなに八つ当たりした今日の俺じゃんって、そのとき気づいた」
「そんな……」
 声に出して、俺はすぐに口をつぐんだ。
『そんなことない』
 そう伝えたいのに、どう言葉にすればいいのか、うまくまとまらない。
 花のことなら手に取るようにわかるのに、人のことになるとさっぱりだ。
 本当に人間って難しい。

「それからなんだ。三木君のことがもっと気になるようになった。この子はどういう子なんだろうって。気になったらもう知りたくて」
 伏せていた朝陽先輩の瞳がゆっくりと俺に向けられる。
 まっすぐの視線に見つめられて肌がひりつく。

「それからは毎日見てた。毎日三木君を探すようになってた。そしたら気づいたんだ。顔に泥つけながら一生懸命花の世話してるとことか、ホースが暴走してずぶ濡れになったとことか、萎れてた花が持ち直して嬉しそうにしてるところとか、全部。可愛いって思うようになってる自分に」
「なっ……」
 自分の知らないところで、自分なんかを見ていてくれていた人がいたとは、想像もしていなかった。
 途端に恥ずかしさが溢れてくる。
 でも、それ以上に――嬉しくて泣きそうになる。
 透明人間みたいな俺を、先輩は見てくれていた。たったそれだけのことがこんなにも嬉しい。

「そのうち知るだけじゃ足りなくて、俺のことも知ってほしくなって、あの日……告白したんだ。ちょっと長くなったけど、これが俺が三木君を好きになった理由。納得してくれた?」
「はい……もう、十分に」
 いたずらっぽく微笑む朝陽先輩に、俺はぶんぶんと首を縦に振る。
 むしろ胸がいっぱいだ。一生分、褒められたような気がする。

「だから、さっき三木君が俺をカレンデュラっていってくれたけど、俺的には三木君の方がずっと何倍もカレンデュラみたいだなって思ってるよ。誰にだって優しくて、それでいて自分には厳しくて、頑張り屋さん。君がいると周りも自然と頑張ろうって思えるんだよね」
 俺がカレンデュラ? 
 思わず目を剥く。
 それはなんていうか……、解釈違いすぎる。
 だって俺は雑草。生えてるか生えてないかわからない程度の小さな名もなき草。
 そう思っていたのに――。
 先輩に言われると、本当に自分が雑草じゃないような気になってくるから不思議だ。
 自分に少しだけ、自信が持てる。

 ――俺も、先輩を勇気づけたい。

 そんなことを思うことすらおこがましいかもしれない。
 それでも、この衝動を押さえきれず、気づけば俺は口を開いていた。

「あ、あの!」
 俺は軍手に包まれた手をぎゅっと握って、先輩をまっすぐに見た。
「先輩は……、先輩はポイ捨てしてた人たちとは、違います!」
「……え?」
「確かに、部員の人にあたってしまったのかもしれない。でもそれで先輩が悪い人になるわけじゃないです」
 俺は言葉を探しながら、確かめるように続けた。
「先輩はちゃんと自分がしたことを反省していて、悪かったって思ってる。そんな人が、誰かを傷つけても平気な人と、同じなわけないです。それにバレー部のみんなはきっと、先輩の態度に傷ついてないんじゃないかな。あたられたとも思ってないかも。だってみんな、先輩の頑張りや思いを知っているから。先輩がどれだけ真剣にバレーと向き合っているか、知ってるから。だ、だから今も先輩はみんなに慕われているんだと……、俺はそう……思います」
 この一ヶ月バレー部のマネージャーとしてみんなと一緒にいて、朝陽先輩がどれだけ好かれているかを知った。だからこそ分かるのだ。

 もっと上手く伝えたいのに、やっぱりどうしても上手くいかない。それでも今感じていることを、精一杯言葉に詰め込む。
「だから、やっぱり先輩はカレンデュラの花です。俺にとっては、眩しい太陽みたいな存在です」
 ちゃんと伝わっただろうか。
 そっと様子を窺うように目を向けようとしたとき、朝陽先輩の大きな声が鼓膜を揺らした。

「あーーーーもうっ!」
 突然顔を伏せた朝陽先輩に、俺はびくりと肩を震わせる。
「え!? ど、どうしたんですか!?」
 朝陽先輩は顔をうずめたまま、呻くように声を出す。
「……どうすんの」
「へ?」
「これ以上好きにさせて、どうすんの」
 今の、どこにそんな要素があるんだ。俺はただ思ったことを言っただけなのに。

 朝陽先輩は急に立ち上がると、ズボンについた土を払った。
「はい、種まき終了! じゃあ部活行こっか」
「あ、はい!」
 俺に背を向けて、歩き出す先輩の後を急いでついていく。
 
 夕日に照らされた朝陽先輩の耳が真っ赤だったのは、多分、俺しか知らない。