――ああ、今すぐ帰りたい。
体育館の端で、俺は十数人の男子生徒の視線に耐え切れず、思わず俯いた。
じわじわと熱くなる頬に意識がいく。
大丈夫、まだ赤くはなってないはず。
大丈夫、視線をあげればもう誰も俺なんか見てない。
そう自分に言い聞かせて顔を上げれば、バレー部全員が俺を見ていた。
途端に体中の血液が沸騰したように熱くなる。滾った血液は一気に首を駆け上がり、顔を真っ赤に染め上げた。
昔からそうだった。大勢の人の前に立つと、すぐに顔が赤くなる。
小学生の頃はリンゴだの、トマトだのとよく揶揄われたものだ。
そのうち人間そのものが苦手になって、気づけば人と距離をとるようになっていた。
高校で園芸部を選んだのも、それが理由。
植物は人間と違ってからかったりしない。馬鹿にしたり、好奇の目で見ることもしない。
ただそこに、凛として咲き誇る。その姿を眺めるだけで充分だった。
――それなのに。
なぜこんなことになってしまったのか。
すがるように隣に並ぶ朝陽先輩に目を向けると、朝陽先輩は任せておけと言わんばかりに微笑んで、親指をグッとあげてみせた。
……何もわかってない気がする。
小さなため息を吐き、俺は汗ばんだ手をぎゅっと握った。
「きょ、今日から二ヶ月、お試しでマネージャーとしてお世話になります、み、三木千尋です……。あの、よ、よろしくお願いしますっ!」
頭を下げながら、脳内でいろんな罵詈雑言を想定する。
『なんでこんな冴えないやつがマネージャーなんだよ』
『勘弁してくれよ』
『顔真っ赤じゃね? トマトって呼ぼうぜ』
想像だけですでに泣きそうだ。
けれど、次の瞬間降ってきたのは、思っていたのとは違う柔らかな声だった。
「やったー!!」
「やっとマネージャー入ってくれた!」
「これでドリンク作らずに済む」
「汗臭いタオルで顔拭かずに済む」
「ありがてぇー」
矢継ぎ早に耳に飛び込む歓迎の言葉に顔を上げると、嬉しそうな部員たちの笑顔。
想像以上に歓迎されていることに、思わず拍子抜けしてしまう。
「なぁ、なんて呼べばいい? 普通に三木?」
声がするほうに目を向けると、そこには同じクラスの木下君がいた。
話したことはないけれど、休み時間のたびに友達に囲まれているクラスの中心人物だ。
「いや、千尋のほうがよくね? 親しみも込めて」
そう言ったのは隣のクラスの皆川君。確か体育祭でアンカーを走っていた。
二人とも、俺とは住む世界が違う一軍の陽キャだ。というかバレー部は全体的にそうで、改めてここでやっていける気がしない。
「同じ名前もいないし、千尋にしようか。どうかな?」
みんなの意見をまとめて、キャプテンの羽柴先輩がそう訊ねる。
いきなり呼び捨てなんて、なんて陽キャなんだ。嫌ですなんて言ったなら、怒られるだろうか。
どう返事をすれば良いのか戸惑っていると、俺が口を開くよりも先に、横から鋭い声が飛んできた。
「だめに決まってんだろ」
見上げると、なぜか眉間を深めた朝陽先輩が不服そうに羽柴先輩を睨んでいた。
「え、なんでだよ」
俺も羽柴先輩と一緒に首をかしげる。
「だって――」
朝陽先輩はいたって真面目な面持ちで、はっきりと答えた。
「俺ですらまだ呼んだことないんだぞ」
「「「……は?」」」
俺を含む部員の声が見事に重なる。
「いいか。良い機会だから言っておくけど、三木君は俺が今、口説いてる最中だから」
さらりと告げられた言葉に、俺は目を剥いた。
なんでみんなの前で言っちゃうんだ。
せっかく部員のみんなが受け入れようとしてくれているのに、そんなことを聞いたら「だから特別扱いされてるのか」なんて思われるかもしれない。
けれどびくびくする俺の予想に反して、部員のみんなは特に驚いた様子も見せず淡々としていた。
「あー、マネージャーになってってお願いしてるってことな」
「まぁ確かにまだ正式なマネージャーではないし、呼び捨ては馴れ馴れしすぎ?」
「でも、期間限定とはいえ仲間になるんだから」
「じゃあ間をとってあだなは? 三木だからみっきーとか」
どうやら違う意味で解釈してくれたらしい部員たちは、俺の呼び名で盛り上がる。
その様子に、ほっと胸をなでおろす。
「じゃあ、みっきーで決まりだな!」
木下君の声にみんなが頷く。人生初のあだ名だ。なんだか少し胸が躍る。
「よし、じゃぁ挨拶も済んだことだしみんなは練習に戻れー。三木君には、この後マネージャーの仕事を教えるから」
「あ、はい」
羽柴先輩の言葉に部員たちがコートに戻る中、なぜか朝陽先輩は動かなかった。
「俺も三木君と一緒に話を聞く。羽柴と三木君を二人きりにはできないし」
「いや、お前は早く練習に戻れよ」
「いやだ」
粘る朝陽先輩の元へ、すぐに木下君と皆川君がやってくる。
「先輩いないと練習始まんないじゃん」
「いやだ」
「はやく行きますよー」
「いやだ、いやだ、いやだ」
精一杯の抵抗も叶わず、朝陽先輩は不満げな表情のまま、二人に引きずられるように連行されて、コートへ戻っていった。まるで大きな子供だ。
「それにしても、入ってくれてすごく助かる」
部室でマネージャーの仕事の説明を受けていると、ふと羽柴先輩が頭を下げてきた。
ほとんど無理やり……、なんて言えるわけもなく、曖昧に笑ってみせる。
「あの……、マネージャーは僕だけですか? その……、皆さん異様に喜ばれていたので」
「そうなんだよ。三年の先輩が引退してからはね」
意外だった。だってこれだけたくさんイケメンがいれば、女子が放っておかないだろう。
そんな俺の心の声を読んだかのように、羽柴先輩が補足する。
「前に女マネ同士でトラブルが起きてから、女子は禁止になったんだ。でも、男でマネージャーやりたいなんてやつあんまりいないからさ。三木君にはほんと感謝」
「なるほど……。でも俺、マネージャーなんて大役、務まるか」
「それはきっと大丈夫」
「え?」
「あいつが選んだんだ。あんなだけどさ、悠は人を見る目はあるから」
はっきりとした口調だった。その一言に、羽柴先輩がどれだけ朝陽先輩を信頼しているかが分かる。
というかきっと、朝陽先輩は良い人なのだろう。
体育館に足を踏み入れてからずっと、朝陽先輩はまるで太陽のようにみんなの中心にいる。そこも含め、カレンデュラに似ている。カレンデュラも太陽の花だから。
「よし、仕事は今一通り伝えたし、一度練習に戻ろうか」
羽柴先輩の言葉にこくりと頷いて、体育館二階にある部室を出ると、コートの方から「パアン」と弾けるような音が聞こえた。
まるで銃でも乱射されているかのような大きな響きの連続に、思わず身構える。
「おー、アタック練習もう始めてんのか」
「アタック……?」
思わず復唱してしまう。
「今日はマネージャーの仕事はいいから、練習見ていきなよ。結構楽しいと思うから」
「あ、はい」
促されるまま、コート横のパイプ椅子に座る。
そして、そこで目にした光景に、俺は思わず息を呑んだ。
バレーのネットは俺がめいっぱいジャンプをしても届きそうにないほど高い。それなのにみんなは驚くべき跳躍で、その上からボールをズドンとコートに打ち込んでいく。それはまるで雷のようで、瞬きでもしようものなら、見逃してしまいそうになる。
次々に打たれるアタックに俺は完全に目を奪われた。
「す、すごい……」
特に朝陽先輩は、他の人と格段に違っていた。
素早い助走から軽やかなジャンプ。それでいて空中での時間は長く、まるでそこだけ時間が止まったようだった。吸い込まれるように掌に収まったボールが、次の瞬間にはコートへ叩き込まれる。
素人の俺には、正しいフォームも、うまいアタックもわからない。それでも朝陽先輩のそれは誰よりも美しく、それでいて無駄がないように思えた。
――かっこいい。
そう思ったのは、朝陽先輩にか、生で見たバレーの迫力にか。このときはまだ、よくわかっていなかった。
体育館の端で、俺は十数人の男子生徒の視線に耐え切れず、思わず俯いた。
じわじわと熱くなる頬に意識がいく。
大丈夫、まだ赤くはなってないはず。
大丈夫、視線をあげればもう誰も俺なんか見てない。
そう自分に言い聞かせて顔を上げれば、バレー部全員が俺を見ていた。
途端に体中の血液が沸騰したように熱くなる。滾った血液は一気に首を駆け上がり、顔を真っ赤に染め上げた。
昔からそうだった。大勢の人の前に立つと、すぐに顔が赤くなる。
小学生の頃はリンゴだの、トマトだのとよく揶揄われたものだ。
そのうち人間そのものが苦手になって、気づけば人と距離をとるようになっていた。
高校で園芸部を選んだのも、それが理由。
植物は人間と違ってからかったりしない。馬鹿にしたり、好奇の目で見ることもしない。
ただそこに、凛として咲き誇る。その姿を眺めるだけで充分だった。
――それなのに。
なぜこんなことになってしまったのか。
すがるように隣に並ぶ朝陽先輩に目を向けると、朝陽先輩は任せておけと言わんばかりに微笑んで、親指をグッとあげてみせた。
……何もわかってない気がする。
小さなため息を吐き、俺は汗ばんだ手をぎゅっと握った。
「きょ、今日から二ヶ月、お試しでマネージャーとしてお世話になります、み、三木千尋です……。あの、よ、よろしくお願いしますっ!」
頭を下げながら、脳内でいろんな罵詈雑言を想定する。
『なんでこんな冴えないやつがマネージャーなんだよ』
『勘弁してくれよ』
『顔真っ赤じゃね? トマトって呼ぼうぜ』
想像だけですでに泣きそうだ。
けれど、次の瞬間降ってきたのは、思っていたのとは違う柔らかな声だった。
「やったー!!」
「やっとマネージャー入ってくれた!」
「これでドリンク作らずに済む」
「汗臭いタオルで顔拭かずに済む」
「ありがてぇー」
矢継ぎ早に耳に飛び込む歓迎の言葉に顔を上げると、嬉しそうな部員たちの笑顔。
想像以上に歓迎されていることに、思わず拍子抜けしてしまう。
「なぁ、なんて呼べばいい? 普通に三木?」
声がするほうに目を向けると、そこには同じクラスの木下君がいた。
話したことはないけれど、休み時間のたびに友達に囲まれているクラスの中心人物だ。
「いや、千尋のほうがよくね? 親しみも込めて」
そう言ったのは隣のクラスの皆川君。確か体育祭でアンカーを走っていた。
二人とも、俺とは住む世界が違う一軍の陽キャだ。というかバレー部は全体的にそうで、改めてここでやっていける気がしない。
「同じ名前もいないし、千尋にしようか。どうかな?」
みんなの意見をまとめて、キャプテンの羽柴先輩がそう訊ねる。
いきなり呼び捨てなんて、なんて陽キャなんだ。嫌ですなんて言ったなら、怒られるだろうか。
どう返事をすれば良いのか戸惑っていると、俺が口を開くよりも先に、横から鋭い声が飛んできた。
「だめに決まってんだろ」
見上げると、なぜか眉間を深めた朝陽先輩が不服そうに羽柴先輩を睨んでいた。
「え、なんでだよ」
俺も羽柴先輩と一緒に首をかしげる。
「だって――」
朝陽先輩はいたって真面目な面持ちで、はっきりと答えた。
「俺ですらまだ呼んだことないんだぞ」
「「「……は?」」」
俺を含む部員の声が見事に重なる。
「いいか。良い機会だから言っておくけど、三木君は俺が今、口説いてる最中だから」
さらりと告げられた言葉に、俺は目を剥いた。
なんでみんなの前で言っちゃうんだ。
せっかく部員のみんなが受け入れようとしてくれているのに、そんなことを聞いたら「だから特別扱いされてるのか」なんて思われるかもしれない。
けれどびくびくする俺の予想に反して、部員のみんなは特に驚いた様子も見せず淡々としていた。
「あー、マネージャーになってってお願いしてるってことな」
「まぁ確かにまだ正式なマネージャーではないし、呼び捨ては馴れ馴れしすぎ?」
「でも、期間限定とはいえ仲間になるんだから」
「じゃあ間をとってあだなは? 三木だからみっきーとか」
どうやら違う意味で解釈してくれたらしい部員たちは、俺の呼び名で盛り上がる。
その様子に、ほっと胸をなでおろす。
「じゃあ、みっきーで決まりだな!」
木下君の声にみんなが頷く。人生初のあだ名だ。なんだか少し胸が躍る。
「よし、じゃぁ挨拶も済んだことだしみんなは練習に戻れー。三木君には、この後マネージャーの仕事を教えるから」
「あ、はい」
羽柴先輩の言葉に部員たちがコートに戻る中、なぜか朝陽先輩は動かなかった。
「俺も三木君と一緒に話を聞く。羽柴と三木君を二人きりにはできないし」
「いや、お前は早く練習に戻れよ」
「いやだ」
粘る朝陽先輩の元へ、すぐに木下君と皆川君がやってくる。
「先輩いないと練習始まんないじゃん」
「いやだ」
「はやく行きますよー」
「いやだ、いやだ、いやだ」
精一杯の抵抗も叶わず、朝陽先輩は不満げな表情のまま、二人に引きずられるように連行されて、コートへ戻っていった。まるで大きな子供だ。
「それにしても、入ってくれてすごく助かる」
部室でマネージャーの仕事の説明を受けていると、ふと羽柴先輩が頭を下げてきた。
ほとんど無理やり……、なんて言えるわけもなく、曖昧に笑ってみせる。
「あの……、マネージャーは僕だけですか? その……、皆さん異様に喜ばれていたので」
「そうなんだよ。三年の先輩が引退してからはね」
意外だった。だってこれだけたくさんイケメンがいれば、女子が放っておかないだろう。
そんな俺の心の声を読んだかのように、羽柴先輩が補足する。
「前に女マネ同士でトラブルが起きてから、女子は禁止になったんだ。でも、男でマネージャーやりたいなんてやつあんまりいないからさ。三木君にはほんと感謝」
「なるほど……。でも俺、マネージャーなんて大役、務まるか」
「それはきっと大丈夫」
「え?」
「あいつが選んだんだ。あんなだけどさ、悠は人を見る目はあるから」
はっきりとした口調だった。その一言に、羽柴先輩がどれだけ朝陽先輩を信頼しているかが分かる。
というかきっと、朝陽先輩は良い人なのだろう。
体育館に足を踏み入れてからずっと、朝陽先輩はまるで太陽のようにみんなの中心にいる。そこも含め、カレンデュラに似ている。カレンデュラも太陽の花だから。
「よし、仕事は今一通り伝えたし、一度練習に戻ろうか」
羽柴先輩の言葉にこくりと頷いて、体育館二階にある部室を出ると、コートの方から「パアン」と弾けるような音が聞こえた。
まるで銃でも乱射されているかのような大きな響きの連続に、思わず身構える。
「おー、アタック練習もう始めてんのか」
「アタック……?」
思わず復唱してしまう。
「今日はマネージャーの仕事はいいから、練習見ていきなよ。結構楽しいと思うから」
「あ、はい」
促されるまま、コート横のパイプ椅子に座る。
そして、そこで目にした光景に、俺は思わず息を呑んだ。
バレーのネットは俺がめいっぱいジャンプをしても届きそうにないほど高い。それなのにみんなは驚くべき跳躍で、その上からボールをズドンとコートに打ち込んでいく。それはまるで雷のようで、瞬きでもしようものなら、見逃してしまいそうになる。
次々に打たれるアタックに俺は完全に目を奪われた。
「す、すごい……」
特に朝陽先輩は、他の人と格段に違っていた。
素早い助走から軽やかなジャンプ。それでいて空中での時間は長く、まるでそこだけ時間が止まったようだった。吸い込まれるように掌に収まったボールが、次の瞬間にはコートへ叩き込まれる。
素人の俺には、正しいフォームも、うまいアタックもわからない。それでも朝陽先輩のそれは誰よりも美しく、それでいて無駄がないように思えた。
――かっこいい。
そう思ったのは、朝陽先輩にか、生で見たバレーの迫力にか。このときはまだ、よくわかっていなかった。

