「ふむ、似合うな」
神様にもらった服を着て、本殿に戻ったるりへの第一声は、それだった。
こちらをじっと見つめる神様は、満足げな表情をしている。
「あ、ありがとうございます、神様!なんとお礼申し上げていいか……」
るりは、改めて頭を下げた。
いや、下げかけた、という方が正確か。
神様が手を上げ、それを制止したからだ。
「良い。俺が汚いものを好まないだけだ。俺の側にいる以上、美しくあることは義務と心得ろ」
「……承知いたしました」
るりは頷いた。
ただそれは、神様が高圧的だからでも、るりが居候させてもらっている身であるからでも、なかった。
彼が言うならそうしようと、自然と思えたからだ。
極度に美しい存在の前では、佇まいを正したくなるものなのだと、るりは知った。
ドレスの裾が、室内の灯りを繊細な輝きを以って反射している。
るりは、そこに生じていた小さなしわを、しっかりと伸ばした。
翌日。
るり、は本殿と拝殿の間を結ぶ廊下を磨いていた。
特段汚れている訳ではなかったが、とにかく何かをしたかったるりが、神様に頼み込んだのだ。
「何か、私にできることはありませんか……!」
本殿で寝転がる神様に、るりは正座で迫った。
だが神様は振り向きもせず、気怠そうにため息をつく。
「るりがすることなど、何もない。大人しくしていろ」
そう言って、大きな欠伸をした。
しかし、るりもここで引き下がらない。
頂いた服に見合う価値があると、思ってほしかった。
るりは再び、口を開く。
「ではせめて、掃除してもよい場所を教えてください!」
「……掃除?」
ごろり、と神様は体の向きを変えた。
怪訝そうに、るりの顔を見る。
るりは続けた。
「ええ、掃除です。どこなら私も触れてよいか、教えてください」
「汚れている場所など、ここにはない」
「知っています。ただ、私でも、より美しくすることは出来ます」
「…………」
神様は、何か言いたげだった。
しかし、るりの真剣そのものの表情に、口を噤む。
それから少しして、ぼそりと呟いた。
「別に、どこでも構わん」
「え?」
「るりが触れてはならない場所などない。好きにしろ」
そう言って、指先に小さな宝石を生み出した。
パールの如き乳白色の輝きを放つそれを、るりにくれた服を作った時のように糸状にする。
そうして出来た、長方形の布をるりに渡した。
「使え」
「あ、ありがとうございます!」
るりは、神様がまたも新しく繕ってくれた布に視線を落とした。
きらきらと、絶え間なく光の粒を反射していて美しい。
しかし、るりは思う。
こんなに綺麗なもの、掃除に使うのは憚られる……!
かと言って、せっかくの好意を無下にしたくなかったるりは、恐る恐るその布で廊下を拭き始めたのだった。
「よし、終わった」
るりは額の汗を掌で拭うと、自分が磨いた箇所を見渡した。
元々塵一つ無いほど綺麗だったが、少しだけ、艶めいているように見える。
「少しはお役に立てたかな」
るりはふうと息を吐くと、本殿へと足を向けた。
寝転んでいる神様に、とりあえず報告を、と声をかける。
「廊下の手入れをしてきました。他に気になる所は……」
しかし、途中で口を塞いだ。
神様が、すうすうと寝息を立てていたからだ。
るりはそっと近付き、じ、と見つめる。
つい、その寝顔に魅入ってしまった。
なんて気ままで、傲慢で、それでいて美しいのだろう。
美しいものが好きで、これまで自分でもコレクションしてきたが、神様は格別だ。
思わず、陶器のように滑らかな頬に視線が吸い寄せられる。
宝石のように冷たいのだろうか。それとも、人のように熱を持っている?
確かめてみたい。
触れてみたい。
ぼうっとして、いつの間にか手を伸ばしていた。
るりの指先が、神様に触れる、その直前──。
はっとして、慌てて腕を引っ込めた。
「いけない。神様に触れることなど、恐れ多いわ」
るりは自分の逸る鼓動を何とかして諌める。
そして、ふと気が付いた。
──私、神様の名前、知らないな。
だが、それも当然だ。
神様からすれば、るりはただの人間。
立派な名を、簡単に教えるわけがないのだ。
るりは頭を振り、気持ちを切り替える。
もらうことばかり、望んではいけない。
私は私に出来ることをしないと。
再び、頂いた布を手に取って、立ち上がった時だ。
閃いた。
私からも、贈り物をしよう、と。
何もないと思い込んでいたけれど、まだ神様に贈れるものがある。
るりはそのことに思い至り、居ても立っても居られなくなった。
布を畳んで本殿の隅に置き、神様を起こさないように早歩きで鳥居の方へと向かう。
それでも、色とりどりの宝石が埋め込まれた鳥居をくぐって、洞窟へと戻った時にはもう走り出していた。
お礼がしたい。
感謝を伝えたい。
その一心で、ある場所に向かって夢中で駆けていった。
到着したのは、あらゆる家屋が焼け落ち、地面は荒れ果てて、誰一人として住んでいない村。
るりの故郷だ。
「ひどい……」
改めて、自身が生まれ育った場所の変わりようを知り、るりは息を呑む。
風にそよぐ若葉も、金属を叩く槌の音も、人々の笑い声も、何も聞こえない。
そこに残されたのは、死の雰囲気だけだった。
るりは、込み上げる涙を必死に堪える。
──私は、救われた。
お母さんに。ヒスイに。神様に。
そのことに感謝して、前を向いていかなくちゃ。
るりはぐ、と唇を噛み締め、一歩を踏み出した。
まず向かった先は、ヒスイの家。
地面に飛び散った黒い跡から目を逸らしながら、るりはあるものを探す。
「多分ここに……、あ、あった!」
ヒスイ用の小さな机の下。
そこに転がっていた、真っ赤なガーネットを、るりは拾い上げる。
るりが、この村で最後に加工した宝石。
贔屓目無しに、間違いなく、至高の一品だ。
「ヒスイ。それから、ヒスイを想ったあの子の分も、神様にお届けするね」
──あなたのおかげで、私たちは幸せだったと。これまでの感謝を神様に伝えるんだ。
るりは、ぎゅっと胸元でガーネットを握りしめた。
次に、自分の家へと向かう。
他の家屋と差はなく、家具も調度品も思い出も、何もかもが焼けてしまった実家を目にするのは辛かった。
それでも、とるりは自室だった場所へと入り、掃除をする。
出来るだけ、綺麗に。
でもなるべく、思い出は壊さないように。
そうして、一息ついた所で、窓の方へと視線を向ける。
夕焼け空を背景に、立派な山がそびえていた。
るりはしばらくその景色を見つめ、そして、神殿へと戻ることにした。
「あまり遅くなっては、ご迷惑をかけちゃう」
るりの足は、自然と早くなる。
ぱたぱたと、かつての実家の中を駆け抜け、玄関の扉を開けた。
ドン!
何かと、ぶつかった。
「ご、ごめんなさい……!」
るりは即座に謝罪する。
が、直後、背筋を冷たいものが通り抜けていった。
誰も、居るわけがない。
るりは、ゆっくりと顔を上げる。
目の前には、村を襲った時と同じ格好をした、男が立っていた。
「────あ、」
るりの脳裏には、一瞬であの日の地獄が、蘇った。



