トイレキラー

 幼い私には変な趣味があった。それは、行く先々でトイレに入ること。新しいところに行って、新しいトイレで用を足し、控えめにガスを放つ。それだけ。
 遊びに行く親戚や友達のお家、学校、買い物に行くスーパーコンビニ、本屋まで。行くところにトイレがあれば必ず用を足していた。

 もちろん、この、修学旅行でも。

 飛行機で東京に行く、という行程で、まずは空港のトイレデビューをした。「空港」というだけあって、個室が広く、外国語の案内もある素敵なトイレだった。ますます飛行機のトイレへの期待が高まる。

 ーー飛行機離陸と着陸の際は、シートベルトを絞めるように。トイレは離陸後、シートベルトを外せるようになってから。

 事前の机上旅行ではそのように説明があった。

 飛行機トイレデビューは、離陸後、しばらく経ってから。

 頭の中で何度も何度もシミュレーションした。隣の男子に「ごめんね〜」と言いながら膝の上を通してもらい、通路を通る時は背もたれをつかみながら。間違って人の頭を握らないように。そして、トイレの前でノックをする。

 「あなた、トイレ?」

 「はい…。」

 止めたのは、トイレの目の前に座っていた旅行会社の女性だ。添乗員というやつ。お母さんよりは若そうだけど、20代の先生よりはおばさんに見える。

 「あなた、さっきも入ってたわよね?」

 「え、あ、はい。」

 添乗員は空港でも私がトイレに入るのを見ていたらしい。私は「空港のトイレ」の美しさに感動して、最寄のトイレと「混んでいたら、ここも使っていい」と言われたトイレ、どちらも利用していた。

 「もう3回目じゃない? 少し多くないかしら。」

 「いやー、ちょっと…。」

 そう問答しているうちに、隣のクラスの日下(くさか)先生がトイレに入った。加齢臭というやつなのか、独特のオヤジ臭さがあり、みんなから「クサクサ」と影で呼ばれている先生だ。

 ーーマジか…。

 いくらトイレマニアの私とはいえ、「クサクサ」の後のトイレは使いたくない。その辺、トイレマニアとしてのこだわりははっきりと持っている。

 「すみません、もう、大丈夫ですぅ。」

 私は添乗員にペコリとして、踵を返した。
 帰りは陸路だったので、私の飛行機トイレデビューは失敗に終わった。

 *

 10年の時を経て、私の飛行機トイレデビューはやってきた。添乗員にへし折られてから、意地もありなかなか飛行機に乗れていなかったが、卒業旅行が海外になり、必然的に長時間のフライト必須となったのだった。

 ぼん。

 「ベルト着用サインが消えました。化粧室、リクライニングはご使用になれます。安全のため着席の際は引き続きシートベルトをご着用ください。」

 ーーよし!

 10年前のシミュレーション通り、トイレへの道を急いだ。空港トイレの感動を超えるトイレには出会っていない。あるとすれば、飛行機トイレに違いない。
 高鳴る胸に手を当てて、トイレの戸を開けた。

 ・・・。

 一言で言うと、しょぼい。

 なんだこのしょぼさは!

 今どきほとんど見かけない、バストイレ一体型バスルームのトイレ部分。すべてが薄くて小さくて、銀色。白が王道のトイレでは御法度だ。

 コンコンコン。

 愕然としていると、ノックがあった。そう、飛行機トイレは数も少ない。用を足してすぐ、出なければいけない。

 ぶーっ。

 ああ、いつもは控えめなのに、今日はやけに大きなおならを放ってしまった。トイレなんだから、いいじゃないか。

 「ねぇ、オナラしたー。」

 「バカ! いろんな人がいるんだから、静かにしなさい!」

 幼稚園くらいの少年が母親に叱られる声が聞こえた。

 ーーえ? 聞こえたの?

 個室から出ると、入れ違いにムッとしたサラリーマンが入った。さっきの少年は2つ目の席に座っていた。

 この席は、あの時、大地(だいち)くんが座っていたところ…。

 密かに想いを寄せていたけれど、結局何も起きず、今も淡い初恋の記憶として残り続けている。

 もしもあの時、クサクサが来なかったら、添乗員に止められなかったら、私はこのしょぼいトイレで用を足して、大好きな人に一番聞かせたくない音を放つところだった。
 それを止めてくれた添乗員、ついでにクサクサも。あの人は私の恩人だ。

 卒業旅行から帰ると、小学校のグループラインが動いていた。

 「ねぇ! 大学行った人もそろそろ就職? そろそろ集まらない?」

 「いいね! 俺もみんなに会いてー!」

 大地くんだ。
 私は添乗員が居たから大地くんに会えるかもしれない。