閻魔庁の広間を支配していたのは、重力にも似た沈黙だった。
朱塗りの柱が林立し、その間をぬって、うず高く積まれた巻物の山が壁のようにそびえている。
そして一段高い玉座に座る、絶世の美青年。
その青年――閻魔大王が放つ冷気は、物理的に六人の肌を刺していた。
彼岸花の甘い香りとは裏腹に、そこには死を司る者特有の、絶対零度の威圧感があった。
伊集院エリザが、扇子で口元を隠しながら漏らす。
「なんて……『お美しい』殿方……」
恐怖よりも先に、美への感嘆が漏れるほど、その姿は浮世離れしていた。
閻魔は手元の筆を置き、ゆっくりと六人を見下ろした。
「貴様らを呼んだ理由はひとつ。……私の仕事を減らすためだ」
「仕事を……減らす?」
財前征一郎が、喉を詰まらせながら問い返す。
閻魔は、まるで物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、不機嫌そうに語り始めた。
「人間どもが愚かなせいで、地獄は定員超過(オーバー)だ。特に明治になってからの死人の増え方は異常だ」
「そこで、貴様ら『閻魔王宮現世救済官』の出番だ」
聞き慣れない言葉に、白川紗代子が恐る恐る口を開く。
「ちょっと待ってください。そもそも……閻魔王宮現世救済官って何?もう少し説明を」
「そうです。前提条件が不明確です」
烏丸玄五郎も同調する。
閻魔は「やれやれ」と首を振り、あからさまに面倒そうな顔をした。
「歴史を知らぬというのは罪だな」
閻魔の紅い瞳が、遠い過去を懐かしむように細められる。
「始まりは約千年前――平安の世。初代閻魔王宮現世救済官・小野篁(おののたかむら)との契約だ」
「千年も前から……? あの迷信どおりね」
白川が息を呑む。
閻魔は笏(しゃく)を持ち直し、語気を強めた。
「いいか? 私は長い時を見てきた。……時の権力者だけに任せていても、世の中は決して良くならん」
財前の眉がピクリと動く。
「奴らは己の欲や体面のために争い、民を飢えさせ、私の仕事を増やすばかりだ。……今の明治政府とやらも同じだろう?」
「……確かに、貧富の差は拡大する一方です」
烏丸が苦渋の表情で認める。
閻魔は玉座から身を乗り出し、笏をビシッと生徒たちに向けた。
「だが、冥界の主である私が、ノコノコと現世(そっち)へ出向くわけにもいかん。そこで、小野篁が必要になったってわけだ」
「奴は、私の部下が現世で勝手に選んで、強引に連れてきた。……しかし、奴は承諾してくれた」
「奴は生きたままこの井戸を行き来し、私の『手足』となって現世の乱れを鎮めた。それが初代・閻魔王宮現世救済官だ」
「それ以来、私は有能な人間を選び、現世の掃除を『委託』してきた」
そこで、横に控えていた六角紫門が、一升瓶を傾けながら口を挟んだ。
「特に今の京都は酷い。……死人が増えるのも無理はねえよ」
「うむ。……明治維新とやらでこの国の形は変わった。だがその代償として……京の都は『死に体』となった」
閻魔がパチンと指を弾くと、虚空に巨大な京都の地図が幻影となって浮かび上がった。
美しい碁盤の目をした地図。 だが、それは所々がドス黒い瘴気(しょうき)に覆われ、腐り落ちていた。
「帝(みかど)が東京へ移り、この地は首都としての機能を失った。それだけではない。
帝を追って、公家や役人、御用商人までもがこぞって東京へ流出した」
「金持ちがいなくなれば、当然、そいつらを相手に商売してた連中も食いっぱぐれる。
職を求めて、多くの人間がこの街を捨てた。……武士たちもな。幕府がなくなって、故郷へ帰っちまったよ」
紫門の補足に続き、閻魔が冷徹な事実を突きつける。
「結果、どうなったか。わずか数年で、京の人口は約三分の一も減少した。三十四万いた人間が、今や二十三万だ」
「……!」
烏丸が絶句する。
「三分の一」
数字として突きつけられると、その減少幅は絶望的だ。
街の機能不全を意味する。
「人が減れば、街は荒れる。先の戦火や大火で焼けた野原も、そのまま放置されている。
さらに『廃仏毀釈』などという愚行で、歴史ある寺院まで破壊された」
閻魔の視線が、冷ややかな光を帯びて六人を見下ろした。
「今の京都は抜け殻だ。……誇りも金も人も失った廃墟だ。
このままでは、遠からずこの街は消滅するだろう。……物理的にな」
重苦しい沈黙が広間を包む。
蓮人は拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込む。
「廃墟」その言葉が、没落した自分の家と重なる。
主を失い、雨漏りする屋根の下で震える自分たちの姿そのものだ。
「……だから、復興させろってことか」
蓮人が呻くように言った。閻魔が鷹揚に頷く。
「そうだ。私の代わりに現世を少しでも良くして、生きやすい世を作る。そうしてここへ来る『客(死者)』を減らす」
その時、隣にいた琴乃がおずおずと手を挙げた。
「あの……質問です」
「なんだ」
「小野篁様は、普通の人間ですよね。そんな大きな事ができたのですか?」
閻魔は、真っ直ぐな瞳の少女を見て、少しだけ表情を緩めた。
「冥界全土を挙げて、閻魔王宮現世救済官が活躍できるよう支えてきたからな。世の中を良くして死者を減らす。……これが仕事だ」
「さあ、名誉に思え。貴様らは、その四十代目の候補者リストに載ったのだ」
エリザが扇子を閉じて尋ねる。
「その閻魔王宮現世救済官の仕事は、具体的に何をするのですか?」
「現世で人々の苦しみを取り除き、寿命を延ばし、正しい天寿を全うさせる。……それが貴様らの任務だ」
閻魔は立ち上がり、六人を見渡して声を張り上げた。
「率直に言う!生きやすい世をつくれ!」
あまりの直球に、一同は呆気に取られた。
「定義が広すぎます。あまりにも漠然としている」
財前が抗議する。
「そんなこと私たち学生にできるの?」
白川も不安げだ。紫門がニヤリと笑った。
「我々は、できそうな奴だけを、ここに連れてきている」
「その閻魔王宮現世救済官になるためには?」
蓮人が問うと、紫門が答えた。
「言っただろう。登用試験がある」
「課題を与える。――衰退した京都を復興させよ」
閻魔が宣言する。
「期間は一年。最も成果を上げた者一名だけを、次期、閻魔王宮現世救済官に任命する」
一年。たったそれだけで、死にかけた街を救えと言うのか。
無茶だ。だが、蓮人の喉はカラカラに乾き、心臓は早鐘を打っていた。
聞かなければならない。一番重要なことを。
「……報酬は」
蓮人の声が震えた。
閻魔が口元を歪め、ニヤリと笑う。
それは人の欲望を試す悪魔の笑みだった。
「……良い質問だ」
「閻魔王宮現世救済官に選ばれた一族には、私が『特別な加護』を与える。
それは金ではない。地位でもない。だが……正しく使えば未来永劫、その一族が滅びることはない」
「……!」
(永遠の繁栄……だと?)
その言葉を聞いた瞬間、蓮人の脳裏に電流が走った。
没落した実家。借金取りに頭を下げる母。
そして日陰で生きるしかない琴乃。
これがあれば全てが変わる。天宮家は復活し、借金は消え、琴乃を一生守り抜くことができる。
財前もまた、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
閻魔は続ける。
「ここでは詳細は伏せる。だが絶対に損はさせん」
「衰退した京都を復興させよって、話が大きすぎて見えてきません」
烏丸が困惑して訴える。
「それぞれが何をするか?考えろ。そこも含めての登用試験だ」
紫門が手を叩いた。
「は~い!これで質問終わり。お利口な名門校の学生なんだ。てめえで考えろ」
閻魔が冷徹な瞳で締めくくる。
「私が求めているのは『変革』だ。これ以上、私の閻魔帳を『無駄死に』した愚か者の名前で汚させないプランを持ってこい」
「やるか、やらぬか。一週間以内に決めて、紫門に申し出ろ」
「早く決断して、早く始めたほうが有利だぞ~~~」
またまた紫門が補足する。
一瞬の静寂。
誰よりも早く、蓮人が一歩前に出た。
「……なるほど、面白いですね。要するに、破産寸前の『京都』という看板を、俺のハッタリで再生してみせろって商談てことですね?」
蓮人は震える膝を気力で抑え、ニヤリと笑った。
「大王様。あなたは最高に質の悪い投資家だが、俺は最高に腕のいい仕掛人です。
この死に体の街を、世界中が嫉妬する極上の都市に塗り替えてみせます。……一年後の報告を楽しみにしていてください」
「そんなわけで、俺が……俺たちがやります!」
「……俺……『たち』?」
財前が冷ややかに眉をひそめる。
蓮人は、隣にいる琴乃の手を咄嗟に掴んだ。
華奢な指先が、冷たく震えている。
このままでは、彼女は「役立たず」として切り捨てられるかもしれない。
それだけは絶対に避けたかった。
天宮家と九条家、どちらも再興させたい。
「俺は、こいつ……九条琴乃と二人で組んで、コンビで試験に挑みます!」
「えっ……!?」
驚く琴乃。
しかし閻魔は冷ややかに首を横に振った。
「……却下だ」
「なっ……!?」
「閻魔王宮現世救済官登用試験は、あくまで『個人の資質』を問う試験だ。
徒党を組むことは認めん。一人で成果を出せぬ者に、閻魔王宮現世救済官の資格はない」
絶対的な拒絶。 財前が鼻で笑った。
「当然だ。……没落同士で傷の舐め合いなど、見苦しいにも程がある」
「そうね。一人じゃ何もできないと認めているようなものですわ」
エリザも扇子で口元を隠して嘲笑する。
蓮人は唇を噛み締めた。
ここで引いてはいけない。一人での参加となれば、何の力もない琴乃は間違いなく脱落する。
九条家も再興させるためには、何としても「二人でひとつ」であることを認めさせなければならない。
(……くそっ。こうなったら)
(ハッタリをかましてやる!)
蓮人は腹を括った。
震える膝に力を込め、琴乃の手を痛いほど強く握りしめる。
だがその手が震えているのは、琴乃だけではなかった。蓮人自身の手もまた、恐怖で微かに震えていた。
これを言ってしまえば、もう後戻りはできない。
十年続いた「幼馴染」という心地よい関係は、二度と戻らない。
もし失敗すれば、俺は琴乃を一生縛り付ける鎖になる。 ――それでも。
「はん。分かってねえな、大王様も、お前らも」
「なんだと?」
「こいつはただの幼馴染じゃねえ。……俺の婚約者(フィアンセ)だ」
「えっ……!?」
琴乃が目を見開き、顔を真っ赤にして蓮人を見る。
(蓮人くん、突然、何を言い出すの?)
エリザと財前も、虚を突かれたような顔をした。
「没落した両家の再興を賭けて、夫婦(めおと)になる二人だ。一蓮托生、二人で一人なんだよ」
蓮人の声が、広間に朗々と響く。
それは自分自身さえも騙すための、必死の演技だ。
だがその言葉は、琴乃の未来を人生を、天宮家に巻き込むという「罪」の告白でもあった。
「たとえ試験でも、夫婦を引き裂くなんて野暮な真似……地獄の王ともあろうお方が、なさるんですか?」
蓮人は閻魔を睨みつけた。 心臓が破裂しそうだ。
もし逆鱗に触れれば、この場で殺されるかもしれない。
隣の琴乃の手が、汗ばんでいるのが分かる。
彼女もまた、この「嘘」の意味を瞬時に悟ったのだ。
琴乃は否定しなかった。
ただ蓮人の手をギュッと握り返し、無言で彼に寄り添った。
その体温が「私は共犯者になる」と告げていた。
彼女もまた、この一瞬で「ただの幼馴染」であることを捨てたのだ。
閻魔はじっと、繋がれた二人の手を見下ろし……そして、興味深そうに口元を歪めた。
「……ほう。夫婦か」
その深紅の瞳が、一瞬、琴乃を見て細められる。何か値踏みをするように。
あるいは、彼女の中に眠る「何か」に気づいたように。
「……よかろう。特例を認めてやる」
「!」
「愛だの恋だので、凡人がどこまで足掻けるか……興味がある。貴様のそのハッタリを信じたわけではないがな」
蓮人は膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
通った。 ハッタリが神(閻魔)に通じたのだ。
するとその空気を切り裂くように、財前が一歩前に出た。
「フン。……僕も参加する」
眼鏡の奥の瞳が、冷たく光っている。
「公爵家の責務(ノブレス・オブリージュ)としてな。この街を最も効率的に、最も合理的に再生させてみせよう」
「私もよ」
エリザも扇子をバチリと閉じた。
「こんな血筋だけの貧乏人(天宮)に京都を任せられないわ。
日本の泥臭さを一掃し、私の美意識でこの街を文明化してみせますわ」
「俺もだ! 古き良き京を取り戻す!」
「まだよくわかってないけど、私もやるわ!」
烏丸と白川も続いて声を上げた。
全員が参加を表明したのだ。賽は投げられた。
「ただし、天宮。……勘違いするなよ」
財前が、冷たい瞳で蓮人と琴乃を見下ろす。
「君は僕と同じ土俵にすら立てていない。ただの『賑やかし』だ」
「そうね。せいぜい、私たちの引き立て役になりなさい」
エリザが嘲笑する。
「君らごときの没落士族に何ができる?」
「実質は四名だけの勝負ね」
エリートたちの容赦ない言葉。彼らの背後には、圧倒的な財力と権力がある。
蓮人は唇を噛み締め、何も言い返さない。
言い返せるだけの「武器」が、今の自分には何もないからだ。
あるのは、口から出まかせの「婚約」という設定だけ。
だがその時。
琴乃の手が、蓮人の手をさらに強く握りしめた。
蓮人はハッとして隣を見る。
琴乃は俯いていたが、その横顔には強い怒りと決意が滲んでいた。
(負けない。……絶対に、見返してやる)
(この人たちに、蓮人くんを馬鹿にしたままにさせておかない)
声には出さずとも、その思いは蓮人に痛いほど伝わってきた。
紫門がパンと手を叩いた。
「おー決まりだな。全員参加だぜ!」
紫門はニヤリと笑い、煙管を吹かした。紫煙が彼岸花の上を流れていく。
「とっとと始めようか!地獄への入学試験の開幕だ」
こうして、六人の若者たちによる、京都の命運を賭けた「復興合戦」が始まった。
そして同時に、蓮人と琴乃の運命を縛る「嘘つき婚約」もまた、地獄の底で静かに幕を開けたのだった。
朱塗りの柱が林立し、その間をぬって、うず高く積まれた巻物の山が壁のようにそびえている。
そして一段高い玉座に座る、絶世の美青年。
その青年――閻魔大王が放つ冷気は、物理的に六人の肌を刺していた。
彼岸花の甘い香りとは裏腹に、そこには死を司る者特有の、絶対零度の威圧感があった。
伊集院エリザが、扇子で口元を隠しながら漏らす。
「なんて……『お美しい』殿方……」
恐怖よりも先に、美への感嘆が漏れるほど、その姿は浮世離れしていた。
閻魔は手元の筆を置き、ゆっくりと六人を見下ろした。
「貴様らを呼んだ理由はひとつ。……私の仕事を減らすためだ」
「仕事を……減らす?」
財前征一郎が、喉を詰まらせながら問い返す。
閻魔は、まるで物分かりの悪い子供に言い聞かせるように、不機嫌そうに語り始めた。
「人間どもが愚かなせいで、地獄は定員超過(オーバー)だ。特に明治になってからの死人の増え方は異常だ」
「そこで、貴様ら『閻魔王宮現世救済官』の出番だ」
聞き慣れない言葉に、白川紗代子が恐る恐る口を開く。
「ちょっと待ってください。そもそも……閻魔王宮現世救済官って何?もう少し説明を」
「そうです。前提条件が不明確です」
烏丸玄五郎も同調する。
閻魔は「やれやれ」と首を振り、あからさまに面倒そうな顔をした。
「歴史を知らぬというのは罪だな」
閻魔の紅い瞳が、遠い過去を懐かしむように細められる。
「始まりは約千年前――平安の世。初代閻魔王宮現世救済官・小野篁(おののたかむら)との契約だ」
「千年も前から……? あの迷信どおりね」
白川が息を呑む。
閻魔は笏(しゃく)を持ち直し、語気を強めた。
「いいか? 私は長い時を見てきた。……時の権力者だけに任せていても、世の中は決して良くならん」
財前の眉がピクリと動く。
「奴らは己の欲や体面のために争い、民を飢えさせ、私の仕事を増やすばかりだ。……今の明治政府とやらも同じだろう?」
「……確かに、貧富の差は拡大する一方です」
烏丸が苦渋の表情で認める。
閻魔は玉座から身を乗り出し、笏をビシッと生徒たちに向けた。
「だが、冥界の主である私が、ノコノコと現世(そっち)へ出向くわけにもいかん。そこで、小野篁が必要になったってわけだ」
「奴は、私の部下が現世で勝手に選んで、強引に連れてきた。……しかし、奴は承諾してくれた」
「奴は生きたままこの井戸を行き来し、私の『手足』となって現世の乱れを鎮めた。それが初代・閻魔王宮現世救済官だ」
「それ以来、私は有能な人間を選び、現世の掃除を『委託』してきた」
そこで、横に控えていた六角紫門が、一升瓶を傾けながら口を挟んだ。
「特に今の京都は酷い。……死人が増えるのも無理はねえよ」
「うむ。……明治維新とやらでこの国の形は変わった。だがその代償として……京の都は『死に体』となった」
閻魔がパチンと指を弾くと、虚空に巨大な京都の地図が幻影となって浮かび上がった。
美しい碁盤の目をした地図。 だが、それは所々がドス黒い瘴気(しょうき)に覆われ、腐り落ちていた。
「帝(みかど)が東京へ移り、この地は首都としての機能を失った。それだけではない。
帝を追って、公家や役人、御用商人までもがこぞって東京へ流出した」
「金持ちがいなくなれば、当然、そいつらを相手に商売してた連中も食いっぱぐれる。
職を求めて、多くの人間がこの街を捨てた。……武士たちもな。幕府がなくなって、故郷へ帰っちまったよ」
紫門の補足に続き、閻魔が冷徹な事実を突きつける。
「結果、どうなったか。わずか数年で、京の人口は約三分の一も減少した。三十四万いた人間が、今や二十三万だ」
「……!」
烏丸が絶句する。
「三分の一」
数字として突きつけられると、その減少幅は絶望的だ。
街の機能不全を意味する。
「人が減れば、街は荒れる。先の戦火や大火で焼けた野原も、そのまま放置されている。
さらに『廃仏毀釈』などという愚行で、歴史ある寺院まで破壊された」
閻魔の視線が、冷ややかな光を帯びて六人を見下ろした。
「今の京都は抜け殻だ。……誇りも金も人も失った廃墟だ。
このままでは、遠からずこの街は消滅するだろう。……物理的にな」
重苦しい沈黙が広間を包む。
蓮人は拳を強く握りしめた。爪が掌に食い込む。
「廃墟」その言葉が、没落した自分の家と重なる。
主を失い、雨漏りする屋根の下で震える自分たちの姿そのものだ。
「……だから、復興させろってことか」
蓮人が呻くように言った。閻魔が鷹揚に頷く。
「そうだ。私の代わりに現世を少しでも良くして、生きやすい世を作る。そうしてここへ来る『客(死者)』を減らす」
その時、隣にいた琴乃がおずおずと手を挙げた。
「あの……質問です」
「なんだ」
「小野篁様は、普通の人間ですよね。そんな大きな事ができたのですか?」
閻魔は、真っ直ぐな瞳の少女を見て、少しだけ表情を緩めた。
「冥界全土を挙げて、閻魔王宮現世救済官が活躍できるよう支えてきたからな。世の中を良くして死者を減らす。……これが仕事だ」
「さあ、名誉に思え。貴様らは、その四十代目の候補者リストに載ったのだ」
エリザが扇子を閉じて尋ねる。
「その閻魔王宮現世救済官の仕事は、具体的に何をするのですか?」
「現世で人々の苦しみを取り除き、寿命を延ばし、正しい天寿を全うさせる。……それが貴様らの任務だ」
閻魔は立ち上がり、六人を見渡して声を張り上げた。
「率直に言う!生きやすい世をつくれ!」
あまりの直球に、一同は呆気に取られた。
「定義が広すぎます。あまりにも漠然としている」
財前が抗議する。
「そんなこと私たち学生にできるの?」
白川も不安げだ。紫門がニヤリと笑った。
「我々は、できそうな奴だけを、ここに連れてきている」
「その閻魔王宮現世救済官になるためには?」
蓮人が問うと、紫門が答えた。
「言っただろう。登用試験がある」
「課題を与える。――衰退した京都を復興させよ」
閻魔が宣言する。
「期間は一年。最も成果を上げた者一名だけを、次期、閻魔王宮現世救済官に任命する」
一年。たったそれだけで、死にかけた街を救えと言うのか。
無茶だ。だが、蓮人の喉はカラカラに乾き、心臓は早鐘を打っていた。
聞かなければならない。一番重要なことを。
「……報酬は」
蓮人の声が震えた。
閻魔が口元を歪め、ニヤリと笑う。
それは人の欲望を試す悪魔の笑みだった。
「……良い質問だ」
「閻魔王宮現世救済官に選ばれた一族には、私が『特別な加護』を与える。
それは金ではない。地位でもない。だが……正しく使えば未来永劫、その一族が滅びることはない」
「……!」
(永遠の繁栄……だと?)
その言葉を聞いた瞬間、蓮人の脳裏に電流が走った。
没落した実家。借金取りに頭を下げる母。
そして日陰で生きるしかない琴乃。
これがあれば全てが変わる。天宮家は復活し、借金は消え、琴乃を一生守り抜くことができる。
財前もまた、眼鏡の奥の瞳を鋭く光らせた。
閻魔は続ける。
「ここでは詳細は伏せる。だが絶対に損はさせん」
「衰退した京都を復興させよって、話が大きすぎて見えてきません」
烏丸が困惑して訴える。
「それぞれが何をするか?考えろ。そこも含めての登用試験だ」
紫門が手を叩いた。
「は~い!これで質問終わり。お利口な名門校の学生なんだ。てめえで考えろ」
閻魔が冷徹な瞳で締めくくる。
「私が求めているのは『変革』だ。これ以上、私の閻魔帳を『無駄死に』した愚か者の名前で汚させないプランを持ってこい」
「やるか、やらぬか。一週間以内に決めて、紫門に申し出ろ」
「早く決断して、早く始めたほうが有利だぞ~~~」
またまた紫門が補足する。
一瞬の静寂。
誰よりも早く、蓮人が一歩前に出た。
「……なるほど、面白いですね。要するに、破産寸前の『京都』という看板を、俺のハッタリで再生してみせろって商談てことですね?」
蓮人は震える膝を気力で抑え、ニヤリと笑った。
「大王様。あなたは最高に質の悪い投資家だが、俺は最高に腕のいい仕掛人です。
この死に体の街を、世界中が嫉妬する極上の都市に塗り替えてみせます。……一年後の報告を楽しみにしていてください」
「そんなわけで、俺が……俺たちがやります!」
「……俺……『たち』?」
財前が冷ややかに眉をひそめる。
蓮人は、隣にいる琴乃の手を咄嗟に掴んだ。
華奢な指先が、冷たく震えている。
このままでは、彼女は「役立たず」として切り捨てられるかもしれない。
それだけは絶対に避けたかった。
天宮家と九条家、どちらも再興させたい。
「俺は、こいつ……九条琴乃と二人で組んで、コンビで試験に挑みます!」
「えっ……!?」
驚く琴乃。
しかし閻魔は冷ややかに首を横に振った。
「……却下だ」
「なっ……!?」
「閻魔王宮現世救済官登用試験は、あくまで『個人の資質』を問う試験だ。
徒党を組むことは認めん。一人で成果を出せぬ者に、閻魔王宮現世救済官の資格はない」
絶対的な拒絶。 財前が鼻で笑った。
「当然だ。……没落同士で傷の舐め合いなど、見苦しいにも程がある」
「そうね。一人じゃ何もできないと認めているようなものですわ」
エリザも扇子で口元を隠して嘲笑する。
蓮人は唇を噛み締めた。
ここで引いてはいけない。一人での参加となれば、何の力もない琴乃は間違いなく脱落する。
九条家も再興させるためには、何としても「二人でひとつ」であることを認めさせなければならない。
(……くそっ。こうなったら)
(ハッタリをかましてやる!)
蓮人は腹を括った。
震える膝に力を込め、琴乃の手を痛いほど強く握りしめる。
だがその手が震えているのは、琴乃だけではなかった。蓮人自身の手もまた、恐怖で微かに震えていた。
これを言ってしまえば、もう後戻りはできない。
十年続いた「幼馴染」という心地よい関係は、二度と戻らない。
もし失敗すれば、俺は琴乃を一生縛り付ける鎖になる。 ――それでも。
「はん。分かってねえな、大王様も、お前らも」
「なんだと?」
「こいつはただの幼馴染じゃねえ。……俺の婚約者(フィアンセ)だ」
「えっ……!?」
琴乃が目を見開き、顔を真っ赤にして蓮人を見る。
(蓮人くん、突然、何を言い出すの?)
エリザと財前も、虚を突かれたような顔をした。
「没落した両家の再興を賭けて、夫婦(めおと)になる二人だ。一蓮托生、二人で一人なんだよ」
蓮人の声が、広間に朗々と響く。
それは自分自身さえも騙すための、必死の演技だ。
だがその言葉は、琴乃の未来を人生を、天宮家に巻き込むという「罪」の告白でもあった。
「たとえ試験でも、夫婦を引き裂くなんて野暮な真似……地獄の王ともあろうお方が、なさるんですか?」
蓮人は閻魔を睨みつけた。 心臓が破裂しそうだ。
もし逆鱗に触れれば、この場で殺されるかもしれない。
隣の琴乃の手が、汗ばんでいるのが分かる。
彼女もまた、この「嘘」の意味を瞬時に悟ったのだ。
琴乃は否定しなかった。
ただ蓮人の手をギュッと握り返し、無言で彼に寄り添った。
その体温が「私は共犯者になる」と告げていた。
彼女もまた、この一瞬で「ただの幼馴染」であることを捨てたのだ。
閻魔はじっと、繋がれた二人の手を見下ろし……そして、興味深そうに口元を歪めた。
「……ほう。夫婦か」
その深紅の瞳が、一瞬、琴乃を見て細められる。何か値踏みをするように。
あるいは、彼女の中に眠る「何か」に気づいたように。
「……よかろう。特例を認めてやる」
「!」
「愛だの恋だので、凡人がどこまで足掻けるか……興味がある。貴様のそのハッタリを信じたわけではないがな」
蓮人は膝から崩れ落ちそうになるのを、必死で堪えた。
通った。 ハッタリが神(閻魔)に通じたのだ。
するとその空気を切り裂くように、財前が一歩前に出た。
「フン。……僕も参加する」
眼鏡の奥の瞳が、冷たく光っている。
「公爵家の責務(ノブレス・オブリージュ)としてな。この街を最も効率的に、最も合理的に再生させてみせよう」
「私もよ」
エリザも扇子をバチリと閉じた。
「こんな血筋だけの貧乏人(天宮)に京都を任せられないわ。
日本の泥臭さを一掃し、私の美意識でこの街を文明化してみせますわ」
「俺もだ! 古き良き京を取り戻す!」
「まだよくわかってないけど、私もやるわ!」
烏丸と白川も続いて声を上げた。
全員が参加を表明したのだ。賽は投げられた。
「ただし、天宮。……勘違いするなよ」
財前が、冷たい瞳で蓮人と琴乃を見下ろす。
「君は僕と同じ土俵にすら立てていない。ただの『賑やかし』だ」
「そうね。せいぜい、私たちの引き立て役になりなさい」
エリザが嘲笑する。
「君らごときの没落士族に何ができる?」
「実質は四名だけの勝負ね」
エリートたちの容赦ない言葉。彼らの背後には、圧倒的な財力と権力がある。
蓮人は唇を噛み締め、何も言い返さない。
言い返せるだけの「武器」が、今の自分には何もないからだ。
あるのは、口から出まかせの「婚約」という設定だけ。
だがその時。
琴乃の手が、蓮人の手をさらに強く握りしめた。
蓮人はハッとして隣を見る。
琴乃は俯いていたが、その横顔には強い怒りと決意が滲んでいた。
(負けない。……絶対に、見返してやる)
(この人たちに、蓮人くんを馬鹿にしたままにさせておかない)
声には出さずとも、その思いは蓮人に痛いほど伝わってきた。
紫門がパンと手を叩いた。
「おー決まりだな。全員参加だぜ!」
紫門はニヤリと笑い、煙管を吹かした。紫煙が彼岸花の上を流れていく。
「とっとと始めようか!地獄への入学試験の開幕だ」
こうして、六人の若者たちによる、京都の命運を賭けた「復興合戦」が始まった。
そして同時に、蓮人と琴乃の運命を縛る「嘘つき婚約」もまた、地獄の底で静かに幕を開けたのだった。
