明治京都桜花心中~死神令嬢は、没落若君のために一万本の桜を咲かせる~

朱塗りの広間を支配する絶対零度の威圧感の中、蓮人は鼻で笑った。
「そもそも論として聞くが……その『隔世遺伝』ってのは一体なんだ?」
「なに?」
閻魔の眉がピクリと動く。蓮人は容赦なくその隙を突いた。
「六十六年前にあんたが回収して、綺麗さっぱり消滅したはずの能力が、なぜひ孫に宿る?……それって、あんたのところの管理ミス、冥界の完全なる失態じゃねえのか?」
「……ッ!」
紫門が目を見開き、財前が眼鏡の奥で「そこを突くか」と戦慄する。
「あんたの失態だ。あんたの管理が甘くて、能力の残滓を消し切れていなかったせいで、琴乃は命を削るハメになったんだぞ。まずはその責任を認めろよ」
冥界の失態を堂々と糾弾するその傲慢さに、広間の空気がミシミシと軋む。
閻魔は笏を持つ手をピタリと止め、その深紅の瞳を剣呑に細めた。
「……たかが人間の分際で、冥界の責任を追及するか。命知らずな奴。舌を抜かれたいようだな」
だが、蓮人はただ吠えるだけの愚か者ではなかった。交渉の盤面を整えるため、すぐに言葉のトーンを落とした。
「……だがな。同時に、俺はあんたに感謝もしている」
蓮人は真っ直ぐに閻魔を見据えた。
「あの能力のせいで琴乃は死にかけてるが……あの能力があったからこそ、
俺たちは一万本の桜を咲かせ、京の街に笑顔を取り戻せる。失態とは言え、その『奇跡』の種を与えてくれたこと自体には、素直に礼を言う。
だからこそ、俺たちもこうして合格できたのも事実だからだ」
閻魔はわずかに目を丸くした後、フンと鼻を鳴らした。
「……ほう。噛みついてきたかと思えば、次は媚びを売るか。だが、どれほど言葉を飾ろうと、お前自身の無力が変わるわけではないぞ」
蓮人はそこで言葉を区切り、力強く自分の胸を叩いた。
「そして合格できた要因は、琴乃の能力が大部分ではあるが、俺自身の才覚と努力も少なからずあったはず」
それは強がりではない。地べたを這いずり回り、泥水をすすって勝ち取った男の誇りだった。
「……そこで取引だ。大王様」
蓮人は一歩前へ踏み出し、怯えを完全に捨て去った詐欺師の鋭い眼光で、真っ直ぐに玉座を射抜いた。
「もう一度言う。琴乃の命を救ってくれ」
蓮人は不敵な笑みを浮かべ、閻魔に向けて三本の指を立てた。
「要点は三つだ。一つ目、そもそも琴乃に能力が宿ったのは冥界の責任であること。その責任を取ってくれ。二つ目、俺への合格の褒美(特殊能力)は一切不要。
三つ目、琴乃の体にある呪い(能力)も、あんたにそっくりそのまま返還する」
指を一本ずつ折りたたみ、最後に拳を握りしめる。
「……なるほど。自らの正当な報酬を放棄し、我が冥界の落ち度を『不問に付してやる』というわけか」
閻魔は笏で玉座の肘掛けを軽く叩き、その理路整然とした提案にわずかな興味の光を宿した。
蓮人はその反応を見逃さず、組んだ拳を玉座へと真っ直ぐに突き出した。
「俺が本来受け取るはずだった『一族の繁栄の権利』と、あんたらの失態への免責。すでに宿っている琴乃の能力の破棄。これで盤面は対等だろ?
……その上で、改めて頼む。現世救済官としてまだ実績のない俺だが、願いを叶えてくれ。『奇跡の薬草』で琴乃の命を救ってほしい」
見事な論理武装だった。感情論ではなく、損得勘定の盤面をきっちりと整えた上での要求。
だが、地獄の王は甘くはなかった。閻魔大王は笏(しゃく)を顎に当て、面白そうに、しかし冷酷に口角を歪めた。
「ダメだ。貴様の提示した条件は、あくまでマイナスをゼロに戻したに過ぎん。
私に利益をもたらす『見返り』がなければ、この交渉は成立せんぞ。お前は私に何を差し出せる?」
圧倒的な重圧が蓮人にのしかかる。
「見返りか?……あんた、この六十六年、退屈で死にそうだったんだろ? 特殊能力を持った現世救済官なんて、もう見飽きてるはずだ」
蓮人は地獄の王を挑発するように言い放つ。
「俺からの見返りは、あんたが見たことのない史上最大の『美しいハッタリが作る未来』だ。
呪われた力を失った少女と何もないハッタリ野郎が、言葉一つで死にかけた都に命を吹き込んでみせる……
この世で一番不合理で、最高にエモい逆転劇。これ以上のエンターテインメント、他じゃ見られないぜ?」
「地獄の王の助けを借りず、特殊能力もない凡人ごときがワシに何を見せられる?」
蓮人は冷や汗を強気の笑みで誤魔化し、一歩、閻魔の絶対的な威圧感の中へと踏み込んだ。
「俺が本当に凡人だと思うか?あんたなら気づいているはずだろう」
「――クク、確かにな。凡夫の皮を被った貴様は、よほど良い『毒』に浸かっておるようだ」
閻魔は愉悦を隠そうともせず、蓮人の心臓の鼓動を指先でなぞるかのように笏を向けた。
「俺は今回の登用試験を通じて、自分に自信が持てるようになった。交渉力、発想力、実行力、そして何より人を巻き込む力だ」
閻魔は笏(しゃく)を顎に当て、面白そうに口角を歪めた。
「……欺瞞と虚飾、そして神の目さえも眩ますその『毒』。なるほど、貴様という人間そのものが、凡夫が持つには過ぎた呪いのような才能というわけか」
蓮人は恐怖で爆発しそうな心臓を不敵な笑みの仮面で力ずくで押さえ込み、魂のすべてを賭け金にして、決定的なとどめの言葉を積んだ。
「これは、あんたの数千年の歴史でも初めての演目のはず。史上初の無能力現世救済官(ノーパワー・セーバー)の活躍を、特等席で見せてやる。
……これ以上の極上の見返り、他にあるか?」
「…………」

一秒が永遠に感じられる緊張の中、蓮人の背中には冷や汗が濁流のように流れている。
誰もが息を呑み、次の一言を待ちわびていた。
財前の脳内の計算尺がショートし、エリザが扇子を握りしめて身震いする。彼らは悟った。この男には勝てない、と。
やがて――閻魔の冷徹な貌(かお)が微かに歪み、その喉から地鳴りのような高笑いが漏れた。
「ハハハハハハ! 面白い! 運命を乞うのではなく、私の落ち度を突いた上で『物語の続き』を売りに来るとはな!」
閻魔は面白そうに玉座から身を乗り出した。その紅い瞳には、審判者の冷徹さではなく、未知の余興を待つ観客の愉悦が宿っている。
「商談成立だ、天宮蓮人。……ただの凡夫が地獄の王を相手にこれほどの毒を吐き、論破してみせるとは。
よかろう、貴様らが紡ぐこれからの『大逆転劇』――冥府の玉座から、最後まで見届けてやるとしよう!」
蓮人は肺の空気を震えと共に吐き出し、崩れそうになる膝を気力で支えた。
生きた心地などなかったが、史上最大のハッタリは神に通じたのだ。

パリンッ。
乾いた音がして、蓮人の目の前に浮かんでいた水晶玉がガラス細工のように弾け飛んだ。
だが蓮人はそれを惜しいとも思わなかった。
「貴様の願い通り、その『報酬(特殊能力)』は破棄する。さらに……九条琴乃の体にある『能力(呪い)』も私が没収する」
「没収……!?」
「能力が消えれば、生命力の減退も止まる。……そして」
閻魔が懐から、一株の草を取り出した。
それは、淡い黄金色の光を放っている。
かつて隆仁が妻を救うために作り出し、そして妻に使わなかった幻の薬草だ。
「『奇跡の薬草』だ。これを九条琴乃に飲ませろ」
閻魔が薬草を放る。蓮人は震える手でそれを受け止めた。
「彼女の失われた時間を埋め合わせる。すぐに生命力が元に戻るだろう」
「……っ!」
蓮人の手の中で、薬草が温かく脈打っている。それは琴乃の命そのものだった。
「ありがとうございます……!ありがとうございます……!」
蓮人は何度も頭を下げた。涙が床を濡らす。その様子を見て、紫門が満足げに煙を吐いた。
「へっ。……とんでもねえ交渉術しやがって。詐欺師の鑑だぜ」
「天宮蓮人。おまえこそ、第四十代目閻魔王宮現世救済官にふさわしい」
その煙の向こうで、財前とエリザもまた、祈るように握りしめていた拳をそっと解く。
二人の間に言葉はなかったが、交わされた視線には、かつてないほどの深い安堵が宿っていた。