校長の花山院が静かに紅茶をすする音だけが響く中、六角紫門が煙管(キセル)をくゆらせた。
「若人たち。……ずいぶんと『らしく』なってきたじゃねえか」
紫門が紫煙を吐き出す。煙は生き物のように揺らめき、生徒たちの顔を撫でていく。
「進捗状況の確認だ。……まずはエリート組、財前、どうだ?」
「琵琶湖疏水の第一期工事は順調だ」
財前が即答する。その口調には、揺るぎない確信があった。
「来春には通水し、日本初の水力発電所の稼働も視野に入れている。
京都に新たな水とエネルギーの革命が起きるだろう」
「私の電気鉄道敷設計画も順調よ」
エリザが続く。
「すでに市内で軌道の敷設が始まっているわ。これが完成すれば、街の『動脈』として人と物の流れが劇的に改善されるはずよ」
「警察組織の改革も進んでいる!西洋式の訓練と装備を導入し、街の治安は劇的に改善した!」
烏丸が胸を張る。
「私のサロンも、完成間近ですわ!
華族や文化人の交流拠点となり、新しい文化の発信地として機能していきます!」
白川も紅潮した顔で報告する。
四人の報告は完璧だった。
数字、工期、規模。どれをとっても「復興」の名に恥じない偉業だ。
だが紫門はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふーん。……で?『数字』はそれでいいとして肝心の『人』は置き去りか?」
「人?どういう意味だ」
財前が眉をひそめる。
「お前らの作った立派な箱物や設備で、京の人間は幸せそうに笑うのかって聞いてんだよ」
「と、当然そうなるだろう。インフラが整えば生活水準は向上する」
「まあ、京に活気を取り戻せるなら、それでいい」
紫門は冷ややかな目で財前を射抜いた。
「効率、効率ってこだわりすぎるなよ。地獄の釜茹でだって、じっくり煮込むから良い出汁が出るんだぜ?」
財前たちが言葉に詰まる。論理では反論できない「情」の部分を突かれたからだ。
紫門の視線が、蓮人と琴乃に向いた。
「……そっちの『泥んこ組』はどうだ?」
二人の服には、今日も土埃が染み付いている。
だが、その目は死んでいない。
「私たちは、京都中を桜で、埋め尽くします。全国から人が集まる桜の名所にします」
琴乃が凛とした声で答えた。
「……順調です。市民の協力も得て、植樹は計画通りに進んでいます」
蓮人も力強く頷く。
「……きっと、京都中に綺麗な桜を咲かせます」
二人の言葉には、数字以上の「熱」があった。
紫門は目を細め、天井に向けて煙を吐いた。
「……『桜』か。悪くねえが、咲かなきゃただの枯れ木だぜ?」
「!」
「ま、精々、気張んな。……期待はしてねえがな」
紫門は立ち上がり、窓の外の梅雨空を見上げた。
「紫門さん、では発表してください」
花山院が促す。紫門が振り返り、宣告した。
「そうそう。登用試験の結果発表日が決定した」
「審判の日時は、来たる4月1日」
「場所は地獄、閻魔大王の玉座の間にて行う」
室内に緊張が走る。
「4月1日。……桜が満開になる頃だ」
琴乃が呟く。それは、二人の運命が決まる日。
いや、琴乃の命の期限そのものになるかもしれない。
「その日に、テメェらの運命が決まる。……せいぜい、悔いのないようにな」
紫門の言葉を合図に、財前やエリザたちはそれぞれの野心を胸に、音もなく部屋を後にした。
重厚な扉が閉まり、静寂が戻った校長室。だが、蓮人と琴乃が立ち去ろうとしたとき、紫門の低い声が呼び止めた。
「……おい、泥んこコンビ。お前らはちょっと残れ」
花山院校長が「私はお茶を替えてきましょう」と席を外し、室内には紫門と蓮人、琴乃の三人だけになった。
紫門は吸い殻をトントンと叩き落とし、不敵に笑う。
「紫門さん。……何だよ、改まって。合格祝いの先取りか?」
蓮人は軽口を叩きながらも、油断なく紫門の真意を探るように目を細めた。
「バカ言え。お前らに今の『立ち位置』を教えてやろうと思ってな」
紫門が指を弾くと、吸い殻の煙が生き物のように広がり、空中に京都の街の幻影を描き出した。
「地獄の評価基準ってのは、汗の量じゃねえ。現世に与えた『具体的な変革(インパクト)』の量だ。……見ろ」
幻影の中で、財前の区画は疏水の掘削ルートが脈打つように青く光っている。
それはすでに数百人の人足を雇い、巨額の資本が街に流れ込んでいる「経済の拍動」だった。
エリザの区画では、敷設の始まったレールが銀色に輝き、強制的な景観の変革が始まっている。
二人の計画は未完成ながら、すでに「京の都」という盤面を物理的に、そして経済的に支配し始めていた。
対して、蓮人たちが這いつくばっているエリアは、ただの「動かない茶色の点」が点在しているだけだった。
「暫定順位を教えてやる。一位は財前、二位は伊集院。……天宮、九条、お前らはぶっちぎりの最下位だ。
お前らのやっていることは、今の京都にとって『一銭の価値もない暇つぶし』になるかもな」
「……っ!」
蓮人の顔から余裕が消える。
「お前らの桜計画。発想は素晴らしい。だが咲かなければそれは『未来の資産』だ。
地獄の王が求めているのは、今この瞬間、死に体の都を叩き起こす『劇薬』なんだよ。このままだと、お前らは負けるかもな」
紫門は一升瓶を煽り、蓮人の目を真っ直ぐに見据えた。
「お前らを気に入っちゃいるが、ルールを曲げる力は俺にはねえ。……半年だ。あと半年で、あいつらのインフラ事業を過去にするほどの『圧倒的な実績』を見せろ。
できなきゃ……お前らのハッタリは、ただの寝言で終わるぜ」
部屋を出た後、廊下を歩く蓮人の背中は、かつてないほど強張っていた。
隣を歩く琴乃は、その広い背中を見つめ、手袋の下の左手を痛いほど強く握りしめた。
(……紫門さんでさえ、間に合わないと思っている)
(蓮人くんが認められているのに、それでも届かないなんて……)
琴乃の瞳に、静かで烈しい覚悟が宿る。
(……わかったわ。だったら、私が『時間』を壊してでも、蓮人くんを勝たせる)
そして7月中旬。
梅雨が明け、京都盆地特有の逃げ場のない酷暑。
京都の夏を焦がす「祇園祭」の季節がやってきた。
疫病退散を祈願するこの祭りだけは、衰退した京の都でも盛大に行われる。
宵山(よいやま)の夜。四条通は「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)と、駒形提灯の明かりに包まれていた。
「すげえ人出だな……。やっぱり祭りの力は別格だ」
人混みの中、蓮人が額の汗を拭いながら感嘆の声を上げた。
この日は作業着ではなく、久しぶりに浴衣を着ている。
琴乃もまた母の形見である藍染の浴衣に身を包み、少しはにかんだように隣を歩いていた。
「宣伝活動には絶好の機会だろ?気合入れるぞ」
「うん。……でも蓮人くん、帯が緩んでるよ」
「あ? マジか」
二人は祭りの熱気に紛れ、桜植樹の協力者を募るビラを配りに来ていた。
だが通りを埋め尽くす群衆の波は凄まじい。
ドンッ、と通行人がぶつかり、琴乃がよろめいた。
「あっ……」
琴乃の体が弾き飛ばされそうになる。
「っと、危ねえ!」
咄嗟に蓮人の手が伸び、琴乃の手首を掴んで引き寄せた。
そのまま、はぐれないように指を絡め、強く握り直す。
「しっかり捕まってろ。迷子になったら、見つけられねえぞ」
「……うん」
琴乃は蓮人の背中に隠れるように身を寄せた。
今夜は閻魔大王も、ライバルの財前たちも見ていない。
「婚約者のフリ」をする必要などないはずだ。
けれど蓮人は繋いだ手を離そうとしなかった。汗ばんだ掌の熱が、直接心臓に伝わってくる。
(……温かい)
琴乃は、提灯の明かりに照らされた蓮人の横顔を見上げた。
自信に満ちた目、意志の強い眉、少し日焼けした首筋。
そのすべてが、泣きたくなるほど愛おしい。
山鉾(やまぼこ)が通り過ぎ、お囃子の音が大きくなる。
その賑わいの中で、ふと琴乃の胸に、冷たい風のような不安が吹き抜けた。
(……来年の夏も、またこうして二人でお囃子を聞けるのかな)
自分の生命力を削って時間を進めていると思われる「命刻輪廻の掌握」
一万本の桜を咲かせる代償に、自分の時計の針はゆっくりと確実に進んでいる気がしていた。
最近、疲れが取れにくくなった。指先の感覚も鈍い。
このまま使い続ければ、来年の祇園祭の頃には、私はどうなってしまっているのだろう。
「……蓮人くん」
「ん? どうした?足痛いか?」
蓮人が気遣わしげに振り返る。
琴乃は首を振り、こみ上げる不安を笑顔の仮面で隠した。
「ううん。……ただ、綺麗だなって」
「ああ。提灯の明かり、すごいよな」
「そうじゃなくて……。蓮人くんと見る景色が、綺麗だなって」
この瞬間の温度も匂いも、魂に刻みつけるように、琴乃は繋いだ手に、ありったけの力を込めた。
「……変なやつ」
蓮人は照れくさそうに鼻をこすり、しかし握り返す手には確かな力がこもっていた。
「来年も、再来年も見に来ようぜ」
「……うん。そうだね」
琴乃は頷いた。もしも叶わなかったらどうしよう、という恐怖を押し殺して。
その約束が、今は何よりも心強く、そして何よりも切なく胸に響いた。
二人の影が祭りの喧騒の中に溶けていく。
それは嵐の前の、あまりにも儚く美しい夏の夜の夢だった。
「若人たち。……ずいぶんと『らしく』なってきたじゃねえか」
紫門が紫煙を吐き出す。煙は生き物のように揺らめき、生徒たちの顔を撫でていく。
「進捗状況の確認だ。……まずはエリート組、財前、どうだ?」
「琵琶湖疏水の第一期工事は順調だ」
財前が即答する。その口調には、揺るぎない確信があった。
「来春には通水し、日本初の水力発電所の稼働も視野に入れている。
京都に新たな水とエネルギーの革命が起きるだろう」
「私の電気鉄道敷設計画も順調よ」
エリザが続く。
「すでに市内で軌道の敷設が始まっているわ。これが完成すれば、街の『動脈』として人と物の流れが劇的に改善されるはずよ」
「警察組織の改革も進んでいる!西洋式の訓練と装備を導入し、街の治安は劇的に改善した!」
烏丸が胸を張る。
「私のサロンも、完成間近ですわ!
華族や文化人の交流拠点となり、新しい文化の発信地として機能していきます!」
白川も紅潮した顔で報告する。
四人の報告は完璧だった。
数字、工期、規模。どれをとっても「復興」の名に恥じない偉業だ。
だが紫門はつまらなそうに鼻を鳴らした。
「ふーん。……で?『数字』はそれでいいとして肝心の『人』は置き去りか?」
「人?どういう意味だ」
財前が眉をひそめる。
「お前らの作った立派な箱物や設備で、京の人間は幸せそうに笑うのかって聞いてんだよ」
「と、当然そうなるだろう。インフラが整えば生活水準は向上する」
「まあ、京に活気を取り戻せるなら、それでいい」
紫門は冷ややかな目で財前を射抜いた。
「効率、効率ってこだわりすぎるなよ。地獄の釜茹でだって、じっくり煮込むから良い出汁が出るんだぜ?」
財前たちが言葉に詰まる。論理では反論できない「情」の部分を突かれたからだ。
紫門の視線が、蓮人と琴乃に向いた。
「……そっちの『泥んこ組』はどうだ?」
二人の服には、今日も土埃が染み付いている。
だが、その目は死んでいない。
「私たちは、京都中を桜で、埋め尽くします。全国から人が集まる桜の名所にします」
琴乃が凛とした声で答えた。
「……順調です。市民の協力も得て、植樹は計画通りに進んでいます」
蓮人も力強く頷く。
「……きっと、京都中に綺麗な桜を咲かせます」
二人の言葉には、数字以上の「熱」があった。
紫門は目を細め、天井に向けて煙を吐いた。
「……『桜』か。悪くねえが、咲かなきゃただの枯れ木だぜ?」
「!」
「ま、精々、気張んな。……期待はしてねえがな」
紫門は立ち上がり、窓の外の梅雨空を見上げた。
「紫門さん、では発表してください」
花山院が促す。紫門が振り返り、宣告した。
「そうそう。登用試験の結果発表日が決定した」
「審判の日時は、来たる4月1日」
「場所は地獄、閻魔大王の玉座の間にて行う」
室内に緊張が走る。
「4月1日。……桜が満開になる頃だ」
琴乃が呟く。それは、二人の運命が決まる日。
いや、琴乃の命の期限そのものになるかもしれない。
「その日に、テメェらの運命が決まる。……せいぜい、悔いのないようにな」
紫門の言葉を合図に、財前やエリザたちはそれぞれの野心を胸に、音もなく部屋を後にした。
重厚な扉が閉まり、静寂が戻った校長室。だが、蓮人と琴乃が立ち去ろうとしたとき、紫門の低い声が呼び止めた。
「……おい、泥んこコンビ。お前らはちょっと残れ」
花山院校長が「私はお茶を替えてきましょう」と席を外し、室内には紫門と蓮人、琴乃の三人だけになった。
紫門は吸い殻をトントンと叩き落とし、不敵に笑う。
「紫門さん。……何だよ、改まって。合格祝いの先取りか?」
蓮人は軽口を叩きながらも、油断なく紫門の真意を探るように目を細めた。
「バカ言え。お前らに今の『立ち位置』を教えてやろうと思ってな」
紫門が指を弾くと、吸い殻の煙が生き物のように広がり、空中に京都の街の幻影を描き出した。
「地獄の評価基準ってのは、汗の量じゃねえ。現世に与えた『具体的な変革(インパクト)』の量だ。……見ろ」
幻影の中で、財前の区画は疏水の掘削ルートが脈打つように青く光っている。
それはすでに数百人の人足を雇い、巨額の資本が街に流れ込んでいる「経済の拍動」だった。
エリザの区画では、敷設の始まったレールが銀色に輝き、強制的な景観の変革が始まっている。
二人の計画は未完成ながら、すでに「京の都」という盤面を物理的に、そして経済的に支配し始めていた。
対して、蓮人たちが這いつくばっているエリアは、ただの「動かない茶色の点」が点在しているだけだった。
「暫定順位を教えてやる。一位は財前、二位は伊集院。……天宮、九条、お前らはぶっちぎりの最下位だ。
お前らのやっていることは、今の京都にとって『一銭の価値もない暇つぶし』になるかもな」
「……っ!」
蓮人の顔から余裕が消える。
「お前らの桜計画。発想は素晴らしい。だが咲かなければそれは『未来の資産』だ。
地獄の王が求めているのは、今この瞬間、死に体の都を叩き起こす『劇薬』なんだよ。このままだと、お前らは負けるかもな」
紫門は一升瓶を煽り、蓮人の目を真っ直ぐに見据えた。
「お前らを気に入っちゃいるが、ルールを曲げる力は俺にはねえ。……半年だ。あと半年で、あいつらのインフラ事業を過去にするほどの『圧倒的な実績』を見せろ。
できなきゃ……お前らのハッタリは、ただの寝言で終わるぜ」
部屋を出た後、廊下を歩く蓮人の背中は、かつてないほど強張っていた。
隣を歩く琴乃は、その広い背中を見つめ、手袋の下の左手を痛いほど強く握りしめた。
(……紫門さんでさえ、間に合わないと思っている)
(蓮人くんが認められているのに、それでも届かないなんて……)
琴乃の瞳に、静かで烈しい覚悟が宿る。
(……わかったわ。だったら、私が『時間』を壊してでも、蓮人くんを勝たせる)
そして7月中旬。
梅雨が明け、京都盆地特有の逃げ場のない酷暑。
京都の夏を焦がす「祇園祭」の季節がやってきた。
疫病退散を祈願するこの祭りだけは、衰退した京の都でも盛大に行われる。
宵山(よいやま)の夜。四条通は「コンチキチン」の祇園囃子(ばやし)と、駒形提灯の明かりに包まれていた。
「すげえ人出だな……。やっぱり祭りの力は別格だ」
人混みの中、蓮人が額の汗を拭いながら感嘆の声を上げた。
この日は作業着ではなく、久しぶりに浴衣を着ている。
琴乃もまた母の形見である藍染の浴衣に身を包み、少しはにかんだように隣を歩いていた。
「宣伝活動には絶好の機会だろ?気合入れるぞ」
「うん。……でも蓮人くん、帯が緩んでるよ」
「あ? マジか」
二人は祭りの熱気に紛れ、桜植樹の協力者を募るビラを配りに来ていた。
だが通りを埋め尽くす群衆の波は凄まじい。
ドンッ、と通行人がぶつかり、琴乃がよろめいた。
「あっ……」
琴乃の体が弾き飛ばされそうになる。
「っと、危ねえ!」
咄嗟に蓮人の手が伸び、琴乃の手首を掴んで引き寄せた。
そのまま、はぐれないように指を絡め、強く握り直す。
「しっかり捕まってろ。迷子になったら、見つけられねえぞ」
「……うん」
琴乃は蓮人の背中に隠れるように身を寄せた。
今夜は閻魔大王も、ライバルの財前たちも見ていない。
「婚約者のフリ」をする必要などないはずだ。
けれど蓮人は繋いだ手を離そうとしなかった。汗ばんだ掌の熱が、直接心臓に伝わってくる。
(……温かい)
琴乃は、提灯の明かりに照らされた蓮人の横顔を見上げた。
自信に満ちた目、意志の強い眉、少し日焼けした首筋。
そのすべてが、泣きたくなるほど愛おしい。
山鉾(やまぼこ)が通り過ぎ、お囃子の音が大きくなる。
その賑わいの中で、ふと琴乃の胸に、冷たい風のような不安が吹き抜けた。
(……来年の夏も、またこうして二人でお囃子を聞けるのかな)
自分の生命力を削って時間を進めていると思われる「命刻輪廻の掌握」
一万本の桜を咲かせる代償に、自分の時計の針はゆっくりと確実に進んでいる気がしていた。
最近、疲れが取れにくくなった。指先の感覚も鈍い。
このまま使い続ければ、来年の祇園祭の頃には、私はどうなってしまっているのだろう。
「……蓮人くん」
「ん? どうした?足痛いか?」
蓮人が気遣わしげに振り返る。
琴乃は首を振り、こみ上げる不安を笑顔の仮面で隠した。
「ううん。……ただ、綺麗だなって」
「ああ。提灯の明かり、すごいよな」
「そうじゃなくて……。蓮人くんと見る景色が、綺麗だなって」
この瞬間の温度も匂いも、魂に刻みつけるように、琴乃は繋いだ手に、ありったけの力を込めた。
「……変なやつ」
蓮人は照れくさそうに鼻をこすり、しかし握り返す手には確かな力がこもっていた。
「来年も、再来年も見に来ようぜ」
「……うん。そうだね」
琴乃は頷いた。もしも叶わなかったらどうしよう、という恐怖を押し殺して。
その約束が、今は何よりも心強く、そして何よりも切なく胸に響いた。
二人の影が祭りの喧騒の中に溶けていく。
それは嵐の前の、あまりにも儚く美しい夏の夜の夢だった。
