佐伯が昼寝から起きたあと、俺たちは芝生をゆっくり離れて、公園の中をまた散策した。
歩幅が自然と寄り添うみたいに揃っていて、なんとなく、恋人同士なんだなって意識してしまう。
広場にはスラックラインやロープタワーが立っていて、見た瞬間に俺のテンションは跳ね上がった。
「佐伯! あれやろう、あれ! 絶対楽しいって!」
「……いや、めんどくさい。小瀧だけやってきな」
口調は淡々なのに、目元がほんの少し笑ってるのが分かる。
軽く肩を押されて、俺は子どもみたいに駆けだし、そのままロープタワーのてっぺんまでよじ登った。
「佐伯ー! 見て! 最上段ー!」
上から手をぶんぶん振る俺に、佐伯はスマホを向けてにやりとした。
「何とかと埃は高いところ好きって言うけど……やっぱ本当だね、小瀧」
「もー、ほんと意地悪!」
降りた瞬間にバシバシ叩く俺の腕を、佐伯は「はいはい」って受け止めるように軽く避けたり、たまに掴んだり。
それだけなのに、ずっと笑顔が絶えなかった。
そのあとはベンチに並んで座って、取り留めない話をしたり、キッチンカーで佐伯がバブルワッフルを買ってくれたり。
人が殆どいないから――会話が途切れるとふいに近づいてきて、佐伯が俺の唇にそっと触れる。
ほんの一瞬なのに、寒空なのに。体の中がじわ……と熱くなる。
息を整える俺を見て、佐伯は何も言わずに、ただ肩に自分の上着をふわっとかけた。
「か、カッコつけなくていいって。佐伯も寒いし……」
「カッコつけちゃダメなの? ……俺、小瀧の彼氏なんだけど」
その言葉があまりにも自然で、あまりにも甘くて、返事の代わりに伸ばした手が勝手に佐伯の手を掴んだ。
気づいたら、抱き寄せられていた。
頬が冷えた風に触れても、佐伯の胸元はぽかぽかしていて。
そこに身を預けると、手の温かさ、吐息が触れる距離、横顔の柔らかい表情――。
全部が俺のためだけに溶けていくみたいで、幸せすぎると思うくらい、満たされていた。
***
帰りの車内。夜になると国道は静まり返って、車のライトだけが道路を柔らかく照らしていた。
俺は助手席で半分溶けそうになりながら、眠気に抗っていた。
それに気付いた佐伯が、右手でハンドルを握ったまま、空いている左手でそっと俺の髪をくしゃりと撫でる。
「……帰り、混むかもしれないし。寝てろよ。着いたら起こすから」
「でも……寝るのは悪いっていうか……」
「無理しなくていい。……そういう気遣いされるより、甘えられる方が俺は好きだから」
恋人同士のドライブで助手席が寝るのはダメ。
そんなどこの誰が広めたルールだよって感じの知識が、頭を締めつけていたのだけれど。
言い訳みたいにあくびを噛み殺す俺を一瞥して、佐伯は赤信号で車を止めると、何も言わずに上着を俺の膝に掛ける。
次に目を開けた時には、外は街灯の明かりしかなくて、隣では佐伯がスマホをいじっていた。
「……起きた? 小瀧、すごい寝てた。起こすの可哀想なくらい」
「え、そんな爆睡……してた? ごめ――」
言いかけた瞬間、ふと窓の外の景色が目に入って、息が喉の奥で止まった。
俺と佐伯が今いるのは、駅前の薄暗いコインパーキングだった。
(……どうしてここにいるの? 今日って……これで終わり、ってこと?)
言葉にならない焦りとパニックだけが、胸の奥でざわざわと黒く暴れ出す。
「お弁当も……ありがとう。普通に楽しかった」
隣から聞こえる佐伯の声は、いつになく優しかった。
なのに、その優しさが余計に胸の奥のざわつきを大きく、痛くしていく。
「……なんで」
自分でも驚くくらい、掠れた弱い声が漏れた。
「え?」
「なんでここに居るのって、聞いてんの!」
怒りというより、不意にハシゴを外されて捨てられたようなショックが先にきて、声が勝手に細かく震えてしまう。
佐伯は「どういうことだよ」とでも言いたげな顔でこちらを見返してくる。そのどこか無神経な態度に、胸の奥がきゅっと悲鳴を上げた。
「……俺、普通に、佐伯の家に帰ると思ってた」
「俺の家、って――」
「お泊まりだと思ってたんだよ!」
喉を絞り出すようにして言う。
こんなことを口にする自分が惨めでうっとうしくて、でも、溢れ出した感情がどうしても止められなかった。
今日みたいな初デートなら、普通、そのままお泊まりだって思うじゃん。
車内でも、公園の木陰でも、あんなにいっぱいきつくキスしたし、頭を撫でてくれる手のひらだってあんなに優しくて、甘くて、すぐ近くにいたのに。
俺ひとりだけが浮かれて、恋人面で身勝手に突っ走ってたんだって思ったら、熱かったはずの身体が急激に冷え切っていく。
佐伯はカーナビ代わりのスマホをホルダーにカチリとかけながら、平然と言い放った。
「……いや、そんな約束してねーし」
「約束なんかしてなくても……雰囲気で、なんとなく分かるじゃん……!」
言いながら、みっともなく視界が涙で滲みそうになる。
自分だけが「好き」の重さを信じすぎていたみたいで、本当にバカみたいだ。
「……なんで分かってくんないの。俺たちって、ちゃんと付き合ってる恋人同士なんだよね? 佐伯、ほんとに俺のこと好きなの……っ?」
沈黙。車内に満ちたわずか数秒の間が、死ぬほど怖かった。
「当たり前だろ。逆に何でそんなこと一々確認したがるのか、マジで分かんねーんだけど」
ちょっと尖った佐伯の声。ぶつかってくる冷たい言葉。
胸の奥がざらざらと擦り切れていく。泣きそうになるのを必死で誤魔化すように、俺は足元のリュックに乱暴に手を突っ込んだ。
「……すいませんね、勝手に期待して、お泊まりがあるもんだと思い込んで! この前、佐伯が『ゴムない』って言ってたから、準備しといたし。普通に帰ったら、その……する流れになるのかなって思ってたし! でももういいよ、佐伯がその気ないなら俺は帰る!」
勢いに任せて、リュックの奥から掴み出した四角い箱を佐伯の胸元へ投げつける。
英語と数字が書かれたプラスチックのパッケージが、コトッと頼りない音を立ててシフトレバーの脇に落ちた。
佐伯の目が、ほんの数ミリ、驚きで丸く見開かれる。
惨めさで破裂しそうな俺が、今すぐここから逃げ出そうとシートベルトに手をかけた、その時――。
ガシッ、と強い力で、佐伯の手が俺の手首を上から押さえつけた。
「……小瀧、ごめん」
その声音は、驚くほど低くて、弱かった。
怒鳴るでもなく、はぐらかすでもなく。ただ真っ直ぐに俺を捉えるその声が、胸の奥にすっと深く刺さる。
きまり悪そうに少し目を逸らしながら言う佐伯の瞳が、ほんの少しだけ揺れていた。
いつも完璧で余裕のあるあいつのその揺らぎが、触れ合う肌からダイレクトにこっちまで伝わってくる。
「運転しながら、このまま俺の部屋に連れて帰るかずっと悩んでた。……でも、小瀧が助手席で結構、疲れた顔して眠ってたし。……いま連れて帰ったら、俺、がっついて手加減できる自信なんか、最初から一ミリもないから」
その掠れた声を聞いた瞬間、さっきまで痛いくらいに冷えていた胸の奥に、さぁっと違う意味の熱が差していく。
俺の、涙で濡れかけた下瞼を、佐伯の親指の腹が優しくなぞった。
「……俺も、佐伯に格好つけられるより、そういうの素直に言われた方が嬉しいんだけど」
そんなの、口にした後で自分のほうが恥ずかしくて死にそうになる。でも、言わずにはいられない。
佐伯は、深く、短く息を吐き出した。
「……無理。やっぱ降ろすのやめる」
次の瞬間、俺の返事を待つこともなく、静かだった車内に重低音のエンジン音が響き渡った。
さっきまでの丁寧な運転とは明らかに違う、荒いアクセルの踏み方。狭い車内の空気が、一気に熱を帯びていく。
俺はもう何も言えず、ただカッと赤くなった顔を隠すように俯いたまま、窓の外を流れていく夜の繁華街の光を眺めつづける。
ガラス窓に映る自分の顔は、意地っ張りで、恥ずかしさいっぱいで、どこかまだ不安げで――。
けれどそのすぐ奥で、ハンドルを強く握り直した佐伯の横顔は、二度と迷わないと決めたように、真っ直ぐに前だけを見つめていた。
歩幅が自然と寄り添うみたいに揃っていて、なんとなく、恋人同士なんだなって意識してしまう。
広場にはスラックラインやロープタワーが立っていて、見た瞬間に俺のテンションは跳ね上がった。
「佐伯! あれやろう、あれ! 絶対楽しいって!」
「……いや、めんどくさい。小瀧だけやってきな」
口調は淡々なのに、目元がほんの少し笑ってるのが分かる。
軽く肩を押されて、俺は子どもみたいに駆けだし、そのままロープタワーのてっぺんまでよじ登った。
「佐伯ー! 見て! 最上段ー!」
上から手をぶんぶん振る俺に、佐伯はスマホを向けてにやりとした。
「何とかと埃は高いところ好きって言うけど……やっぱ本当だね、小瀧」
「もー、ほんと意地悪!」
降りた瞬間にバシバシ叩く俺の腕を、佐伯は「はいはい」って受け止めるように軽く避けたり、たまに掴んだり。
それだけなのに、ずっと笑顔が絶えなかった。
そのあとはベンチに並んで座って、取り留めない話をしたり、キッチンカーで佐伯がバブルワッフルを買ってくれたり。
人が殆どいないから――会話が途切れるとふいに近づいてきて、佐伯が俺の唇にそっと触れる。
ほんの一瞬なのに、寒空なのに。体の中がじわ……と熱くなる。
息を整える俺を見て、佐伯は何も言わずに、ただ肩に自分の上着をふわっとかけた。
「か、カッコつけなくていいって。佐伯も寒いし……」
「カッコつけちゃダメなの? ……俺、小瀧の彼氏なんだけど」
その言葉があまりにも自然で、あまりにも甘くて、返事の代わりに伸ばした手が勝手に佐伯の手を掴んだ。
気づいたら、抱き寄せられていた。
頬が冷えた風に触れても、佐伯の胸元はぽかぽかしていて。
そこに身を預けると、手の温かさ、吐息が触れる距離、横顔の柔らかい表情――。
全部が俺のためだけに溶けていくみたいで、幸せすぎると思うくらい、満たされていた。
***
帰りの車内。夜になると国道は静まり返って、車のライトだけが道路を柔らかく照らしていた。
俺は助手席で半分溶けそうになりながら、眠気に抗っていた。
それに気付いた佐伯が、右手でハンドルを握ったまま、空いている左手でそっと俺の髪をくしゃりと撫でる。
「……帰り、混むかもしれないし。寝てろよ。着いたら起こすから」
「でも……寝るのは悪いっていうか……」
「無理しなくていい。……そういう気遣いされるより、甘えられる方が俺は好きだから」
恋人同士のドライブで助手席が寝るのはダメ。
そんなどこの誰が広めたルールだよって感じの知識が、頭を締めつけていたのだけれど。
言い訳みたいにあくびを噛み殺す俺を一瞥して、佐伯は赤信号で車を止めると、何も言わずに上着を俺の膝に掛ける。
次に目を開けた時には、外は街灯の明かりしかなくて、隣では佐伯がスマホをいじっていた。
「……起きた? 小瀧、すごい寝てた。起こすの可哀想なくらい」
「え、そんな爆睡……してた? ごめ――」
言いかけた瞬間、ふと窓の外の景色が目に入って、息が喉の奥で止まった。
俺と佐伯が今いるのは、駅前の薄暗いコインパーキングだった。
(……どうしてここにいるの? 今日って……これで終わり、ってこと?)
言葉にならない焦りとパニックだけが、胸の奥でざわざわと黒く暴れ出す。
「お弁当も……ありがとう。普通に楽しかった」
隣から聞こえる佐伯の声は、いつになく優しかった。
なのに、その優しさが余計に胸の奥のざわつきを大きく、痛くしていく。
「……なんで」
自分でも驚くくらい、掠れた弱い声が漏れた。
「え?」
「なんでここに居るのって、聞いてんの!」
怒りというより、不意にハシゴを外されて捨てられたようなショックが先にきて、声が勝手に細かく震えてしまう。
佐伯は「どういうことだよ」とでも言いたげな顔でこちらを見返してくる。そのどこか無神経な態度に、胸の奥がきゅっと悲鳴を上げた。
「……俺、普通に、佐伯の家に帰ると思ってた」
「俺の家、って――」
「お泊まりだと思ってたんだよ!」
喉を絞り出すようにして言う。
こんなことを口にする自分が惨めでうっとうしくて、でも、溢れ出した感情がどうしても止められなかった。
今日みたいな初デートなら、普通、そのままお泊まりだって思うじゃん。
車内でも、公園の木陰でも、あんなにいっぱいきつくキスしたし、頭を撫でてくれる手のひらだってあんなに優しくて、甘くて、すぐ近くにいたのに。
俺ひとりだけが浮かれて、恋人面で身勝手に突っ走ってたんだって思ったら、熱かったはずの身体が急激に冷え切っていく。
佐伯はカーナビ代わりのスマホをホルダーにカチリとかけながら、平然と言い放った。
「……いや、そんな約束してねーし」
「約束なんかしてなくても……雰囲気で、なんとなく分かるじゃん……!」
言いながら、みっともなく視界が涙で滲みそうになる。
自分だけが「好き」の重さを信じすぎていたみたいで、本当にバカみたいだ。
「……なんで分かってくんないの。俺たちって、ちゃんと付き合ってる恋人同士なんだよね? 佐伯、ほんとに俺のこと好きなの……っ?」
沈黙。車内に満ちたわずか数秒の間が、死ぬほど怖かった。
「当たり前だろ。逆に何でそんなこと一々確認したがるのか、マジで分かんねーんだけど」
ちょっと尖った佐伯の声。ぶつかってくる冷たい言葉。
胸の奥がざらざらと擦り切れていく。泣きそうになるのを必死で誤魔化すように、俺は足元のリュックに乱暴に手を突っ込んだ。
「……すいませんね、勝手に期待して、お泊まりがあるもんだと思い込んで! この前、佐伯が『ゴムない』って言ってたから、準備しといたし。普通に帰ったら、その……する流れになるのかなって思ってたし! でももういいよ、佐伯がその気ないなら俺は帰る!」
勢いに任せて、リュックの奥から掴み出した四角い箱を佐伯の胸元へ投げつける。
英語と数字が書かれたプラスチックのパッケージが、コトッと頼りない音を立ててシフトレバーの脇に落ちた。
佐伯の目が、ほんの数ミリ、驚きで丸く見開かれる。
惨めさで破裂しそうな俺が、今すぐここから逃げ出そうとシートベルトに手をかけた、その時――。
ガシッ、と強い力で、佐伯の手が俺の手首を上から押さえつけた。
「……小瀧、ごめん」
その声音は、驚くほど低くて、弱かった。
怒鳴るでもなく、はぐらかすでもなく。ただ真っ直ぐに俺を捉えるその声が、胸の奥にすっと深く刺さる。
きまり悪そうに少し目を逸らしながら言う佐伯の瞳が、ほんの少しだけ揺れていた。
いつも完璧で余裕のあるあいつのその揺らぎが、触れ合う肌からダイレクトにこっちまで伝わってくる。
「運転しながら、このまま俺の部屋に連れて帰るかずっと悩んでた。……でも、小瀧が助手席で結構、疲れた顔して眠ってたし。……いま連れて帰ったら、俺、がっついて手加減できる自信なんか、最初から一ミリもないから」
その掠れた声を聞いた瞬間、さっきまで痛いくらいに冷えていた胸の奥に、さぁっと違う意味の熱が差していく。
俺の、涙で濡れかけた下瞼を、佐伯の親指の腹が優しくなぞった。
「……俺も、佐伯に格好つけられるより、そういうの素直に言われた方が嬉しいんだけど」
そんなの、口にした後で自分のほうが恥ずかしくて死にそうになる。でも、言わずにはいられない。
佐伯は、深く、短く息を吐き出した。
「……無理。やっぱ降ろすのやめる」
次の瞬間、俺の返事を待つこともなく、静かだった車内に重低音のエンジン音が響き渡った。
さっきまでの丁寧な運転とは明らかに違う、荒いアクセルの踏み方。狭い車内の空気が、一気に熱を帯びていく。
俺はもう何も言えず、ただカッと赤くなった顔を隠すように俯いたまま、窓の外を流れていく夜の繁華街の光を眺めつづける。
ガラス窓に映る自分の顔は、意地っ張りで、恥ずかしさいっぱいで、どこかまだ不安げで――。
けれどそのすぐ奥で、ハンドルを強く握り直した佐伯の横顔は、二度と迷わないと決めたように、真っ直ぐに前だけを見つめていた。



