あれからおれとスバルの距離はかなり近くなったように思う。タイミングが合えば一緒に部活に行くし、スバルのクラスのホームルームが早く終わった日には、おれのクラスの前で待っていてくれるようになった。
おかげでおれのクラスの女子たちは大盛り上がり。男子は激萎えであるけれど。
ふたりで廊下を歩く時間は、悪くない。すれ違う人たちの視線がスバルに集まっていても、それをいっさい気にせずおれのほうを向くスバルが面白いからだ。人って、こんなに無関心になれるものなのだと、おれはいつもほんの少し感心する。
「げ。今日高瀬さんの日?」
「こっちも同じ気持ちだ」
3人分のお弁当が並ぶ昼食時間。
左から、タツヤ、おれ、スバルのものだ。
1週間に一度、なぜか3人で昼食をとることになった。いつもはタツヤと食べていたけれど、スバルが一緒に食べたいと言い出し、タツヤのほうを断ろうとするとタツヤのほうも引かなかった。意味のわからない攻防の末、1週間のうち二日間タツヤ、二日間スバル、そして余った1日を3人で食べるという謎ルールが誕生したのだった。
「そもそも割り込んできたのはそっちなんですけど」
「別にリズは誰のものでもない」
寝不足顔面強打事件からどうやらふたりは折り合いが悪いらしく、いつもこうしてぶつぶつと言い合いをしている。
「え、ウインナーあるじゃん。くれ」
「は? あげるわけねえだろ。あー、でもそのミートボールくれるなら考える」
「くぅー、ま、いいだろう」
それなのに弁当の具材交換をしているのを見ると、なんだかんだ仲良しなんじゃないかと思うから不思議だ。
「リズはなんかいるか?」
タツヤが笑みを浮かべる。その横でスバルが「は?」と眉を顰めた。
「おれはいいよ。交換できるようなもの、持ってないし」
「いいんだよそんなの」
「は?? お前リズにだけいい顔すんな」
「ちょっと、高瀬うるさい」
「タツヤもスバルも喧嘩しないで!!」
顔を見合わせて、プッと吹きだす。
スバルがおれに関わってきた時から、おれの毎日はほんの少し、色が濃くなったような気がする。
「俺、このあと彼女と会うからもう行くわ」
タツヤがスマホを見ながら席を立った。スバルが「おー」と返事をする。タツヤには中学時代から付き合っている彼女がいるのだ。
おれは彼女はおろか、好きな人すらまともにできたことがない。恋愛には無縁の人間だ。
前の席に座っているスバルをじっと見つめる。おれの視線に気づいたスバルが「なに?」と片眉をあげた。
スバルにも、そういう相手がいるのだろうか。
なんとなく胸の辺りがざわつく。
「ううん。なんでもない」
おれは聞くことができずに、首を横に振る。スバルは「なんだよ気になる」と言ったけれど、深く追求してはこなかった。
──────
「え、あれ高瀬じゃね?」
休日。タツヤと久々にカラオケにでも行こうと街を歩いていると、タツヤがふいに声をあげた。
ドキリと嫌な鼓動を奏でる。
その視線の先をたどると、そこには私服を着たスバルと、背の高いきれいな女性がいた。ショーウィンドウに飾られたケーキを見ている。時折女性がスバルに笑いかけ、スバルも笑みを浮かべていた。
目を合わせて何か話したあとで、女性がスバルの肩を叩く。スバルは耳を真っ赤にして、首の後ろをかいていた。
……ものすごく距離が近い。
そのようすは恋人さながらで、誰が見てもお似合いだと評するようなふたりだった。
「あいつ、あんな綺麗な彼女がいるんじゃあ、そこらの人に見向きもしないの納得だわ」
「え?」
「だって高瀬スバルって誰にも興味ない奴ってことで有名じゃん? どんな可愛い子でも綺麗な先輩でもだめって聞くから疑ってたけど、あんなのが彼女なら納得」
知らなかった。やっぱ、モテるよな。
そんなやつに恋人がいないはずがない。
馬鹿か、おれ。
「え、もしかしてショック受けてる?」
「……」
「大丈夫。吏珠も可愛い顔してるんだからさ、きっとすぐにできるって。先輩とかどう? 優しいおねーさんとかさ」
恋人のいないおれを気遣ってか、タツヤの口数が多くなる。
おれは少しずつ浅くなる呼吸をなんとか保ちながら、呆然とその場に立ち尽くすことしかできなかった。
⭐︎
次の日の部活は、過去1憂鬱な気分だった。できることなら休みたかったけれど、大会も近いし、なにより休めばスバルが接近してきそうな気がした。今のおれには、スバルにいつも通り接する自信がない。
だから、できるだけ近づかないでほしい。今日はホームルームが終わるなり、走って体育館に向かった。
それなのに。
「ねえ、なんで今日ひとりでここ来たの?」
部室でおれを見つけるなり、スバルが少し拗ねたように声をかけてくる。それにまたおれは意味のわからないイライラを抱く。
「なんでもないから」
「なんでもないって……そんな感じじゃないだろ」
「もう練習始まるから。準備しろって」
スバルの背中を回転させて、押す。スバルは怪訝そうな表情をして抗議しようとしたけれど、キャプテンの号令によって阻まれてしまった。おれは心の中で安堵する。その日の部活はあまり激しくはなかったため、給水の頻度が少なかった。不幸中の幸いだ。
部活中何度もおれのほうを見てくるスバルとは絶対に目を合わせないようにして、なんとか二時間しのぐ。そのあとの自主練を誘われる前に、荷物をまとめて体育館を出た。
今帰宅すると先輩たちの集団に声を掛けられる可能性がある。足を止められるわけにはいかなかった。
教室のほうへと足を進める。忘れものだとかなんとか言えば誤魔化せるだろう。
薄暗い廊下を早足で歩く。教室はがらんとしていた。日中のがやがやとした雰囲気のない教室は、なんだかからっぽで寂しく思える。
自分の席につき、机に頭をのせた。冷たくて心地がいい。もうしばらくここにいて、全員が帰ったころにおれも帰ろう。
空は曇天で、今にも雨が降りそうだ。
「おい」
「うわっ……は??」
突然の声に驚いて振り返ると、ドアの付近でスバルが腕を組んでもたれていた。なんでついてきてんだよ。完全に撒いたと思ったのに、おかしいだろ。
「いや、ちょ……さすがに意味わかんないから」
「意味わかんないのはこっちなんだけど」
スバルが身を起こして近づいてくる。おれの席まで歩いてくると、その高い背をかがめた。
「リズ、なんか怒ってる? ヤなことでもあった?」
眉をひそめたまま、スバルが首を傾げる。何も言っていないのに、表情だろうか。伝わってしまったらしい。
ますます何も言えなくなってうつむくと、スバルはおれの顔を覗き込むようにしてきた。
「……やめて」
か細い声が洩れる。どうして怒っているのか、こんな気持ちになっているのか、分からなかった。
────ただ今日のおれは、おまえといつも通り話せる自信が、ない。
「リズ」
「……」
「ねえ、こっち向いてよ。俺、なんかした? 見てくれないと、寂しいじゃん」
スバルがへらりと笑う。いつものような余裕な笑み。それなのに、おれを覗き込むスバルの目は真剣だった。
ぐらり。
またそうやって、簡単におれを揺さぶってくる。
振り回されるのは、もう、懲り懲りだ。おまえと出会ったあの時。きっと、あれから、おれはおかしくなってしまったのだ。
このいらいらをはやくぶつけてしまいたい。ぶつけたらいけない。その狭間でずっと格闘していて、目を合わせないことでなんとか後者に気持ちを保っていたというのに。
スバルの目は、いつもおれをまっすぐに見つめて、捕まえてくるのだ。
「……この前、見た」
ついに、意思と反して言葉がぽろぽろとこぼれだす。もうどうにでもなってしまえ、と思った。
「この前、彼女と歩いてるとこ見た」
「え? なんの話……」
スバルがキョトンと目を丸める。わかっているくせに、なんでそんな誤魔化し方するんだよ。焦ったような顔すら見せないスバルのようすにイラついて、腹の底からふつふつと湧き上がってくるものをそのままぶつけた。
「なんなの。おまえ、まじで、なんなんだよ……おれのこと誘っときながら、遊んでたんだろ、おれのきもち……っ、おまえも、ほんとは女の子が好きなくせに、構ってくんなよ、おれに!!」
「リズ。それ……嫉妬?」
カアッと顔が熱くなる。睨むように顔を見上げるとスバルはほんの少し口元に笑みをたたえていた。
は?なんなの、こいつ。
悔しいのか、悲しいのか、ウザいのか、恥ずかしいのか、よくわからなくなって涙がこぼれる。
腹立たしいはずなのに、なんだこれ。かなしい……せつない。
おれの涙に気づいたスバルが、慌てたように近づいてきたけれど、腹の底から込み上げてきたものを、抑えることができなかった。
「こっちくんな!!」
スバルの身体を跳ね除ける。スバルが咄嗟に腕を掴んできたけれど、それも振り払って教室を飛び出した。
すれ違う人がぎょっとしたようにおれを見る。泣いているからだ。
もうどの部活も活動が終わっていて体育館は真っ暗だった。スマホのライトを照らして、ステージ横の倉庫に入る。倉庫は薄暗いし、ほとんど誰もこないからばれやしないだろう。
うずくまって、目をおさえる。まさか、こんなに感情的になるとは思っていなかった。
顔を上げた先に、バスケットボールカゴがあった。中にはたくさんのボールが入っている。気を紛らわせるためにボールクリーナーと雑巾を手にして、ステージにつながる階段に腰掛けた。キュ、キュ、と磨く。
昔はこうしておれもよく磨いていた。
『俺は好きだよ』
『お前が他の奴と話してるのあんまり見たことなかったから……なんか、面白くなかっただけ』
ふいに思い出して、ボールを磨く手に力がこもる。あの熱っぽい視線に、おれはおかしくなってしまったのだ。
『リズ。それ……嫉妬?』
おれが男と喋るだけでも不貞腐れていたくせに、自分は女の子と楽しそうに話してていいのかよ。そもそも、おれを招いたあの時から、構って遊び道具にしようとしていたのかもしれない。そう思うと、悔しくて、苛立って、そして……悲しくて、涙が出たのだ。
背が高くて綺麗な顔をしていて、運動も勉強もできる。そんなやつに、相手がいないはずがない。
……いや、どうしておれはイライラしているんだ?
別にスバルに恋人がいたところで、おれには関係のない話なのに。
力を入れすぎたのか、弾みでおれの手から離れたボールがころころと転がっていく。
「あー……」
腰を浮かし、ボールを拾おうとしたその時だった。
あたりがまばゆく光り、地を割るような雷鳴がとどろく。かなり大きな音だった。近いのかもしれない。
こんな薄暗い倉庫にいることが信じられなかった。昔の自分は怖がりで、こういう暗いところも、雷も大の苦手だった。泣いているのをからかわれていた苦い記憶がある。
けれどそれも昔の話だ。いまはもうさすがに泣き喚くことはないけれど、不得意なのに変わりはなかった。
どれくらい時間が経っただろうか。スマホの時計を見ると、部活の終了から一時間以上が経過していた。さすがにみんな帰っただろう。
涙も乾いた。息を吐き、ボール磨きはまた今度することにして、立ち上がる。用具をしまっている間も雷は派手な音を立てていた。
暗がりの中、用具に引っかからないように気をつけて出口にすすむ。
ドアに手をかけようとしたその時だった。
「リズ……っ!!」
いきなりドアが開き、焦ったようすのスバルと対面する。急な出来事に、思わずヒッ、と情けない声が出た。
スバルがおれの目を交互に見つめて、それから肩に手を置く。安堵したように息を吐き出し、おれとまっすぐに瞳を合わせた。
「俺がどんだけ探したと思ってんだよ、お前のこと」
「……は?」
あたりが真っ白に光った。
スバルの手が伸びてくる。思わず身を構えると、その手はゆっくりとおれの耳を塞いだ。数秒して、離される。
まさか、聞こえないように?
「……苦手でしょ、昔から」
「え?」
「まさか、本当にこんなところにいると思わなかった」
まいったというようにスバルが首を振る。
そんなに探してくれたのか?どうして。
いまさらおれに、何を言うことがあるのだろう。
「リズ」
名前を呼ばれる。心臓が震えた。
その呼び方は、もう、だめだ。名前を肯定してくれたこと、そのおかげで少しこの名前が好きになれたこと、すべてを消さないといけなくなる。
「リズ、こっち見て」
それなのに、スバルは、何度もおれの名前を呼ぶのだ。まるでそれが大切なものであるかのように。
止まっていたはずの涙がまた溢れだす。
「……おまえが、変なこと、いうから。だからおれ、どうしていいか、わかんなくなって。おまえと出会ってからおれ……ずっと変で。それで、だから」
ヒッ、としゃくりあげた瞬間、スバルの手が伸びてきてぐっとおれを引き寄せた。おれの体は簡単にスバルにおさまる。身動きがとれないほどキツく抱きしめられて、思考が停止する。
「ごめん。ちょっと構いたくなって。やりすぎた。リズ、可愛いから。意地悪したくなった。ごめん、ガキで」
「……え」
「ほんとは、そうだったらいいなって、俺の勝手な願望。ごめん、傷つけて」
──ほんとは、そうだったらいいなって。
その言葉の意味を考える暇もないうちに、スバルが口を開いた。
「一緒に歩いてたの、姉ちゃんだから」
「……え」
「リズ、誤解してるから訂正するけど。もし、俺が女性と歩いてるのを見たんだとしたら、たぶん姉ちゃんだと思う。てか、それくらいしか心当たりがない」
スバルが眉を顰める。たしかに、言われてみれば顔立ちが似ていたような……。美男美女だったし。
「でも、結構距離、近く見えたけど」
肩とか叩いてたし。抗議すると、スバルは呆れたように肩をすくめた。
「あーー、俺の姉ちゃん距離感バグだから。シスコンブラコン入ってるんだと思う」
「ブラコンは分かったけど、シスコン、って」
「俺5人きょうだいだから。俺の下に3人いる」
「え」
「あ、写真あった。ほら」
スマホを向けられる。写真には、スバルと、この前見た女性、学ランを着た男の子とセーラー服の女の子、小学生くらいの女の子が写っていた。みんなありえないくらいに顔が整っており、遺伝子を感じざるを得ない。
状況を理解し、カアッと顔に熱が集まる。じゃあおれは、スバルがお姉さんと歩いているのを見て彼女だと勘違いして、泣き喚いて、ひどい言葉を投げかけた。
……勘違い大迷惑野郎じゃないか。
たまらない羞恥が押し寄せてくる。スバルの顔を見ていられなくて、がばっと頭を下げた。
「勘違いして当たって、ほんとにごめん。おれの、間違い。ぜんぶ」
「ううん。すぐ言えばよかったのに、構ったのは俺だから」
手を引かれて、さっきの階段に腰掛ける。雷はまだ近い。足元に視線を落としたまま、口を開いた。
「……探してくれて、ありがとう」
スバルが身じろぎする。
「雷、鳴ってたから」
「え?」
「───…怖がってるんじゃないかって、思って」
「おれ、もう高校生だよ。さすがに。てか、雷苦手なの言ったことあるっけ?」
「苦手だったじゃん」
ぽつりとスバルが呟く。え?と驚いて顔を見ると、スバルは一瞬目を見開いた。
「苦手だったって……」
まるでおれの昔を知っているような口ぶりだ。スバルをじっと見つめる。
「おれたち、どこかで会ったことあるの?」
問いかけると、スバルは長い指先を組んだ。
「……さぁ」
いつものように余裕のある表情を浮かべたスバルだったけれど、その指先は所在なさげに何回か組み直されていた。
動揺、してる?
何かをごまかすような仕草に、もやもやと疑問が膨らんでいく。
「おれさ、おかしいと思ってたこと、あるんだ」
「……」
「おれ、バスケ出来るなんて一言も言ってないのに、シュート練でパスしたときスバルなにも言わなかったよね。普通、こんな初心者にパス出し頼むわけないのに」
「……それは」
「スバルがおれをバスケ部に誘ったの、やっぱり何か理由があるんだろ。おれたち、昔、会ったことあるんじゃないの?」
スバルを見つめたまま告げる。いつのまにか、雷は遠くなっていた。
おれの言葉を聞いたスバルの顔から笑みが消える。
静寂のなか、スバルの目が逃げるように彷徨った。けれど、おれが見つめ続けていると、やがて軽く項垂れて、ゆっくりと息を吐き出した。
静かに瞳を伏せて、話しだす。
「リズは、覚えてないかもしれないけどさ────」



