バスケ部期待の星がなぜか執拗に追いかけてくる


 バシン、と激しい音を立ててボールがコートにたたきつけられた。

「やっべーな、あれ。バスケ部の奴なんだろ?」

 隣で見ていたタツヤが呆れたように苦笑する。視線の先をたどると、そこにはアタックを決めて鮮やかにコートに降り立ったスバルがいた。
 体育の合同授業。バレーボールも器用にこなすスバルに、クラスの女子たちが沸いている。

 なんだあの男は。球技なら、いや、運動全般得意なのか?

「解せんな」

 バレー部であるタツヤが腕を組み、スバルを睨むように見つめる。おれも同じようにしてスバルにもう一度視線を戻す。高い身長と長い手足、呼吸を整えて上に伸びあがる。バシッとまたもアタックが決まった。

 スバルの得点で試合が終わり、おれたちのチームの番になった。ステージから降りようとすると、後ろから声がかかる。

「てか、おまえ大丈夫なの。寝不足、まだ続いてんの」
「ああ……うん、課題でなかなか寝れなくてさ」
「寝不足ってマジ危ないぞ。倒れたりすんなよ」
「大丈夫大丈夫。帰ったら寝るよ」

 ひょい、とステージから飛び降りる。タツヤもおれに続いて飛び降りた。おれは身長も低いし、ジャンプ力にも長けていないので、バレーにおいては悪目立ちしないように尽力するだけだ。

 高校生になると、男女でかなりプレーの白熱度に違いが出る。女子コートでは「きゃー!」「やばーい」と楽しそうな声があがっている。スバルの出番が終わって、みんな興味を失ったのだろうか。面白いほどにこちらに背を向けている。

「……っ、吏珠!」

 急にタツヤの声がして振り向く。え、と思う暇もないまま顔面に鈍い痛みを感じる。そのまま視界がぐるんと反転する。ドンっという音とともに、背中が打ち付けられ、燃えるような痛みが走った。

「……った」
「悪い、大丈夫か?」

 相手のコートから他クラスの男子が走ってくる。人の視線が集まっているのを感じて、身体が熱っぽくなっていく。
 あまり大事にしたくなかったし、この男子に負い目を感じてほしくなかった。

「だいじょうぶ……っ」

 急いで立ち上がろうとしたが、手足に上手く力が入らない。視界がぐにゃりと歪む。頭に手を当てると、ずきりと痛みを感じた。おれはその場に情けなく座っていることしかできなかった。頭の中が真っ白になる。

「吏珠、おまえ、やばいだろ」

 タツヤがおれの横にしゃがみ、おれの顔をのぞきこむ。タツヤの顔を見てひどく安堵し、ふ、と息が洩れた。

「保健室行こう。俺が付き添うから。立てるか?」

 タツヤの問いに、ふるふると首を横に振る。

「ちゃんと寝ないと、だめだな。まじで。身体おかしくなる」
「反省はあとでいいから、行くぞ」

 タツヤにたしなめられて、少し落ち込む。恥ずかしい。情けない。
 その時、急に近くから低い声が落ちてきた。それは、おれが、よく知るもの。


「俺が運ぶ」


 声の主を確認するよりはやく、身体がふわりと宙に浮いた。「は?」とタツヤの困惑した声が耳に届く。同じく、おれも絶賛困惑中だ。
 一歩、一歩とそいつが歩くたびに振動が伝わる。
 きゃあっと悲鳴があがり、そこでようやく、ぼやけた頭がクリアになっていく。今、おれの状況は、つまり。

 他人の視点から見たおれたちの状態を、ゆっくりと理解する。
 そろりと見上げると、ローアングルのスバルと目が合った。


 ……なんだ、下から見てもきれいなの、意味わかんないじゃん。


 小さな反抗心を抱きつつ、この状況から脱しようと身体をよじると、「暴れんな、危ないだろ」と強めに抱え込まれた。それきりおれは何も言えなくなってしまって、女子の悲鳴を聞きながらスバルとともに体育館を出た。

 保健室までの廊下を、スバルは何も言わずに歩く。どくりどくりと波打つものが、血液なのか鼓動なのか、それとも別の何かなのかわからない。ただ、背中と足にまわされた手は離れることなく、ずっとおれを支え続けていた。







 静まった保健室のドアが閉まる。白いカーテンのあるベットに横たわらされたおれは、ただじっと天井を見つめていた。ふいにひんやりとした感触を頬に受ける。スバルが氷嚢を用意してくれたみたいだった。
 猛烈な気まずさに襲われる。

 この狭い空間にはおれとスバルしかいない。
 スバルが近くにあった丸椅子を引き、それに腰掛ける。スバルは無言だった。

「あの、スバル。もう戻っていいよ、おれ、ちゃんと安静にするから」


 起き上がろうとすると、「寝とけよ」と身体を軽く押されて、ベッドに戻ってしまう。天井を見ながら、タツヤの顔を思い浮かべる。過剰に心配してないといいけれど。タツヤは意外と世話焼きな部分があるから、本当は自分がようすをみたかったはずだ。まあ、スバルに気圧されて主張することすらできなかったようだが。

「タツヤも心配してると思うから、大丈夫って言っといてもらえると、助かるんだけど」

 顔を横に向けてスバルを見る。伏し目がちだったスバルの目がゆっくりと見開かれて、刺すようにおれを見た。スバルにそんな目をされるのは初めてで、狼狽える。怒りが含まれたような目だった。


「顔面強打、結構心配してんだけど。立ち上がれないって相当だから。なに、脳震盪とか起こしてないの」
「……え、あ、たぶん、立ち上がれないのは寝不足のせいで。軽い貧血みたいな? その類で」
「俺が自主練付き合わせるから? 夜、寝るの遅くなるの」
「いや、違うよ。ただ、おれがだらだら過ごしてしまうだけで。まじで、おれの問題。ごめん」


 自主練に関する話は強く否定する。おれの負担になっていることは、1ミリもない。

「あと」

 スバルがふっと視線を逸らす。長い指先を何度も組みなおし、軽くうなだれたようすで口を開いた。


「……タツヤって、誰」


 その声は消え入りそうなほどに弱々しかった。窓から入ってきた風に、カーテンが揺れる。


「え?」
「ステージで、楽しそうに話してた男?」
「ああ、あいつは中学からの友達だけど……それが、どしたの」
「───…別に」


 スバルはそっぽを向いたままぶっきらぼうにつぶやく。雨の日のように、耳がほんのりと赤くなっていた。


「楽しそうだったから」
「……は?」
「お前が他の奴と話してるのあんまり見たことなかったから……なんか、面白くなかっただけ」
「すば、る……? なに、言って」


 スバルの耳が真っ赤に染まる。おれの顔にも熱が集まって、それを隠すように布団をかぶった。


「自主練さ、これからも誘っていいの。こんなふうに倒れられるくらいなら、俺ひとりでするけど」
「いいって言ってるだろ。むしろ、おれ……」
「むしろ、何?」


 ────その時間が楽しくて好きなんだよ、という言葉は、からかうようなスバルの口調を受けて、呑み込んだ。


「なんでもない!!」
「聞かせてくれたっていいだろ」
「嫌だよ。とにかく、タツヤに妬くのとか意味わかんないから……!」
「は? 嫉妬なんてしてないし。けど、明日からはちゃんと寝ろよ。わかんない問題とか課題あれば、ラインで送ってくれてもいいし」
「……勉強もできるのかよ」


 恨めしい。つぶやいたおれにふわりと笑いかけて、スバルは保健室を出ていった。
 もう一度、天井を見つめる。


 やっぱり、このところのおれはなんだか変だ。あの、スバルという男に出会ってから。心臓の深い部分をぐるぐるとかき混ぜられているような気持ちになる。


「はあ……」


 ゆっくりと目を閉じる。襲ってきた睡魔におれはゆっくりと身をゆだねた。