4時間目の終わりを報せるチャイムが鳴る。苦手な数学の授業だったから、どっと疲れた。伸びをして体をほぐしながら、もうそろそろだなあと時計を見やる。
昼休みになったら、長井や他の友だち数人と適当に机を寄せて過ごす。それがオレの日常だったのだけれど。ここ最近、少し変化があった。
「陽真」
「和矢。こっち」
この通り、和矢が弁当片手にこの教室を訪れるようになったのだ。
長井たちとカラオケに行った日。宣言通り迎えに来てくれた和矢は、「これから昼休みは、毎日陽真のところへ行く」と言い出した。一週間経った今も、有言実行されているというわけだ。理由は聞いてもはぐらかされるが、一緒に過ごせるのだから嬉しいに決まっている。にやけるなというほうが無理な話だ。
「和矢、ここ座って」
「ありがとな」
近くの空いている椅子を拝借する。そこに腰を下ろす和矢に、クラス中の注目が集まっている。他のクラスの誰かが出入りするのはなにも珍しくないけど、やっぱり和矢は目を引くのだろう。体が大きくて目立つし、なんと言ったってかっこいいから。
「高良くん……今日も来たんすね」
「ああ。なあ、今日は? 言い寄ってきたヤツはいねえだろうな?」
「いませんよ。そんな心配しなくても、平気だと思いますけど」
「分からねえだろ、そんなの。モテてるって言ったのは長井じゃねえか」
「いや、そうなんすけど……こんな毎日来て牽制されたら、誰も近づけませんって」
「どうだか。本当は先生に頼みこんで、俺もこのクラスに変えてほしいくらいだ」
「いやー、はは。それはさすがに無理っすね」
長井は相変わらず、和矢には敬語だ。よそよそしいくせに、なんだかんだで毎日言葉を交わしている。その時はなぜかふたりともオレをチラチラ見るくせに、話の内容は絶対に教えてくれない。正直面白くないけど、もう諦めた。
「なあ和矢、オレ今日おにぎり作ってきたから見て! じゃーん」
和矢の気を引きたくて、効果音つきで大きめのおにぎりを取り出す。今朝母親に頼んで、自分の分とは別に作らせてもらった。米が減ると最初こそ渋られたが、和矢に渡すのだと言ったらすぐに了承してくれた。オレに似て、両親とも和矢のことを心底気に入っているのだ。
「陽真が作った? 料理苦手だって言ってたのに、すげえな」
「へへ、まあな。和矢にあげたかったから、頑張ってみた」
和矢はしっかり朝食を食べてから登校し、朝練の後にも大きなおにぎりを食べる。それでも昼休みにはまた、驚くほど大きな弁当をぺろりと平らげてしまう。おにぎりひとつ増えたって、どうってことないはずだ。
「っ、は? 俺のために? それはやべえな……」
両手で受け取ったおにぎりを手の中で転がしながら、和矢がマジマジと見つめている。視線を受け止めているのはホイルに包まれたおにぎりなのに、妙に照れくさい。
「な、早く食ってみてよ。和矢の好きな味だから」
「分かった。でも写真撮ってからな」
「え、それはちょっと恥ずかしい」
ホイルの状態で1枚、ホイルを剥いてからは角度を変えて5枚。満足いくまで写真を撮った和矢は、ようやく食べることにしたようだ。
「いただきます」
「召し上がれー」
「ん……梅味だ。すげーうまい」
「だろー? しそのふりかけ混ぜこんで、梅干し二粒分入れてみた! 種は取ってあるから、思いっきりかぶりついて大丈夫だぞ」
「さすが陽真、気が利くな」
「へへ」
ハムスターみたいに頬を膨らませて頬張る和矢を、机に肘をつきながら眺める。「俺はなにを見せられてんの?」なんて長井の声が聞こえるけれど、そりゃあ和矢のおいしい顔だろう。今この瞬間、その表情を作るのはオレのおにぎりなんだと思うと、すごく気分がいい。
あっという間に平らげてくれた和矢に、唐揚げもおすそ分けする。お礼に好きなのを取っていいと言うから、和矢の嫌いなニンジンのグラッセをもらった。オレも特別好きなわけじゃないけれど、和矢のためならなんてことはない。
最高の昼休みだ。あーあ、昼休みが2時間はあったらいいのに。なんて考えている頃に、オレは現実に引き戻される。このくらいの時間になると、明るくて大きな声が教室いっぱいに響き渡るからだ。
「高良ー! 弁当食い終わったぞ!」
「岩下……」
和矢の相棒である、岩下くんの登場だ。和矢と時を同じくして、岩下くんもこのクラスにやって来るようになった。どこまでもバッテリーというわけだ。こうなると和矢はすぐに席を立って、出入り口のところに立つ岩下くんの元へと行ってしまう。オレはその背中を見つめることしかできない。
「和矢……」
野球フリークとして、バッテリーを組むふたりがグラウンドを離れても仲睦まじいのは尊さすら感じる。絶対的エースと、公私ともに支える包容力を持つ捕手。まさに理想のバッテリーだ。それでもオレの胸は、じりじりと痛みだす。和矢との遠い距離を実感すると、オレはてんでダメになってしまうのだ。
「バッテリーって、部活中じゃなくてもあんなしょっちゅう一緒にいるもんなのか?」
和矢と岩下くんを眺めながら、長井がオレに問いかける。
「それはバッテリーによるだろうな。あのふたりは、特別仲がいいほうだと思う。……いいことだよ」
「ふうん。吉住的にはさみしいけど、仕方ないか」
「そう、仕方ない……って、は!? 長井お前、なに言って……」
「なにって、吉住の本心。今更だろ」
「っ、そうだけど〜!」
「さっさと収まるとこに収まってもらえると、俺としても助かるんだけどな」
「なんだよそれ……収まってるだろ、幼なじみってポジションに」
「……はあ。先は長そうだな」
長井は一体なにを言っているんだろう。いや、それよりもオレの気持ちをどこまで知っている? 長井にはいつも“幼なじみオタク”だとからかわれているけれど。さみしさを言い当てられるなんて、まるで恋心までバレているみたいじゃないか。
戸惑いつつ顔を上げると、和矢と目が合った。眉間をくしゅっと寄せている。どうしたのだろう? こちらを向きつつも、両手は岩下くんの肩に乗っている。岩下くんは抵抗しているようだけれど、マッサージでもしてあげているのかもしれない。
昼休みは残すところ10分ほど。でもこのまま、ろくに話せず終わりだろうな。教室にすぐ戻れるように、和矢の弁当箱をまとめておこうか。手を伸ばした時、教室のスピーカーからスイッチの入る音が聞こえてきた。
『高良ー、2年1組の高良。職員室まで来るように』
野球部顧問の先生の声だ。
週末についに始まった秋季大会。我が校は2回戦からの出場で、無事圧勝することができた。もちろん、オレも応援に駆けつけた。和矢のミットを構える姿も、打席に立ってばっちりヒットを打つ姿も最高だった。今週末の試合も勝ち上がったら、来週には準々決勝だ。
「なんだよ、放課後じゃダメなのか?」
「ダメだから呼ばれたんだろ。ほら高良、早く行ってこいよ」
「……はあ。岩下、お前も行くぞ」
「え、ヤだよ! 呼ばれたのは高良だけじゃん」
「お前置いてくと、なに言いだすか分かんねぇからな」
「……ちっ。お見通しってやつか」
ふたりだけに分かる、秘密の話ってやつかな。まさに以心伝心だ。焦れる胸をどうにか抑えつけながら、和矢の肩をトンとたたく。
「和矢これ、弁当」
「陽真……まとめてくれたのか? 悪いな」
「このくらい全然」
「ありがとう。じゃあ、行ってくる」
岩下くんの首根っこを掴むようにして、和矢は教室を後にする。昼休みが削られて不満そうだけれど、先生にも頼られている、そんなところも好きだな。
せめて、背中が見えなくなるまで見送っていよう。そう思ったのだけれど。突然立ち止まった和矢がこちらを振り返った。
「陽真!」
「へ……どうしたー?」
和矢と岩下くんは、もう隣のクラスの向こうまで進んでいる。そこで話すから半ば叫ぶみたいになっていて、なんだなんだと廊下にいた生徒たちまで振り返る。
「練習、今日は見に来れるか?」
「……あー」
今日は水曜で週も半ばだけれど、実は月曜からこっち野球部の練習を見に行けていない。来月開催される文化祭の、実行委員になってしまったからだ。各クラスの準備こそまだ始まってはいないが、委員はすでにやることがたくさんある。放課後が丸々潰れてしまうくらいに。
「今日も無理そう。てか、しばらく行けそうにない」
「っ、そうか……」
ひとクラス分距離があっても分かるくらい、和矢ががっくりと項垂れる。ただオレが好きで見学しているだけだけれど、和矢もちょっとは喜んでくれてたってことかな。
「試合は絶対に行くから!」
「ほんとか?」
「ほんと! 全部行くって言ったろ」
「ん、そうだったな。待ってる」
「おう! 絶対優勝!」
「ふ、ああ」
和矢のほうに向かって、拳を突き出す。すると和矢も同じように返してくれる。空中でのグータッチ。グラウンドの和矢と観客席のオレ、いつしかできたふたりだけの応援の合図だ。ああ、よかった。笑ってくれたみたいだ。今度こそ職員室へと向かう背中に、見えていなくたって構わないと手を振る。
昼休みに会えても話せるのは少しだけで、しばらくは練習の見学もお預けだ。さみしい、ものすごく。オレ、やっていけるのかな。正直、自信がない。でも和矢は、和矢のチームは、今週もその先も絶対に勝ち進む。それだけは曇りなく信じられる。和矢の強さを胸に、オレはオレでやるべきことをやるしかないのだ。
その週末、まだまだ暑い快晴の中で秋季大会3回戦が開かれた。6−0で勝つことができたのだけれど――
バッテリーはがっちりと噛み合っていた。岩下くんの投球に、相手校は手も足も出ない様子だった。ただ、バッターボックスに立つ和矢は本調子ではないようだった。
この大会から和矢は4番に腰を据えている。期待されている証だ。打席は4回まわってきた。そのうち出塁できたのは、フォアボールを選んだ初回のみ。あとは全て三振してしまった。感覚を掴めないままに終わってしまった、というような印象を受けた。
野球はチーム戦だ、勝ったのだから次へ進める。それでも勝利を喜ぶ輪の中で、和矢は苦い顔をしていた。悔しさで頭がいっぱいなのだろう。
観客席を飛び出して、駆け寄りたい衝動に駆られた。でも和矢に寄り添う岩下くんの姿を見て、踏みとどまった。いちばんそばにいる岩下くんが支えてくれるのなら、それがいいに決まっている。オレの出る幕はない。
「和矢……」
大丈夫だ。和矢なら必ず、来週の4回戦までに調子を取り戻せる。目が合ったら拳を出して、せめてオレは笑顔を見せよう。そう思ったのだけれど。試合中も含め、最後まで和矢はオレを見なかった。こんなことは、和矢が野球を始めて以来一度もなかった。
和矢なら大丈夫だ。本当にそう信じている。なのに妙に、胸はざわついて。喜びに沸く保護者や補欠の部員たちの端っこで、オレはくちびるを噛むことしかできなかった。
昼休みになったら、長井や他の友だち数人と適当に机を寄せて過ごす。それがオレの日常だったのだけれど。ここ最近、少し変化があった。
「陽真」
「和矢。こっち」
この通り、和矢が弁当片手にこの教室を訪れるようになったのだ。
長井たちとカラオケに行った日。宣言通り迎えに来てくれた和矢は、「これから昼休みは、毎日陽真のところへ行く」と言い出した。一週間経った今も、有言実行されているというわけだ。理由は聞いてもはぐらかされるが、一緒に過ごせるのだから嬉しいに決まっている。にやけるなというほうが無理な話だ。
「和矢、ここ座って」
「ありがとな」
近くの空いている椅子を拝借する。そこに腰を下ろす和矢に、クラス中の注目が集まっている。他のクラスの誰かが出入りするのはなにも珍しくないけど、やっぱり和矢は目を引くのだろう。体が大きくて目立つし、なんと言ったってかっこいいから。
「高良くん……今日も来たんすね」
「ああ。なあ、今日は? 言い寄ってきたヤツはいねえだろうな?」
「いませんよ。そんな心配しなくても、平気だと思いますけど」
「分からねえだろ、そんなの。モテてるって言ったのは長井じゃねえか」
「いや、そうなんすけど……こんな毎日来て牽制されたら、誰も近づけませんって」
「どうだか。本当は先生に頼みこんで、俺もこのクラスに変えてほしいくらいだ」
「いやー、はは。それはさすがに無理っすね」
長井は相変わらず、和矢には敬語だ。よそよそしいくせに、なんだかんだで毎日言葉を交わしている。その時はなぜかふたりともオレをチラチラ見るくせに、話の内容は絶対に教えてくれない。正直面白くないけど、もう諦めた。
「なあ和矢、オレ今日おにぎり作ってきたから見て! じゃーん」
和矢の気を引きたくて、効果音つきで大きめのおにぎりを取り出す。今朝母親に頼んで、自分の分とは別に作らせてもらった。米が減ると最初こそ渋られたが、和矢に渡すのだと言ったらすぐに了承してくれた。オレに似て、両親とも和矢のことを心底気に入っているのだ。
「陽真が作った? 料理苦手だって言ってたのに、すげえな」
「へへ、まあな。和矢にあげたかったから、頑張ってみた」
和矢はしっかり朝食を食べてから登校し、朝練の後にも大きなおにぎりを食べる。それでも昼休みにはまた、驚くほど大きな弁当をぺろりと平らげてしまう。おにぎりひとつ増えたって、どうってことないはずだ。
「っ、は? 俺のために? それはやべえな……」
両手で受け取ったおにぎりを手の中で転がしながら、和矢がマジマジと見つめている。視線を受け止めているのはホイルに包まれたおにぎりなのに、妙に照れくさい。
「な、早く食ってみてよ。和矢の好きな味だから」
「分かった。でも写真撮ってからな」
「え、それはちょっと恥ずかしい」
ホイルの状態で1枚、ホイルを剥いてからは角度を変えて5枚。満足いくまで写真を撮った和矢は、ようやく食べることにしたようだ。
「いただきます」
「召し上がれー」
「ん……梅味だ。すげーうまい」
「だろー? しそのふりかけ混ぜこんで、梅干し二粒分入れてみた! 種は取ってあるから、思いっきりかぶりついて大丈夫だぞ」
「さすが陽真、気が利くな」
「へへ」
ハムスターみたいに頬を膨らませて頬張る和矢を、机に肘をつきながら眺める。「俺はなにを見せられてんの?」なんて長井の声が聞こえるけれど、そりゃあ和矢のおいしい顔だろう。今この瞬間、その表情を作るのはオレのおにぎりなんだと思うと、すごく気分がいい。
あっという間に平らげてくれた和矢に、唐揚げもおすそ分けする。お礼に好きなのを取っていいと言うから、和矢の嫌いなニンジンのグラッセをもらった。オレも特別好きなわけじゃないけれど、和矢のためならなんてことはない。
最高の昼休みだ。あーあ、昼休みが2時間はあったらいいのに。なんて考えている頃に、オレは現実に引き戻される。このくらいの時間になると、明るくて大きな声が教室いっぱいに響き渡るからだ。
「高良ー! 弁当食い終わったぞ!」
「岩下……」
和矢の相棒である、岩下くんの登場だ。和矢と時を同じくして、岩下くんもこのクラスにやって来るようになった。どこまでもバッテリーというわけだ。こうなると和矢はすぐに席を立って、出入り口のところに立つ岩下くんの元へと行ってしまう。オレはその背中を見つめることしかできない。
「和矢……」
野球フリークとして、バッテリーを組むふたりがグラウンドを離れても仲睦まじいのは尊さすら感じる。絶対的エースと、公私ともに支える包容力を持つ捕手。まさに理想のバッテリーだ。それでもオレの胸は、じりじりと痛みだす。和矢との遠い距離を実感すると、オレはてんでダメになってしまうのだ。
「バッテリーって、部活中じゃなくてもあんなしょっちゅう一緒にいるもんなのか?」
和矢と岩下くんを眺めながら、長井がオレに問いかける。
「それはバッテリーによるだろうな。あのふたりは、特別仲がいいほうだと思う。……いいことだよ」
「ふうん。吉住的にはさみしいけど、仕方ないか」
「そう、仕方ない……って、は!? 長井お前、なに言って……」
「なにって、吉住の本心。今更だろ」
「っ、そうだけど〜!」
「さっさと収まるとこに収まってもらえると、俺としても助かるんだけどな」
「なんだよそれ……収まってるだろ、幼なじみってポジションに」
「……はあ。先は長そうだな」
長井は一体なにを言っているんだろう。いや、それよりもオレの気持ちをどこまで知っている? 長井にはいつも“幼なじみオタク”だとからかわれているけれど。さみしさを言い当てられるなんて、まるで恋心までバレているみたいじゃないか。
戸惑いつつ顔を上げると、和矢と目が合った。眉間をくしゅっと寄せている。どうしたのだろう? こちらを向きつつも、両手は岩下くんの肩に乗っている。岩下くんは抵抗しているようだけれど、マッサージでもしてあげているのかもしれない。
昼休みは残すところ10分ほど。でもこのまま、ろくに話せず終わりだろうな。教室にすぐ戻れるように、和矢の弁当箱をまとめておこうか。手を伸ばした時、教室のスピーカーからスイッチの入る音が聞こえてきた。
『高良ー、2年1組の高良。職員室まで来るように』
野球部顧問の先生の声だ。
週末についに始まった秋季大会。我が校は2回戦からの出場で、無事圧勝することができた。もちろん、オレも応援に駆けつけた。和矢のミットを構える姿も、打席に立ってばっちりヒットを打つ姿も最高だった。今週末の試合も勝ち上がったら、来週には準々決勝だ。
「なんだよ、放課後じゃダメなのか?」
「ダメだから呼ばれたんだろ。ほら高良、早く行ってこいよ」
「……はあ。岩下、お前も行くぞ」
「え、ヤだよ! 呼ばれたのは高良だけじゃん」
「お前置いてくと、なに言いだすか分かんねぇからな」
「……ちっ。お見通しってやつか」
ふたりだけに分かる、秘密の話ってやつかな。まさに以心伝心だ。焦れる胸をどうにか抑えつけながら、和矢の肩をトンとたたく。
「和矢これ、弁当」
「陽真……まとめてくれたのか? 悪いな」
「このくらい全然」
「ありがとう。じゃあ、行ってくる」
岩下くんの首根っこを掴むようにして、和矢は教室を後にする。昼休みが削られて不満そうだけれど、先生にも頼られている、そんなところも好きだな。
せめて、背中が見えなくなるまで見送っていよう。そう思ったのだけれど。突然立ち止まった和矢がこちらを振り返った。
「陽真!」
「へ……どうしたー?」
和矢と岩下くんは、もう隣のクラスの向こうまで進んでいる。そこで話すから半ば叫ぶみたいになっていて、なんだなんだと廊下にいた生徒たちまで振り返る。
「練習、今日は見に来れるか?」
「……あー」
今日は水曜で週も半ばだけれど、実は月曜からこっち野球部の練習を見に行けていない。来月開催される文化祭の、実行委員になってしまったからだ。各クラスの準備こそまだ始まってはいないが、委員はすでにやることがたくさんある。放課後が丸々潰れてしまうくらいに。
「今日も無理そう。てか、しばらく行けそうにない」
「っ、そうか……」
ひとクラス分距離があっても分かるくらい、和矢ががっくりと項垂れる。ただオレが好きで見学しているだけだけれど、和矢もちょっとは喜んでくれてたってことかな。
「試合は絶対に行くから!」
「ほんとか?」
「ほんと! 全部行くって言ったろ」
「ん、そうだったな。待ってる」
「おう! 絶対優勝!」
「ふ、ああ」
和矢のほうに向かって、拳を突き出す。すると和矢も同じように返してくれる。空中でのグータッチ。グラウンドの和矢と観客席のオレ、いつしかできたふたりだけの応援の合図だ。ああ、よかった。笑ってくれたみたいだ。今度こそ職員室へと向かう背中に、見えていなくたって構わないと手を振る。
昼休みに会えても話せるのは少しだけで、しばらくは練習の見学もお預けだ。さみしい、ものすごく。オレ、やっていけるのかな。正直、自信がない。でも和矢は、和矢のチームは、今週もその先も絶対に勝ち進む。それだけは曇りなく信じられる。和矢の強さを胸に、オレはオレでやるべきことをやるしかないのだ。
その週末、まだまだ暑い快晴の中で秋季大会3回戦が開かれた。6−0で勝つことができたのだけれど――
バッテリーはがっちりと噛み合っていた。岩下くんの投球に、相手校は手も足も出ない様子だった。ただ、バッターボックスに立つ和矢は本調子ではないようだった。
この大会から和矢は4番に腰を据えている。期待されている証だ。打席は4回まわってきた。そのうち出塁できたのは、フォアボールを選んだ初回のみ。あとは全て三振してしまった。感覚を掴めないままに終わってしまった、というような印象を受けた。
野球はチーム戦だ、勝ったのだから次へ進める。それでも勝利を喜ぶ輪の中で、和矢は苦い顔をしていた。悔しさで頭がいっぱいなのだろう。
観客席を飛び出して、駆け寄りたい衝動に駆られた。でも和矢に寄り添う岩下くんの姿を見て、踏みとどまった。いちばんそばにいる岩下くんが支えてくれるのなら、それがいいに決まっている。オレの出る幕はない。
「和矢……」
大丈夫だ。和矢なら必ず、来週の4回戦までに調子を取り戻せる。目が合ったら拳を出して、せめてオレは笑顔を見せよう。そう思ったのだけれど。試合中も含め、最後まで和矢はオレを見なかった。こんなことは、和矢が野球を始めて以来一度もなかった。
和矢なら大丈夫だ。本当にそう信じている。なのに妙に、胸はざわついて。喜びに沸く保護者や補欠の部員たちの端っこで、オレはくちびるを噛むことしかできなかった。



