極悪令嬢の華麗なる公開処刑〜偽善という名の汚物を優雅に剪定いたします〜

 都内の一等地にある、一見さんお断りの最高級ホテル。
 その最上階に位置するVIPラウンジは、選ばれた者だけが足を踏み入れることを許される、俗世から隔絶された天上界だった。

「ご予約のお客様ですね。ご案内いたします」

 洗練された所作のボーイに導かれ、五十嵐は緊張で脂汗を滲ませながらふかふかの絨毯を踏みしめていた。

(まさか、待ち合わせにこんな場所を指定してくるとは……いや、世間知らずの小娘が、ネットで見つけた高い店を適当に選んだだけだろう。ここで大人の余裕を見せつけて、上手く手頃なホテルへ誘導してやらねば)

 卑しい計算を巡らせながら、五十嵐は指定された奥のボックス席へと向かう。
 そこは、フロアの中でも特に見晴らしが良く、プライバシーが守られた最高の席だった。

 だがしかし。
 怯えた子羊の姿が見当たらない。

 座っていたのは、全身を特注のハイブランドで包み、まるでどこかの国の王女のように優雅にアールグレイを傾ける、ハニーブロンドの美少女だった。
 窓から差し込む夕方の柔らかな光が彼女の髪を黄金に輝かせ、圧倒的な存在感は、広大なラウンジの空気すらも支配しているかのように見える。

「なっ……! み、御園様!?」

 五十嵐の喉から、間の抜けた悲鳴が漏れた。
 彼の職場である学園の絶対的聖域(アンタッチャブル)
 名門ボルティア家の血を引く貴族にして本物のマフィアの孫娘。
 なぜ彼女がこんな所にいるのか。
 五十嵐はパニックを起こし、反射的に媚びへつらう愛想笑いを浮かべた。

「こ、これは御園様! 奇遇ですな、このような場所で……あ、いや、私はその、知人と待ち合わせを……」

「奇遇? あら、おかしなことを仰るのね、五十嵐先生」

 翡翠はティーカップをソーサーに静かに置き、ふわりと大和撫子のように微笑んだ。

「『君のような純粋な子が寂しい思いをしているなんて、大人の男として放っておけません。君の力になってあげたいんだ』――。そう仰って、わたくしをここへ呼び出したのは、先生ではありませんか」

「…………へ?」

 五十嵐の顔面から、さぁっと血の気が引いていく。
 あの、親の愛に飢えた、容易く支配できるはずの都合の良い小娘の正体が、目の前の『絶対強者』だった。
 その事実を脳が理解した瞬間、五十嵐の膝はガクガクと震え始めた。

「そ、そそ、そんな……! いや、誤解です! 私はただ、悩める生徒の相談に乗ろうと……!」

 咄嗟に苦しい言い訳を口走るが、翡翠の氷のように冷たい、見透かすような碧眼に射竦められ、五十嵐は息を呑む。
 追いつめられた彼は、己の唯一の武器である『教師という権力』に縋りついた。

「み、御園様こそ、いくら名家のお生まれとはいえ、このような不純な出会い系アプリを利用するなど、褒められたことではありませんぞ! 理事長経由で保護者へ報告されたく——」

「あら」

 翡翠は、どこまでも愛らしくコロコロと銀の鈴を転がすように笑う。

「お祖父様にご報告なさって? ええ、ぜひ。本国イタリアでマフィアのドンとして君臨する祖父が、目の中に入れても痛くない孫娘に手を出そうとした『薄汚い虫けら』をどう処理するか……わたくしも見物ですわ。東京湾に沈むか、薔薇の肥料になるか、どちらがお好みかしら? わたくしとしては、後者の方がロマンティックかと思うのですけれど」

「ひっ……!」

 五十嵐は喉の奥で悲鳴を上げた。
 彼の持つ学園での薄っぺらい権力など、翡翠の背後にある本物の暴力と絶対的な権力の前では、文字通り砂上の楼閣、いや、塵芥に過ぎない。

「そ、そうだ! お小遣いだ! これで何か、好きなものを買って帰りなさい!」

 極度のパニックに陥り、完全に理性を失った五十嵐は、無意識のうちに己の最も卑しい『常套手段』に縋った。
 脂汗で震える手で安っぽい革財布を取り出し、大理石のテーブルの上へ数枚の万札――とはいえ、せいぜい三万円程度の現金を滑らせたのだ。
 それが彼の、小賢しい大人の余裕を示すための、限界だった。

 しかし。
 テーブルの上の剥き出しの万札を見て、翡翠は心底不思議そうに小首を傾げた。

「……あら? 先生。その汚れた紙切れは、一体なんでしょうか。わたくしに、何かメモでも残してくださるの?」

 そこに一切の嫌味はなく、純粋な疑問である。
 彼女は、本物の特権階級だ。
 ブラックカードすら持ち歩かず、欲しいものはすべて顔パスか外商が手配する世界で生きている。
 彼女にとって、幾人もの手垢と欲望にまみれた現金など、文字通り見たこともない、不衛生な紙切れに等しい。

「なっ……! か、紙切れ……っ、これは現金で……!」

「お嬢様」

 五十嵐が顔を真っ赤にして言いかけた瞬間。
 翡翠の背後の影から、音もなく黒服の青年が歩み出た。
 狂犬の庭師、角能零――彼は白い手袋に包まれた指で、まるで汚物でも摘むかのように、スッとその数枚の万札を拾い上げた。

「こちらは下民が用いる『現金』という紙幣でございます。お嬢様のような高貴な方が、直接お手を触れるような清潔な代物ではございません」
 
 零は翡翠に恭しく一礼すると、五十嵐に向かって、氷のように冷酷で、ひどく見下した笑みを向けた。
 その瞳には、先ほどまでの穏やかな従者の面影は微塵もない。
 殺気と即無しの嘲笑が渦巻いている。

「……とはいえ。お嬢様の美しい視界を汚した迷惑料、あるいは私の本日の働きに対する『チップ』としては、ひどく安っぽく滑稽な額ですが……有難く頂戴しておきましょう」

 胸ポケットに、その三万円が無造作に突っ込まれる。
 零の行動は、五十嵐のちっぽけな自尊心を完膚なきまでに叩き潰した。
 彼が己の全能感を示すための唯一の武器(現金)は、目の前に立つ狂犬にとっては『安いチップ』以下のゴミとして扱われたのだ。

「あ……あ、あぁ……っ」

「ふふっ、面白い先生。わたくしに『愛』を教えてくださるのではなくて?」

 絶望しカタカタと奥歯を鳴らしながら後ずさりする五十嵐を眺めながら、翡翠は胸元で煌めくカメオのブローチ――零が仕込んだ超小型カメラに優雅に触れ、冷酷に嗤った。

「その滑稽で卑しいお姿、しっかりとこの目に焼き付けさせていただきましたわ。……ええ、どうぞ月曜からの学園生活も、変わらず清く正しく(・・・・・)お過ごしくださいませね?」

 その言葉が、死刑宣告であることを五十嵐は悟った。
 彼は顔面を土気色にし、悲鳴すら上げられず、無様な足取りで逃げ出していく。

 逃げ場など、どこにもないというのに。
 如何にも滑稽な背中を、翡翠は、ただ静かに小首を傾げたまま見送っていた。