学園の敷地内に設えられた豪奢な薔薇園のガゼボでは、上位の家柄の少女たちによる、選ばれた者だけのお茶会が開かれていた。
色とりどりの焼き菓子や、一流のパティシエが焼き上げたスコーンが並ぶテーブル。
しかし、その場の空気は、和やかな歓談とは程遠い、ピンと張り詰めた緊張感に支配されている。
なぜなら今日、この場には――御園・ジェイド・翡翠が同席しているからだ。
「御園様。本日はお茶会にご足労いただき、本当に光栄ですわ。こちらの紅茶は、先週父がロンドンに赴いた際に、王室御用達の――」
「ええ、とても良い香りね。ありがとう」
主催者である取り巻きの令嬢の媚びへつらうような言葉を、翡翠は優雅な微笑みでふわりと受け流す。
彼女の背後には、今日も完璧な従者の仮面を被った――角能零が静かに控えていた。
学園に入り込む名目上は庭師であるが、実際にはこのように甲斐甲斐しく世話を焼く姿の方が、生徒たちの印象は大きい。
彼は翡翠のカップが僅かに空く気配を察知しただけで、音もなく進み出ると、まるで神聖な儀式でも執り行うかのように、恭しく、そして愛おしげに黄金色の紅茶を注ぎ足す。
「――それでね、お父様が今度の夏休みには、南仏に新しいヴィラを買ってくださると仰って」
「まあ、素敵。実はわたくしの家も、クルーザーを新調したばかりでしてよ」
翡翠の機嫌を損ねまいと気を張りながらも、令嬢たちの話題は次第に、いつもの見栄の張り合いへとスライドしていく。
そんな中、一人だけ居心地の悪そうに肩をすくめている少女がいた。
先日、校門で五十嵐に髪色を理由に責め立てられていた少女だ。
「あら、そういえば」
マウントの矛先を探していた一人の少女が、意地悪な笑みを浮かべて彼女に視線を向けた。
「あなた、ずいぶんと大人びた時計をしていらっしゃるのね。……でも、少し背伸びしすぎじゃなくて? 成金のお家は、身の丈に合わないものを買い与えるから品がないのよ」
「っ……これは……」
「それにその髪。先日も五十嵐先生に注意されていらしたじゃない。せっかくの素晴らしい学園の空気が、あなたのせいで淀んでしまうわ」
クスクスと、愛らしい唇から嘲笑が漏れる。
少女は顔を真っ赤にして俯き、膝の上でギュッと拳を握りしめた刹那。
カチャリ、と。
翡翠が、ティーカップをソーサーに置く、心なしか冷たい音が響いた。
「…………っ」
ただそれだけで、令嬢たちの嘲笑がピタリと止む。
誰もが息を呑み、怯えたようにハニーブロンドの女王を見つめる。
「……南仏のヴィラに、クルーザー。ええ、可愛らしいお遊戯ね」
翡翠は退屈そうにため息をついた。
「わたくしのお祖父様は先月、地中海に浮かぶ島を丸ごと一つ買い上げましたわ。なんでも、中世から続く我がボルティア家ゆかりの歴史的な離宮を再建するとかで。……まったく、イタリアの歴史を背負う名門貴族の当主ともあろうお方が、孫娘の避暑地となると歯止めが利かなくて困ってしまいますわ」
「し、島を……!?」
「それに、そちらのブランド」
翡翠は、時計を馬鹿にしていた令嬢が自慢げに置いていたバッグを一瞥する。
「先週、わたくしの実家の傘下にある投資ファンドが、親会社を買収いたしましたの。つまり、あなたがたが自慢しているものはすべて、わたくしの家が所有する歴史の一部に過ぎないということですわね」
圧倒的な資本力と、途方もないスケールの歴史。
次元が違いすぎる圧倒的な事実を前に、令嬢たちの顔からさぁっと血の気が引いていく。
ヴィラだのクルーザーだのというマウントが、いかに小鳥のさえずりのように滑稽で矮小なものか、思い知らされたのだ。
「ひっ……も、申し訳ございません、御園様、わたくし、そのようなつもりでは……!」
真っ青になった令嬢が、慌てて翡翠へ言い訳をしようと一歩前に出た。
――その瞬間。
ベルガモットの香りを切り裂いて、鋭い鉄の匂いが空気を走る。
令嬢の鼻先に、いつの間にか冷たい銀色の剪定鋏が突きつけられていた。
「……お嬢様の御前にて、騒々しい声を上げるな。躾のなっていない小娘が」
零だった。
足音一つ、衣擦れの音すらさせない異常な身のこなし。
翡翠にだけ向けられる甘やかなまでの恭しさは微塵もない。
その瞳には令嬢たちがこれまで見たこともないような、濃密で絶対的な死の気配が渦巻いている。
毒のごとく、冷酷で容赦のない本物の狂気。
彼にとって、翡翠以外の人間など路傍の石以下の価値しかない。
もし翡翠が少しでも不快な顔を見せれば、彼は躊躇いなくこの場で対象者の喉笛を切り裂くだろう。
少女は恐怖のあまり声も出せず、ガタガタと震え上がり、その場にへたり込んだ。
「おやめなさい、零。お茶の香りが血生臭くなってしまうわ」
「……失礼いたしました、お嬢様。どうかお許しを」
零の纏っていた恐ろしい殺気は、翡翠の言葉一つで一瞬にして霧散した。
彼はふたたび恭しい忠犬の顔に戻ると、剪定鋏を隠し、深く頭を下げる。
翡翠は震え上がった令嬢たちにはもう見向きもせず、最後に、呆然としている『栗色の髪の少女』へ流し目を向けた。
「貴女……小さな水溜りの中で、どんぐりの背比べをしていても虚しいだけですわ。本当に噛みつくべき相手は誰なのか……よく見極めることですわね」
冷ややかな視線に見透かされ、少女はハッと息を呑むと、無意識のうちに右腕の時計を隠すように反対の手で強く握りしめた。
五十嵐の甘い毒牙にかかりかけている彼女への、残酷で確かな警告だ。
「さあ、戻るわよ、零。少し退屈してしまったわ」
翡翠は優雅に踵を返す。
お茶会はまだ始まったばかり。
テーブルの上には沢山の焼き菓子が残されていたが、誰一人としてそれに手を伸ばす者はいない。
残された少女たちは、底知れぬ恐怖に縛り付けられたように、しばらくの間その場から動くことができなかった。
色とりどりの焼き菓子や、一流のパティシエが焼き上げたスコーンが並ぶテーブル。
しかし、その場の空気は、和やかな歓談とは程遠い、ピンと張り詰めた緊張感に支配されている。
なぜなら今日、この場には――御園・ジェイド・翡翠が同席しているからだ。
「御園様。本日はお茶会にご足労いただき、本当に光栄ですわ。こちらの紅茶は、先週父がロンドンに赴いた際に、王室御用達の――」
「ええ、とても良い香りね。ありがとう」
主催者である取り巻きの令嬢の媚びへつらうような言葉を、翡翠は優雅な微笑みでふわりと受け流す。
彼女の背後には、今日も完璧な従者の仮面を被った――角能零が静かに控えていた。
学園に入り込む名目上は庭師であるが、実際にはこのように甲斐甲斐しく世話を焼く姿の方が、生徒たちの印象は大きい。
彼は翡翠のカップが僅かに空く気配を察知しただけで、音もなく進み出ると、まるで神聖な儀式でも執り行うかのように、恭しく、そして愛おしげに黄金色の紅茶を注ぎ足す。
「――それでね、お父様が今度の夏休みには、南仏に新しいヴィラを買ってくださると仰って」
「まあ、素敵。実はわたくしの家も、クルーザーを新調したばかりでしてよ」
翡翠の機嫌を損ねまいと気を張りながらも、令嬢たちの話題は次第に、いつもの見栄の張り合いへとスライドしていく。
そんな中、一人だけ居心地の悪そうに肩をすくめている少女がいた。
先日、校門で五十嵐に髪色を理由に責め立てられていた少女だ。
「あら、そういえば」
マウントの矛先を探していた一人の少女が、意地悪な笑みを浮かべて彼女に視線を向けた。
「あなた、ずいぶんと大人びた時計をしていらっしゃるのね。……でも、少し背伸びしすぎじゃなくて? 成金のお家は、身の丈に合わないものを買い与えるから品がないのよ」
「っ……これは……」
「それにその髪。先日も五十嵐先生に注意されていらしたじゃない。せっかくの素晴らしい学園の空気が、あなたのせいで淀んでしまうわ」
クスクスと、愛らしい唇から嘲笑が漏れる。
少女は顔を真っ赤にして俯き、膝の上でギュッと拳を握りしめた刹那。
カチャリ、と。
翡翠が、ティーカップをソーサーに置く、心なしか冷たい音が響いた。
「…………っ」
ただそれだけで、令嬢たちの嘲笑がピタリと止む。
誰もが息を呑み、怯えたようにハニーブロンドの女王を見つめる。
「……南仏のヴィラに、クルーザー。ええ、可愛らしいお遊戯ね」
翡翠は退屈そうにため息をついた。
「わたくしのお祖父様は先月、地中海に浮かぶ島を丸ごと一つ買い上げましたわ。なんでも、中世から続く我がボルティア家ゆかりの歴史的な離宮を再建するとかで。……まったく、イタリアの歴史を背負う名門貴族の当主ともあろうお方が、孫娘の避暑地となると歯止めが利かなくて困ってしまいますわ」
「し、島を……!?」
「それに、そちらのブランド」
翡翠は、時計を馬鹿にしていた令嬢が自慢げに置いていたバッグを一瞥する。
「先週、わたくしの実家の傘下にある投資ファンドが、親会社を買収いたしましたの。つまり、あなたがたが自慢しているものはすべて、わたくしの家が所有する歴史の一部に過ぎないということですわね」
圧倒的な資本力と、途方もないスケールの歴史。
次元が違いすぎる圧倒的な事実を前に、令嬢たちの顔からさぁっと血の気が引いていく。
ヴィラだのクルーザーだのというマウントが、いかに小鳥のさえずりのように滑稽で矮小なものか、思い知らされたのだ。
「ひっ……も、申し訳ございません、御園様、わたくし、そのようなつもりでは……!」
真っ青になった令嬢が、慌てて翡翠へ言い訳をしようと一歩前に出た。
――その瞬間。
ベルガモットの香りを切り裂いて、鋭い鉄の匂いが空気を走る。
令嬢の鼻先に、いつの間にか冷たい銀色の剪定鋏が突きつけられていた。
「……お嬢様の御前にて、騒々しい声を上げるな。躾のなっていない小娘が」
零だった。
足音一つ、衣擦れの音すらさせない異常な身のこなし。
翡翠にだけ向けられる甘やかなまでの恭しさは微塵もない。
その瞳には令嬢たちがこれまで見たこともないような、濃密で絶対的な死の気配が渦巻いている。
毒のごとく、冷酷で容赦のない本物の狂気。
彼にとって、翡翠以外の人間など路傍の石以下の価値しかない。
もし翡翠が少しでも不快な顔を見せれば、彼は躊躇いなくこの場で対象者の喉笛を切り裂くだろう。
少女は恐怖のあまり声も出せず、ガタガタと震え上がり、その場にへたり込んだ。
「おやめなさい、零。お茶の香りが血生臭くなってしまうわ」
「……失礼いたしました、お嬢様。どうかお許しを」
零の纏っていた恐ろしい殺気は、翡翠の言葉一つで一瞬にして霧散した。
彼はふたたび恭しい忠犬の顔に戻ると、剪定鋏を隠し、深く頭を下げる。
翡翠は震え上がった令嬢たちにはもう見向きもせず、最後に、呆然としている『栗色の髪の少女』へ流し目を向けた。
「貴女……小さな水溜りの中で、どんぐりの背比べをしていても虚しいだけですわ。本当に噛みつくべき相手は誰なのか……よく見極めることですわね」
冷ややかな視線に見透かされ、少女はハッと息を呑むと、無意識のうちに右腕の時計を隠すように反対の手で強く握りしめた。
五十嵐の甘い毒牙にかかりかけている彼女への、残酷で確かな警告だ。
「さあ、戻るわよ、零。少し退屈してしまったわ」
翡翠は優雅に踵を返す。
お茶会はまだ始まったばかり。
テーブルの上には沢山の焼き菓子が残されていたが、誰一人としてそれに手を伸ばす者はいない。
残された少女たちは、底知れぬ恐怖に縛り付けられたように、しばらくの間その場から動くことができなかった。

![[シナリオ]朧廻国 心を繋ぐ双命の符](https://novema.jp/img/member/1393403/5pedue7kco-thumb.jpg)

