探偵研究部。――カケラノセカイ―― ③ サマーゲームパーティー

 チチッ、チチッと、縁側からスズメたちの声がする。

 キュッと、日に焼けた手がタイル張りの洗面台の蛇口を締めた。
 冷たい水が顔を濡らし、目を瞑りながら、手探りで白いタオルを探しあてる。

「ふ――」

 水滴をぬぐいながら、小川は前髪のピンをはずして洗面台にもどし、そのタオルを首にあてる。
 古い、日本家屋の一軒家だ。

「行ってきまーす」

 タオルを首にかけて、体操着のTシャツ短パンを着た小川は、カラリと玄関の引き戸を開けて外に出た。

「気をつけなさいね」
「がんばれ」

 という家族の言葉を背中に、走り始めた。

 夏休みに入ってからというもの、朝早くにジョギングをすることは、小川の日課となっていた。
 湿気を含んだ涼しい空気が、アスファルトの熱を冷まし、静まり返った公園の木々を揺らしている。規則正しい呼吸で息を吸い込めば、冴えるような心地となる。小川の好きな時間だった。

「やあ」

 それは突然だった。
 鬱蒼とした木々の間を抜けたところだった。

 不意に、ひとりの男性に呼び止められた。
 三十代後半から四十代前半といった風貌だが、その鋭い眼光は、まるで獲物を探す猛禽類(もうきんるい)のようだった。
 その目を見た瞬間だ。
 穏やかな時間が一転して、ひりひりとした緊張感が走った。

(不審者? 男狙いの変質者?)

 思わず小川は後ずさる。
 その姿に苦笑して、

「意外に用心深いんだな」

 と、男は胸ポケットから警察手帳を取り出した。

「君、小川歩(あゆむ)君だね? 私は佐藤――県警の刑事だ」

 小川は、警察手帳が本物か偽物か、疑わしそうに見ている。
 そこで、決定的な言葉を伝えた。

「有栖川美知さんと同じ部活だね。ちょっとお話を聞かせてもらえるかい?」

 未知の名前が出たことで、なぜか刑事に対する安心感よりも警戒の冷たい汗が背中を伝った。
 佐藤は、小川の警戒心を察したのか、静かに言葉を続けた。

「イワン、という人物を知っているね? 彼は数ヶ月前に逮捕された。まだ日本に拘留中だ」

「えっ!? 彼、まだ、日本にいるんですか!」

 小川は驚きを隠せない。
 今は七月の終わりだ。四月のあの事件は、彼らにとっては遠い過去だった。

 イワン。――未知を誘拐しようとしたテロリストの外国人の少年。
 まさか、まだ日本にいるとは。

「ああ。彼がまだ日本にいる限り、有栖川家も警戒は解けない」

 ふと、まだ未知がSPを連れて登下校していることを思い出した。

「あ、あの……なんで、まだ本国に帰ってないんですか?」

「さあ、そこまでは。国同士の外交だからね。もしかしたら、帰ってほしくない理由でもあるのかな?」

 佐藤は、どこか含みのある言い方をした。

「とかく、まだわからないことが多いからね」

 そして、鋭い視線を小川に向け、問いかけた。

「イワンとの関わりから、彼女はいつまた危険な目に遭うかわからない。小川くん、彼女に特別な感情は?」

 小川は「え?」と間抜けな声を出す。

「鈍いなあ。青春時代でしょ。好きかどうかということ」

 佐藤の「青春時代」というワードセンスにあっけにとられながらも、小川は、

「いやいや、そんなんじゃないですよ」

 と、焦って否定した。

(あいつは、一緒にジタバタやってる部活仲間だ)

「まあ彼女を守るには、君自身が強くなるしかない。君はジョギングで体を鍛えてるんだな。いい心がけだが、こんなのはどうかな?」

 佐藤はそう言うと、間髪入れずに小川に組みかかってきた。

「……っ! なんだよ!?」

 小川は避けようと身をよじるが、刑事の力は強かった。
 石のように動かない。
 柔道部たちとやった時とは、スピードも、重さも格段に違う。

「これは組手の稽古だ。探偵には、推理力だけでなく、自分と大切な仲間を守る力が必要だ」

 小川は、わけもわからないまま、ただ佐藤の猛攻を受けることになった。

 ******

 同じ日の朝、平屋は街の柔術道場にいた。

 十分ほど前――
 シリアルやトーストの朝食に飽き飽きした平屋は、夏休みだからと、ちょっとぜいたくにアーケード街にあるバーガーチェーン店で朝食を食べたばかり。
 機嫌よく路面のカプセルトイなどを眺めていたその時だ。
「体験していきませんか――? 夏休みの運動不足解消に、学生さんも大歓迎です」

 チラシを持ってアーケードに立っていた、きれいな女性に声をかけられた。
 立て看板には、「女性向け護身術講座」と書かれているが、

「男の子でも大歓迎ですよ。十分くらいの体験だから、良かったら」

 とにこやかに笑う。

(……まともそうな感じだし、女性向けなら、ゆるく体を動かすにはちょうどいいかな)

 夏休み中オンラインゲーム三昧の生活を振り返った平屋は、その女性の涼し気で一本芯の入ったような立ち姿に惹かれたこともあって、そのままアーケード沿いのビルの二階テナントに案内された。

 そこは、小さめだがきちんと柔道場のように畳がしかれた一室だった。
 普段はそこそこ練習生がいるのだろう。ロッカーには私物が置かれている。
 玄関のスタッフ紹介ボードの「師範代」の一人に、その女性の写真が飾られている。
 
 「はじめまして。師範代のみゆおです」

 その女性が頭を下げた。
 
(なるほど。芯の強さが感じられた訳だ)

 平屋が靴を脱いで上がる。
 朝だからだろうか。まだ生徒は来ていない。
 いわれるがままにストレッチを始める。

「驚いた。意外と畳に慣れてるのね。それから、体もやわらかい。何か習ってた?」

 平屋はちょっと照れくさくなり、「ええ、まあ」とだけ答えた。

「柔術はね、力に頼らない護身術なの。相手の力を利用して、自分を守る。探偵さんにも、きっと役に立つと思うわ」

 みゆおはそう言うと、平屋を畳の真ん中へと誘った。

「探偵?」

 ぎくりと思わず聞き返すと、みゆおは意味深にただ微笑むだけだった。

   ******

「いって――――」
「いたたたた」

 昼過ぎのカフェは賑わっていた。
 小川と平屋は、カフェに向かい合って座りながら、腕や足をさすっていた。
 小川の白Tシャツからのぞく肘は、自分で手当てした大きめの絆創膏が無造作に貼られている。デニム越しに、すりむいた膝をさすった。
 平屋のほうは痛みを散らすように、くすみオレンジのオーバーシャツを着た上半身を伸ばした。

 不思議な遭遇者との不意の稽古の後、たまらず連絡を取り合った二人は、それぞれが体験した出来事をすり合わせることにした。

 小川は佐藤との出会いを、平屋は柔術道場でのことを話した。

「お前はまだいいよ。室内だったんだろ? こっちはいきなり公園の砂場でやったから、体中砂だらけだし、おまけに擦るし。
 頭からシャワーかぶって来た」

 不満げに小川はコーラをすすった。

「いや、こっちだって関節キメられて、二度とタブレット持てないと思いましたよ」
 平屋は口をとがらせながらアイスティーの氷をストローで混ぜる。

 ホットドッグをほおばりながら、小川が名刺を取り出す。

「ほら、これ、連絡先だって。組手ならいつでも稽古してくれるって」
 
 そこには、神奈川県警捜査一課 佐藤 秋人と書いてある。

 平屋も片手でスコーンを食べながら、みゆおから受け取った柔術道場の紹介カードを、カーキのカーゴパンツのポケットから取り出した。

「なんで俺たち二人に近づいたんだか……」

 名刺を手元で遊ばせながらも、小川の目は鋭くなった。

(未知の事を嗅ぎまわっているのだろうが、こちらも後輩を売るような真似はしたくない)

「佐藤さんは、まだ話していないことがあるはずだ。それを知るためにも、俺はこれからも佐藤さんについて稽古するわ」

 名刺を小川は財布に入れて紺色のボディバックに仕舞った。
 
 平屋も頷く。

「女性用護身術ってのは気に入らないけど、僕もみゆおさんのそばで鍛えますよ」

 そう言って平屋は、アイスティーを飲んだ。

 そして、布帛のメッセンジャーバックから、グレーのカバーがついたタブレットを取り出した。

「ところで。
 僕たち二人っていうのももったいないので、ここに未知も呼びましたよ。
 せっかくだし、探偵活動しませんか?」

 平屋は、あるサイトを立ち上げた。

『ゲームの達人』
 ネオン色の文字が現れる。
 マジシャンのような、怪盗のような姿のアニメの二頭身キャラがチャカチャカと動く。
 クイズのサイトである。
 
 夏休み前、中学生たちの間でこのサイトがSNSや動画サイトでしきりに話題になっていたのだ。
 
 管理者の『ゲームマスター』からのお題をクリアすると、ゲームやデジタルツールなどの景品がもらえる。
 しかもその景品が最新のゲーム機や、高価なワイヤレスイヤホンだったり、ちょっと欲しいものばかりだ。
 しかも、応募対象者は中学生限定。

「ゲームの達人、知ってる? すごい景品がもらえるらしいよ!」
「応募した?」
「した!」

 夏休み前の学校ではそんな話題が持ちきりだった。

 その人気サイトが、夏休みに大規模なオフラインイベントを開催すると告知されてからは、中学生たちは腕試しにこぞって応募していた。

 もちろん、探偵研究部としては、この話題に乗らないわけにはいかない。
 小川と平屋も興味本位で応募したから、もしかして……とサイトを調べていたのだ。

 すると、平屋が突然、タブレットを机の上に投げ出した。

「くっそ。残念! 
 このイベント参加、招待状の発送をもって終了したって!
 招待状のIDがないと入れない! 
 SNSのコメントみるとどうやら当選者は全国トップクラスの偏差値の人達が多いみたいだ。
 すでに選ばれた人たちは招待状をもらって、SNSで喜びの声を上げてる! つまり現時点でなにも送られてこない奴には参加資格はないってことだ!」

 小川が画面をのぞくと、確かに、SNSでは、

『招待状届いた――! ラッキー!』
『楽しみ過ぎる!』

 という反応が続く。

「あーあ。はずれかよ」

 小川が残念そうに言うと

「そのようですね。もちろん僕にも届いていませんし……」

 と未練がましく、自分のSNSを何度も確認する。

「「あーあ」」

 がっかりとストローをくわえている二人のところに、亜麻色のショートカットの髪を揺らしながら、カフェのお盆を持った未知がやって来た。
 水色のピンタックの入ったシャツワンピースは、きっちりとアイロンがかけられていて、なんだか制服みたいだった。
 SPの人たちは近くの席で待機している。

 アイスカフェラテの乗ったお盆をそっと置きながら、未知はお誕生日席に座る。

「先輩方、お静かに」

 と口角の上がった口元に人差し指を当てる。
 青みかかった瞳できょろっと二人を見てから

「私には、届きました」

((え――――!!))

 二人は口を手で押さえて声なき声で叫ぶ。

 未知は、スマホ画面のスクリーンショットを二人に見せる。

 身近な体験者の話が聞けそうだ! と二人は顔を見合わせ、にやりと笑う。

「もー、未知くんったら、さっすがー!」

 小川は肘で未知を小突くふりをする。
 ちょっと悔しそうに招待状を見る平屋が言った。
「このゲームマスターの母体ってどこかの学習塾とかなのかな? 優秀な中学生を募りたいっていう」
 
 興味深そうに招待状画面を眺める先輩二人をみながら、未知は事情を話した。
「……うーん。
 でも、実は私、申し込んだ覚えはないんです」

 その言葉に、小川と平屋はハッとして未知に目を向ける。

「実は、昨日突然、スマホにメールが送られて来ましたからね。
 最初は、詐欺メールとも思ったんですが、『ゲームの達人』サイトに直接確認すると、本物の招待状でした」

「……優秀過ぎて、ダイレクトにスカウトされたってコト?」
 平屋がカタコトで言ったのがおかしくて吹き出しながら

「そんなことないと思いますよ」
 未知は笑った。

 ――その時、未知のスマホの通知が鳴った。
 「Locus Sapientiae」のアイコンをタップする。

 小川はうんざりした顔で言う。

「また、そのアプリかあ。俺それ嫌い。
 アプリ名も何でキザにラテン語なんだよ。いいじゃん、『お勉強のアプリ』で」

 (小川先輩らしいなあ)
 と苦笑しながら、平屋は、そのアプリを見て言った。

「未知のハンドルネームは『ナイチンゲール』か。何? 看護師になりたいの?」

 未知は、小首をかしげて笑った。

「あー。そっちのほうが有名ですもんね。
 でも、これは、『小夜啼鳥』っていう鳥の英名から取ったんです」

 と、画面をスクロールし始め――不意に、その指がピタリと止まった。