探偵研究部。――カケラノセカイ―― ③ サマーゲームパーティー

「カシャ!」
 軽快なシャッター音が鳴り
「はい、オッケー。三人ともいい顔だった」
 と言いながらカメラマンが部室から出ていく。
 ポーズを解いて平屋は伸びをし、未知は嬉しそうにスマホを眺めながらそれぞれ机にもどる。
「どーも」とカメラマンを部室の外まで見送ってから、半袖のカッターシャツと軽やかな装いに反して小川は重い足取りで、席に着く。

 季節はもう六月――。

 中間試験前。放課後の薄暗い探偵研究部の部室には、いつもと違うベクトルの熱――テスト勉強の熱がこもっていた。

 中学三年生、受験生の小川は、目の前の問題集に向かう。
 苦苦しい顔で、ダンベルよりはるかに軽いシャーペンを持ち上げた。

 隣に座る中学二年生の平屋は、そんな小川の焦りを眉間のしわから切実に感じとりながらも、涼しい顔でタッチペンをくるくると手元で遊ばせながらタブレットの問題を解いている。

 問題集を一通り終え、スマホを眺めている一年生の未知は、二人の先輩の空気を変えるように明るい声で話しかけた。

「わたし、最近これで勉強しているんですよ。腕試しに、ちょっとどうですか?」

 そう言ってスマホを差し出した。

 画面には、緑のリンゴの木に金色のヘビが巻き付く重厚なエンブレムのアイコンが表示され、その下には
「Locus Sapientiae」という文字。

「ローカス? サピ……? これ、なんて読むんだ?」

 小川が戸惑うと、

「ロクス・サピエンツィエ」

 未知は何の変哲もないように、きれいな発音で話した。

「ラテン語で『知恵の場所』って言います。まず、こんな感じで問題が出るんですよね」

 未知がスマホをスワイプしていく間、なじみのないラテン語を平然と話す未知に小川は驚いていた。

 白地にかっちりとした明朝体で書かれている問題のページは、簡潔でなおかつ圧倒的に情報が少ない文章が並んでいた。

 多分それは数学の証明問題だろう。
 しかし、ほとんどヒント的なものが何もないその問題は、今勉強している問題よりもはるかに高度なものだ、と小川は気づいた。

「これ、どうやって解くんだ?」

 小川の頭の中に無限の宇宙が展開した……。

(なんだこれ? 問題を答えるためのとっかかりって普通なんかあるだろ?? それが無い!)

 未知はニコニコと小川を見つめている。
 平屋も遠巻きにじいっと見てる。
 焦りが募った。

 自分は中学三年生なのに、中一の未知や中二の平屋に助けを求めるわけにはいかない。

 そう思っていると、未知が「あ」と何かに気づいたように声を上げた。

「ごめんなさい。これ、今レベル星五にしてました。N高校入試の過去問ですね」

(N高校! 名前聞いたことあるぞ。国内最難関の一つじゃねーか!!)

 小川はのどの奥で悲鳴を上げた。

「う、嘘だろ……。こんなの入試に出るのかよ……!」

 小川は思わずつぶやき、情けなさに顔を青くした。

「普通の! 普通の公立高校の過去問をお願いします!」

 と叫ぶと、未知はアプリのレベルをあっさりと星を三つに切り替えた。

「はい。普通です」

 と見せられた画面には、今度は膨大な英語の長文が並びだす。
 平屋がその画面を見、すぐさま「うえっ!」と真っ青になり後ずさった。

「未知、何言ってるの!?」

 平屋の叫びに、未知はきょとんと画面を見て、また「あ!」とアプリをいじり、また無邪気に画面を差し出した。

「ほら、平屋先輩用に! 二年生用ありますよ」

 だが、平屋は顔を青くして見るもんかと言わんばかりに、ブンブンブン! と無言で頭を振った。
 平屋は叫びをあげる。

「いや、未知! そうじゃない。そうじゃないんだ! このアプリ、そもそも星三つでもおかしい! こんな長文ほぼ呪文だよ!」

 小川は、平屋が自分と同じように苦しんでいることに少しだけ安堵し、同時に焦りがさらに増すのを感じた。

 このアプリを当たり前のように使いこなす未知という存在が、宇宙人のように感じられる。
 ……確かに部室争奪戦での知力勝負の未知は、他を圧倒していたが、まさかここまでとは……!

「き……君、いつもこんなアプリで勉強してるのか?」

 表情はにこやかだが口元はやや引きつり、小川の声は震えていた。

(『君』って……。普段は、『お前』とか『未知』とかぞんざいに呼んでんのに……)

 と、内心平屋は突っ込んだ。

 未知は、さも当然と偉ぶるそぶりも見せずニコニコとして言う。

「はい。
 でも、わたしなんて、このアプリの中ではまだまだなんですよ。
 ほら、これ見てください!」

 そう言って、アプリのランキング画面を開く。
 そこには、群を抜いた得点数のユーザーがいた。

「見てください、この子。トップランカーの子で、スパロウっていうハンドルネームなんですけど……」

 小川は、画面に映し出された、けた外れの数字に息をのんだ。

「どんなやつなんだよ、コイツ……」

 宇宙どころか異次元を見る気がした。

 このまま自分と比べてはいたずらにプライドが傷つくだけだ。うちはうち! よそはよそ!

 小川は冷静を装って、本題とは違う質問を投げかけた。

「まあ、未知、さん? が頭がいいのはよっくわかりました! いいねえ! 勉学は!」

(なぜ急に敬語になった……?)

 平屋は再度心で突っ込みながら、小川の顔を見た。

「で、このアプリなんか楽しいの? やっぱさあ、勉強は楽しくないとな!」

 と、ごまかすよう自分の机に戻ろうとする小川に、未知はアプリの別の画面を開いた。

「楽しいですよ。得点に応じて、プライズ(ご褒美)で好きなトピックを送ってくれるんですよ。
 私は英詩が好きなので、こんな感じ……。
 ほら、素敵でしょ?」

 そう言って、キーツやブレイクなどの有名な英詩を見せる。

 しかし、そもそも英詩なんてなじみのない小川と平屋は、あまりのアカデミックさに全然ピンときていない。

(あれ? 楽しくないのかな?)

 と未知は二人の薄い反応にきょとんとした後、思いついて、

「あー、じゃあ、これは?」

 もっと親しみやすいものを見せようと、マザーグースの一編を表示した。

「『Who killed Cock Robin?』
 ――コマドリを殺したのは、だれ?」


   ******


 ――同じ頃、別の場所にて。

 夕暮れの放課後。
 人っ子一人いない教室で、男子学生が制服のまま机に足を投げ出していた。

 目の前には、問題集の代わりにスマホのアプリ「Locus Sapientiae」が開かれ、ハンドルネームは「スパロウ」と表示されている。

「ふん、こんなところか」

 机に投げ出されたシャーペンがカラリと音を立てた。
 少年は、ノートに書きなぐった計算式を素早いフリックでアプリの解答欄に入力していく。

 画面には即座にラテン語で「RECTE(レクテー)」――『正解』の文字が浮かび上がり、同時にプライズの英詩が送られてきた。

 それは、ウイリアム・ブレイクの「無垢の予兆」に登場する、スズメの詩だった。

(スズメ……スパロウね。
 気をきかせたつもりか?)

 彼は片方だけ口角を上げて、心の中で毒づく。

(残念。オレのは、ジャック・スパロウだぜ)

 と、手にしたペンを剣のようにシュッ、シュと空を斬らせて遊んでから、机の横に掛けたボックス型のリュックを足でトンと叩く。軽い音を鳴らして揺らしたそれを満足げに彼は眺めた。

 ――彼のハンドルネームが持つ意味を、このアプリは知る由もない。

 その時、スマホがピロンと間抜けな音を鳴らした。アプリ内のチャットの音だ。

「あ、またコイツ感想書いてる」

 送られてきたのは、先ほど解いた問題に紐づけられた、詩の感想だった。

 その感想は、短い文章なのに言葉の深読みが過ぎるというか、繊細だ。
 そいつは問題の正答率は普通みたいだが、言葉選びが洗練されていて、知性を感じる。そして、何よりも、感覚の純粋さが、想像力を掻き立てた。

(どんなやつなんだろう?)

「ナイチンゲール、か」

 画面に表示された、そのハンドルネームを見つめ、声に出していた。

(看護師か、医師志望か?)

 なぜか気になって仕方なかった。

 ふと、アプリの隅にグループチャットのアイコンがあることに気づいた。
 時間の無駄だろうな、とは思いながら、もしかして、という気持ちが胸をよぎる。

(もしかして、互いを理解できる人間に出会えるかもしれない)

【英詩を語りたいやつの部屋】

 適当にタイトルをつけて、ルームを公開した。
 通知がピコン、と鳴り始める。

 水色の画面に、緑のチャットが現れる。

『キュービー:はじめまして! いつも英詩を楽しみにして、なんとか勉強してる。仲良くしよう!』

(あ、コイツ、いつも一番に声あげるな? どうせ体育会系の筋肉バカに違いない)

 ピコン、ピコン……。
 通知音が鳴り、つぎつぎに自己紹介のチャットが始まる。

(さっちん、ベロンチョ、チョコレート、おぶさん……うーん、ハンドルネームがどうも終わってる)

 興味が持てないまま、画面をスクロールする。

『ハムスター:はじめましてっ!🐹✨💕💖(≧▽≦)🎵🌟』

(うーん、小動物がハンドルネームかよ。なんか「私ってかわいい?」ていう女子か?)

 メンバーの凡庸さに、辟易し始めたその時だった。

『ナイチンゲール:はじめまして! いつも一方通行で感想を書いていたので、みんなとつながれて嬉しいです! ナイチンゲールは、アンデルセン童話から取ったハンドルネームです。よろしく。』

(おおお! 模範解答きた!)

 思わず身を乗り出した。誰とも違う。落ち着いた、それでいて知的な自己紹介。
 ドラえもんのしずかちゃんみたいな、クラスに一人はいる優等生のかわいい女の子。そんな真面目で清楚なイメージが浮かんだ。

 そこで、彼は、スマホをタップする。

「オレはスパロウ。スズメだよ。以後よろしく」

 そう打ち込むと、チャットは一気に盛り上がった。
「トップランカーだ!」
「スパロウ(雀)とナイチンゲール(小夜啼鳥)。鳥コンビだ!」
「善逸か!?」など、様々なコメントで盛り上がる。

 しかし、彼の興味は、ただ一人の人物に釘付けだった。

(この子に会ってみたい)

 こうして、彼らの「知恵の場所」での日々は始まった――。