万年桜の生贄婚〜咲かぬ桜の神と生贄乙女の一年契約〜

 夜の帳が落ちた頃。藤ノ宮家の関係者や村長、役人たちが万年桜のもとへ集まり始めた。
 松明の炎がゆらゆらと揺れ、桜の幹を赤く照らし出す。光と影が交差する景色の中、相変わらず花を咲かせる気配を見せない大樹は、巨大な影だけを地面に落としていた。

「奈珠那、こっちよ」

 沙都子に呼ばれ、奈珠那は言われるまま儀式の列に加わった。
 歩みを進めながら、彼女はある違和感を覚えた。奉納の儀は、笛や太鼓の音が遠くまで響き、厳かでありながらも華やかな儀式のはず。毎年留守をしていた家の中にも、それは届いていたくらいだ。
 だが、今年は音がない。それどころか、笛も太鼓も見当たらず、松明の炎だけが揺らめいている。その殺風景さは、祭りではなく処刑場を思わせた。

 ──これが、奉納の儀……?

 思い描いていた儀式とは程遠い。妙な緊張が空気を満たしている。
 集まった人々は奈珠那を避けるように道を開ける。その視線には軽蔑とも好奇ともつかぬ色が浮かんでいた。

 桜の根元へ到着すると、着物をまとっている千佳が待っていた。
 奈珠那の違和感がさらに膨らむ。儀式の際には、巫女装束で身を清めるのが習わしだったと記憶している。だが千佳の着ているそれは、喪を思わせるような深い墨色の打掛だった。

「こんばんは、奈珠那姉様。主役のご登場ですわね」
 
 いつにも増して張りついた笑みを浮かべ、扇子を胸の前で畳んだ。

「……主役?」

 意味がつかめずに問い返すと、千佳は嘲るような目で見返した。

「あら、やっぱり気づいてなかったの? 今日の捧げものは、姉様よ」
「……え?」

 風が止んだ。松明の火だけが、ぱちりと音を立てる。

 ──捧げもの……? 私が……?
 
 理解が追いつかない。世界だけが先に動いて、自分だけが取り残されていくようだ。
 なぜ自分なのか。どうして今なのか。問いは浮かんでいるのに、声にならなかった。

「さあ、時間よ。準備をして差し上げて」

 千佳の合図とともに、両脇から男たちが歩み寄る。奈珠那は一歩下がろうとしたが、すぐに肩や腕を掴まれた。

「ち、ちょっと……待って……」

 抗議の声はあっけなくかき消される。帯が乱暴にほどかれ、着物がはらりと肩口から滑り落ちた。

「やめ……やめてください……っ!」

 少女の必死の抵抗など、大の男たちの腕に通用するはずもない。着物は容赦なく引きはがされ、残された長襦袢さえも乱れていた。そして、後ろ手に組まされた両手首へ荒縄がきつく巻きついた。

「どうして……こんな……」

 息が震え、声が掠れる。
 愉快そうに奈珠那を眺めていた千佳はふんと鼻を鳴らし、勝ち誇ったように微笑んだ。

「言ったでしょう、捧げものだって。姉様は今夜、生贄になるのよ」

 ──生贄……。

 その言葉が、ずしりと奈珠那の胸に落ちた。
 昼間、村の通りで聞いた捧げものの噂。この数日の、沙都子と千佳の妙な静けさと奇妙な態度。それらが一つに結びつき、奈珠那はようやく理解した。

 ──私が生贄になるって決まってたんだ。

 怒り、憎しみ、悲しみ、そして──終わりが見えることへの、かすかな安堵。自分でもうまく感情の整理ができず、言葉が出てこなかった。

「皆さま、最後に姉様と二人きりでお話してもよろしいかしら? 血は繋がってなくても姉妹でしたから、お別れくらいは」

 千佳が柔らかい声で告げる。その裏に潜む悪意は、誰より奈珠那が知っていた。
 男たちも女たちも、気を遣ったように足早にその場を離れていく。松明の灯りが遠ざかり、万年桜の根元には奈珠那と千佳だけが残された。

「……千佳」

 奈珠那が呼びかけるよりも早く、千佳はくすりと笑った。
 
「ああ、やっと祟り子がいなくなるのね。清々するわ。これで万年桜も花を咲かせるはずよ」
「初めから……こうするつもりだったのね……」
「これでも待ってあげたほうだと思ってほしいくらいだわ」

 扇子で奈珠那のあごを軽く押し上げ、嫌味ったらしく告げる。

「あなたの両親にも、もうすぐ会えるんじゃなくて?」
「私の両親は……違う田舎へ行っただけで……」

 その言葉の続きを千佳の芝居がかった声が遮った。

「ああ、なんてかわいそうな奈珠那姉様。本当に何も知らないのね。あなたの両親は自害したのよ。祟り子を産んだ(つぐな)いだって」
「……え?」
「相当あなたのことを憎んでいたらしいわ。最期の瞬間まで、姉様のことを恨んでいたそうよ」

 千佳の言葉は、生贄にされるという事実よりも何倍も深く奈珠那の胸を刺した。それでも、涙は一滴も出なかった。
 奈珠那には、両親に愛された記憶が残っていない。思い返してみれば、物心ついたころには避けられ、疎まれ──最後に抱きしめてもらった日の体温すら思い出せない。そうして奈珠那が七つのとき、両親は藤ノ宮家の都合で田舎へ移ったのだと聞かされた。
 だが、実際はそうではなかったようだ。

 ──私が……いたから。

 大切にされた記憶はなくとも、自分のせいで人が苦しみ、そして命が消えてしまった。その真実のみが彼女の胸を酷烈に(えぐ)る。

「祟り子なら、せめて最期くらい役に立ちなさいな」

 あははというあの高笑いが、奈珠那が最後に聞いた人の声だった。

 ──私なんて、生まれてこなければよかったんだ。

 ひとり残された奈珠那の唇に、身体中の力が抜け切った笑みが浮かんだ。

 やがて、松明が消える。残り火が闇に呑まれていく様は、自分の命が静かに燃え尽きていくようで、どこか安らかなものにさえ思えた。

 闇夜を照らす満月の明かりさえも、彼女の目には届かなかった。
 深く澄んだ空気の中、ただ一つ──枯れ果てた万年桜だけが、闇に呑まれずそこにある。

 じりっと、後ろ手に縛られた両腕に痺れが伝いはじめた。薄手の長襦袢は衣の役目を成さず、容赦なく夜風が肌を刺す。
 齢十七、普通のうら若き少女には、とても耐えきれない環境だろう。そんな状況に置かれも、彼女にはもはや恐怖という感情すら湧いてこなかった。

 ──もう、どうでもいい……。

 命を投げ出すように目を伏せようとしたとき、空気が変わった。
 それまでただの枯れ木だった万年桜から、淡い光が滲み出す。集まりだした光の粒は花びらのように舞い出し、少女の頬に触れた。
 そして──。

「ずいぶんと粗略に扱われた女だな」

 その声は、どこからともなく落ちてきた。気づけば、枯れ木の影に一人の男が立っている。
 白銀とも薄桜色ともつかない、肩下まで伸びた長い髪。衣服は月光をまとったかのような白絹。黄金の瞳は、無感情のまま少女を映す。
 人ならざるものだと、彼女は一瞬で悟った。
 
「……神、さま……?」
「だとしたら、どうする」

 震える声を前にしても、男は興味もなさそうに目を細めるだけだった。その存在感は、恐ろしいほどに美しい。
 男は一歩近づき、淡く笑った。

「その有様、生贄か」
「……はい」
「くだらない」

 打ち捨てるような一言が続く。
 
「名は?」

 少女は少しだけ唇を開いた。名を告げる声は風に溶けるほど弱々しい。

「……奈珠那、と申します」

 男は「ふうん」と短く息をもらし、彼女のあごを指で持ち上げた。奈珠那に怯えは見当たらない。彼女もまた、男と同じように感情を置き去りにしてた。

「死にたいのか?」
「……生きることにも、死ぬことにも……もう、興味ありません」

 自嘲の気配を帯びたその言葉に、男はわずかに目を細める。嗤うような、呆れるような、それでいて楽しげな色が混ざり始めたのがわかった。

「はは、つまらん娘だな」

 奈珠那のあごから手を離した男は、改めて彼女を見やった。

「一年、猶予をやろう」
「……一年?」
「どうせここで死ぬと思っていたんだろう。なら、今でも一年後でも、なにも変わらん」

 男が彼女の顔を覗き込む。奈珠那の緋の瞳に映ったのは、酷薄な美貌。それは無慈悲でありながらも、崇高で抗い難い輝きを孕んでいた。
 
「一年以内に、俺を愛せ」

 突然の宣告に奈珠那は息を呑む。射抜くような瞳に、逃げることも目を逸らすこともできず、ただその男を見つめていた。

「できなければ……一年後、俺がお前を殺してやる」

 桜の花びらが落ちるように残酷なその言葉は、すべてを終わらせる救いの言葉にも似ていた。

 夜の気配が震えた。世界の軸がきしりとずれるような感覚が、奈珠那の全身を貫く。
 男の瞳が月光を映した水面のように淡く揺れた。ほんの一瞬、少女に興が湧いたとでもいうように、光がかすかに色を変えたのだ。

「……はい」

 奈珠那からこぼれた呟きは、本人さえ意図しないものだった。果たしてそれは、救済を求めた返事だったのか。それとも、逃れられぬ運命に身を委ねた証だったのか。彼女自身にも、もう判別がつかなかった。