「で、いつまで居座るつもりだ」
「うわあ。冷たいなあ、瓊環は。あ、雪でも食べた?」
結局、漣は当たり前のように屋敷に上がり込み、囲炉裏の傍らに腰を下ろした。瓊環はそれを咎めるでもなく、ひとつだけ大きなため息をつく。
「あの……私、お茶でも淹れてきましょうか?」
「こいつに出す茶なんてない」
「ええ? 久々に来た客人なんだから、少しくらいもてなしてくれてもいいじゃん」
漣は楽しそうに笑ってみせた。瓊環の素っ気なさを懐かしんでいる、そんな余裕さえ感じられた。
「瓊環様、奈珠那様! 見てください、今度こそ立派な……」
雪を踏みしめる音とともに、珀弥が勢いよく現れた。
「あ、漣様。いらっしゃってたんですね」
「珀弥、久しぶりだね」
「ご無沙汰しております」
「それは?」
漣の視線が珀弥の手元へ移った。
「雪だるまです。先ほど瓊環様に『下手くそ』と言われまして、作り直したんです」
珀弥が差し出したのは、さきほどよりも一回り大きな雪だるまだった。木の枝で作った腕、落ち葉で整えた目と口。まだ少し歪ではあるが、ずいぶんと形にはなっている。
「今度はどうですか!?」
意気揚々と、奈珠那と瓊環の前にむんずと手を伸ばす。
「さっきのより、ずっといいです」
「お前は呑気でいいな、珀弥」
呆れたように呟いた瓊環だったが、その表情はどこか力が抜けていた。
「やっぱり、褒めてくれるのは奈珠那様だけですね」
珀弥はむっとした素振りを見せながらも、すぐに口元を緩める。瓊環は相変わらず素っ気ないが、珀弥はそれも込みで受け取っているらしい。雪だるまを抱えたその姿は、どこから見ても嬉しさを隠しきれていなかった。
「ふぅん。ずいぶんと居心地がよくなったもんだね」
囲炉裏の向こうで漣がゆるく目を細めている。
「そうでしょう。奈珠那様がいらっしゃってから、この屋敷はとても和やかになりましたよ」
「なるほどねぇ」
漣は奈珠那へ視線を流し、値踏みするように首を傾げた。その視線に、どうしてか胸の奥がざわつく。
「君が来てから、ここの空気が変わった。瓊環がこんなふうに人と並ぶようになるなんて思わなかったよ」
軽い口調とは裏腹に、瞳には紛れもない実感がひしひしと滲んでいた。からかっている、だけではない気がする。奇妙ともいえるような不自然さが、奈珠那の胸に小さく引っかかった。
「ねえ、奈珠那ちゃん」
じいっと彼女を見つめた漣が、にこやかに微笑んだ。
「僕と、恋してみない?」
「……え?」
言葉の意味が理解できず、奈珠那は目を見開いた。
「……漣様!」
絶叫したのは珀弥だった。抱えていた雪だるまを落としそうになりながら、厳しい目を漣に向けている。
「いいじゃん。瓊環とはただの契約相手で、恋愛感情なんてないんでしょ?」
冗談めかした口調。けれど、菫色の瞳は一欠片も笑っていない。
「奈珠那ちゃんが誰かを選ぶなら、瓊環じゃない可能性だって全然あるよね。それに無愛想な瓊環より、僕のほうが奈珠那ちゃんを楽しませてあげられると思うな」
「漣」
地を這うような瓊環の低い声が、空気をひりつかせた。彼の周囲だけが肌を刺すような凄烈な神気に支配され、囲炉裏の火がぱちりと沈む。
「戯言にしては、度が過ぎてるんじゃないか?」
「そう? 瓊環が奥手なだけで、このくらい普通だと思うけどな」
漣はひらひらと手を振ってかわすが、紫色の視線は瓊環を挑発するように離さずにいる。
「彼女にだって、選ぶ権利くるいあるはずだよ。それとも……」
わずかに間を置いて、漣は奈珠那へ視線を向けた。
「奈珠那ちゃんは、もう瓊環のことが好きなのかな」
「私は……そんな……」
心臓が跳ねた。突然突きつけられた問いに、奈珠那は言葉を失う。否定しようにも、漣のいう「好き」がどんな意味なのか、自分でもまだわからずにいた。
「帰れ」
瓊環が短く断ち切る。
「ええ、まだお茶の一杯も飲んでないのに」
「貴様に出す茶などないと言ったはずだ」
「手厳しいなあ、瓊環は」
漣は一瞬だけ目を細めた。からかいの色が消える。代わりに瞳に宿ったのは、長い時を生きてきた者だけが持つ、諦観にも似た深く沈んだ光。
だが次の瞬間には、それを覆い隠すように軽い笑みを取り戻していた。
「まあ、今日はこの辺でいいか。だいぶ空気悪くなっちゃったし」
漣は立ち上がり、衣を整える。その動作さえも、枝垂れた藤の花のようにしなやかだった。
「じゃあね、奈珠那ちゃん」
「二度と来るな」
瓊環が冷たく突き放した言葉を背に、漣はひらりと手を振り返す。そして、冬景色の中へと溶けるように姿を消した。
「……ああ、オレの雪だるまが!」
突如響いた珀弥の情けない悲鳴が、部屋に残された異物感を押し流した。
「せっかく作ったのに、ちょっと目を離した隙に……!」
耳と尻尾は、しゅんと垂れている。囲炉裏のそばに置いたせいで溶けるのが早まったのだろう。忙しなく言葉を並べていて、どこか悔しそうだ。
珀弥は崩れかけの雪だるまを抱えると、すくっと立ち上がり「直してきます!」と庭へ駆け出していった。
やがて雪を踏む足音も遠ざかり、部屋には囲炉裏の火がぱちりと小さく弾ける音だけが残る。気づけば、瓊環と奈珠那の二人きり。漣が残していった甘い花の香りも、いつの間にか薄れていた。
二人きりだと意識した途端、奈珠那は言葉が見つからなくなった。しかし、沈黙は落ち着かない。何か言わなくてはと手元を見つめ、指先をきゅっと握った、そのとき。
「気にするな」
短い言葉が、ぱちりと熱を持ってように降ってきた。
「漣はああいうやつだ。誰にでも、ああして距離を詰める。昔はもう少しマシだったんだが」
「……そう、なんですね」
瓊環は囲炉裏の火を見つめたまま、深く息を吐いた。その横顔は苛立ちだけではなく、もっと複雑な感情が滲んでいる気がした。
数刻ほど沈黙が流れる。
「奈珠那」
不意に名を呼ばれ、奈珠那は顔を上げた。
「お前が誰を選ぼうと契約は変わらん。俺がお前を離すことも、ない」
金の瞳は命じるようでも縛るようでもなく、純粋に奈珠那を映していた。
「……はい」
返事はわずかに震えていた。「離さない」と告げられたことへの恐怖ではなく、その言葉に安堵してしまった自分自身への戸惑いと、抑えきれない小さな喜びだった。
「うわあ。冷たいなあ、瓊環は。あ、雪でも食べた?」
結局、漣は当たり前のように屋敷に上がり込み、囲炉裏の傍らに腰を下ろした。瓊環はそれを咎めるでもなく、ひとつだけ大きなため息をつく。
「あの……私、お茶でも淹れてきましょうか?」
「こいつに出す茶なんてない」
「ええ? 久々に来た客人なんだから、少しくらいもてなしてくれてもいいじゃん」
漣は楽しそうに笑ってみせた。瓊環の素っ気なさを懐かしんでいる、そんな余裕さえ感じられた。
「瓊環様、奈珠那様! 見てください、今度こそ立派な……」
雪を踏みしめる音とともに、珀弥が勢いよく現れた。
「あ、漣様。いらっしゃってたんですね」
「珀弥、久しぶりだね」
「ご無沙汰しております」
「それは?」
漣の視線が珀弥の手元へ移った。
「雪だるまです。先ほど瓊環様に『下手くそ』と言われまして、作り直したんです」
珀弥が差し出したのは、さきほどよりも一回り大きな雪だるまだった。木の枝で作った腕、落ち葉で整えた目と口。まだ少し歪ではあるが、ずいぶんと形にはなっている。
「今度はどうですか!?」
意気揚々と、奈珠那と瓊環の前にむんずと手を伸ばす。
「さっきのより、ずっといいです」
「お前は呑気でいいな、珀弥」
呆れたように呟いた瓊環だったが、その表情はどこか力が抜けていた。
「やっぱり、褒めてくれるのは奈珠那様だけですね」
珀弥はむっとした素振りを見せながらも、すぐに口元を緩める。瓊環は相変わらず素っ気ないが、珀弥はそれも込みで受け取っているらしい。雪だるまを抱えたその姿は、どこから見ても嬉しさを隠しきれていなかった。
「ふぅん。ずいぶんと居心地がよくなったもんだね」
囲炉裏の向こうで漣がゆるく目を細めている。
「そうでしょう。奈珠那様がいらっしゃってから、この屋敷はとても和やかになりましたよ」
「なるほどねぇ」
漣は奈珠那へ視線を流し、値踏みするように首を傾げた。その視線に、どうしてか胸の奥がざわつく。
「君が来てから、ここの空気が変わった。瓊環がこんなふうに人と並ぶようになるなんて思わなかったよ」
軽い口調とは裏腹に、瞳には紛れもない実感がひしひしと滲んでいた。からかっている、だけではない気がする。奇妙ともいえるような不自然さが、奈珠那の胸に小さく引っかかった。
「ねえ、奈珠那ちゃん」
じいっと彼女を見つめた漣が、にこやかに微笑んだ。
「僕と、恋してみない?」
「……え?」
言葉の意味が理解できず、奈珠那は目を見開いた。
「……漣様!」
絶叫したのは珀弥だった。抱えていた雪だるまを落としそうになりながら、厳しい目を漣に向けている。
「いいじゃん。瓊環とはただの契約相手で、恋愛感情なんてないんでしょ?」
冗談めかした口調。けれど、菫色の瞳は一欠片も笑っていない。
「奈珠那ちゃんが誰かを選ぶなら、瓊環じゃない可能性だって全然あるよね。それに無愛想な瓊環より、僕のほうが奈珠那ちゃんを楽しませてあげられると思うな」
「漣」
地を這うような瓊環の低い声が、空気をひりつかせた。彼の周囲だけが肌を刺すような凄烈な神気に支配され、囲炉裏の火がぱちりと沈む。
「戯言にしては、度が過ぎてるんじゃないか?」
「そう? 瓊環が奥手なだけで、このくらい普通だと思うけどな」
漣はひらひらと手を振ってかわすが、紫色の視線は瓊環を挑発するように離さずにいる。
「彼女にだって、選ぶ権利くるいあるはずだよ。それとも……」
わずかに間を置いて、漣は奈珠那へ視線を向けた。
「奈珠那ちゃんは、もう瓊環のことが好きなのかな」
「私は……そんな……」
心臓が跳ねた。突然突きつけられた問いに、奈珠那は言葉を失う。否定しようにも、漣のいう「好き」がどんな意味なのか、自分でもまだわからずにいた。
「帰れ」
瓊環が短く断ち切る。
「ええ、まだお茶の一杯も飲んでないのに」
「貴様に出す茶などないと言ったはずだ」
「手厳しいなあ、瓊環は」
漣は一瞬だけ目を細めた。からかいの色が消える。代わりに瞳に宿ったのは、長い時を生きてきた者だけが持つ、諦観にも似た深く沈んだ光。
だが次の瞬間には、それを覆い隠すように軽い笑みを取り戻していた。
「まあ、今日はこの辺でいいか。だいぶ空気悪くなっちゃったし」
漣は立ち上がり、衣を整える。その動作さえも、枝垂れた藤の花のようにしなやかだった。
「じゃあね、奈珠那ちゃん」
「二度と来るな」
瓊環が冷たく突き放した言葉を背に、漣はひらりと手を振り返す。そして、冬景色の中へと溶けるように姿を消した。
「……ああ、オレの雪だるまが!」
突如響いた珀弥の情けない悲鳴が、部屋に残された異物感を押し流した。
「せっかく作ったのに、ちょっと目を離した隙に……!」
耳と尻尾は、しゅんと垂れている。囲炉裏のそばに置いたせいで溶けるのが早まったのだろう。忙しなく言葉を並べていて、どこか悔しそうだ。
珀弥は崩れかけの雪だるまを抱えると、すくっと立ち上がり「直してきます!」と庭へ駆け出していった。
やがて雪を踏む足音も遠ざかり、部屋には囲炉裏の火がぱちりと小さく弾ける音だけが残る。気づけば、瓊環と奈珠那の二人きり。漣が残していった甘い花の香りも、いつの間にか薄れていた。
二人きりだと意識した途端、奈珠那は言葉が見つからなくなった。しかし、沈黙は落ち着かない。何か言わなくてはと手元を見つめ、指先をきゅっと握った、そのとき。
「気にするな」
短い言葉が、ぱちりと熱を持ってように降ってきた。
「漣はああいうやつだ。誰にでも、ああして距離を詰める。昔はもう少しマシだったんだが」
「……そう、なんですね」
瓊環は囲炉裏の火を見つめたまま、深く息を吐いた。その横顔は苛立ちだけではなく、もっと複雑な感情が滲んでいる気がした。
数刻ほど沈黙が流れる。
「奈珠那」
不意に名を呼ばれ、奈珠那は顔を上げた。
「お前が誰を選ぼうと契約は変わらん。俺がお前を離すことも、ない」
金の瞳は命じるようでも縛るようでもなく、純粋に奈珠那を映していた。
「……はい」
返事はわずかに震えていた。「離さない」と告げられたことへの恐怖ではなく、その言葉に安堵してしまった自分自身への戸惑いと、抑えきれない小さな喜びだった。



