万年桜の生贄婚〜咲かぬ桜の神と生贄乙女の一年契約〜

「瓊環ぃ〜!」

 昼下がりの神域。奈珠那が庭の掃き掃除をしているところで昨日と同じような風が巻き起こり、その中心から天寧が姿を現した。

「今日はお茶菓子を持ってきたの。一緒に食べましょう」

 手にした籠を誇らしげに掲げ、天寧は縁側に座っている瓊環の隣に並んで腰を下ろした。
 
「余計なことを……」
「いいでしょ、ね。珀弥も食べるでしょう?」
「美味しいものでしたら」
「美味しいに決まってるじゃない」

 得意げに鼻を鳴らす天寧。

「神の好物を集めたのよ。季節ものなんだから、ありがたく思いなさい」

 籠から出てきたのは、淡い光を帯びた果実に、蜜を固めたような菓子。どれも奈珠那には見覚えのないものばかりで、ほんのりと甘い香りが漂っている。確かに神のために用意されたものなのだと一目でわかった。

「では……私は、またお茶を……」

 そう口にしかけた奈珠那を天寧はひらりと手で制した。
 
「いらないわ。今日は持ってきたから」

 彼女の指先が小さく弧を描く。空気が揺らぎ、何もなかった場所にいつの間にか湯気を立てる茶器が三つ、整然と並んでいた。神の力によって用意されたそれは見た目だけでなく、香りまでもが甘く澄んでいる。
 
「はい、どうぞ」

 天寧はにこりと微笑み、瓊環と珀弥の前にだけ菓子と茶を寄せる。奈珠那の前だけが、わずかに空いたままだった。
 
「あら、ごめんなさい。人間の口には合わないと思って用意してきてないの」

 天寧はわざとらしく首を傾げる。彼女の仕草は、あの家にいた頃のものによく似ていた。露骨に追い払われるよりも、「最初から数に入れられていない」という扱い。だから胸はひりついたが、驚きはなかった。
 
 それよりも胸を締めつけたのは、天寧の視線に潜む感情だった。奈珠那そのものを拒むというよりも、瓊環が選んだ存在であるという事実を受け入れられない──そんな拒絶の色。瓊環に想いを寄せる者だけが出せる、ひどく純粋で残酷な敵意だ。

「天寧様! それはさすがに……!」

 珀弥が声を上げた隣で、瓊環は小さく息を吐いた。

「ほら」

 瓊環は自分の前に置かれていた菓子が乗った盆を、何でもないことのように奈珠那へ差し出した。

「……え?」
「俺は食い飽きてる。お前が食え」
「ですが……」

 奈珠那が戸惑っている間に、天寧が素早く反応した。

「ちょっと! それは瓊環にあげたの!」

 瞬時に盆を瓊環のほうへと戻し、奈珠那を睨みつける。

「なによ、ちゃんとあなたの分もあるわよ! 瓊環のものを取らないで!」

 再度指先で弧を描き、茶と菓子が乗った盆を出現させた。

「ほら!」
 
 言い(つの)る天寧の声には苛立ちが表れているが、その指先は盆を取り戻そうとはしなかった。
 奈珠那は一瞬迷ってから両手で受け取り、頭を下げた。
 
「……ありがとうございます」
「礼なんていらないわ。勘違いしないで。瓊環にあげたものを、あなたに取られたくないだけよ」
「ですが……私のために、わざわざご用意していただきましたし……」
「もう、いいったらいいの! しつこいわね!」

 天寧は奈珠那から視線を逸らしたままだった。唇を尖らせた天寧の表情は、怒っているようで居心地が悪そうでもある。
 その様子を見ていた珀弥が、かすかに息をもらした。

「……ぷっ」
「ちょっと珀弥。今、笑った?」
「いえ、別に?」

 明らかに誤魔化している。

「なによ、その顔!」
「いえ。天寧様は、相変わらず素直じゃないなと思いまして」
「はあ!? なにそれ!」

 天寧は勢いよく立ち上がり、ばさりと袖をひるがえす。

「もういい! 私、帰る!」

 誰が引き留めるでもなく、次の瞬間には風とともに姿を消していた。ものの数分だったが、彼女がいたことを証明するように菓子の甘い香りが残されている。

「本当に嵐のようなお方ですね」

 珀弥は肩をすくめ、苦笑まじりに息をついた。

「いつも……あんな感じなんですか?」
「ええ。まあ、大体は。あの人は自分の感情に素直なんですよ」
「そう、なんですか」

 奈珠那は盆の上の菓子に視線を落とした。
 これも彼女の感情の現れなのだろうか。「いただきます」と手を合わせ、置かれた菓子に手を伸ばす。
 口いっぱいに広がるのは、くどさのない芳醇な甘さ。それから、かすかな渋みを喉元で感じる。甘さと苦味の絶妙な配合は、『天寧』という女神そのものを映し出しているようだった。